第七話 魔王様がやってきた
営業時間三十分前、店内は穏やかではなかった。
代表が帰ってこない。それどころか、連絡もつかない。絶対的な主柱である遼が不在のまま、この大イベントを乗り切れる自信が誰にもなかった。店を任された笹久保もまた、未だかつて無い不安に落ち着いてなどいられない。
もうすぐ魔王が来る。あの魔王だ。姿すら目にしたことがないほどの権力者。自分一人で満足させられるなんて思えない。
焦りが焦りを生み、フロントでウロウロしている笹久保。駄目かも知れないと空を仰いだ。
すると、一つの飛行物体が視界に入る。高速で近付くそれは、瞬く間に巨大になっていく。
「笹久保!!」
「だ……代表!!」
もう間に合わないかと思っていた。辞表の覚悟どころか死を覚悟する勢いだった笹久保は、感極まって涙目になってしまっていた。
巨大な赤龍に乗って現れた遼を迎え入れ、彼は取り繕うようにいつも通り話す。
「電話、出てくださいよ」
「悪かったな、風が強過ぎて出られなかったんだ。最速で戻るためバランも置いてきたくらいだからな」
「いいですよ、もう。早く店のシャワー浴びて準備して下さい。ところで、このドラゴンは?」
「あぁ、こいつか?」
遼が赤龍に目を合わせると、巨大な赤龍は光に包まれ、見る見る小さくなっていった。光が消えた頃、そこには灼髪をなびかせる美女が残されていた。
「どうも〜、私でーす」
「れ、レイア!?」
「驚いただろう。レイアの龍の姿を見た奴なんて誰もいなかったからな。あそこで出会えたのは奇跡だ」
まさかのナンバーワンホステス。神出鬼没の彼女を捕まえてきたのは大収穫だった。これで、室内の状況は盛り下がることなどない。強力な武器を取り戻した遼達は、三日前とは見違えて自信に溢れていた。後は遼達は黒服の腕次第だ。
幸運を噛み締めていると、遼はスーツの袖を引かれる感触に振り返る。そこには、ローブに身を包む小さな女の子が立っていた。こんな子はスカウトしていないと疑問を持ちつつも、遼は膝をついて笑顔を見せた。
「どうしたのかなお嬢さん?」
「ここ、春小町?」
「あぁ、そうだよ。まだお嬢さんが来るには早いかな。もう少し大きくなったら遊びにおいで」
遼はとりあえず、彼女の頭を優しく撫でた。何かがフード越しにコツコツ当たるが、獣人なら角くらい生えているだろうと気にも止めない。
「ん〜ふふ……。それはこまったなぁ……」
気持ちよさそうに頭を揺らし、女の子が顎に手を当てて悩んでいると、遼の背中から顔を覗かせたレイアは一瞬で表情を強ばらせた。
「だ、代表!」
「どうした?」
「そ、その方が魔王様だよ!」
「………………へ?」
これは……やってしまった?
遼は錆び付いたブリキの人形さながらに振り向いて、少女の顔を確認する。少女はフードを外し、ニタリと笑った。その頭には、魔王しか生えていないという二つの漆黒の角。
(女……だって?)
全員が息を飲む中、魔王ジャンヌはしてやったりとケラケラ笑い出した。その無邪気な笑顔は、どう見ても魔王とは思えない。しかも、キャバクラに遊びに来るのがこんな少女だなんて。女っぽい名前だとは誰もが思っていた事だが。
慌てて立ち上がり、頭を下げる遼。せっかく万全の準備を整えたのに、自分が台無しにしてしまうとは。自身への怒りで奥歯が砕けそうになる。
「数々の無礼、申し訳ありません! ジャンヌ様!」
「いいっていいって。ボクも分かっててやってるんだし。ぷくくっ、いやぁ傑作だなぁ。悪戯のし甲斐があるよ。ふひひっ」
「笹久保! ジャンヌ様をV3へご案内してくれ! 魔王様、お詫びにもなりませんが、今日は無料でお楽しみください」
「ん〜? それは商人として良くない判断だね。気にしなくていいよ。その代わり、かぁいい子たくさん付けてね♡」
「はい! もちろんです!」
店内に消えていったジャンヌを見送り、遼は尻餅を着いて膝を抱えた。レイアが背中を撫でて励ますも、先ほどのショックはそう簡単に拭えない。
(あぁ、辞めたい……)
ここ最近で一番のため息を吐いて、レイアの肩を借りて立ち上がる。とりあえずシャワーを浴びる事にした。
なんとか立ち直った遼だが、店内は異様にバタバタしていた。ジャンヌが当初より指名を増やし、ボトルを最高額から順に下ろしまくるのが原因だ。リスト指名の頭がパンクしたせいで、いまは遼がタイマーを管理している。
