第10話α わたしの夢、神さまの見せる夢

 大祭が終わってまだ一月しか経ってないのに、また神憑きの儀を行わないといけないらしい。

 なんでも、大きな町のお偉いさんが神託をわざわざお願いしに来ているんだとか。

 西の都では染り病が流行っているからその行く末について預言して欲しいんだとか。

 今日は神憑きの儀がある日。

 神憑きの儀をして、神の預言をみんなに伝えないといけない。

 また地下のじめじめした場所に行くんだ……。

 しめりけのある蒸気プネウマでみたされたあの場所へ……。

 あきらめかはわからないけど、それほどやな気持ちはしなかった。

 …………。

 地下の階段を歩く音が聞こえる。足音はふたつ分あるはずなのに、聞こえる音はひとつ。

 前を歩くふたつの足はわたしの足並みと同じ。

 歩くはやさを変えても、なぜか足音は増えない……。そんな気がする。

 「あの……」

 「なんだね?」

 「あの……。前の巫女さんってどうなってしまったの?」

 「…………。今は儀式にだけ集中しなさい」

 答えてくれない。

 いつものあのにおいが立ち込める。

 甘いにおいと、ヤギのなまなましいにおい。

 景色がゆがむ……。

 ……。



 あの子が神殿に行ってからもう半年。

 元気でやっているのだろうか……。

 テアトルであの子を見かけた時、意外にも立派にお話をしていたことに驚いたけど、それと同時にうれしかった。

 ほっとした。

 きっとよくやっているんだと思う。



 これは……なに……?

 お姉ちゃんの心?



 ピトが巫女になったことはそれ自体とても喜ばしいこと。

 神さまに認められたってことだから。

 でも、私が喜んだ理由は本当にそれだけだろうか。

 コスマスさんと二人きりで暮らすのに、あの子が妨げになると思ったことが一度とてなかっただろうか?

 …………。

 あった。

 わたしはあの子がうとましいと思ってしまった。

 神様はそんな私を試しているのでは?

 あの子が巫女になったことを素直に喜ぶことで、自分の心にあった後ろめたい気持ちを隠しているのでは……?

 それは否定できない。

 ごめんなさい……。

 わたしはいやな女ね……。

 あの子の方がずっと純粋。



 まずいな、金がなくなってきた……。

 また競技アゴスの出場者と偽ってお金を稼ぐとしよう。

 競技アゴスの出場者って言っただけで、人の集まりが全然違う。

 こんな田舎に住んでいる人は、競技アゴスを見に行く機会なんてないだろうし、当然出場者のレベルも知らない。

 演奏している楽器が違っているのにも気付かないくらいだ。

 俺がほんとに競技出場者かどうかなんてわからない。

 この子には姉がいるって言うし、調度良い。

 しばらく住まわせてもらうか。

 演奏で稼いだお金をわけてやれば文句も言わないだろう。



 これは……、コスマスさん……?



 セレナは妹のことを気にかけすぎだな……。

 あの子、どこか嫁にもらわれたりしないだろうか。

 難しいだろうな……どこか普通と違う子だ。

 そうだ……。神殿が巫女をそろそろ探し始める時期じゃないか……?

 もしかしたらあの子、巫女の素質があるかもしれないし。

 調度、神殿に伝手があるし……、ためしに推薦してみるのも手だな……。

 そうすればセレナと気兼ねなく……。



 気が付くと、またいつものようにベッドの上にいた。

 さっき見た夢を覚えている。

 夢……? さっきのは夢だったんだろうか……?

