十.ピンチを超えて! 初めての勝利
ア・ナローグが満足げな顔をして腹をさすった途端、体が空気の入れられたビニール人形のようにぶくぶくと肥大化し、あっという間にデ・ジタール以上の大きさになってしまった。
「えへ、えへヘ、すっごい、すっごいよぉ、力があふれ出るよぉー!」
ア・ナローグの紅い目がギロリ、と重三郎と早田を見る。
(お父さんたちが危ない!)
由香利はすぐに二人の元へ走った。
バトン・スタンガンをよわよわしく振り回す二人を背に回すと、まとわりつく黒フードたちをあっという間に倒していった。
「たっ、たっ、たすかったぁあ!」
白衣はところどころ破れていた。それでも二人に大きな怪我がないことが分かりほっとした。しかし、今はそれどころではない。
「デ・ジタールは倒したんだけど、ベータの欠片を、あれが食べちゃったの!」
叫びながら、空中に浮かぶア・ナローグを指し示す。
重三郎と早田が、青ざめた顔で見上げる。二人は宙に浮かぶ異形の怪物の迫力に、顔を引きつらせた。
「まぁだ生きてたのぉー? 雑魚どもって、しぶといんだねぇ。えーい、これでも食らえーっ!」
ア・ナローグが両腕を上げると、宙に時計の針が無数に出現した。妖しく紫に発光する針の先端が光る。
【バトンでバリヤーを張るんだ! 針の雨が降る!】
「お願い、ハニカムバトンッ!」
三人を覆うようにハニカムバトンのバリヤーを広げた。同時に、針の雨が勢いよく降りかかる。攻撃が止むと、ア・ナローグは両手に巨大な時計の針を持っていた。
「いっぱいいっぱい切り刻んで、めちゃめちゃにしてやるぅ!」
ア・ナローグが針の剣をきらめかせ、由香利めがけて急降下してきた。
由香利は重三郎と早田に離れるように叫ぶ。バトンをブレードに変形させ、ア・ナローグに立ち向かった。
ブレードは針の剣二本でクロスして受け止められ、衝撃波が空中で輪のように広がった。
刃をぶつけ合いながらア・ナローグの肥大化した体に蹴りを入れるが、ぶよぶよとして、手ごたえがない。
「キャハハ、キャハハ!! たっのしいねえぇ! おっきくなるって楽しいねぇ! キャハ、キャハハハハッ! ねえ、ねえ、ねえ、さっきみたいにカッコよくやってみてよぉ! ボクの可愛い弟にしたみたいにいぃ! ねえ、やってみてよおおっ!」
「う……っ」
次第に由香利は、真正面から向かってきたデ・ジタールとは違う、まるで遊んでいるような様子のア・ナローグに対して、怖さを感じ始めていた。
剣さばきにも迷いが現れ、反応する速度が落ちた。ついには、攻撃をすることもできず、ただ防ぐだけで精一杯になった。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
【まずい……。ユカリとの、繋がりが……弱まって……】
ぷつん、と糸の切れるような感覚が由香利に走り、アルファの声が途切れた。
突然、お風呂で感じたような不安が、どっと押し寄せてきた。ブレードを握る手に、力が入らない。
「それぇっ!」
ア・ナローグに思いきりブレードを撥ね飛ばされ、思わず悲鳴を上げる。自分のとても大事なものを失くしてしまったような、凄まじい不安に襲われた。
