閑話:1―32―01 スライムと思う処

※本編「1-32 先達と後進」の後に入る閑話です。


 ――◆ side:高円寺実嶺 ◆――



「………。」


 視界の隅に透明感のあるものがある。


「………。」


 ソレは武器を振るって訓練に勤しむ実嶺の集中を削ぐように、縦に横にと収縮を繰り返している。


「………。」


 プルプル、プルプルと、誘惑してくるソレが気になり、実嶺は


「…そんなに気になるなら触っていいんだよ?」

「はぇっ!?」


 突然かけられた声に驚き、武器から手を離してしまった。

 どれだけ集中が欠けていたのか、その声が実嶺を誘惑するソレから発せられたのかと錯覚してしまったが、声の発生源はそこではない。

 声の主はソレの近くに腰を下ろしていた彼だった。


「…どれだけ興味津々なのさ。」


 呆れた顔で実嶺を見るのはゾラである。

 皆が戦闘訓練に励んでいる間一人離れた場所にいた彼は、スライムの近くでずっと読書をしていた。


「…普通、気になるものでしょ?見たこともない生き物なんだから。むしろ気にならない方がおかしいわよ。」


 コホンと実嶺が咳払いをして落とした武器を拾い上げながら言うと、ゾラはフーンと気のない返事をする。

 それにどんな感情が込められているかは分からないが、実嶺は世間一般的に普通のことを口にしたのだから問題ないはずだ。普通の一般人ならば当然生じるものなのだから。


「まぁ詮索するつもりはないし、いいんだけどさ。」

「………。」


 何故だか言外に理解を示す言葉に実嶺は顔を背ける。

 反論することはしない。実嶺の好奇心は当然発生するものなのだから。


「実嶺さん、手が空いているならちょっと手伝ってもらって良いかな?」

「………何かしら。」


 実嶺の態度に何ら反応することもなく、ゾラは頼み事を口にする。

 まだ個人別の訓練メニューを消化しきっていないのだが、此処で断るのもおかしいだろうと実嶺は話を聞く体制をとった。


「一人であれこれするのも何だから誰かに手伝ってもらおうと思っていたんだ。」


 武器を携えた状態で歩み寄る実嶺を見たまま、ゾラは別の方向を指差す。


「…スライム?の手伝い?」


 指差す先へチラリと見て、確認するようにゾラへと視線を戻した。

実嶺に気を使った言葉では無いと思いたいが、どういう話だろうか。


「細かい制御を出来るようにしたいから、ちょっとソレに刺激を与えて貰っていいかな。」

「刺激って…具体的には?」

「何でも良いよ。切っても、叩いても、潰しても。加熱するのだけは勘弁してもらいたいところだけど。」

「はぁ!?切る!?潰す!?」


 ゾラの口から出た手伝いの内容に実嶺は仰天する。

 こんな愛くるしい生き物を攻撃するなんてとんでもない。慌ててスライムへと視線を向けると、怯えるようにその身体を震わせていた。


「見なさいよ!こんなに怯えてるじゃない!!」

「…いや、ソレは風に揺られているだけだから。」


 武器を手放してスライムを庇うように立つと、ゾラは眉をハの字にして困惑する。

 人として普通の反応をしているというのに、なぜそんな顔をされなければいけないのか。実嶺はそんな思いでゾラを見据える。


「…大概、討伐か使役しようとするのだけど、この反応は予想外。…いや、似たようなのがいたか。」

「………?」

「その辺のことはいいや。じゃあ、攻撃はしなくても良いから抓ったり抱きしめたりで刺激を与えてもらっていいかな?」

「………まぁ、それで良いのなら。」


 ゾラの呟いた言葉はよく聞き取れなかったが、幾分か和らいだ要求に実嶺は渋々といった仕草で頷き返した。


「………。」


 実嶺は後ろへと振り返り、依然逃げることなくそこに居るスライムの傍らにそっと座り込む。


 プルプル、プルプル。


 実嶺を誘惑して止まないその仕草は、怯えているのか喜んでいるのか。ゾラは風に揺られてるだけだと言うが、どう見ても相手へコミュニケーションを図ろうとしているようにしか見えない。


