閑話:1―32―02 実験的な教育風景
※本編「1-32 先達と後進」の後に入る閑話です。
「………ぅぅ……ぅあ。」
静かにこぼすうめき声と共に瞳から雫が流れた。
さめざめと涙を流すその少女は絶望の表情を浮かべ、しかし目を背けることなくソレを瞳に映し続ける。決して見る事のないと思っていた、見たくもないその光景を。
だがそれは少女の意志によるものではない。その身につけられた隷属の黒輪による効果によるものだ。
目を反らす事も出来ず、強制的に、只々その光景を見させられる。少女の心は今どのような思いが渦巻いているのか。
その気持ちを察することを残念ながら自分には、出来てしまった。
「………。」
青ざめた顔で前を向く少女の姿を横目に見る自分は今、どのような表情を浮かべているのだろう。
自分とて同じ感情が渦巻いていたというのに、感情の波を超えたかのように今の心中は凪いでいた。
落ち着いているというと語弊があるだろう。何せ、何の感情も湧いてこないだけなのだから。
しかし自分はこの場を動かない。
少女のように隷属の黒輪をつけられ、命令されているわけではない。
そういうもの無しに身動きが取れないのだ。
――ギシッ
少し身じろぎすればそこから音が発生する。
音の正体は自身の手足を拘束する縄だ。
職業上簡単な縄抜け技術を会得しているはずの自分が、何をどうしたのか硬く縄で縛られて地面に転がされていた。
もういつからこうして放置されているのだろうか。
体感では何時間も経過しているように感じる。
その間ずっと、この悪夢のような光景を見せられ続けていた。
――◆ side:ラウル=ダント ◆――
「………ッ!?」
「…グッ………っ、ガハッ!!」
この状況を作り出した少年が、二人の男女を相手取って戦闘を繰り広げる。
少年を中心に片方の女性騎士は少し離れた位置で攻め込もうとしては、相手の投擲武器により前に出ることも適わず消耗を強いられている。
もう長い時間その状況が続いているために額から汗が滲み、息切れもし始めていた。
片方の引き締まった身体が魅力的な男性騎士は、その痺れるような鋭い瞳をさらに研ぎ澄ませて勇敢に少年へと挑みかかっている。何度も斬り込んでは見惚れるほど芸術的な鋭い剣筋が粗末な短剣に止められ、流されていた。
普段の見たものすべてに希望を抱かせる自信に満ちた表情も浮かべることができず、男性騎士は思わず庇ってあげたくなるような苦しげな表情を浮かべる。
二人を相手取って攻防を続ける少年は男女の騎士と違って汗こそ滲ませていないものの、その眉間には僅かにシワが寄せられていた。
しかし動きの精度は変わらず、依然二人の体力を消耗させ続けている。
「…ぁぁ………いやです………そんな…おねえさま………もぅ、やめて…。」
隣で静かに涙を流す少女、サウマリア第三王女が懇願の声をあげた。
もしサウマリアが自由に身体を動かすことが出来たなら、その耳を塞ぎ、何も見たくないと顔を伏せていただろう。しかし命令によってソレが出来ないサウマリアは前を見続けるしか出来ない。
その姿を横目に収めた自分、ラウルは身体をよじらせ顔を正面に向けた。
少年はサウマリアの懇願を聞届ける気もなく二人の騎士、サウマリアの姉であるアイリア第一王女と、ラウルの兄であるガバリルアス騎士団長を愚弄するのを止めない。
「…もうこの位でいいかな?」
ポツリと何事か呟いたと思ったその時、少年は今までとは違った動きを見せた。
少年は肩に下げたままだったラウルを縛り上げた時の残り縄を手に取り構える。
そしてその縄の片端に半透明のモノを引っ付けると、そのまま向かってくる相手の足元へと投げ放った。
まさかの行動に、勢いよく投げられたソレは少年の思惑通りの軌道を描く。
僅かに宙を曲がって見せ、地に落ちたと同時に弾むように角度をつけてまた跳び。