 お姉ちゃんは今どうしているんだろう。

 わたしを巫女にしたのはお姉ちゃんなんだろうか。

 コスマスさんと二人で暮らしたいがために、わたしを追い出したかったのだろうか。

 わからない。

 わからないよ……。

 ………リコが来る。

 「ごめんね。前の巫女さんの話、聞けなかったよ」

 「ピトさまでもだめなんだ……。ううん、やっぱりそうなんだ」

 「あ、でも、また聞いてみるね」

 「多分答えてくれないと思います。あの人も答えてくれなかったし」

 「あの人?」

 「小屋に住んでるおばあさんのことです」

 「どうして自分のおばあさんのことを「あの人」って言うの?」

 「……」

 リコリスは間が悪そうに目を逸らす。

 ちょっとすると、こちらをしっかりと見据えながら口を開く。

 「あのね。巫女さま。わたし、あの人と血はつながってないの」

 「え、そうなの? でも、おばあさんが孫だって……」

 「あの人がそう言っているだけ。でも違うの。私は元々孤児で、拾われただけなの。何年か前にね、あの人がこそこそ話しているのを聞いちゃったの」

 「そんな……そんなことって……」

 「でも、あの人にはそう言っちゃだめなの」

 「どうして……?」

 「どうしてって……、それは……」

 「いやなことをされるのかな。そんな気はしないけど……」

 「ううん。そんなことはわからないわ。本当は血はつながってないでしょ、ってあの人に言って、何をされるかはわからない……」

 「でも……、リコは、不安じゃないの? どうして孫だってことにしているの……? 理由もわからずに……」

 「それは……、わたしだって変だと思う」

 …………。

 「でも、それ以外にもおかしなことを言っているの。ピトさま、わたしが前、夜中にすごい剣幕で起こられていたこと、覚えてる?」

 「う、うん。あの時はびっくりしたよ」

 「あの時ね、私は、あの人に、「巫女になりたい」って言ったの。でも、予想以上に怒ったからわたしもびっくりしちゃった」

 「…………。どうして巫女になりたいと言ってはいけなかったの」

 「あのね、ピトさま……それは……」

 突然扉を叩く音が聞こえた。

 「そろそろ時間だ」

 プロフェテスの声。

 今日は顔のかげが目だって、なんだかこわそうに見える。

 「あとでね」

 そうリコにいい残してわたしは、小屋を去る。

 またプロフェテスの人に預言の内容を聞かなくちゃいけない。

 長い廊下の上を歩いていく。

 無言でただ歩いていく。

 前を歩く神官さんは何もしゃべらない。

 普段はこんなに静かじゃあないのに……。

 たまに静かになるんだよね……。

 と、思ってふと気がつく。

 いつもしゃべっているのはわたしの方じゃあないっけ。

 もしかして……わたしがしゃべらないと神官さんは何もしゃべらないのかな……。

 しゃべってる時でも……後ろを振り返ることはほとんど無い気がする。

 今までいた巫女の中でもいちばん良いなんて褒めてくれるのに、わたしに普段向けられる視線はつめたい。

 最初は、わたしがまだ見習いだからそうされているんだと思っていたけど……。

 巫女としてすごい褒められるようになってもこれは変わらない……。

 どうしてだろう……。

 もっとがんばらなくちゃいけないんだろうか……。

 ……………………。

 この人は神さまのことを聞いてもよく答えてくれないし。

 話してくれたのは大神官さんだけ。

 そもそもいままで神さまについてのお話を聞けたのはあの人だけからだと思う。

 小屋にいるおばあさんだって、神殿にいる神官たちのことは話してくれるけど、神さまのことなんて一度も話したことがない。

 ほんとに神さまが好きなんだろうか……。

 おばあさんは、「神殿の人たちの中には神さまを信じていない人たちがいる」なんていってたけど、おばあさん自身は?

 おばあさんは神さまを信じていたんだろうか……?



