第12話

 このリフは、ジミー・ペイジ。

 まったく同じリフでジョン・ポール・ジョーンズが被せる。


―― You need coolin', Baby I'm not foolin'……(※1)


 ロバート・プラントが歌う。

『落ち着いたほうがいいぜ。俺はふざけてなんかいない……』

 そうだな。

 落ち着いてはいるんだよ。

 俺もふざけてるわけじゃない。

 ただ、そろそろ起きないと不味いんだ。

 薄らと残るムスクの香りに包まれて、もう少しだけ寝ていたい気分ではあるんだけど。

「おい。なあ、アンタ」

 何とか身をよじって、抜け出そうともがく。

「おい、いい加減に、くっ、おい、なあ、アン、タ!」

 一層強く抱きすくめられることはわかっている。

 わかってはいるけど、他に方法もない。

 仕方なく俺は暴れる。

「ん? ああ、ヒロ。お早う」

「起きたんなら、解放しちゃあくれませんかね?」

「ん? なんで? ああ、Whole Lotta Loveだね」

「ぐえっ……」

 そんなに欲しくねえ……。


―― Wanna whole lotta love(溢れるほどの愛をくれ)


 いくらでもくれてやるけど、俺はそんなに欲しくねえんだよ。

「い、い、か、げ、ん、に、しろぉおおお!」

 俺は力任せにチカの腕から抜け出す。

「ユカが起きてくる前に、やることがあんだよ!」

「ああ、もう朝なんだ」

 この低血圧野郎がっ!

「ちょっと薄暗いけどな」

 外は雨。低い雲が覆いかぶさっていて暗く、重たい。

 安全な家の中、とりわけベッドからは離れがたい。

「今日は学校休みでしょ?」

「そうだよ。だから、どうすんだよ?」

「なにが?」

「ヨシミさんだよ。ユカも同席させんのか?」

「もちろん」

 俺が何か言うところじゃない。

 チカがそうするというなら、止めはしない。

 だが、そうすると俺達のことも話さなくてはならなくなる。

 わかってはいるんだろうけど、はっきりとユカに俺達の関係を話したわけじゃない。

「ほんじゃ、ヨシミさんが来る前に、しゃっきりしとかなきゃなあ」

「ユカが一緒じゃなくたって、それは変わらないよ」

「まあ、そうだな」

 ベッドで丸くなったままのアンタが言うな。

「コーヒー淹れてくるわ」

「うん。ぼちぼち起きるよ」

「おう」

 俺はチカをベッドに残してキッチンに下りた。

 弁当も作らなくていいので、今日はきちんとコーヒーを落とす。

 注ぎ口の細いポットを火にかける。

 缶から豆を手づかみで取り出す。本当は量ったほうがいいけど、面倒だ。

 ゴリゴリとSTUSSYのハンドミルで豆を挽く。

 グラインダーも電動のやつのほうが綺麗に挽けるんだろうけど、こっちはなんだか手間を掛けたいんだよ。

 お湯はまず、カップとサーバーに注ぐ。

 そして、邪道だと怒られるけど、咥え煙草。

 平日は俺達の部屋でしか吸えないけど、休日はキッチンでも吸えることになってる。

 これだけのためにね。

 蒸らしが終わったところで、バタバタとユカが起き出して来た。

「おはよう!」

「おう、おはよう」

 アイランドキッチンを挟んで、カウンターに腰かけたユカは、寝乱れたままの髪で頬杖をついて、コーヒーを淹れる俺を眺める。

 肌寒いのか、寝間着にしているキャミソールの上にパーカーを羽織っている。

「飲むか?」

「うん!」

 小鍋を出して、牛乳を火にかける。

 ユカはブラックが苦手だからな。

 煙草とコーヒーの香りが混じり合って、しとしとと降る雨の音が刻むリズムに揺蕩う。

「何か掛けてくれよ」

「うん」

 休みの朝の選曲はユカの仕事。

 好きな曲を選ばせる。自分のプレイリストからでもいいし、並んでいるレコードからでもいい。

 本当は服のコーディネートを毎朝やらせてやりたいところなんだけど、生憎とチカは寝ているし、俺も普段着のまま仕事をする。

 ユカに任せられることは、なるべくやってもらうというのが、チカと俺の決めた教育方針。

 流れてきたのは「Esperanza Spalding(※2)」の「I know You know」。

 正真正銘、五弦ベースを弾きがながら歌っているライヴ盤。また渋い選択をしたものだ。

「へえ、良いチョイスだね」

 やっと血圧が上がってきたのか、それでもフラフラしているチカが下りてきた。

 リビングのソファには行かず、キッチンに入って来る。

 目的はもちろん煙草だ。

 俺はJPSに火をつけて差し出した。

「ほれ」

「ありがと」

 淹れたてのコーヒーをマグに注ぐ。ユカの分はオーレ。

 ユカもカウンターに戻ってきて、三人が顔を合わせた。

 平日はすれ違いばかりだから、三人揃うのは休日だけだ。

「ユカちゃん、今日はね、ちょっと話があるんだ」

「うん。この間のことでしょ?」

 マグをパーカーの袖で包み込むようにして、ユカは身を乗り出した。

 キラキラした目が「興味津々です!」とアピールしている。

「そ、そうなんだけどね……」

「うんうん」

「あ、あのね、ユカちゃん……」

「うんうん」

 ダメだ、この親子。


 結局、チカが言えたのはヨシミさんと話があるから、その時に同席しろってことだけだった。



※1……レッド・ツェッペリンの「Whole Lotta Love」。邦題は「胸いっぱいの愛を」。二作目のアルバム「Led Zeppelin Ⅱ」のオープニングナンバー。日本をはじめ、アメリカ、オランダ、ベルギー、ドイツなどではシングルでも発売されたが、イギリスではシングルカットされていない。

※2……Esperanza Spaldingは女性シンガーにしてベーシスト。文句なしにカッコイイのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る