「っ!?」
斬りつけるために踏み込んだ片足をソレに崩され、ガバリルアスの動きが一瞬止まった。
絶妙な間を狙って放たれたソレは獲物を逃すことを許さず、少年は片端に取り付けたモノを重みに放った縄でガバリルアスの足を絡め取らんとする。
少年の攻撃に抵抗するべく足を引こうとするが、上半身を動かす程度しか重心移動ができずにまんまと縄はガバリルアスの両足を捉えて纏め上げてしまった。
すぐに縄を解こうとするが、ガバリルアスの両足が解放される前に少年の手は動く。
「ガハッ!!」
背後に振り返る仕草で両足を捉える縄が引かれ、その勢いに耐えられずにガバリルアスの身体は僅かに宙を舞った。そしてそのまま少年の一撃を身に受け、地面に顔面から落ち、沈黙。
疲労蓄積の後のトドメになったのか、打ち所が悪かったのか。気を失ったことは確かだろう。
「………。」
今日この時まで決して見る事はないと思っていた、絶対を誇る兄が惨敗する姿。
その見たくなかった一連のそれを目の当たりにしてもラウルの中にもはや、何の感情も湧いてこない。
衝撃と悲しみの激情を浴びすぎて感情が麻痺してしまったのだろうか。
今ではそういうものだったのだという感想しか湧かなくなってしまった。
「…ふっ………ぇぐっ。」
ラウルはそうなってしまったが、隣のサウマリアはまだそう至っていないらしい。
続く少年の行動に、涙を流し続ける瞳を大きく見開いた。
体の向きを変えた少年振り向く流れを利用して、いつのまにか手にしていた数本の短剣を背後へと投げ放つ。その行き先は剣を構えるアイリアである。
難なく放たれた短剣に対応してみせるアイリアだが、これまた絶妙な間で放たれた半透明のモノに驚き硬直してしまった。いつの間に回収したのか。
アイリアの硬直は一瞬であったが、その間は命取りである。
短剣こそはすべてたたき落とすことが出来たが、宙を走るソレを防ぐことは出来ずにそのまま身に受けてしまった。
「っ、ブキャッ!?」
顔面で受け止めてしまったソレは放たれた衝撃を与えつつ、水音と共にアイリアの顔を包み込む。
泥の塊ならばそのまま地面に落ちてそれまでだが、今放たれたソレの正体はスライム。
顔面に張り付いたスライムは下へと落ちることなくアイリアの頭部を包み込んだ。
「〜〜〜っ!!?」
慌てて引き剥がそうとするが水分の塊であるスライムは掴み所がなく、一向に解放されることはない。
手にする剣も取り落としてスライムを剥がそうとするアイリアだがどうにもすることが出来ず、次第に身体に満ちる力は抜け落ちていった。
「…あ、ああぁ……ねえさま………ねえさまぁ…。」
そのままスライムに頭部を包まれたまま膝をつき、地面に倒れ伏したアイリアの姿にサウマリアが悲痛な声をあげる。
蹲ることも出来ず、流れ出る涙もそのままに見続けることしかできないサウマリア。彼女もまた自身の中では最上位に位置していた人間が、こうまで無残な姿を晒すのを見続けなければいけないというのは自身が傷つけられる以上の拷問であろう。
そう思うのは隣にいるラウルが同じ心情であったからだ。
だが今のラウルは、拷問だと思う気持ちすらとうに麻痺してしまっている。
「んー。効果はあった、のかなぁ?」
少年は倒した二人をそのままに、スライムを回収してラウル達の方へと歩み寄ってきた。
近く姿にサウマリアの顔は強張るが、ラウルの瞳は虚ろなままである。
音もなく近づく少年はラウルとサウマリアの様子を観察しているようだ。この拷問のような状況は、何かの実験だったのだろうか。
「………ぇと、この状況は何が……どういう事ですかゾラ殿。」
ラウルよりも後方から声がかかる。
ラウルにも聞き覚えのあるその声の主は、今も地に伏して気を失っている兄の補佐、副騎士団長のチャーリー=グレーだ。
