第9話α 喪失

 次の日。

 すっかり疲れを取っておきた頃にはもうお日様が真上まで昇っていた。

 ふと、小屋の窓からプロフェテスの姿が見える。

 普段はこんなとこ人は通らないのに……、どうしたんだろ。

 すると……、かすかに扉を叩く音がする……。

 さっきのテイレイウスかな……?

 小屋に来たことなんて一度も無いのに。

 何しに来たんだろう……。

 おそるおそる扉を開ける。

 やっぱりプロフェテス。テイレシウス。

 面持ちはいつもと違って厳しい。

 「どうしたの……?」

 「大神官様がキュウセイなされた」

 キュウセイ……? きゅうせい……?

 なんだろう……?

 「キュウセイって?」

 とわたしが聞いてもプロフェテスの人は何も言わずに、きびすを返す。

 付いていくと、どうやらそこら中の人たちがばたばたしている。

 どうやら大神官さんが亡くなってしまったみたい……。

 それを聞いても不思議とそれほど悲しい感じはしない。

 わたしにいつも優しくしてくれてたおじいさん。

 わたしを巫女にしてくれたのもおじいさんだし、神さまのことをいっつもうれしそうに話してた。

 一度スタディオンの競技に見せに連れて行ってくれたこともあったっけ。

 今度、テアトルに演劇を見せに行ってくれるって言ってたっけ……。

 もうそれは出来なくなるのかな……。

 でもなんとなく、それが本当だとは心のそこから信じられなかった。


 神殿の広間に着く。

 大勢の人々が何かを囲うようにたっている。

 そのまんなかに、白い布で覆われた台が見える。

 その先っちょには……薄っすらとなじみのある顔。

 口には金貨と小麦粉が加えさせられていて……。

 おじいさん……。

 なじみのある顔が動かずに横たわっているのを見ると急に涙があふれてくる。

 胸がしめつけられ、息が苦しくなる。

 どうしてかは自分でもわからない。

 ただ、顔中が涙であふれた。

 よく知っている顔が、なんだかとても悲しい。

 寝ている、のではないことは一目でわかる。

 大神官さんの顔にはこれから動き出そうという感じが一切見られない。

 人というよりはなんだか……人の形をした人形に見える。

 それがなんだかこわかった……。

 …………。

 こんな時なのに、なぜか周りの人の様子をつぶさに見てしまう。

 わたしと同じように涙を流していたのは、たくさんじゃない。

 ほとんどは、テアトルでかぶるような仮面のように、表情を動かさずにじっと立っている。

 その様子がなんだか異様で、まるで人じゃないかのような印象が受ける。

 大神官のおじいさんは、木の箱の中によこたわっていて、中には、オリーブの小枝とジャコウソウが敷き詰められている。

 少しも悲しんでいなさそうなテイレシウスが、月桂樹らうりえの冠をおじいさんにかぶせる。

 おじいさんは苦しそうな顔をしていない。

 いつか動き出して欲しいと思いつつ、じっと顔を見つめていると……、

 そのうち白い布が顔にかぶさられて、台ごと運ばれていってしまった。

 どこへ行くんだろ……。

 後を追ってみると、おじいさんの入った箱は土の中へ埋められてしまった……。

 その時に、箱が床に擦れて出た音が、身震いするくらいに痛々しく感じた。

 おじいさんがいなくなってしまって……これからどうなるんだろう……。

 心配に思ったけれど、大祭が終わったすぐ後はしばらく巫女の仕事は無かったので、特に仕事で困ることは無かった。

 けれども、なんだか……時間がとても早く過ぎていくように感じた。



 大祭が終わってしばらくすると、街に出る機会が少しあった。

 道は人でいっぱいだったけど、なぜだか少し空いているところがある。

 そこには、みすぼらしい年寄りのおばあさんが座っている。

 う……。ちょっとくさい。

 きっとなんにちもお風呂にはいっていない。

 みんなにおいがいやだからきっと近寄っていないんだなぁと思う。

 その人はずっと上の空で、どこを見ているのかわからないような目をしている。

 口はかすかに動いているけれども、かすれた音が少し聞こえるだけで、何を言っているかは良くわからない。

 「かみ……どうしてみす……」

 かみ……神……?

 神さまがどうしたんだろう。よく聞き取れない。

 「どうし……」

 わたしが話しかけようとすると、神殿のおばあさんがわたしの手を引っ張って、そのみすぼらしい人から引き離してしまう。

 おばあさんは強い力でぐいぐい引っ張っていくもんだから、止まるまで何もしゃべれなかった。

 「むー、引っ張らないでよ」

 「あの人と話してはいけないよ」

 「どーして?」

 「あの人は、昔わしが面倒を観ていた巫女なんじゃよ。昔巫女だった人と、巫女は話してはいけないんじゃ」

 「……どうして?」

 「どうしてもなにも、とにかくそういう決まりなんじゃよ。大昔からの」

 わからない。

 「お前さんはあの元巫女をおばあさんと呼んだけれども、そんな年ではないよ。かかか。街の人が見ても、誰も元々巫女だった人だなんて気付けないだろうよ」

 おばあさんはかわいたような声で笑う。

 でも……、わたしは気が気じゃなかった。

 地面がくらくらと回っているかのように感じた。

 ……ぞっとする。

 ひょっとしたらわたしもあんな風になってしまうんじゃあないだろうか。

 どうしておばあさんは笑っていられるんだろう。

 神に愛されていたはずの巫女が、ひとたび役目を終えると、完全に見捨てられて、こじきのようになってしまうなんて。

 見捨てる……?

 ひょっとして、あの巫女さんは、神に見捨てられた……と言っていたのでは……?

 わたしもそうなってしまうんだろうか。

 あの巫女さんに一度話を聞いてみたいな……。

 「  さま……   さまです」

 どうして、前の巫女はあんな風になってしまったんだろう。

 「ピトさま!」

 「びっくりした」

 「どうしたんですか? うわのそらですよ」

 「あ、ちょっと考え事してて」

 「何考えていたんです? 悩み事ですか?」

 「うん、ちょっと……」

 息を吸い込んでもう一度しゃべる。

 「リコは、昔ここに勤めていた巫女さんのことを知っている?」

 「むかし……ですか? わたしが直接巫女さんのお世話をするようになったのは四年前だから……ひとつ前の巫女さんのことしかわからないです。それより昔のことは……」

 「前の巫女さんがどうなったのか、知ってる?」

 「秋の大祭の時に観たのが最後でした。その後は神の国に行ってしまったって」

 「神さまの国……、わたしも聞いたことある。どういうところなんだろう……?」

 「それはわたしもわからないです。でも、神の国に行く前の巫女さまは……、なんだかぼーっとしてて、魂が抜けたみたいでした」

 ……それって、街で見た巫女の人みたいになってるってことかな……。

 みんなあんな風になってしまうのかな……。

 「わたしが街で見た、元巫女さんは神の国に行けたのかな……? 行けなかったのかな?」

 「……わかりません。でも、神の巫女はみなさんいずれ神の国に行くというお話を聞いていますが……。神の国に行くということが、プシュケだけの話なのか、体ごとなのか、それもわたしにはちょっと……」

 「今度神官さんに聞いてみる」

 「はい……」

返事をしたリコの声は、いつになく弱々しかった。

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