「………。」


 恐る恐る手を伸ばす。

 スライムが身を引く気配は見てとれない。


 ソロリ、ソロリ。


 犬猫を触る時と同じく、相手を怖がらせないように気を付けて手を前へと伸ばしていく。


「……っ!」


 心掛けていたことが幸を成したのか、逃げられ避けられることなく実嶺の指がスライムの身体に触れた。

 そのまま手を触れ、動かしてみるが嫌がる様子もない。

 ホッとした実嶺は緊張していた自身の身体の力を抜いた。


 ナデナデ、ツンツン。


 スライムが逃げないのをいいことに、実嶺はどんどん大胆に触れるようになる。

 両手でグリグリと撫で回し、指でスライムを摘まんで引っ張ってみたり。

 遠慮なくさわり倒す実嶺を、それでもスライムは嫌がる様子をみせない。


「………。」


 チラリと視線を横へと向ける。

 ゾラは我関せずと膝に置いた本へと集中しているようだ。

 頼み事をしてきたのはゾラなのにと思わなくはないが、これ幸いと実嶺は次の行動に移る。


 「………えいっ。」


 小さなかけ声と共に、実嶺はスライムを抱きしめた。

 水の詰まった袋のような感触かと思いきや、少しヒンヤリとしたクッションのような感触。抱きしめていてとても気持ちが良い。


 むぎゅ、むぎゅ。むぎゅー。



「あっ!姉ちゃんズルイ!!」

「!?」



 夢中になってスライムを抱きしめていたところを、遠くから響く声によって止められた。

 慌てて声がした方へと振り向くと、そこには実嶺を指差す直輝の姿。そして声に誘導された形で同じ方向へ注目した皆の姿があった。


「………こ、これは、その。」


 慌てふためき実嶺は腕の中にあるスライムを隠すことすらせず後退るが、頬を膨らませて詰め寄る直輝は逃げることを許さない。


「僕だってスラリンをむぎゅむぎゅしたいのに独り占めはひどいよ!」

「違っ!これはっ!ゾラくんに頼まれてっ!!」


 あたふたと視点定まらぬ目で実嶺は言いつのる。

 嘘を言ったわけではない。ないのだが、何故が後ろめたい気持ちがあった。

 そんな態度で釈明したところで納得してくれるはずもなく、直輝の頬は膨れたままである。


「えらく嬉しそうにしてたなー。」

「ぁ、あぅ…。」

「なんだかんのと言いつつも、実嶺さんもこの異世界を愉しんでんじゃねぇのー?」

「そんなんじゃ…。」


 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら近づいてくる隼嗣を、実嶺は強張った顔で見つめる。首を横に振って違うことを態度で示しているが、その思いは隼嗣には伝わっていないだろう。


「やっぱ、嫌よ嫌よと言いつつもー?…ぃて!?」

「やめてやれって。本気で嫌がってんだろ。」


 みかねた洸哉が隼嗣の後頭部に止めの一発を放った。

 痛みで言葉を止めた隼嗣は、手刀を受けた場所を手で押さえて洸哉へと慌てて振り向く。


「何だよ洸哉!俺はファンタジーの良さを分かって貰おうとだな!」

「…お前がやってんのは相手を追い詰めてるだけだろうが。」

「せっかく異世界に来られたんだぜ?何のかんの拒絶しっぱなしとか勿体ねぇだろ!」

「だからって、これだけ本人が嫌がってんだから無理強いすんなっつの。」


 洸哉に言われて隼嗣がゆっくりと視線を向けると、そこには涙目でスライムを抱き潰さんばかりに胸に押し付けている実嶺の姿があつた。


「嫌がる相手に無理矢理は、感心しないなぁ。」


 今にも実嶺の瞳から涙がこぼれ落ちようとした瞬間、それを止めようとするように別方向から声がかかる。狙い澄ましたかのようなそのタイミングでかかったその声は獅乃のものだ。


「獅乃ちゃーん!」

「ぁ、近寄らないでね実嶺ちゃん。駆け寄るのはもっとダメだよぉ?」

「!?」


 泣きつこうとした実嶺を獅乃は片手を上げて制する。

 ショックを受けて固まった実嶺だが、拒絶されるのも仕方がない。獅乃が警戒しているのは実嶺の持つ特殊技能。男性とは異なる性別のものに反応する勇者というラッキースケベの能力を警戒しているのだから。

