第五話 魔界貴族は庶民好き?

「いらっしゃいませヌーフェ様。お待ちしておりました」

「キミが高嶺君だね。人間なのにすごく礼儀正しいね。今日は楽しませてもらうよ」

「もちろん、最高の女の子を揃えております。どうぞ心ゆくまでお楽しみください」


 きっちり時間通りに来たヌーフェに、遼は内心帰りたい気持ちを抑えながら営業スマイルを欠かさなかった。

 聞いていた逸話からは想像出来ないほど落ち着いた対応に、多少の安堵が漏れる。マイルと違い完全な人間に化けているその容姿は、少し背の高いダンディなおじ様だった。上部だけのフレーム眼鏡とモミアゲから繋がる髭がとてもよく似合っている。


「ヌーフェ様御来店。V1へお通しします」

「了解了解」


 ゆっくり丁寧に案内し、ヌーフェが席に付いたと同時にホステスが姿を見せる。完璧なタイミングだ。


(いいぞ笹久保。流石だ)


 チラリとドアの外の笹久保にアイコンタクトを送ると、彼は無表情に頷く。ここら辺のやり取りは長年連れ添った二人だからこそ出来るものだった。

 遼は自分の仕事を続けるため、ヌーフェの前にしゃがみ込んでダウンサービスで説明を始める。


「改めまして、遠方から遥々ありがとうございます。こちらのお気持ちとして、何か一本サービスさせていただきます。なんでも仰って下さいませ」

「気を利かせてくれてありがとう。だけどそれは必要ないさ」

「と、申しますと?」


 ホステスが悪かったか、対応が悪かったか。サービスを受けないというのは一般的に、店側の気持ちを汲みたくない出来事があったケースが多い。

 平然とした遼の頬に嫌な汗が流れる。


「何、そちらも商売としてやっているのであろう。今日は存分に売上に貢献しようと思ってね。マイルの勧めもある手前、サービスを受けるわけにはいかないさ。ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」


 余りにも渋く、優しい笑顔に遼は惚れそうになった。こんな大人の男になりたいと何度思ったことか。

 別の意味でドキドキする遼は、「ありがとうございます」と返し、メニュー表を差し出した。ヌーフェはゆっくり捲り、一つのキープボトルに目を置いた。


「この『甕雫かめしずくきわみ』がそこそこの値段だね。これを一つと、後はヘネシー・ルイ13世にしようかな」

「かしこまりました」

「せっかくだ。閉店までゆっくりさせてもらうよ。一時間事にフリーで入れ替えておくれ。たくさんの女の子に飲ませてあげたいからね。もちろん後でまたボトルを追加するから安心したまえ」

「ありがとうございます。それでは私は失礼致します」


 いきなり高額キープボトル。これは下手なホステスは送れない。

 VIPを出た遼はすぐさまインカムで注文を流す。それを聞いた全員が「おぉ!」と驚きを隠せずにいたが、それも仕方の無いこと。流石に下の人間に対応させる訳にもいかず、VIP対応は全て副店長の笹久保に任せることにした。




 時計が真っ直ぐ空を指し示す頃、突然ヌーフェに呼び出された遼は、強ばった顔の筋肉を両手で解しながらVIPの入口で深呼吸をした。


「クレームでありませんように……」


 魔界で神に祈るという滑稽な状態で、いざと扉を開ける。そこには、ほんのりと顔を赤くしたヌーフェが楽しそうにホステスと笑っている姿があった。


「お、高嶺君。忙しい所をすまないね」

「いえ、どうかなさいましたか?」

「なぁに、思った以上に楽しませてもらっているからね。キミとも少し話をしたいのだよ。時間、いいかね?」

「承知しました」


 横についていたホステスを扉の外で待機させ、遼は正面のソファに腰を落ち着けた。ヌーフェから焼酎を一杯頂き、ゆっくりと口にする。


「昔話になるが、私が元四天王としてその身を置いていたのは知っているかね?」

「もちろん、存じ上げております」

「人間とは野蛮で、罪もない魔王軍の者を簡単に殺害していた。容姿が人と違うからといった理由でな。それが当時、私は許せなかった」

「…………」

「だがどうだね。今の魔王様に代替わりをした途端、あっという間に争いは無くなった。異世界に繋がるゲートが出現したのは予想外だったが、そこから出てくる人間は何とも平和的で礼儀正しい。私は人間の見方を変えさせられたよ」

「はい……」

「この店も、そんな人間が経営しているだけあってよく気が利いている。灰皿交換からボトルの出し方まで、気品に満ちている。気に入ったよ」

「それは、ありがとうございます」

「でだな。マイルに聞いているとは思うのだが、私はこの店を魔王様に勧めようかと考えている。君たちには荷が重いかも知れないが、それは大丈夫かね?」

「……それはっ!」


 正直なところ、遼は断りたかった。

 魔王。言ってみればこの魔界の覇者だ。そんな方を招くレベルに達しているとは到底思えない。ホステスレベルも、サービスレベルも。

 しかし、元は魔王が言い出したことでこの店は開業した。避けては通れない道なのだ。遼はなるようになれと、腹を括った。


「願ってもないことです。是非、こちらのサービスを堪能して頂きたく思います」

「そうか! 君は肝が太いな。ウチの執事として欲しいくらいだ」

「勿体ないお言葉ですよ」

「君の勇気に応えるため、何か酒を頼むといい。高い物しか認めないぞ?」

「では、恐れ多いですが『アルマンド・ブラン・ド・ブラン』などいかがでしょう?」

「構わないよ。この店が買えるだけの予算を持ってきているからね。ハッハッハ!」


 叶わないな。思わず笑みが零れる遼の肩を叩き、ヌーフェはこっそりと耳打ちしてきた。


「ところで、さっきのリノちゃんという女の子を指名したいのだが」

「リノさんですか……? えぇ、もちろん大丈夫ですが」


 リノは新人も新人。まだまだ垢抜けないが、フリーで付ける女の子が尽きたから回した時間稼ぎだけの安牌だ。胸は大きいが、少し大人しすぎる若いダークエルフ。庶民的な感性で、聞いていた好みではない。


「自分が本当に求めている女性像もわかる。良い店だね」

「ふふっ、そうですね」


 この後、リノを含めた三人で閉店までまったりと会話を楽しんだ。

 帰り際、また来るよと有難い反応を見せたヌーフェにお土産を渡し、緊張の営業は問題なく終了することが出来た。



 ただ、また遼は個室で寝るハメになったのは、副店長の笹久保と店泊常習犯のカレンだけが知る秘密だ。

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