1日目 Part.a
第1話
久しぶりの教室は今しがた下をくぐってきた冬の空のように寒々としていた。屋内なのに白い息が出そうだ。ホームルームまでまだ時間はあるが、それを考慮しても教室にいる人間は少ないだろう。登校している人間たちは各々机に向い、熱心に赤本やテキストを開いていた。
めっきり密度が減ってしまった教室を後ろから眺めながら奥へ進む。一番後ろ、窓際の自分の席に文庫本しか入っていない薄い鞄を下ろした。
「あんた、なんで来てんのよ」
席に腰を下ろした瞬間、斜め前から声が上がった。
椅子に後ろ向きに馬乗りになっている女子A子がこちらを睨んでいた。
通常の学生生活中であれば女子と話すことなど、連絡事項の伝達などで数えるほどであったのに、少人数になると心がゆるくなるのだろうか。なんにせよ、朝一番でごあいさつなことだ。
嘆息して答える。
「自転車」
マフラーを外して、丁重に畳んで鞄に入れる。この寒い中、自転車で颯爽と進めるのもこいつのおかげだ。
「なんで、ってのはそういうこと言ってんじゃないわよ、馬鹿」
主に連絡事項しか会話したことない人間に対して少しは礼儀を知った方が良いと思う。
「じゃあどういうことを言ったのか、ぜひとも教えてくれ」
「どうして、推薦で大学受かってるヤツが学校に来てるのか、って聞いてんのよ」
「登校日だからだよ」
受験も大詰めを迎え、すでに自由登校となっているが、学校側も野放しにしてくれるわけでない。
我が校では週に一度、登校日を設けていた。
「それでも進路が決まっているヤツはともかく、決まってないヤツだってそんなに来てないのに」
女子A子が口を尖らせる。
言葉通り、高校三年生の教室は閑散としていた。
来てない人間は勉強に集中したいのだろう。すでに進路が決まった人間は羽を伸ばしているだろうし。
俺としては推薦してもらって合格しているため、卒業までは模範的な生徒である必要がある。合格は決まったが、無茶や無謀をすると合格取り消し、なんてことになりかねない。ま、都市伝説みたいなもんだろうが。
学校に来るとはいっても、どうせ解く気もないプリントの問題を一日中ぼんやりと眺めるだけだ。
「わざわざ来るなんてイヤミなヤツだわ」
「はいはい、シェーッと」
口だけ動かして答える。
「古っ、今の子わかんないわよっ! ジェスチャーぐらいしなさいよ!」
そう言うA子は今の子ではないのかもしれない。
「静寂(しじま)も笑ってんじゃないわよ、何か言ってやんなさい」
俺の隣の席に座って上品にクスクスと笑って体を揺らしている女子にA子が噛みついた。
シジマ、と呼ばれてピクリと動いた彼女に俺も顔を向ける。
制服である黒いブレザーの上に乳白色の毛糸でできたカーディガンを羽織っている。椅子の下にある足は黒のハイソックスに包まれてコンパクトに畳まれていた。肩まで伸びる薄茶掛った細い髪が揺れ、色白い顔がこちらを向き、大きな目と目が合う。
「え、えっ……と」
すぐさま逸らされた。
ズコーと、女子A子が机に突っ伏すという古い大仰なリアクションを横目に、俺から彼女に声をかけた。
「おはよう、委員長。久しぶり」
「お、おはようチュウくん」
遠慮がちに、もう一度こちらを向いて小動物の息のような小さな声が発せられた。
彼女の名は有我静寂(アリガシジマ)といって、自己顕示が強いのか弱いのかわからない名前をしている。眉目秀麗、温和怜悧、お家も大層な名家であるが、温和すぎていつも自信がないような振る舞いをするいう優秀さだ。
もっぱら俺は彼女のあだ名である委員長、と一年生のころから呼んでいた。
どうして委員長なのか、理由はまあよくあるものだと思う。
チュウ、というは俺のあだ名で、こちらもよくある、名前の一部を略しているものだ。
「ほ、ほんと、久しぶりだね。えっと、流れ星が始まったぐらいの時だから……い、一週間ぶりかな?」
委員長は宙に目をやって指折り数えて言った。
「そりゃそうだ。登校日は週に一度なんだから」
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