第6話 神の予言
「口をそんなに大きく開けないの! もうこれで五回は言ってるよ」
「ごめんなさい」
巫女の儀式をした次の日からは、おばあさんに食事の作法や着付けの仕方などを学ぶようになった。
中でも口を開いたまま笑ってはいけないとか、裾を引いて歩いてはいけないと言ったことはなかなか直せなくて、何度も注意されてしまう。
神殿で着る服はとても、なんというか、大げさで、どうしてこんな歩きにくいものを服として作ったんだろうって思っちゃう。
着慣れた服で山の中を走り回りたいな……なーんて。
でも、今着てるこの服は一人で着なくても良いから楽。
侍女さんがいっつも着せてくれる。
もっとも、一人じゃ着られないくらい複雑な構造をしているんだけど。
この侍女さんはお化粧だとか、巫女が清潔でいるための身だしなみをよく世話してくれている。
でもわたしの方を見てはくれない。いっつも下の方を見ていて、たまに、目があって、にっこり笑うと、照れくさそうにする。
「そういえば、あなたのお名前はなんていうの?」
「……リコリス……です」
小さな声だけど、はっきり聞こえた。
「可愛いお名前ね」
わたしが言うと、リコリスと名乗った女の子は不思議そうに顔を少し上げた。
わたしが会話の主導権を握るなんて、なんだか珍しい。
いつもはわたしがたじたじしているのに。
かわいらしくて、とても良い子。
もっといろいろお話したいな。
「おいくつ?」
「……聖籠運びをこの前終えたばかりです」
聖籠運び……。確か、都に住む女の子はある年になると、春の大祭で、コリキュアの洞窟から山のふもとにある儀礼場まで、神さまの貢物を籠に入れて届けるんだ。
何回かその様子を見に行ったことがある。
でも……、確かその年齢は……。
「あれ……? ってことは……もしかして、わたしの方が年上?」
リコリスは何も答えない。
…………。
もともと知っていたのかな。
「リコ……リコちゃんって呼んで良いかな?」
「もちろんだいじょうぶです……。なんとでも呼んでください」
「……いや?」
「とんでもないです。巫女さまに名前で呼んでもらえるだけ光栄です」
ずいぶんかたくるしい。
お友達になりたいんだけどなぁ……。
これからゆっくりでもなれたら良いな。
「リコちゃんは、将来はおばあちゃんのようになるの?」
「……役割としてはそうです」
「役割……?」
なんだか気になる言い方。
「そうです」
うーん、あまり説明してくれる気はなさそう。
表情はあまり明るくなかった。嫌われているのかな……。
と、そんなことを思ってしまう。
帯締めが終わって、リコはうつむいていた顔を上げると、
「巫女さま、この前の儀式の時は素晴らしい成果を上げられたとお聞きしました。巫女さまのご活躍が、神の僕である人々にさらなる繁栄をもたらしてくださるよう、お祈りしてます」
にっこり微笑んでそう言った。
飾り気の無い笑顔に少しドキっとしてしまう。
嫌われているわけじゃあないのかな。
そう思うと、少し安心できる。
ドキドキしている間にリコリスは目の届かないところまで下がってしまっている。
「昨日の儀、大成功じゃったよ。とても初めてだとは思えないほどだ。初回であれほど神に愛される巫女はなかなかいない」
次の日、会った途端に大神官さんが満面の笑みでわたしを褒めてくれる。
昨日、おばあさんが言ってたこと、ほんとだったんだ。
うたがってたわけじゃあないけど、わたしがどんな風だったかもよくわからないのに、うまく行ってたって言われても……。
でも……、大神官さんも成功したって言ってくれてる……。
ってことは多分ほんとなんだと思う。
わたしは全然わからないけど……。
「ふむ……。素直に喜べなさそうな顔をしているな。後で、プロフェテスに取り次ぎに行く。そうすればすべて分かるだろう」
「プロフェテス?」
「巫女の預言を解釈する神官のことだ」
「預言を解釈……?」
「巫女が神に乗り移られた時、そこから発せられる言葉は人の言葉ではない。プロフェテスは神の言葉を、人間が分かるように翻訳するのだ」
「そーなんだへー」
「へーではない。とても重要な役割なんだ。ピトにも大きくかかわってくるんだぞ。今から紹介しに行こう。付いてきなさい」
そういわれても難しいことはわたしにはわからない。
