第10話β 反旗

 すぐに戻ってくると思ったおじいさんは、なかなか戻ってこなかった。

 お日様はもう山のてっぺんと同じくらいの高さになっている。

 屯所の窓から見下ろせる通りでは、人々が物を買ったり運んだりでせわしなく動いている。

 喋り声に耳をすませてみる。

 「……神殿が……。人だかりも……」

 かすかに聞こえた、神殿という言葉。

 「ねぇ! 神殿はどうなったの?」

 わたしは窓からは頭をだして、声を張り上げて聞いて見た。

 「さぁ……、わたしもわからないよ。なんでも兵隊が神殿の周りを囲っているらしくてねぇ」

 そう答えたおばさんはそう言ったっきり、通りの方へ戻ってしまった。

 結局おじいさんは無事なんだろうか。わからない。

 顔を戻して兵隊の人に聞いてみる。

 「ねぇ、おじいさんはまだ戻ってこないの?」

 「はぁ、神殿から連絡が来ないのでまだわかりませんが」

 「そうなの」

 「心配要りませんよ。大神官様は、大勢の兵隊に守られています。その身に危機が及ぶことはないでしょう」

 わたしが不安そうな顔をしていたのか、兵隊はなぐさめの言葉をかけてくれた。

 そうか。おじいさんは無事なんだ。そう言われたものの、昨日の神殿での恐ろしい夢が、頭から離れなかった。

 結局神殿から迎えが来たのはそれからもうしばらくしてからだった。既にお日様は山に隠れようとしている。

 でもその中にはおじいさんはいなかった。兵隊に連れられて、神殿のある山の中腹に向かう途中、不安が頭から離れなかった。

 

 神殿の正面に来た。多くの人たちがひしめきあっているのが見える。

 「あ、大神官様」

 リコが小さく声をあげた。

 「え、どこどこ?」

 「あそこです。左から三番目の柱のところ」

 ぼんやりとしか見えなかったけれど、もっさりとした服装や、髪の色からおじいさんであることがうかがえた。

 こうなると、もっと近くに行って確かめたくなる。瞬間わたしは走りだしていた。

 「おじいさん!」

 「おぉ、ピトか。すまんな。迎えに行ってやれんでな」

 「無事でよかった!」

 「もちろん無事だとも。これだけ多くの兵隊が味方にいるんじゃからな」

 ようやく、いつもいた小屋に戻れた。小屋の中には兵士たちが立つようになったけれど。屯所にいたような礼儀正しい人も多いのだけれど中には失礼な人もいた。

 「なんだこの神殿の女は、子供とババアしかいないのか?」

 なんてことを言う人もいた。早くいなくなってしまえば良いのに。

 小屋に住んでいたおばあさんはそこにそのままいたけれど、どうも様子が変。しきりにあたりを気にしている。隠しているものが見つからないか、そわそわしている子供みたいだった。

 兵隊が小屋にいて、おばあさんの様子がおかしくて落ち着かなかったけれど、昨日の夜から溜まっていた疲れのせいか、わたしは寝台につくとすぐに眠りについていた。

 目が覚めた。あたりはまだ暗い。物音とわめき声が聞こえた。おそるおそる、部屋の外に行こうとすると、戸口にたっていた兵隊に止められた。

 「何が起きたの?」

 「この小屋にいた老婆が、大神官様の暗殺に関わっていた嫌疑があるとのことで、連行したところだ。どうやら暗殺に使った薬を調合していたようだ」

 (……!!)

 わたしはとっさに部屋から飛び出していた。どうしておばあさんがそんなことを……。それは本当なのか問いただしたかった。

 「おばあさん!」

 声をあげると、おびえた顔でおばあさんはこちらを見上げた。

 「知らん……。わしはやってない……やってないんじゃ……」

 「嘘をつくな! お前の部屋から薬をすりつぶした痕跡が出て来ているんだ。観念しろ!」

 兵隊の一人が怒鳴りつける。その人に押される形で、おばあさんは小屋を追い出された。

 「おばっ」

 わたしが後を追おうと、手を伸ばすと、かたわらにいたリコがわたしの手を抑えた。

 「あの人は悪いことをしたんです」

 「でも……でもっ……」

 わたしはそれ以上言葉を出せなかった。ただおばあさんの苦しそうな顔を頭に浮かべるも心が苦しかった。

 「リコは心配じゃないの? 自分のおばあさんじゃないの?」

 「そうじゃあないんです。……大きな声では言えないですけど」

 リコは急に小声になった。わたしも次を聞いていいのかわからなくなる。とりあえず、兵隊たちのいない場所までリコはわたしを連れて来た。

 「リコ、おばあさんじゃないってどういうこと?」

 小声でリコに尋ねてみる。

 「わたしは孤児なんです。神官の人とそう話しているのを立ち聞きしてしまったことがあって……。そもそも、神殿の侍女は既婚者には務められません。だからあの人に子供がいるはずもないのです」

 早口でリコの口から語られた言葉には驚くべきことがいくつも含まれていた。

 「え、そうなの……?」

 「そうです。わたしの後任もどこかから呼ばれてくるはずなんです。でもわたしは孫だなんて嘘はつきたくないです」

 重い口調で語るリコの瞳は深くまで広がっていそうな色をしていた。

 「どうして孫だって言うことにしてるんだろう?」

 「それは、逃げ道を塞ぐためだと思う。神殿での暮らしが辛い時、もし本当の子供じゃないって思ったら、逃げ出してしまうかもしれないでしょう?

 でも、本当の子供だったら、ここにしか居場所がないもの」

 「そんな理由があるなんて考えもつかなかった。リコ、頭良いんだね」

 「いえ、そんな……」

 リコの話を聞いて、わたしはおばあさんを引き止めるべきなのか、よくわからなくなってしまう。

 けれども、見知った人が、わたしの前で苦しそうな思いをしているのを見るのはつらいことだった。

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