二十一.早田の寿命と由香利の想い

 ロスト・ワンとの戦いから数時間後、天野秘密研究所では、リオンドームが動いていた。中には、医療用カプセルの中で眠る由香利と、その隣で居眠りをする重三郎がいた。

 重三郎の無防備な肩に、そっと毛布がかけられる。毛布に気づいた重三郎が目を覚ますと、そこには早田が立っていた。

「早田、お前、もうだいじょうぶなのか」

「ご心配をおかけしました」

 少しだけやつれた顔が、無理やり微笑を作る。その痛ましさに、思わず重三郎は椅子から立ち上がると、早田のシャツの胸元をつかんでにらみつけた。珍しく真剣な表情の重三郎に、早田が驚く。

「このっ、心配させやがって! バカヤロー……」

 重三郎は涙声になり、シャツをつかんだままうつむいた。早田はなにも言わず、重三郎のなすがままにされている。

「情けないよ、情けないさ。大の大人が、こうして子供みたいに泣いてるんだからな! それでも、僕は今、ものすごく怒ってるし悲しいし悔しいんだよ!」

 やっとシャツから手を離すと、重三郎は力なく椅子に座った。

「由香利の生体エナジーを、ロスト・ワンとかいう奴に半分持ってかれた。リオンスーツとアルファの力のおかげで持ちこたえた。このまま三日もあれば回復する……でも、僕は見ているだけでなにもできなかった。そして、お前の体の不調にも気づけなかった!」

「元々、僕らリオン星人は地球では長く生きられません。由香利ちゃんには、持病だと説明しているけど……僕が生きていられるのは、貴方が許してくれた模写コピーと、投薬のおかげ。地球換算で十六年。奇跡のようなものなんです。気にしないでください」

 早田はいつものおだやかな顔でそう言った。

「そんなことを言うな! お前は僕の弟で、由香利の叔父で、僕の、僕たちの大切な家族だ。もう、だれも……死なせたくない」

 重三郎はそう言うと、大人げなく泣き出した。

「その気持ちは同じです。安心してください、僕は平気です。僕はどんなことがあっても由香利ちゃんと貴方を守ります。六年前、貴方たちに誓ったように。貴方たちの住む星を守ります」

「そうじゃない、そうじゃないんだよ早田。僕が言いたいのは……」

「違いません。それより博士、そんなくしゃくしゃの紙みたいな顔、やめてください。捕って食いますよ」

「……お前は『注文の多い料理店』の山猫かよ。そういえば、小さい頃の由香利にそれを読んでやるの、好きだったろ。あの子が泣きながら僕のベッドまで来て、顔がくしゃくしゃになってないかって何度も聞かれた。お前のせいだ。はは、懐かしいな」

 やっと涙が止まった重三郎から笑いが漏れた。

「そんなこともありましたねえ。知ってました? 僕が一番好きなのは『よだかの星』なんですよ」

『よだかの星』は、鷹にも何者にもなれず、夜の空を彷徨い、最後に燃え続ける星になった、独りぼっちの鳥・よだかの話。

 一瞬、早田の頬が透き通る。それを見ながら、重三郎はひとり言のようにつぶやいた。

「知ってるよ。だから、お前は勝手に燃えるなよ。絶対にだ」

「はい、博士……いや、兄さん」

 早田は重三郎に向かって笑った。いつも通りの優しい笑みだったが、重三郎には、早田が遠くに行ってしまいそうに見えた。


 *


「苦しい。とっても苦しいよ。もう、いやだよ」

 夕日の色に包まれた処分場のバリケードの中、優人はうわ言のようにつぶやいていた。

 あの雨の日――由香利から逃げた日――から三日経った。あの日以来、由香利は病気で学校を休んでいて、ぽっかり空いた隣の席がさびしかった。放課後も一人で本を読むのが辛くて、すぐに処分場へ引きこもる日々が続いていた。

 引きこもっていると、前よりもひどい胸の痛みが優人を襲った。しばらく気を失って目覚めると、辺りは真っ暗闇で、人通りの少なくなった道をとぼとぼと帰る。そして毎晩、夢を見る。居心地の良かったはずの夢は、日に日に悪夢へと変わっていった。

