第5話

 恙無くチカの厄払いも終わり、王子稲荷神社から線路を挟んだ反対側、王子駅北口近くの甘味処に腰を落ち着けた。

「ねえ、装束稲荷神社って、駐車場の近くじゃない?」

 ユカちゃんは店内に貼られている、観光案内地図を眺めている。

 中学生の女の子が地図を読めるなんて驚きだ。

「近くというか、すぐ横だね」

 狐の行列のスタート地点。

 お狐様たちは、まず榎の木で待ち合わせして装束を改め、化粧をしてから初詣に向かったという。場所は多少変わっているが、明治時代に枯れてしまったという榎の碑があるらしい。

「着るものに困らないんだって」

「そりゃあママのためにもお参りしなきゃだね」

 そんな話をしている間に、かき氷ができたらしい。

 小豆抹茶練乳という女子力の高そうなかき氷が三つ、ガラスの器にこれでもかと盛られて並んだ。

 ユカちゃんは早速スマホで写真を撮り、せっせとSNSに投稿している。

 背景はオジサン二人。シュールだ。

「げ」

 チカがスマホの画面を見ながら、古典的な声をあげる。

「アンタさ、いくらなんでも反応がオッサンすぎるだろ」

「え? いや、ちょっと電話してくる」

「おい、かき氷!」

「食べていいよ」

 無理だろ。

 チカはスマホを握りしめて、出て行ってしまった。

 どんな用事か知らないが、このかき氷よりも重要だというのか。

 横並びで二人きりとか、やめてくれ。

「あの野郎。折角の氷を無駄にする気か!」

 俺はスプーンを握りしめ、かき氷に集中する。

 いや、しようとする。

「ヒロってパパのこと『アンタ』って言うんだ?」

 今話しかけないでくれ給へ。

 頭がキーンなのだよ。

 その質問も、頭キーンなのだよ。

「名前で呼んだりしないの?」

「呼ばないねえ」

 初対面からこのかた、苗字も名前も呼んだことがない。

「そういや、最初は『社長』って呼んでたな」

「ふーん。いつから『アンタ』になったの?」

「さあね」

 「社長」が「アンタ」に変わるまで、五分くらいだったかな。

 チカの娘と二人して、痛みに顔を顰める。

「My head killing me」

「また殺すほう?」

「殺されるほう」

 ユカちゃんがクスリと笑う。

 外人さんってのは、皆さんこんなに大人っぽいのかね。

「There's no way I can kill this bowl」

「アメリカは物騒だな。殺したり殺されたり大変だ」

「Yeah, it is what it is. Dead tired」

 ユカちゃんが大袈裟にリアクションしたところで、チカが戻ってきた。

 いつもと変わらぬ表情だけど、不機嫌だぞ、これ。

「おい、早く食わねえと、ユカちゃんが殺されるみたいだぞ」

「その前に、ユカちゃんのグランマにこっちが殺されたよ」

 うん、やっぱり。

「お狐様も同類は祓えなかったみたいだよ。あの妖怪ばばあ」

「まあ怒るのは後にして、早く食っちゃえよ。溶けちまうぞ」

「ああ、本当だ。むぐ……ぬぉおお」

 お約束通り。

 目元を押さえる仕草は、疲れ目にしか見えない。

 歳は取りたくないものだ。

「パパ、手伝ってあげる」

 ユカちゃんは、ひょいとチカのかき氷からチェリーを摘まんで、口に放り込む。

 目を真ん中に寄せて、むぐむぐとすること数秒。

 ペロリと出した舌にのっているのは、結ばれたチェリーの軸。

「へっへー。出来るようになったんだ」

 自慢げに目の前に翳されてもさ。

「そんなこと誰に教わったんだよ」

「パパ。キスが上手になるんだよね?」

「アンタなあ……」

 ユカちゃんは自分のかき氷をkillすることを諦めたみたいだ。遊び始めたところは、やっぱりまだまだ子供だな。

「それよりユカちゃん。何かパパに言うことがあるんじゃないかな?」

「グランマから聴いたんでしょ?」

「パパはユカちゃんの口から聴きたいな」

 優し気に促しているようで、こういう時のチカの言葉には強制力がある。

「あー……、日本に住むことにしたの」

 は?

「あのねユカちゃん。親権はママにあるんだよ。だからママの承諾なしに――」

「―― ママのサインなら貰ってきたよ。あとはマネージャーさんが手配してくれるって言ってた。後でパパのところに電話くると思うから」

 いや、あのね、ユカちゃん……。

「神社じゃなくて、教会にしとけばよかったよ」

 なんだよ、悪魔祓いかよ。

「パパ、駄目?」

 俺の腕にしがみ付いて、上目遣いでチカを見つめるとか、小悪魔だ。

 これは娘じゃなくても逆らえまい。

「だ、駄目なわけじゃないよ」

 どこまでも優しいチカが、娘のお願いを断るわけがない。

「おお、じゃあまた遊べるな」

「うん。今度は二人っきりでドライブがいいな」

 ませガキめ。

「どうせ学校の送り迎えは俺なんだろ?」

「察しがいいね、ヒロ」

 あのベンツで送り迎えは洒落にならない。まあ、フェアレディでも似たようなものか。

「ファミリーカーでも買うか」

「ユカちゃんが乗ってくれないよ」

「ダサいのは嫌」

「もういっその事バンプラ(※1)でも買ったら?」

「いいね、それ。白手袋して運転する?」

 ユカちゃんは素早く画像を検索している。

「クラシカルでcool!」

「毎日迎えに来てもらうのもなんだから、ヒロも一緒に住もう」

「Sweet! 何それ、パパ最高!」

 は?

 何言ってんだ?

「いくらなんでも狭いだろ」

「ああ、使ってない一軒家があるんだよ。結婚してた頃の」

「パパ、帰りに寄ろうよ。アタシお部屋決めたい!」

 ちょっと待て。

 ちきしょう。

 なあ、どこか悪魔祓いやってくれる教会を知らないか?






※1……バンデン・プラ(Vanden Plas )はイギリスとベルギーに存在した自動車メーカー。現在はフォードがその商標権を持っている。ヒロは裕福な家の貴婦人が、ロールスのセカンドカーとして乗っていたとされるバンデン・プラ・プリンセスのことを「バンプラ」と呼んでいる。高級ホテルで、後から来たこの車のほうが、先にドアを開けてもらえたという逸話がある。

ドラマ刑事貴族に、水谷豊演じる本城の愛車として登場している。

詳しくはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9

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