「ミミをV3から三番へ。ルカをV3からK2。延長交渉後、一旦五番へ。ハヤテV3からお見送りフロント待ち。V3ヘルプはリストからナナ、サラ、ココノカを出す」
「はい、了解了解」
「次に八番延長交渉。フリー付けて三分後に頼む」
「了解了解」
もはや笹久保しか反応し切れていない。いや、反応出来ているだけでも凄い。こんな異常な付け回し、有り得ないからだ。
「代表! 代表!」
「五十嵐か。なんだ?」
「V3で代表呼ばれてます! ジャンヌ様です!」
「無理無理。絶対行けないだろ。所要で出ていると言って断ってくれ」
「それが……位置がバレているらしく、探知能力があるみたいです」
「…………これで地獄耳だったら終わりだな」
遼は諦めて、五十嵐を付け回しに任命し、タイムコントロールは笹久保に任せることにした。短時間なら、このオペレーションで何とかなるだろうという判断だ。
急いでV3に入り、頭を下げてジャンヌの前に座る。ジャンヌは超が付くほどご機嫌で、レイアの膝の上で足を組んでいた。
「速かったな遼ちゃん! ちなみにちなみにっ、地獄耳だったりして〜♡」
「もう無茶苦茶ですね……」
ニタニタと笑うジャンヌを前に、全てを諦めた遼はヤケクソで笑うしかなかった。
「そう言うなよ遼ちゃん。君ほど面白くて優秀な人間は見たことがないんだ。ボクなりの愛情さ。言葉も崩してくれよ」
「いえ、それは……」
「崩せってばぁ!」
「……わかった」
もはや何が目的かもわからない。
その身に不釣り合いな葉巻を吸うジャンヌは、仕切り直して話を続けた。
「こんなに楽しい施設だとは思わなかったよ。もっと早く来ればよかったと思ってるんだ」
「ありがとう。準備に手間取った甲斐があるってもんだよ」
「さて、遼ちゃん。売上もうなぎ登りなんだって? この街にも娯楽が増えて、住民達が楽しんでいる証拠だね。礼を言わせてもらうよ」
「こちらこそ、美味しいご飯を食べさせてもらってるからお互い様さ」
遼の物言いが気に入ったのか、所々ジャンヌは満足げに鼻息を強めた。友好的で慈悲深いと聞いていたが、色んな意味で想像以上だった。
「ところで、遼ちゃんにお願いがあるんだけどさ」
「俺に出来ることなら、何なりと」
「ふふふっ、実は、もっと人間界と交流を深めたくてね。近々こちらから数名大使を出す予定なんだ。そこで、魔界側の大使として遼ちゃんに参加して欲しいのだけれど、どうかな?」
「え、それは流石に無理じゃ……」
「堅いこと言うなよ〜。こっちに移住すれば済む話しだろ? 一時的なものでいいからさ」
本当にデタラメだ。だけど、この突飛な選択があって長い戦争を終わらせ、人間界とも友好的な関係を築けている。今回の判断も恐らく一種の正解。人間界にとっても大きな収穫が期待されるだろう。
とはいえ、そう上手く働くほど人間界も柔軟ではない。遼はどうせ断られるだろうと高を括っていた。
「
「そう言ってくれると思ったよ! 帰ったら早速向こうに連絡しないとねぇ〜」
話は終わったらしく、遼は解放されて肩の荷を下ろした。リストに戻ると、笹久保が顔を真っ赤にして頭をフル回転させていたため急いで交代し、何とかこの日を切り抜ける事が出来たのである。
「じゃあね! 今度遼ちゃんもウチに遊びにおいでよ!」
「ははっ、考えとくよ」
彼女は黒炎の翼を出現させ、消えたかと錯覚するような速度で帰宅した。まさに嵐のような人物だった。
しかし、魔王であるジャンヌに評価されたことは大きい。これが噂になれば、さらに売上も上がることだろう。
店の中、満身創痍で閉店作業を続けるスタッフを集め、遼は彼らに感謝の言葉を口にした。
「みんな疲れているだろう。だから今は端的に言う……」
「…………(ごくりっ)」
「今日はよく頑張ってくれた! 閉店作業なんてほっといて飯行くぞ! 俺の奢りで高級焼肉食い放題だぁああああ!!」
「うぉおおおおおおおおおおおお!!!!」
この後、人間界に戻った一同は、日が昇ることにも気付かず騒ぎに騒いだのである。
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