どんな人だろう……。
村に居たプロフェウスって人に名前が似てるなぁ……。
まさかあの人だったりして……。
くす……。
変なことを考えていたので、案内してくれた神官さんが急に止まったのに対応できずにぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい」
大神官さんは何も言わず、ただ、扉を開けた先に手を向けている。
その先に入ると、大きなテーブルに、一人だけ若そうな神官さんが座っている。
ばたんと扉が閉められる。
前に座っている人をじっと見ているけど、こちらを見ようとする様子はない。
この人が昨日聞いた、巫女の言葉を解釈するひとだろうか。
考えていると、座ってる人は一瞬こちらを見る。
「座ったらどうかね?」
「う、うん」
「何度か会ってはいると思うけど、面と向かってしゃべるのは初めてかな。この神殿で、巫女の預言を解釈する役割を担っている」
会ったことあったっけ……。覚えていない。
「その顔は……、もしかして覚えていない?」
ばれてしまう。
「あはは……」
「…………」
う……。なんか怒っていそう。
「まあいい。昨日の君の預言をそのまま言葉に置き換えてみるとこうなる」
と言って、プロフェテスは紙のはしきれを差し出す。
…………。
「ごめんなさい、わたし字が読めないの」
「はぁ……、そうか。女は文字が読めないのが普通か。先代の巫女が特殊であった事を忘れてしまっていたようだ。まあいい。私がそのまま読もう」
りんごにばらに
月桂樹の優しい花も
一面にかげなすは花そうび
葉っぱがさやとそよげば
深い眠りも流れて落ちる」
…………。
なんだろう。
この言葉は本当にわたしが言った言葉なんだろうか……。
ぜんぜん身に覚えがない。
でもなんだか、使っている言葉のはしばしに自分らしさを感じる。
やっぱりわたしがしゃべったのかな……?
「これをそのまま民草の前でろうしょうすればいいんだ」
「ろうしょう?」
「……読み上げれば良いってことだ。ちょっと読んでみてくれないか?」
「えーと……」
覚えてない。
「そうか、読めないんだったな。一行ずつ読んでいくから、続けて読んでみろ」
「うん」
「
「みるてにすみれにきはなぎく……」
そのまま後を続けて、預言を読み進めていく。
「……どう?」
「……なかなかうまいもんじゃないか」
「ほんと?」
「ああ、ほんとだ。ところどころ間違いがあるけどな。もう一回最初から言ってみろ」
「うん。みるてにすみれにきはなぎく……」
「うん、完璧だ。思ったより早く覚えられたな」
「え、そうなの? ずいぶん時間かかったのかとおもっちゃった」
「いや、わるくないと思う」
「ほんと? うれしい」
「じゃあしっかり練習しとくと良い。本番までにな」
「うん、わかった」
「この紙は写経して渡しておこう。忘れそうになったら誰かに読んでもらえ」
最初は面食らったけど、悪いひとじゃないみたい。
良かった。
今覚えたことは夜までわすれないようにしないと。
うまくいってよかった……。
なんだか神殿でやっていけそうな気がする。
小屋に戻って、もらった紙をじっーとみている。
変な模様は、それが何を意味しているのかぜんぜん読めない。
誰かに聞けば良いと言っても、神殿の中まで行かないと、わかる人はいないよね。
「巫女さま。なんですかそれは?」
リコが近づいていたことに気付けなかった。
「んー。預言のことが書かれた紙みたい。ぜんぜんよめないけど」
「ちょっと見せてください」
……………………。
「
…………?
「リコ、文字が読めるの?」
「はい、ある程度なら」
「すごいすごいどこで勉強したの?」
「えへへ。先代の巫女さまに教えてもらったんですよ」
そういえばプロフェテスの人も同じことを言っていた気がする。
先代の巫女さんは文字が読めたんだ……。
なんだかあたまよさそうな感じだったもんなあ。
「おねがい。読み方教えてくれない?」
「光栄です」
リコはにっこりと微笑む。
リコはすらすらと書かれた虫みたいな模様を読み上げていく。
すごいなあ。
「ひょっとして、おばあさんも読めるの?」
「あの人は読めません」
そうなんだ。
…………。
「葉っぱ……、そよげば」
どうしてまえの巫女さんは文字が読めたんだろ?