いつからこの場にいたのか、どの辺りからこの状況を見ていたのだろう。依然手足を縛られている状態なのでチャーリーの姿を見ることは出来ないが、硬い口調からおそらく表情にもそれが現れているのではないかと想像できる。
チャーリーの声に引かれるように目の前の少年、空船ゾラは声の主へと視線を動かした。
「どういう事って………………どう説明したらいいんだろうね?」
「…説明できない様な拷問を仕出かしたんですか、貴方は。」
「拷問とは人聞きが悪い。ただのぉ…調教?……矯正じゃないか。」
「…どちらにせよ、あまり良いものじゃないですよ。」
会話と共にゾラとラウルの近くまで歩み寄ってきたおかげで、視界にチャーリーの表情が映り込む。
小首を傾げるゾラに対してチャーリーは遠くに倒れるアイリアとガバリルアスを見て、そして足元にいるサウマリアとラウルに同情的な視線を向けた。
ゾラは向けられた言葉に不満を表す様に頬を膨らますが、ラウルには返す言葉もない。ここで行われた行為はどう捉えても拷問だと断言できる。
「僕としては実験的試みのつもりだったんだけどね。ショック療法、荒療治ってやつかな。」
「治療行為、ですか?」
「身勝手で夢見な崇拝思想を叩き直そうと思ってね。崇拝対象の見たくは無い姿というのを目にすれば、勝手に幻滅して崇拝をやめるって話なんだけど…。」
「あ、是非やってください。アイリア様には立場上の問題がありますが、うちの団長なら大丈夫なんで。なんなら裸にでも剥きます?」
「!?」
掌を返した様にスッパリと言い切るチャーリーに、感情擦り切れていたラウルも息を吹き替えして仰天した。決して兄の裸に反応したわけではない。
「…これ以上は意味ないかな。過剰な期待は改めさせる事ができた様だけど、根本は直せないみたいだ。」
「兄様姉様最強と勝手に風潮した上に、有望な若手を追い詰めて洗脳して回らなくなれば全然いいですよ。」
「………何をしているのかな、この子らは。」
残念な者を見る目でラウルを見るゾラ。何故そのような視線を向けられねばならないのか。
凛々しくとも逞ましい兄様の邪魔をするものを蹴散らして何が悪い。わざわざ兄様直々に手を下す手間などかけさせるわけがないだろう。兄様は最強の人間であり、高みを行くものなのだから。
だがつい先ほど目の前にいる少年に最強ではない事をまざまざと見せつけられてしまったラウルは、声高々にその言葉を口にすることができなかった。
「それにしてもゾラ殿。我が国の窮地を救って頂いただけでなく、問題児の矯正。何から何まで手を煩わせてしまって申し訳ないです。」
「いや、僕は偶々遭遇した君達に少し手を貸して利用しただけ。こちらに降りかかった火の粉を振り払う為にやっただけのことだよ。国を救ったつもりはない。それにこの実験は僕にも意味のあることだからね。」
「意味のあること?」
「…どうにも僕はこの手の崇拝思想の人間に遭遇する確率が高いみたいでね。対処法を探しているところなんだよ。」
「は、はぁ…。」
困惑の声をあげるチャーリーに何か返すことなく、ゾラは未だに茫然自失状態のサウマリアの隣へ移動して言葉を投げる。
「よく見ておきなよ、サウマリア王女様。君の身勝手な行動のせいで、君の大好きなお姉様はあんな姿を晒しているんだからね。」
「…ぁ……うぅ…。」
淡々としたその言葉に脅すというより、言い聞かせるような響きがあった。
だからこそサウマリアは反発することなく、身体を震わせてその言葉を受け入れているのだろう。
「可哀相にねぇ。騎士としても、王女としても、あんな姿は晒したくはなかっただろうねぇ。」
「…ぁぅぅ………ぉねえさま……。」
「君の浅慮がこの事態を招いたんだよ?立場ある王族の一人なら、もっと考えて行動しないとね。」
「…ぅぅ……ごめんなさい、ごめんなさい。」
