二十三.由香利の決意・優人の決別
迎えにきたのは早田だった。
由香利は通学路を歩きながら、早田にクラスであった事件と、優人のこと、そしてロスト・ワンのことを話した。しかし、話しても話しても、一度落ち込んだ気持ちは晴れなかった。
「私、クラスメイトに力を使おうとしてた。一番やっちゃいけない、力の暴走……自分自身を燃やしてでも、めちゃくちゃにしたかった」
吐き出せば楽になると思いきや、それはさらに気分が落ち込むだけで、由香利はずっと苦しいままだった。
「あと、偽善者ストーカー女子、って言われた」
「それ、由香利ちゃんのこと?」
由香利はうなずく。悔しいけれど、それが自分のあだ名であり、本当のことでもあった。
「お父さんも、前に言ってた。私のすることは、他の人からは偽善のように見えるって。ストーカーってのも、そうだと思う。私、榊乃くんの後を追っかけてた。一方的に話しかけてた。どっちも本当のこと。でも、他人から言われると、すごくいやな気持ちになった」
「そうだね、他人が見ている自分と、自分が見ている自分は違っているからね。それは当然なんだよ。この世界は、そんなズレがたくさんあって、たいがいの人は、愛とか友情とか仲間とか、そういう言葉を使ってそのズレを修正してる。だから、わざわざそれをあげつらって笑っているうちは、まだまだ子供ってことじゃないかなって、僕は思う」
早田は由香利を慰めようとしてくれていた。その優しさがうれしかった。
「偽善者ストーカー女子、って言われた由香利ちゃんも、由香利ちゃんだよ。それは、天野由香利とユカリオンが一緒だということと同じ。どっちがいい悪いとか、強い弱いとか、関係なく、それも自分なんだって、受け止められたとき、人は少し成長する。今、由香利ちゃんや榊乃くんは、大人になるための練習をしている最中なんだ。練習だから、上手くいかないときもある。だから、だいじょうぶだよ」
この苦しさは練習なのだと言われて、由香利は少しだけ気持ちが楽になった。そうすると、今度は優人のことが心配になった。
「榊乃くんの中にも、ロスト・ワンがいて、それを受け止められてないってことなのかな。だからあんなに苦しんでるの?」
「そうだろうね。彼の深層心理……本当の気持ちが、リオンクリスタル・ベータと反応したのが原因だと思う。アルファもベータも『意志の力』でその能力を発揮する。でも、話を聞く限り、完全にロスト・ワンになっていない可能性が高い」
――「僕は、本当に怪物、なんだ。だから――さよなら」
優人の最後の言葉を思い出した。
「どうして、さよなら、なんて言ったんだろう」
図書室で感じた居心地のよさや、優人の笑顔。今まで感じたことのない、不思議な気持ちを思い出すと、胸が締めつけられるように苦しかった。由香利の目に涙があふれだして、流れた。
「とっても悲しくて、胸が苦しい……」
由香利は早田を見上げた。すると早田は歩みを止め、いつものおだやかな笑みを浮かべて言った。
「好きな人に『さよなら』なんて言われたら、悲しいよね」
「……好きな、ひと?」
「だって、なんとも思ってない人に言われても、こんな風に苦しくなる? 苦しいのは、きっと相手が大好きな人だからじゃ、ないのかな」
「大好きな人……」
初めて話した日に感じた、不思議な気持ち。そして、苦しさ――あの雨の日も、今も――それはすべて同じ『好き』の気持ちだからだと由香利は気づいた。
「私、榊乃くんが、好きなんだ……」
口にすると、更に気持ちが強くなった。
「私、このまま、榊乃くんを怪物にさせたくない。好きな人を、助けたい!」
由香利の力強い言葉に、早田はうなずいた。
「由香利ちゃん、ランドセルは僕が預かるよ。さあ、行っておいで。好きな人を助けるために」
「はい!」
由香利は早田にランドセルを渡すと、スカートを翻して走り出した。優人との――ロスト・ワンとの共鳴を求めて。
*
由香利を見送った早田は、我が家へと足早に歩きだした。
「本当に、榊乃くんっていう男の子が好きなんだねえ」
お父さん子だった由香利に、好きな人ができた。一つ大人になったのだと思うと同時に、少しさびしくも感じていた。
(ああ、博士はいつも、こんな気持ちなのかな。成長するたび、遠くへ行ってしまうような……)
古ぼけたランドセルを眺めて、早田は思う。
(守らなくちゃ。絶対、僕の身がどうなろうとも)
早田は立ち止まり、見えないように首にかけていたペンダントを取り出す。そこには、青い結晶の欠片、クリスタル・ベータが二つ並んでいる。デ・ジタールとア・ナローグの核だったものだ。
(役に立つときが来るといいんだけど)
手のひらに乗せたクリスタル・ベータを握りしめ、早田はまた歩き出す。
「さよなら……なんて、言われたく、ないよね……」
だれに言うわけでもなく、早田はつぶやいた。
*
空を飛ぶ優人は、自分自身への恐ろしさと悲しさでいっぱいだった。
夢の中のことは――ロスト・ワンという怪物になって、人々を襲っていたこと――現実のことだったのだ。風を操ってクラスメイトに怪我をさせたことで、夢の中と現実がやっとつながった。
(空を飛んで、どこまでも飛んで、よだかになりたい。今ならできる)
大好きな『よだかの星』のことを思い出した。ひとりぼっちで夜の星になったよだかみたいになりたくて仕方なかった。
自分は本当の怪物だった。だれからも好かれることのない、みにくい心の怪物だった。だれかを襲わないと生きていけないなんて、それが恐ろしくて仕方なかった。
だから、追いかけてきてくれた由香利から、離れなくてはいけないと思った。しかしそれは、とても悲しいことだった。
(あの痛み……まるで、天野さんと繋がったようなあれは、一体……)
図書室のとき、そして、今さっきの教室。
優人の脳裏に、もう一つ同じような記憶がよみがえる。それは、ロスト・ワンとして初めて戦った、あのときだった。
(緑の、光)
温かなエナジーを持つ、ユカリオンと呼ばれていた大人びた少女。体に纏ったかまいたちを剥がされた後感じた強い衝撃は、由香利のときのそれと同じだった。
(天野さんと、あの人は、同じ――!)