 夢の中の優人は、鎖とベルトでがんじがらめの、真っ黒な服を着た青年だった。そして、風を操り人々を襲う怪物でもあった。

 最初は処分場の職員、夜に出歩く大人、そして、緑の光を纏う大人びた少女。緑の光がとても温かったことを覚えている。

 人を襲えば襲うほど、優人を「坊や」と呼ぶ優しく甘い声がほめてくれた。しかし、うれしいと思うよりも、自分を失ってしまうような不安が強くなった。

 最初こそ手に入れた力を使うのは気分がよかった。しかし、ほめられ続けなければ、夢の中でさえ、居場所がなくなってしまうかもしれない、ということに気づき始めていた。そう思うと、怪物として怖がられても、人を襲い続けるしかなかった。

 現実も同じように苦しかった。学校でのいじめが前よりもひどくなった。酒の量が多くなった母が、たびたび奇妙なことを口走るようになり、理由もなく優人を殴ることが増えた。母の手首には血の染みた包帯が常に巻いてあるようにもなり、洗面所や台所にカッターや包丁が置かれ、家の中には常に血の匂いが漂っている。

(もういやだ。いっそ、消えちゃいたい)

 どくん、とまた胸が痛み、涙がこぼれた。苦しい気持ちと痛みをやわらげたくて、あの瞳を思い出そうとする。

「天野さん」

 初めてあの子の名前を呼んだ。瞳を、声を、顔を思い出せると思って。けれど、後もう少しのところで、意識が沈み、優人はいつものように気を失った。


 *


 由香利が目覚めたのは昼だった。ゆっくりと目を開けると、そこには薄い緑のドームが見えた。

(アルファ、おはよう。私、どのくらい眠ってたの?)

 ロスト・ワンとの戦いの後、意識を失い、ずっと不思議なまどろみの中にいたことだけは覚えている。

【三日だ。生体エナジーを半分奪われた君の意識は、まどろみにあった。私も見ることができない、秘密の場所だ。無事で、よかった】

(ありがとう、アルファ。私を守ってくれて)

 生体エナジーを半分奪われても生きていられたのは、アルファのおかげだった。

 由香利は上体をゆっくりと起こす。自分の体は、ドームの中にあるカプセルに入れられていたらしい。カプセルが開き、本と機械の匂いが由香利の鼻をくすぐった。

「由香利! ああ、よかった。目が覚めたんだね!」

 喜びの声と共に、ぎゅっと抱きしめられた。嗅ぎ慣れた白衣の匂いに安心する。

「お父さん! 私、私……」

「いいんだよ、お前が無事で。お腹空いてないかい? すぐに用意するぞ」

「お父さん、私、学校行きたい」

 重三郎の言葉を遮って、由香利は告げた。ずっと優人のことが気になっていた。居ても立っても居られなくて、とにかくカプセルから出ようとした。しかし、重三郎は由香利の肩を押し戻した。

「待ちなさい、もうお昼だよ。まだ体も安定してないし、そもそも今から行っても出席扱いには」

「いいの、私、確かめなきゃいけないことがあるから」

 怪訝な顔をする重三郎へ、由香利は説明をした。あの日、優人と図書室で謎の共鳴をしたこと、そして、襲ってきたロスト・ワンとも同じ共鳴をしたことを。

「榊乃くんがロスト・ワンじゃなかったら、そのほうがいい。でも、ロスト・ワンだったとしても、なにか理由があるんだと思う。私はそれを、確かめたいの」

 まどろみの中のロスト・ワンは泣いていた。刃は悲しみであふれていた。

「有機物、生物へのクリスタル・ベータの融合……つまり、由香利と同じ存在だということか」

 こくり、と由香利はうなずいた。つまり、引かれあっていたのだ。胸に輝きを持つ同士の共鳴だった。

「そうだったら、私は止めたい。榊乃くんが壊れる前に」

 由香利は、かつてアルファに教えられた言葉を思い出していた。

 ――「君は、力をコントロールする術を身につけなければならない」

 ――「それができないと、力の暴走が起こる。君を守るための力が、逆に君や、そして君が守りたいものに対しても、牙を剥くことになる」

 優人が本当に大事なものを壊す前に、止めたい。

 由香利はカプセルから出て立ち上がる。全身に力がみなぎって来るのを感じながら、歩き出した。

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