隙だらけの由香利に、ア・ナローグが容赦ない一撃を加える。自動バリヤーは作動したものの、簡単に砕け散り、由香利はまるでゴミのように、フチの欠けたコーヒーカップの遊具に投げ込まれた。
背中に強い痛みを感じた。起き上がろうと力を入れても、指先がほんの少し動くだけだった。
(もう、駄目、かなあ)
動かない体に、薄れていく意識。そしてとても強い敵。このまま死んでしまうのではないか。死んだなら、お母さんに会えるかもしれない。そんなことを考えていた。
(お母さん)
かろうじて瞬きをしていたまぶたが重くなる。沈んでいく意識の中、声が聞こえた気がした。
『由香利は私が守るわ、絶対に助ける! 貴方は生きるのよ、生きて!』
頭に浮かぶのは、血の気のない由香利を抱きしめるウサギさん……変身した母だった。
母の体からあふれるアルファの光が、由香利を包み込む。
今まで忘れていた六年前の記憶の一部が、またよみがえった。
(あのとき、こうやってお母さんが私を助けてくれたんだ)
【ユ、カリ……ユカリ……ユカリ!!】
記憶の中の声ではなかった。アルファが必死に、由香利の名を呼んでいた。
【あきらめないでくれ! 君が生きることが、由利の強い願い、意志の力だったんだ! 私は君の命であり、そして『由利の意志』なんだ。聞こえるか、ユカリ! 君のために戦う重三郎と早田の声が! 君に生きてほしいと願うが故に、戦う者の声が!】
アルファの声に、由香利ははっとした。
耳を澄ませると、重三郎と早田の叫び声が聞こえてきた。由香利の名を叫んでいた。
(お父さんと、早田さんが、戦ってる。私のことを、呼んでる)
六年前の母と同じような、由香利を守ろうとする声だった。
(二人を、守らなきゃ……!)
クリスタル・アルファの輝きを由香利は感じた。
(私、だいじょうぶ。もう、怖くない!)
由香利は力を振り絞り起き上がる。すると、ア・ナローグ相手に苦戦する重三郎と早田の姿が見えた。
「お父さん、早田さん! 今、行くから!!」
由香利の叫びと共に、リオンスーツからエメラルドグリーンの光がふき出し、ア・ナローグめがけて駆け出す。
思い切り地面を蹴って、高く跳んだ。重三郎と早田を踏みつけていたア・ナローグの目の前に着地する。重三郎と早田の苦悶の表情が、ぱっと笑顔に変わった。
「由香利!」
「由香利ちゃん!」
二人の笑顔に安心した由香利は、こんなひどいことをするア・ナローグを、ますます許せなくなった。
にらみつけると、ア・ナローグはニタリと笑った。
「いいよねぇ、そういうくるしそーな顔ってさ! 普通の人間なんか相手になんないから、これでも手加減してたんだぁ、ボク」
ア・ナローグは二人を蹴飛ばし、由香利の胸倉を掴んだ。顔を近づけ、端っこまで裂けた口で笑みを作る。
「ボクを、楽しませてよ」
ア・ナローグはそれだけ言うと、由香利を突き放す。
突き放された瞬間、思い切り蹴り上げ、ア・ナローグのあごに直撃させた。体を一回転させ、間髪入れず、さらに攻撃を繰り返す。その攻防が激しく続いた。
ア・ナローグが針の剣を手にした。それを見た由香利は、あることを思いついた。
(アルファ、ブレードを二本にできる?)
【なんだと!?】
(お願い、アルファ、やってみたいの!)