「なんでも自分の思い通りになると思ったら大間違いだ。君の間違いのせいで、君のお姉さんを同じ目に合わせられる人間を多数召喚しちゃったんだからね。」
「…ぅ…………ひぅ…。」
「全ては君の間違った思想が悪いんだよ?どう間違っているか分かっているかな?」
「………ぉ、おねえさまは……ひっ……ただの、いちにんげん…っ…とくべつなそんざいでは、ない…っ…です…。」
よろしいとばかりにゾラは頷くと、僅かに屈めていた身を起こす。
そのままサウマリアへと向けていた視線も外すと、未だに目を覚まさない二人へと顔を向けた。
「…追い詰めますね。そこまで当人をやり込めるものですか。」
「ここまで思想が凝り固まっていると、それ相応のことをしないと意味がないんだよ。何故そう陥ったのかを理解させないと意味がないんだ。」
「しかし、何故サウマリア様だけ?」
「王女様の方が重症だからね。特殊なお貴族様の環境じゃあ、仕方ないといえばそうなんだけど…。」
「あぁ、なるほど。上の方々のやり取りは目に見えない所で行われますし、下の者が苦言を口にすることも謀られますからね。」
「蝶よ花よと扱われていた、綺麗な所しか目にしていない小さい子だと盲目になりやすいもの。おまけに変に立場が上なら、初期の段階で考えを改めさせる事が出来ないとくる。」
「たしかに第三王女であるサウマリア様の環境と一致してます。……ラウルの方は騎士団長の妹という立場で可愛がられてたのと、下手に剣術の才能があったのが原因ですかね。」
倒れたままのアイリア近くに留まっていたスライムを手元に戻しながら、ゾラはチャーリーと話をする。
話始めは困惑気なチャーリーだったが、話が進むうちに納得の表情を浮かべていた。
「まぁ、ここまでやれば後はアイリアさんを起こして、…」
「うぅ、おねえさま…ぐすっ……わたくしのせいで……おねえさまが………あのような、おすがた……。」
「声をかけて貰えば正常とまでは言わずとも、マシな感性に戻るだろうから、…」
「ひっぐっ……わたくしが……かんがえを、あらためないから……しらしめる……ため…」
「過度な盲信もこれで収まるんじゃ…」
「ぐすっ………このきもち……かえなければ……わたくし、もっとひどいめに………………ひどい、めに?…へブッ!?」
「ゾラ殿!?」
突然のゾラの暴力にチャーリーが驚きの声をあげる。
何の前置きもなく手を上げれ、力加減なく叩かれたのか少女が吹き飛ぶ姿を見せられれば驚くのも無理はないだろう。
手を挙げられた当人であるサウマリアも、突然のことに直前まで浮かべていた表情のまま気を失っていた。何を思ってか口角が持ち上がっているのは理解できないが。
「ん!?…ぁ?僕とした事がつい反射的、に?」
「…ゾラ殿。処罰はまだ決まってませんが、サウマリア様はまだ王族の一人です。そんな方に手をあげるのは少し問題がありますよ?」
「………条件反射。うん、そう。唐突に妙な性癖に目覚めようとしていたら反射的行動も仕方ない、よね?」
「……………気持ちは分からなくもないですが。」
狼狽えた声をあげるゾラと痛まし気にそれを治めるチャーリーの声を聴きながら、ラウルは戦慄した。視線は力なく横たわるサウマリアに釘付けである。
気を失うサウマリアの表情は歪な笑み。これはゾラ曰く、妙な性癖に目覚めようとしているらしい。
これまでの流れを読むに、自分のもつ思想とやらが重症化するとこの様な性癖とやらに目覚める可能性があるようだ。その性癖とやらがどの様なものかは知らないが、得体の知れない悪寒を感じる。
ラウルは気絶するサウマリアを見つめながら誓った。
自分はこうはならない。何としてでも自分の思想を一般的なものに正そうと。
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