「巫女さま?」
「あ、ごめんなさい」
「ひょっとして聞いていなかったですか? もう一回最初から読みますね」
「うー。ごめんね」
リコに続いて、預言を読んでいく。
「巫女さま、もう完璧に覚えましたね」
「うん。リコのおかげだよ。ありがと」
わたしはリコにお礼を言って一息ついた。
「ねぇ、リコ。わたしも前の巫女さまみたいに、高台でお話をしないといけないのかな?」
「そうだと思いますよ。今までの巫女様はずーっとそうしてきましたから」
「何を話せば良いのかなぁ……。わかんないよ。今までの巫女さんは何を話してたの」
「巫女様は、今まで大祭に参加されたことは無いのですか?」
「あるよー。よくお姉ちゃんと一緒に行ってたの」
…………思い出して少し悲しい気持ちになる。
「巫女さんのお話はなんだか難しくてよくわからなかったよ。あんなに難しいお話、わたしに出来るかなぁ?」
「巫女様ならきっとだいじょうぶですよ」
「神さまのお話をすれば良いんだよね」
「はい」
「ガイアさまガイアさまって」
「ガイア様は昔の神様ですよ」
リコは眉毛を山の形にして、でも口は笑いながら、そう答える。
「パルナッソス山みたい」
「……? そうです。パルナッソスはガイア様とその下僕である蛇神ピュートーンに支配されていました」
「今はもういないの?」
「今は、この地は光の神様に治められているんです」
「光の神さま?」
そういえばそんなことをおじいさん神官が言っていた気がする。
「光の神さまなのに、あんな暗いところにいるなんて変だね」
「暗いところ?」
…………しまった。
あの部屋のことは言っちゃいけないんだっけ。
おばあさんに聞かれてないかな……?
きょろきょろあたりを見回していると、リコが
「地下の部屋のことですか?」
と言う。
「リコはあの部屋のこと知ってるの?」
「はい、大祭の時には、地下にある火を絶やさないようにするのがわたしの役目ですから」
そうなんだ。
良かった。言っちゃいけないことを言っちゃったかと思った。
リコには言っても良いんだ。
ちょっとびっくりしちゃった。
胸の高鳴りは、まだ体を揺らしてる。
「ろうそくの火がもう消えそうだね」
「あ、ほんとう」
「そろそろ寝るね。じゃあ、おやすみ。リコ」
「はい、巫女さまも」
きょうはいろいろなことがあった。
でも、うまくいったのでとてもすがすがしい。
よく眠れそう。
りんごの木。
りんごがたくさんなっている。
手に届くところのりんご。
それは鳥さんが捕まえて持って行ってしまった。
手に届かないところのりんご。
長い枝を使って取りたいなぁ。
あ……。
りんごは採れたけれども、
小枝にひっかかってしまった。
長い枝でも届かない。
とてもざんねん。
大神官のおじいさんと話をしている。
この人は、わたしが見た夢の話をすると、とても機嫌が良さそう。
「詳しく教えてくれないかい?」
「うんとね、昨日はりんごを捕まえようと思って、枝をぶつけるんだけど……、りんごはもっと高い枝にひっかかっちゃって取れなくなっちゃうの……」
「うんうん」
わたしが何を言っても大神官さんは満足そうに頷くので、つい、言葉が浮かんだままにしゃべってしまう。
うちでこんなこと言ったらいっつも姉さんに怒られるのにな。
「神憑きの儀を行わなくても、いくらか神の意思を感じられるのだろうか……。いや、それにしてもこれはすごい才能だ。後で、プロフェテスに相談しておこう。もしかしたら夢の内容も預言の一部として組み込めるのかもしれないからな。……いやはや、はるか昔、ティターンの神々が大地を支配していた時、デルフォイの巫女は夢で神託を受けていたと聞くが……これはその再来なのかもしれん」
おじいさんはなんだかぶつぶつ言っている。
プロフェテス。
と言う人はわたしの夢が書かれた紙をじっと読んでいる。
「ふむ、大神官の仰ったとおり、なかなか工夫して考え出された詩であることはわかる」
……考えたんじゃなくて、夢で見ただけなんだけどね。
「だが、巫女は神性の象徴だから、定期的に高台の上から演説をしないといけないのはわかるね? 君が今話した内容なら民衆も満足してくれると思う。ただ……」
ただ……なんだろう。
プロフェテスのおじさんは、最初はほめてくれるけど、その後で、「だが」や「しかし」の言葉をつけてしかる。
その一言を聞くたびに、いつもびくびくしてしまう。
「もう少し口調は変えた方が良い。丁寧な言葉を使いなさい。それと、民衆をねぎらう言葉も忘れないように」
とかなんとか注文してくる。
「はい」
「ではもう一度言ってごらん」
「わたしが見たのは……」
「わたしが、というのはいわない方が良い。ただ、夢の内容を事実であるかのように話すのだ」
「はーい」
「はい、は短く」
「はぁい」
「……ピティア?」
とつぜん、射るような視線を向けられ、動きを止められてしまう。
プロフェテスの普段の口調はていねいだけれども、いきなりこわくなることがあるのだ。
さっきも反抗するつもりはなかったのに、つい口調が緩んで伸ばすような言い方になってしまった。
……気をつけないと。
…………。
部屋から出ると、大神官さんがにこにこしながら立っている。
ずっと待っていてくれていたのかな?
