第3話

「明日さ、娘が来るんだよね」

 カウンターの中、チカはシガレットホルダーで両切りのピースを吹かす。

「中学生だっけか?」

 普段はジョン・プレイヤー・スペシャルを吸っているのに、店では缶ピーを吸う。

 鍵束のキーホルダーのようにぶら下げている、MOB FACTORY製の真鍮ホルダー。細いパイプやら何かのタンクやらを模した、スチームパンクな意匠。カウンターに転がした俺の鍵束にも、お揃いのホルダーが着いている。

「二年生だよ。子供の成長って早いよなあ」

「俺には子供いねえからなあ。でも、言いたいことはわかる」

 珍しいレコードを掛けてるかと思えば、そんなことか。

 GUNS N' ROSESのファーストアルバム、Appetite for Destruction。R面(※1)三曲目のSweet Child O' Mineが聴きたかったらしい。

 娘と合う前日に眺めたいジャケットではないな。(※2)

「で、明日暇か?」

「は? まあ、時間は作れるけど……それって、アンタの娘と?」

 缶ピーを一本頂戴して、ホルダーに差す。

「うん。遊びに行くから付き合ってよ」

「本気で言ってんの?」

「言ってるねえ」

 クソ。

 英語でこんな時なんて言うんだ? 「Are you killing me?」だったか。「Are you serious?」だとそのまますぎるか。

 心の中でよくわからない悪態を吐きながら、煙草に火を着ける。

 自分達の関係が、世間様の常識から外れている自覚はある。

「なんで俺が?」

「二人っきりだと間が持たない」

 いや、俺がいたところで同じだと思うが。

「俺が一緒で大丈夫なのかよ?」

「嫌か? ユカちゃん、可愛いぞ」

 だからなんだ。親馬鹿め。

「ロリコンじゃねえし」

「え、だってヒロ、貧乳好きでしょ?」

「貧乳とロリコンをイコールで結ぶんじゃねえ! 大体さ、ロリコンかもって思った男近づけてどうすんだよ?」

「他の男は嫌だけどさ、ヒロなら、まあ良いかなって」

 どんな神経してんだ。

「アンタさ、そんな親子どんぶ……いや、ああ、もう!」

 まったくなんて話してるんだか。

「あー、またマスターとヒロさんがあやしい会話してるー」

 ほら来た。

 少し離れた席で友達と飲んでたはずなんだが。

 どうやら置いて帰られたか。

「アタシも混ぜてくださいよー。いつも二人だけでずるいー」

「いいぜ、メグルちゃん。このオッサンがな、明日娘に会うから付き合えってんだよ」

「なぁに、マスター、子供居たんだー」

 まあ、そうなるわな。

 このちょっと白いものが混じり始めた渋いオッサンは、とても子持ちにゃ見えない。胸元を開けたシャツの着こなしといい、現役の遊び人と思われてるだろうよ。現役ってのは間違ってないが。

「居たんだよ、これが。中学校二年生だってよ」

「えー、じゃー奥さんは?」

「いるように見えるか?」

「見えないー」

 俺はロックグラスを煽ってから、チカにお替りを催促するように突き出した。

「酷いなあ。昔は居たんだよ、これでもね」

 グラスを受け取った、チカの細い指先がオールドグランダッドの太いコルクを捻る。無骨なボトルを傾ける繊細なタッチ。ただバーボンをグラスに注ぐだけの仕草が、どうにも艶めかしい。煙草を咥えて顔を背けながら、視界の端から外せない。

「どんな人? やっぱすっごい美人さんなんでしょー?」

「そうだね、美人さんだねえ」

「モデルだっけか?」

「すっごーい、元モデルなんだー」

「元じゃなくて、今もモデルだよ」

 あんまりヒントを出すとバレるぞ。有名人なんだから。

「ひえー。そりゃあアタシなんかと遊んでくれないわけだわー」

 そういう問題じゃないと思うけどな。

「ヒロさんは?」

 おっと、こっちにお鉢が回って来たか。

「俺はずっと独身だよ。ところで、ユカちゃんとどこ行く予定なんだ?」

 早々に話を変えるに限る。

「ああ、厄除けに連れて行ってくれるみたい。前厄だから」

 四十歳といえば、前厄か。満年齢じゃなくて、数え年だからな。

「もう八月だぞ?」

「今更って感じなんけどね。ユカちゃんに怒られちゃってさ」

「で、なんだよ、連れてってくれるって」

「神社も選んで予約しといてくれるって」

 どっちが大人かわからんぞ。

「良い娘さんだねー」


 すっかり酔っぱらって、「送っていってー。食べてもいいよー」と抱き着くメグルちゃんをタクシーに放りこんだのは、深夜も三時を回っていた。

「なんだ、勿体ない。食べちゃえば良かったのに」

 咥え煙草でグラスを洗いながら、チカが首を振る。

「アンタの店で手え出したら、後が面倒くせえ。若い子にも巨乳にも興味ねえし」

「良い子だよ」

「アンタだって手え出してねえじゃんか」

「お客さんだしね」

「もう閉店か?」

「もう看板は落としたよ」

 洗い物を終えたチカが、カウンターを出る。

「片づけは?」

「終わり」

 チカはオーディオの電源を落とすと、代わりにアンプのスイッチを入れ、ギターを抱えて、隣に座った。

「ビールサーバーとか洗わなくていいのか?」

「今日はビール出てないから。タンクも繋いでないし」

「このクソ暑いのに、ビールが出ないバーって」

「ほっとけ」

 細い指先がネックを滑り、ストラトがブルースを刻む。

「ヒロ、歌ってよ」

「何を?」

「今の気持ち?」

「複雑だな」

「明日は?」

「いいよ、付き合ってやる」

「歌は?」

「歌ってやるよ」

 くるりと背を向けたチカが、俺の背中に寄りかかる。

 ニヤニヤしてるに違いない。ブルースを刻みながら。




※1 GUNS N' ROSESのファーストアルバム、Appetite for DestructionのLPはA面・B面ではなくSideG・SideRという表記になっている。 

※2 発売当初のジャケットはロバート・ウィリアムスの描いた「Appetite for Destruction」という絵が採用されていた。これはロボットが女性をレイプしている図柄で、通称「レイプジャケット」と呼ばれる。発売直後にクレームの嵐に見舞われ、十字架をモチーフにしたデザインに差し替えられた。チカが所有しているのは、勿論レイプジャケットw

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