第4話

 大井町の駅ビル二階に、ケーキ屋があることは知っていた。

 フランスの田舎風お菓子屋さん。

 大きなショーケースの後ろに背負った、如何にも欧風な吊戸棚が印象的だったし、何よりエスカレーターから見える華やかな景色が印象的だった。まさかカフェまで併設してるとは思ってもみなかった。

 店内にはエリック・サティのジムノペディ第一番が流れている。

「なあ、俺達浮いてないか?」

 待ち合せは十一時。開店直後の十時半から居座っているわけだが、当然の如く景色に溶け込めず、居心地悪いことこの上ない。

「そうかな? ここのタルト、生地もちゃんと美味しいから好きなんだよね」

 ニューヨーカーズの真っ赤なヘンリーネック。胸元をはだけ、シルバーのクロスを覗かせながら、季節のタルトを突く、ロマンスグレーのオッサン。老眼鏡をカチューシャ代わりに、普段は固めている長い前髪を上げている。

 まあ、俺も似たような恰好だけど、まだ老眼鏡を堂々と晒す勇気はない。

「そういう問題じゃねえだろ」

 俺も甘いものは嫌いではない。むしろ好きなほうだ。

 一種類では物足りないのはわかっていたので、二人とも二種類のケーキを一皿に盛ってもらっている。

「デートみたいで悪くないよね」

 ケーキといえど、ゆっくりと味わうなんていう習慣のない俺は、早々に食べ終え、珈琲を啜りながら思うことは一つだ。

「ああ、煙草吸いてえなあ」

「ホントだね。美味しいケーキ食べて、珈琲ときたら、煙草だよね」

 チカが午前中から行動することは珍しい。

「十一時だよな?」

「あの子は母親と違って、そういうとこキッチリしてるから、ぼちぼち来るんじゃないかな」

「そう願う」

 普段、数時間煙草を吸わないくらい、どうということはない。それが、一度吸いたいと思ってしまうと、どうにも我慢ならない。

 ニコチンの替わりにカフェインとばかりに、珈琲を流し込み、お替りを頼もうと手を挙げると、何やら入り口が騒がしい。

「ああ、来たみたいだね」

「マジかよ」

 騒ぎを背負い、周辺は静けさを纏うという、圧倒的な存在感。

「モーゼみたいだな」

「それほどでもないでしょ」

 親馬鹿かと思っていたら、甘かった。

 中学生と思って舐めていた。

 忘れていたわけじゃないけど、チカの元嫁は外人モデルだった。つまり娘はハーフ。

 日本人にはちょっと濃すぎるかなあっていう元嫁を、チカの遺伝子が程好く薄めている、恐ろしいまでに完璧なハイブリッド。

 エマ・ワトソンとアナ・ケンドリックを足して二で割ったら、こんな感じだろう。

 細身のデニムに黒いティーシャツ。老眼鏡ではなく、サングラスをカチューシャにして、長い黒髪をあげている。

 セレブのプライベートだと、誰もが思うのだろう。スマホで写真を撮られまくっているが、本人は気にもとめていない。

 これは末恐ろしい。

「Hi, Dad」

「久しぶり」

 立ち上がって、ハグを交わすチカと娘。

「ユカちゃん、ヒロだよ」

 日本語で紹介されたんだから、通じるのだろう。

 チカに倣って立ち上がる。

「はじめまして、ユカちゃん。目黒祐天めぐろひろたかです」

 差し出した右手をユカが両手で握る。

「パパ、ありがとう。うん、ど真ん中のストライク!」

「いや、あ、ユカちゃん? あげないよ?」

「ヒロ、ユカです」

 いや、そんな瞳でまともに見つめないで欲しい。

 穢れまくっているオッサンとしては、もう罪悪感すらおぼえるレベルだ。

「あ、ああ、よろしく」

 ユカちゃんは、俺の左腕を抱えるようにしてくっつき、そのまま並んで腰をおろす。

 向かい側に独り座るチカ。

 一見、カップルが彼女の父親と同席しているように見えるかも知れない。

 童顔でチャラい俺と、やたら大人びた外人顔の少女は、ちょっとだけ年の離れたカップルに見えなくもないだろう。

 いやいや、中身は中学生だから!

 それにしても、成長度合いが凄まじい。腕にあたる膨らみは、立派なものだ。

「ユカ、何か頼むかい? それともすぐに出る? いつものことだろうけど、パパ、こう注目されると落ち着かないんだよね」

 ユカちゃんが登場する以前から、十分すぎるほど目立ってはいたと思うけどな。

「そんなこと言って、煙草吸いたいだけでしょ?」

「なんだ、バレたか」

「いいわ。ヒロも煙草吸うみたいだし、今日は車なんでしょ? 乗る前に飲み物買ってね」

 ユカちゃんは俺の腕に抱き着きながら、スンスンと臭いを嗅ぐ。

「あれ? ENVY? 男性用じゃないのね」

 そう言うユカちゃんからはライチや柘榴に交じってパインの香り。ENVYのMeだろう。

「よくわかるね」

 どうも男性用の香水が似合わない俺は、女性用の香水を着けることが多い。

 チカはムスクの甘い香りも似合うんだよなあ。

「さあ、行こうか。百貨店にコーヒーショップが入ってたはずだから」

 若干不満げなチカに促され、席を立った。

 道を挟んだ百貨店へ行く間、オジサン二人にぶら下がったユカちゃんは上機嫌なのだが、チカと合わせて、人目を引きまくる。

 どうにも場違いな感が否めないのだけど、こうなっては仕方ない。今日一日は諦めて、この状況に付き合うしかない。

 百貨店のコーヒーショップでフラペチーノなるフローズンドリンクを購入し、駐車場に向かう。

 チカが俺を誘ったのは、これも理由なのだと思う。

「うわぁ、DATSUNだ!」

 別にユカちゃんの表現が外人なわけではない。

 DATSUN・フェアレディ2000。SR311。1963年製。当時の日本グランプリを総なめにした、国産初の200kmオーバーカー。因みにスリーシーター。後部座席は一人分。