「あなたが民衆の前で演説する場所に案内しよう。大祭にお参りに何度も来ているなら見たことがあるはずだが」
あ、あの場所。
覚えている。
お姉ちゃんと何度も行ったあの場所。
下から見上げることしか無かった高台。
今度はわたしがあの場所に立つのかな。
「ここがその場所だ」
「広い……」
上から見渡してみると、その広さがあらためてわかる。
こんな広いところでみんなに聞こえるようにしゃべらなくちゃいけない。
「試しにしゃべってみてごらん」
「うん」
考えていたことがバレてたのかな……。
ちょっとどっきりする。
大神官さんはなぜだか、うれしそうにしてる。
とにかく、何かしゃべってみよう。
すぅー。
「わ」
予想以上に大きな声で響き渡る。
びっくりした。
神官さんがさっきよりにこにこしながらわたしを見ている。
「びっくりしただろう。だから、広場だからと言って大きな声でしゃべらなくても大丈夫」
そうなんだ。ちょっとほっとする。
「よかった」
足音まで大きく聞こえるみたい。
「おもしろーい」
とんとんととん。
「さあ、そろそろ戻ろうか」
もう少しあそびたいのに……。
でもさっき怒られたばっかし。だだをこねないようにしよ。
まあでも……大神官さんは怒らないだろうけどね。
それまで笑顔だった大神官さんが、急に険しい顔をするのでびっくりする。
おこられるんじゃあないだろうか……。
「心苦しいことだが、ピト。君にはあまり時間が残されていない。例年行われている大祭までわずかしかないのだ」
なんだ……。怒られるんじゃあないんだ。
大祭……? 前に見に来た大きな祭りのことかな……?
「ひとつきで大祭の儀を取り仕切るというのは大変なことだが頑張ってもらいたい。何分、先代の巫女が急に役目を終えてしまってね」
役目を終える……?
「大祭はいつから始まるの?」
「アプリーリスの月。最初の太陽の日に。それまでに民衆の前に出てしゃべる練習をしておかなければならないのだ」
大変そう。
わたしがケゲンそうな顔をしていることに気付いたのか、おじいさんは、
「すまんのう。だが、お嬢さんにしか出来ないことなんじゃ……。ここはひとつ頑張ってみてくれんか」
と、困った顔をしながら言う。
その顔を見ると、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「うん、やってみるよ」
できるだけ笑みをとりつくろいながら、わたしはそう言った。
次の日。
わたしの前で何やら神官のひとたちが話している。
昨日のわたしの夢のこと。
取ろうして取れなかったりんごのお話。
「このりんごというのは、恐らく帝国との戦いの前に見捨てられたドドナの地であるに違いない。あの地ではりんごは神に愛された果実なのだ」
「間違いないだろう。だが問題は預言の内容が、この林檎を取り戻すべきと言っているかどうかだ」
「それは当然取り戻すべきだろう」
「いや、そうとも限らないぞ。りんごはすでにもう取れないところにある、と言っているのだからな」
わたしがしゃべったはずのことについて話しているのに、わたしはこの人たちが何を言っているか全然わからない。
わたしが中から出たはずの言葉、もうどこか遠くへ行ってしまっている。
なんだかへんなかんじ……。
でも、わたしの言ったことをみんなが気にかけてるなんて……ちょっぴりわたしが大きくなったみたい。
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