【……君が望むなら、私は応えよう!】
ハニカムバトンが出現し、由香利がバトンを両手で持つと、バトンは二つになった。それぞれの手で構えると、短剣が二つ――双剣が現れた。
「行くよ、アルファ!」
双剣をふるい、針の剣を受け止める。刃同士がぶつかって、紫と緑の光がはじけた。
「ボクのマネでもしたつもりなのかなぁ? そんなことしても、無駄だよぅっ!」
ア・ナローグのあざ笑いを無視し、由香利は剣撃を繰り出す。
全身が武器になったような気持ちだった。蹴りも拳も叩き込む。ア・ナローグは、もう怖くなかった。
「あなたになんか負けない!」
今度は双剣の柄頭同士をはめ込み、両先端にブレードのある、長いバトンを作った。大きく回転させると、ブレードを生成するエネルギー波が一つの輪になる。
その輪をア・ナローグに向かって思い切り投げつけた。輪はア・ナローグの体を素早く捕らえ、手から針の剣が落ちた。
「う、動けないよーっ」
「今だ、由香利!」
重三郎の叫びに、由香利はうなずく。バトンが光の粒子に包まれ、大剣へと形を変えた。
両手で柄をしっかりと握り、バトンのように顔の前に立て、一瞬瞑想をする。すると、ブレードが大きく輝いた。
目を見開き、切っ先をまっすぐにア・ナローグへと向けると、由香利は高く跳んだ。ア・ナローグめがけ、雄叫びを上げながら思い切り大剣を振り下ろした。
ブレードからほとばしるエネルギー波がエメラルドグリーンの炎になり、ア・ナローグの体に触れた瞬間、その全身をあっという間に包み込んだ。
悲鳴を上げながら、ア・ナローグは砂の城のように崩れていった。
そして炎の中には、二つの青いクリスタル・ベータの欠片が、寄り添うように浮いていた。
由香利はそっと欠片に触れた。不思議なことに、ベータと共鳴したときや、異次元モンスターのエネルギーとぶつかったときの、押しつぶされそうな力は感じなかった。
【ベータが青いだろう。これが、本来の姿だ。異次元モンスターの核になると、紫に輝く。そうなると、私と強く共鳴し、君を脅かす存在になる。しかし、本来はおだやかな性質なんだ】
(本当は、こんなにきれいなんだね)
広々とした光景を眺め、改めて敵がいなくなったことを実感すると、変身が解け、一気に力が抜けた。
そのまま地面へ倒れそうになったそのとき、優しく抱き止められた。重三郎と早田だった。
「ありがとう、由香利。よく、頑張った」
「由香利ちゃん、よかった」
二人のぬくもりがうれしくて、由香利はまた胸がいっぱいになった。目頭が熱くなって、涙を流した。悲しみの涙ではなく、喜びの涙を。
「由香利、誕生日おめでとう」
「おめでとう、由香利ちゃん」
「えっ、二人とも、今、言うの? でも、ありがとう」
涙でくしゃくしゃになった顔で、由香利は笑った。重三郎も早田も笑った。
帰りの車の中、由香利は夜空を眺めていた。そこには、いつの間にかおだやかな星がたくさん光っていた。
(お母さん……いろんなことが起きて、まだまだ不安なことはいっぱいあって、まだ終わりじゃないのは、分かってるの)
そう、まだこれで終わりではない。遠い空の向こうに、確かにベータの気配がすることを、由香利は感じていた。
*
「駄目だったみたいネ」
薄暗く静かな実験室の中で、サルハーフは声音だけはおだやかにつぶやいた。デ・ジタールとア・ナローグの気配が完全に消えたのだ。
「まあいいワ。おかげで今のアルファがどれだけの力を持っているか、よぉーく分かったもノ」
もともと一つのクリスタル・ベータを四つに割って作られた彼らだが、その中でも互いの結束が強かったのは、兄弟としての自覚を持っていたデ・ジタールとア・ナローグだけだった。
サルハーフは、彼らが倒されて悲しいとも、悔しいとも思っていない。とても非道な性格だった。
サルハーフはゆっくりと、部屋の中心に据えられた円筒に近寄る。中に眠る生首の老人、Dr.チートンの口からごぽりと泡が漏れる。サルハーフは優しく円筒を撫でた。
「あんなにいまいましい力なのに、貴方は欲していらっしゃるのですネ? 以前よりも、確実にアルファの力は増していまス。でも、次こそは、奪ってみせますワ」
うっとりとつぶやくサルハーフは、Dr.チートンの顔を見つめる。
「もうすぐあの子が目を覚ますワ。眠っている間に、前よりも大人しくなっているといいけれド」
カプセルに眠る異次元モンスターを見て、薄い笑みを浮かべた。
「すべては愛しいDr.チートン様のたメ。ホホホ、ホホホホホッ!」
狂ったサルハーフの笑い声が、実験室の中に響き渡った……。
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