「よくわかるね」

「日本車って嫌いなの。どれも似たりよったりで、個性がないんだもん。でもこの車は別。どうしてヘップバーンの映画に出てこないのか不思議なくらい素敵」

 チカとまったく同じことを言う。

「黒っていうのが、また素敵。赤とか白のは見かけるけど、黒は初めて!」

「お姫様に喜んで頂けて恐悦至極」

「パパのベンツも好きだけど、こっちの方が好き!」

 当然のように助手席に座ったユカに押し出される格好で、後ろへまわったチカが、オヨヨと泣き崩れる。

「どっちがどっちって車じゃないんだけどなあ」

 レベルが違う。

 泣く子も黙るメルセデス・ベンツ。スタイルも特徴的なSL300。チカの乗っている真っ赤なロードスターは1958年製の後期型だからオープンだけど、初期型のクーペなんてガルウィングだ。

 今は車検ついでのフルオーバーホールで、彼此一か月くらい工場に行ったっきりだ。

 要するに足がない。

 娘の計画したお出掛けコースを実現させるためには、車が要る。

 当の娘は車に煩いときた。流石はチカの娘だ。

「ねえねえ、折角だしオープンにしようよう」

 このクソ暑いのに、幌を開けて走れという。今の車と違って、オープンにしたらエアコン効かないんだけどなあ。

「まあ、暑くなったら閉めりゃいいか」

「煙草吸い放題だしね」

「おお、そいつぁ良いね。で、お姫様、本日はどちらに向かえばよろしいので?」

「もうヒロ、ユカって呼んで! うんとね、王子稲荷神社ってとこに行きたいの」

 良い天気だし、海っぺりを走るか。この時間なら羽田線も流れてるだろう。

「お狐様か」

「うん。総元締めなんですって。怖い顔の神様にお願いするよりも、可愛いし。カトリックの教会も探したんだけど、お祓いやってくれるとこって、あんまりないんだもん」

 厄祓いをカトリックでやるというと、エクソシズムってことになるのか?

 それって悪魔祓いだよな。

 似たようなもんなのか。

 しかし、発想が自由だ。

 駐車場を出ると、チカと二人、我慢していた煙草に火を着ける。

 バックミラー越しに見るサングラスをしたチカは、如何にも不良オヤジだ。

 ユカちゃんも振り返って、スマホで写真を撮っている。

 中学生で父親とデートしてくれる娘。しかも超が着くほど可愛い。世のオッサン達の夢じゃないだろうか。

「ユカちゃん、ママは元気かい?」

「Are you kidding me? あの人の元気がなくなったら、たちまちニュースになるでしょ? 最新のトピックスではハリウッドのイケメン俳優とツーショットだったから、元気なんじゃない?」

「そうなんだけどさ。家には帰って来てる?」

「偶にね」

 シアトルでおばあちゃんと暮らしているらしく、世界中を飛び回る母親とは、中々会えないようだ。

 鈴ヶ森から首都高に乗って、羽田線をあえて南下。そのまま横羽線を抜けて、ぐるりと狩場線を経由、湾岸線へ。

「レインボウブリッジ?」

「ううん、横浜ベイブリッジ。次がつばさ橋で、その次だね」

 バブル時代のドライブコースさながら。渋滞もないし、到着時間も一時間変わらない。

「ねえユカちゃん。今も言ってたけどさ、『からかってるのか』って言う時に、なんで『killing me?』って言うの?」

「ん? 言わないよ?」

「あれ? 今お父さんに言ってなかった?」

 ベイブリッジを下り始めると、右の先に次のつばさ橋が見えて来る。

「ああ、ヒロは『kidding』が『killing』に聞こえたのね」

 流石に運転中なのでチラチラとしか見れない上に、この炎天下。ユカちゃんの表情はうかがえない。

「なんか、超ウケる! みたいな時にも使ってるよね?」

「そっちは殺すほう」

「スラングはよくわからん」

「You're killing me!」

「なんだって?」

 コロコロと笑う様は、やはり中学生かなあと思う。

 今度から海外ドラマは英語字幕で観ようと心に決めた。

 ベイブリッジを下りきると、緩やかな右カーブ。正面には船の帆柱のような橋。

「こっちがつばさ橋?」

「そう」

「ユカちゃん、ヒロは歌を歌うんだ。パパとよくセッションしてるんだよ」

 唐突だな、おい。

 バックミラーを覗けば、アコギのヘッドが見える。いつの間に引っ張り出したんだ。

「おいおい、オープンカーで首都高飛ばしながら演奏するって、どこのヒッピーだよ」

「パパのギターも久しぶり。アタシも歌う!」

「お、ユカちゃんも上手になったかな?」

 なんなんだよ、この親子。いや、海外じゃ普通なのか?

「ヒロ、カーステ消して」

「マジかよ」

 カーステといっても、スマホからBluetoothで飛ばしてるだけなので、チカに放り投げる。

 ロックを外す、六桁の番号ならチカは知ってる。多分、指紋も登録してるに違いない。

「首都高と言えば、これだよね」

 背中から聴こえて来るはHighway star。

 まあ、そうなるよな。でもユカちゃん、知ってんのか?

 知ってるよな。

 チカの娘だもんな。

 真ん中の車線を走りながら、俺は煙草に火を着ける。

 この先はトンネルなんだけどなあ。

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