第一話 まさかの立地

 ゲートの先は人間界のように建物の中にある。これは異世界側のゲートが存在する場所【ラグマホリス】の国王による計らいだった。異世界からすると、遼の世界こそが異世界。異世界人である遼を含めた人間達は、大切な客人として扱われた。


「おはよう、バラン」

「お、今日も遼が一番か! 後で行くからよろしく頼むぜ!」

「あぁ、一本サービスしてやるよ」


 遼は気前よく笑い、見張りの男に手を振った。

 見張りの男はニコニコと、その機嫌を表していた。

 青い鱗に覆われた体躯は遼より一回り大きく、トカゲのような頭に長い尻尾、鋭い爪は鉄をも貫けるだろう。

 遼の世界では誰でもこう言う。

『リザードマン』。

 リザードマンのバランは人当たりの良い性格で、妻と二人の子を養う優しい父でもある。遼が最初にゲートを潜った日、バランが異世界について何から何までゆっくり丁寧に教えてくれた。それから遼にとってバランは恩人でもあり、友でもある。

 ただ一つ、人当たりが良いと言っても、残念ながらここに人はいない。


 なぜならここは【魔界】なのだから。


 ゲートを囲む建物から外へ出た遼の目に入ったのは、紺色に近い色に火山の赤い光を滲ませた禍々しい空だった。中世のような石造りの立派な建物が軒を連ねるが、そこを堂々と行き交うのは異形の生物ばかり。

 タイタン、サキュバス、スライム、リザードマン。たまに目にするエルフも肌が黒かったりする。


(せめて人間の相手をしたかったな……)


 遼は今日もため息をつく。どう考えても、自分が場違いな存在なのはわかっていた。もちろん、この世界には人間もいる。アメリカのゲートは【セトランジュ】という人間の国の領地に繋がっているからだ。魔界と繋がっているゲートは世界で日本だけ。運が悪いと諦めるしかない。

 幸いなのは、このファンタジー世界で魔族と人間が争っていない事だった。なにせ、魔界と海の向こうにあるこちらの人間界では、技術レベル的に行き来が非常に難しく、勝手に踏み入れば不法入国として首を落とされかねない。お互いに独立した社会を持っている為、行くメリットも無い。人間も魔族も現実的だった。(昔は戦争をしていたらしいが)

 遼の勤め先は目と鼻の先。日本の風情溢れる木造の宿を模した建物だ。入口には小さなカウンターと看板。そこには達筆な字で【春小町】とだけ書かれている。


【Club 春小町】魔界のキャバクラだ。


 これが遼の悩みの種。せっかく異世界に来たと思ったらキャバクラ勤務。しかも店舗責任者である。人間のキャバクラにすら行ったことがない彼にとって、吐くほど嫌な仕事だった。

 そもそも、魔界どころかこの異世界にはそういった店は存在しない。文化を流し込む初の試みなのだ。ゲートを使って魔界に来ることと引換に、魔王が日本に望んだ条件だった。ただ娯楽が欲しかっただけとの噂もあるが。

 しかし、何に対しても手を抜かない彼は書籍からDVD、実際にキャバ通いをするなど勉強は怠らなかった。その店の店長を席に呼んで『いろは』を習うところは、【異世界派遣】に選ばれる事だけはあると言えるだろう。

 まぁ、それも七年前の話だ。


 遼は自分の店の中へ入り、リストと呼ばれる事務所に鞄を置く。名刺をポケットに入れ、書類を何枚かリストにあるファイルに閉じる。


「ん?」


 ふと、奥の更衣室に目を向けると大きな一輪の花がゆらゆらと揺れていた。


「アイツまた……」


 遼は迷わず更衣室へと足を踏み入れ、ソファの上でスヤスヤと寝息を立てる女の子に声を掛ける。


「カレン。起きろカレン」

「ふみゃ……?」


 揺れていた花がピンと背筋を正す。身を起こしたカレンは、眠そうな目で遼を見つめる。


「あ、代表〜。おはようございます〜」

「カレン。店泊は禁止だと言っているだろう」

「だってここ涼しいんですもん〜。この時期外は熱くて〜」


 くしゃくしゃの緑髪を撫でながら一伸び。彼女はマンドラゴラのカレン。もちろんそれは源氏名で、オープン当初からいる主力ホステスの一人だ。マイペースな性格は他のホステスとソリが合わない事も多いが、不思議と客からは好評で一日の売上は五十万円以下に下がることは無い。酒にも底なしに強く、バースデーイベントは一人で一千万円を叩き出す化け物だ。