優人は気づいてしまった。好ましいと思っていた相手の、生体エナジーを奪ったことに。
由香利への罪悪感と、自分への嫌悪感に、胸が押しつぶされそうな苦しみが優人の全身を支配する。
「あ、ああ……あああ――――っ!」
優人は絶叫した。胸にあるフェイク・クリスタル・ベータをいっそう強くさせる、負のエナジーを発しながら。
やがて優人がからっぽの気持ちでたどり着いたのは、自宅であるアパートだった。
無性に母の声、それも優しい声が聞きたくて仕方なかった。今までそんなことを考えたことはなかったのに、今の優人はそれを求めていた。
合い鍵を使って玄関を開ける。電気もついていない暗い我が家。つんと鼻を突く、生ゴミの臭いと、気持ちの悪くなる酒の臭い、そして微かな血の匂いが広がっていた。
カーテンを閉めた暗いリビングに入る。そこには、寝ながら酒を飲む母の姿があった。
「母さん」
優人のか細い声に、テレビを見ていた母は振り向く。そして、彼を見ると不機嫌な顔になった。
「あたしの休みの日は、絶対に夜中まで帰るなって言ったはずだけど」
冷ややかでとげのある声。これが、優人と話をするときの母の声だ。
母は優人に対してさまざまなルールを作っていた。休みの日は絶対に夜中まで帰ってくるな。必要以上に話しかけるな。逆らうな。
母が優人に怒りを覚えるごとに、ルールは増えていった。
「母さん、僕、怪物なんだ」
優人は消え入るような声で告げた。
「はあ? なにそれ。っていうか、それ以上話さないで、あんたと話してるヒマないから」
優人は胸がドキドキして、苦しくなった。ルールを破っているのが信じられなかった。それでも、口から言葉がこぼれ出て止まらない。
「母さん、僕を……」
「母さん、母さんって、あたしを呼ばないでよ!! 今日のあんたウルサイ。なんでいつもみたいに黙んないの、消えないの! ていうか出てって、出てってよ! って、ふふ、そうだったそうだった。ああ、思い出した。そうよ、あたしが出ていくんだった」
急に思い出したように母は言い、ふらつきながら起き上がる。そして小さなクローゼットを開けて、ボストンバッグに下着やスマートフォンの充電器、化粧道具などを乱暴に入れ始めた。
「あたし出ていくの。あんたなんか捨てて。あんたもう一二? 一三? どっちでもいいや。一〇歳越えたんでしょ、もう一人でも生きていけるじゃん。ていうか、あたしもその歳でもう一人だったんだから、ふつー、ふつー」
荷物を詰める間、まるで歌うように節をつけて、母は言った。
そして、バッグのファスナーを閉めると、床に転がっている脱ぎ散らかした服や、空のコンビニ弁当の容器を蹴り飛ばしながら、ボストンバッグを抱えて部屋を出ようとした。
「母さん、僕を」
「どいて、邪魔」
母は手に持ったボストンバッグを、優人の頭に叩きつけた。優人の体が、ゴミの山の中に倒れる。ぶわっ、と虫が飛び回り、母は汚らしいものを見る目つきになった。
「知らないわよ、あんたなんて。あたしに子供は一人しかいない。離婚してあの人が連れてっちゃった子があたしの本当の子供。あんたはただの荷物。周りから背負わされたお荷物。荷物だったら置いてったって文句ないわよね」
「母さん」
優人はゴミの山から手を伸ばし、母を呼んだ。母の言葉はすべて辛い言葉で、今までなぜ我慢できていたのか、不思議なくらいだった。
母は優人の伸ばした手を、強くはたいた。
「あんたはあたしの子供じゃない!」
そして母はヒステリックに叫び、優人に背を向けた。
本当は最初から分かっていたのだ。母が優しい言葉をかけるはずがないと。
母の叫びが、優人の心にじわじわとしみこんでくる。
(分かってたはずなのに、苦しい、辛い……。そうだ、本当の怪物になれば、それも感じない)
優人はようやく、決心がついた。
「さよなら、母さん。僕は、本当に怪物になるよ」
胸のフェイク・クリスタル・ベータが紫に光る。そして優人は、ロスト・ワンに変身した。
締めきったはずの部屋の中、突然吹いた風に驚いた母が振り向く。ロスト・ワンを見た母は悲鳴を上げた。
恐怖で震える母を眺めながら、ロスト・ワンは右腕を振るう。そして、口を微かに開いてささやいた。
「母さん、それでも僕はあなたを……」
愛していました、という言葉の代わりに、かまいたちで母を切りつけた。そして生体エナジーを奪った。
ロスト・ワンの頬に、一筋の涙が流れた。しかし、ゴーグルの奥の瞳が妖しい紫の輝きを放つ頃には、それはすっかり乾いていた。
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