第4話

「おす、席につけー」

 扉の開く音と同時にジャージを身に纏った担任の野太い声が響いた。シュンが体を前に向け、A子は不承不承というような態度で自分の席へと戻って行った。

 この寒いのに血色のよい快活な顔をしている体育教諭の担任が努力は実るだのなにやらと朝のホームルームで話している中、ぼんやりと考える。

 俺はこの次に何をすればいいのだろうか。高校生活の大きな目標の一つである大学は合格した。

 ならば、その次は。

 A子の言う通りもし、恋人ができたら、その次は大学の単位、その次は就職。ならばその次は、結婚、昇格、出産、老後の心配。といったところだろうか。

 そう、もう決まっているのだ。何をするのかなど。この次に何を一生懸命にやるかなど、もうすでに形は決まっている。この世界は、ある程度すでに決まっている。

 どうしてだろうか、俺にはそれがうまく馴染まないのだ。何か大切なことが明確にできない何かを忘れている気がして。おそらく多くの人間がそう感じているのではないだろうか。

 何かおかしいと、それでも進んで行く。世界が何となく決めた法則に従っている。その中で、自分の出来ることを探して行くのだ。そうやって次々とこなしていくことで、いつか自分の本当にやりたいことができるのだろう。

「……だから、月並みだが星を見るために夜更かしして風邪ひくんじゃねえぞ」

 ふと気が付くと、担任が締めの言葉に入っていた。

 首を一度軽く振る。

 最近、考える時間が増えただろうか、益体もないことをすぐに考え始めてしまう。それにしても星を見るために夜更かしすることが月並みなんて、ロマンなことだ。

「ああ、そうだ。今日はもうひとつある」

 いつもはその辺で終わるはずのホームルームの言葉が続いた。

「知ってのとおり、卒業式の前日に恒例の予餞会を行う」

 予餞会とは簡単に言えば卒業式前に一、二年が三年を送る『さよなら会』だ。

 我が校は結構大げさにやるのが伝統だった。

「送られる側の三年だが、毎年、二名、予餞会委員として協力してもらってる」

 担任がその言葉を放った瞬間、クラスの三分の一の生徒全員が身を固くした。このあとの話が容易に想像できたのだろう。

「で、このクラスから出すことになった。二人ともだ」

 小さくざわつく教室で、えーっ、と絵にかいたような不満の意をA子が現した。クラス中の人間も同意見だろう。多くの人間がまだ受験を控えている。A子が咎める険のある声を上げた。

「来ていない人もいるじゃないですか」

「仕方ねえだろ。オレが予餞会委員の顧問になっちまってんだから、オレはこういうことは早めに決めたいの。それに大方のことはすでに一、二年がやってくれてるから一週間くらいの手伝いで済んでんだぞ。誰か、立候補」

 担任が求めるように手を挙げたが、応える腕も声もなかった。クラスメイトたちは教壇で首を回す担任に視線を合わせないようにしている。

 だろうな。受験で忙しい三年に参加させようとするのもどうかとも思う。

 俺ももちろんだ。受験生ではないが、面倒事は避けるのが得策だ。

「詳しい話は追々だが、赤子が手を捻る位に簡単だぞー」

 危険じゃねえか。そんなものはリコールしとけ。

 呆れたというよりは当然だなと言うように担任は小さく鼻で息をついた。

「んじゃ、オレが勝手に選ぶ。文句は言うなよ」

 担任は念を押すように教壇から数少ない人間たちに向かって指を向けた。

 俺はさらに目線を逸らすために、何気なく隣を見る。委員長がじっと担任を見つめていた。

 私を選ぶな〜、とでも思っているのだろうか。でもそれでは逆に。

 担任と委員長の目が合った。

「有我、頼む」

 委員長の名字が呼ばれる。ほれ、言わんこっちゃない。いや言ってなかったけど。

「は、はい……」

 委員長が消え入りそうな声で答えた。こういうのは、俺みたいに自分の存在を消すことが必要とされる。そう、さながら空気のように。担任の指がそのままあたりまえのように俺の方を向いて止まった。

「で、もう一人はチュウな」

 空気も条件次第では見えることもあるさ。

 外であれば間違いなく白くなるため息をついて返事をした。

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