「そろそろ開店準備に入る。先にヘアセットに行ってどこかで時間を潰してなさい」

「はーい」


 カレンを送り出し、遼は平然と仕事に戻る。雑な扱いのように思えるかも知れないが、いつもの事なので両者ともあまり気に止めていない。例えそれでカレンが辞めるような事があっても店的には少々痛いだけで済む。なにせ、ホステス総数百人を越える大箱だ。カレンレベルはまだまだいる。


 しばらくして、黒服ボーイスタッフもチラチラと出勤してきた。全員が遼と同じくゲートを潜った人間で優秀な人材ばかり。

 その中の一人。女の子の出退勤を管理するマネージャーの五十嵐がため息をつきながら遼のもとへ来た。


「代表……またレイアが長期休暇に入りました……」

「はぁ? またかアイツは」

「ついでに、ミミも当日欠勤です……」

「…………俺から電話する。他の女の出勤を確定させてくれ」

「……わかりました」


 二人で肩を落として、それぞれ違う子に連絡を入れる。ボアラビットのミミはいつものサボりだろうけど、ドラゴン族のレイアの長期休暇は痛い。ウチのナンバーワンであるくせに、大の旅行好き。一度飛び出せば三ヶ月は戻ってこない。


(ナンバーワンの自覚が足りないんだよ……全く)


 彼女を指名する客はかなり多い。休まれるとそれだけでクレームが出るのだ。

 先にミミに電話をする遼は、コール中の携帯を見つめる。あちらから持ってきた携帯は何故か電波が入り、しかも世界のどこにいても感度が最大で入るためスタッフ全員に持たせている。それも、持ち歩かないホステスが多いから宝の持ち腐れになりつつあるが。

 画面が通話中になり、遼は仕事スイッチを入れて応対した。


「もしもし?」

「おぅ! おはようミミ! いつ聞いても可愛い声してるな!」

「ふふっ、代表は声大きいですね」

「はははっ!そりゃやる気しかないからな! 今日は五時からでいいんだよな。もうセットは終わってるか?」

「いや……実は今日体調が」

「もう終わってるのか!? さすが一流ホステスは違うなぁ。今日の予定は五組はいるな。同伴して、場内を一つでも取ればポイント付いてまた給料が上がるぞ! 出来るだけフリーの客にも付けるから安心しろ!」

「あ、ぁ……実は祖母が……」

「同伴はゴーレムのライオットさんが七時にしてくれるらしいから、それまでにガンマ広場に行ってくれ。出勤は八時にしといてやるからな!」

「うぅ〜……はぁ、わかりましたよ。代表には勝てないなぁ」

「終わったら飯連れてってやるからな。期待してろよ。お前の好きなアリナ人参好きなだけ食っていいぞ」

「じゃあ行く! ホントに好きなだけ?」

「じゃあってなんだよ〜。男に二言はないさ。好きなだけと言えば好きなだけだ」

「やった! 代表大好き! また後でね!」

「わかった! 後でな!」


 電話を切って、出勤予定に丸を付ける。遼はこれから高額の食費を負担する事を考えるだけで頭が痛くなった。


「いけました?」

「あぁ、確定だ」


 五十嵐と乾いた笑いを浮かべる遼。どうもホステスはまともに出勤するものが少なく、主力、準主力に対してはこういった連絡を毎日入れる。

 いつか禿げるのではないかと不安を抱えながら、遼は次の女の子に連絡を入れた。


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