 いつもどおり預言の言葉がプロフェテスから伝えられる。


 「泉は汚されてしまった

  黒く潰された実によって

  その実は王の摘みし者ではなく

  遠くアッティカの地よりやってきた

  だが幸なるかな

  その実を取り除く事によって

  泉は再び清浄を取り戻すであろう」


 「…………。なんだかかわいくないし、よくわかんない」

 プロフェテスはすごくけわしい顔をしている。

 なにかまずいことを言ってしまったみたい。

 「……もう夢の話はしなくていい。預言は神憑きの儀だけで十分だ」

 「えっ。あ、あのっごめんなさ」

 言い終わる前にプロフェテスは扉の外に出てしまう。

 しまった。

 怒らせてしまったみたい。

 謝らないと……。



 「ピトさま、何かあったの……?」

 小屋に戻って、わたしはリコに事情を話した。

 「うん。プロフェテスの人に……もう夢の話はしなくて良いって言われたの」

 「どうしてそんな……。きっと、大神官様が亡くなったから、そんなことを言い出しているのね。自分の思い通りに出来ると思っているんだわ」

 「どうしてそういうことをするの?」

 「テイレシウスは神様を信じてないもの。神憑きの儀だって、単に神殿の評判を上げるためのものとしか思ってないわ」

 リコは怒っている。

 こんなにリコが怒っているのを見るのははじめて。

 「小屋のあの人だってそう。神様について話してるところなんて、一度も見たことがない。あの人が気にしているのは、神殿の評判だけ」

 「神憑きの儀に意味があるなんて思ってないもの。だからあの時だって私をしかったのよ」

 「そうなの……。じゃあどうして巫女の儀式なんてやってるんだろ……。意味が無いと思っているなら、やめればいいのに」

 「意味はあるよ!」

 突然リコが大きな声をあげたので驚いてしまう。

 「あ、ごめんなさい。大きな声出しちゃって……。自分たちは神を信じてもいないくせに」

 気が付くとリコは敬語を使っていなかった。

 やっと普通に話してくれたね……。

 でも……それを言うと、元の口調に戻ってしまいそうだから、黙っていよう。



 夜。

 わたしはなかなかねつけなかった。

 わるいゆめをみてしまいそう。



 全くあの若い巫女は今日もなれなれしく話しかけてきた。

 いい加減自分の立場というのを理解して欲しいものだな……。

 何度も無視しているというのに、気付くのが遅い。

 まあ……下賤の生まれゆえ仕方ないか。

 巫女というのは下賤の生まれの者たちの中でも……白痴めいた女を連れてきているらしいからな。

 にぶいのも無理はない……。

 全く上の連中はどうして、下賤の人間から巫女を任命し続けることにこだわるのだろうか?

 プロフェテスさえいれば、預言など、どうとでも作れてしまうのに。

 勿論、個人的に資金を融通してくれる人間にとっては都合の良い預言を与えてやらねばならない。

 全くこんなもののために、大勢の人間が毎年集まってくるのも不思議だ。

 巫女など傀儡に過ぎないというのに。

 薬で半狂乱にさせられ、中身の無い預言を告げさせるだけの人形だ。

 もっとも、あの茶番を本物だと信じている連中が神殿にも何人かいるから、迂闊なことはいえないがな。

 それよりも今は、スパルタから来ている預言の依頼に注力せねば……。

 今スパルタでは流行り病が横行している。

 依頼者であるクレオメネスの言い分は、「どうすれば、病が廃れるかを預言で教えて欲しい」というものだ。

 ……だが、それは単なる建前で、実際には……やつは預言を政治に利用したいだけだ。

 「ヤツの対立している若い高官を失脚させれば、病が町から消え去る」、こんな預言をして欲しいと、クレオメネスは望んでいる。

 宮殿周辺の衛生状態を考えれば病が流行るのも無理はない。

 そういったことを直そうともせずに政治の小競り合いなんぞしている時点であの都市はもう駄目だろう。

 まあ、そんなことは私には関係ない……。

 それで大金が手に入るというのなら貰うだけもらってやろう。



 はぁ……、はぁ……。

 今のは……?

 夢……?

 それともプロフェテスの心……?

 そう……、そうなのね……。

 わたしはずっと疎まれていたんだ……。

 みんながわたしを避けていたのは……。

 わたしが巫女として未熟だからでも、巫女という存在が恐れ多いからでもない。

 巫女は卑しい存在。そう思われていたから……。

 わたしは神の言葉を都合よく作り上げるために利用される小娘に過ぎないのね。

 う……。

 胸が苦しい。喉が細くて息が出来ない。

 頭の中でどろどろの渦がまわりだすかのような感覚。

 最近よく見る夢……。

 他の人の心に入る夢……。

 あれは神さまのお告げなのだろうか……。

 これが神さまの加護のお陰だというのなら、こんなにつらいことを知ってしまうのなら、加護なんか要らない。

 何も知らないままずっと暮らしていた方が……苦しまずにいられた。

 どうして神さまは……こんなにつらいことをわたしに与えるのだろう。

 それとも、この夢は……神さまのお告げでもなんでもなくて……ただのわたしの思い込みが夢になって現れただけなのかもしれない。

 わからない……。

 わからないけど……ただ、なみだはとまらなかった。

 ここでは、誰もわたしを必要としていない。

 どこか遠くへ逃げたかったけど、逃げるところなんて無かった。

 家に帰っても……どうせ……。

 ……お姉ちゃんはわたしがいらないから。

 いらないからわたしを巫女にしたんだもの。

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