 しかし好きでこんな特殊技能を手に入れた訳ではないのにと、実嶺は肩を落として落胆した。


「…にしてもぉ、ゾラくぅん。」

「………ん?」


 読書に集中していたゾラは、獅乃の声かけから遅れて反応を返す。

 これだけ実嶺たちが騒がしくしていたというのに我関せずと堂々と読書に勤しんでいたことに、普通なら何か思うところなのだがゾラの行動に慣れてしまった実嶺たちには慣れたものだ。

 声をかけた獅乃も何も思うことは無く、視線も向けることなく話を続ける。


「このスライムって、ゾラくんが動かしているんだよねぇ。」

「そうだよ。」

「…感覚も繋がっていたり、する?」

「感覚器の共有が無ければ遠隔での操作性が悪くて仕方がないんだけど。」

「………っ!?」


 焦点を腕の中にあるスライムへと向けて問う獅乃に何の話だと実嶺は静観していたが、遅れながらソレの意味するところに行き着いて腕から力が抜け落ちた。

 当然腕の中にあったスライム地面に落ちて弾むが、実嶺の目はそちらを見ることなく自身の躰を、具体的には先ほどまでスライムがあった胸のあたりを抱きしめてゾラを睨み付ける。


「ゾラくん、アナタ…。」

「お姉ちゃん。そういう反応はお胸がある人限定の反応だって、おじいちゃんが言ってたよ?」

「っな!?」


 責める言葉を口にしようとしていた実嶺を、地面で弾んでいたスライムを回収して抱きとめた直輝が制した。

 その口調は何気ないもので、当然の情報を伝えただけだと言いたげだ。だからこそ実嶺は傷つくし、引っ込んだはずの涙もまた滲んでくる。


「…何故だか謂れのない疑いを受けているようだけど、僕にそんな気は無いから。」

「本当にぃ?」


 言葉を返せずに固まっている実嶺の代わりに獅乃がゾラへと疑いの言葉を投げかけた。

 半眼で審議を見極めようとするその視線が嫌なのか、ゾラが顔を顰める。そして溜息交じりに答えを返した。


「感覚器の共有が鈍いから協力を仰いだというのに、下心なんてあるわけ無いでしょ。現状では感覚器共有は、ほぼゼロの状態。外部視野の情報無くしては動かすことも出来ない状況なんだから。」

「………。」


 ゾラの言葉につられて視線を動かすと、スライムは直輝の腕と中で大人しくしている。先程、実嶺がいじり倒していた時も全く無抵抗だった事からゾラの言葉に嘘はないようだ。


「…皆、何してるの?」

「まだ戦闘訓練の時間ですよ?チャーリーさん不在でも、ノルマだけはこなさなくては。」


 訓練もせずに話し込んでいた実嶺たちをみかねて、彩峯と深澄も集まってきた。

 今は異世界に召喚されてから日課となってしまった戦闘訓練の時間。

 何時もならば指導者として副騎士団長のチャーリー=グレーがついているのだが、所用のため今日は不在だった。それを理由にノルマはこなす必要はあるが比較的緩やかな空気で訓練をしていたのだが、集まっていた実嶺たちとは違い二人は真面目に訓練を続けていたようだ。


 今の今まで真面目に訓練をしていた為に話の流れが分からない二人は不思議そうな表情を浮かべたままでいた。

 その二人の姿を見とめた実嶺は、そちらの方へと足を向ける。


「うぅぅ…深澄先生ぃ、彩峯ちゃぁん。」

「「!?」」


 心持ち涙目で駆け出した実嶺の姿を見た二人は身体を硬直させた。

 慌てた深澄は後ろへと身を引き、声をかけられた彩峯は逃げることも出来ないままだ。しかしその表情は焦燥に駆られている。


「あっ!」

「…!?」


 その勘違わず、実嶺は駆け寄る最中に足を引っかけて体勢を崩した。

 そのまま立て直すことも出来ず、二人はもつれ合うように倒れ込む。


「おっと。」

「ぉお?………ギャア!?」

「見ちゃダメだよぉ?痛い思いをしたくなければ、ちゃぁんと後ろを向いててねぇ?」

「…言う前に目潰しするは止めてやれ?」

「目が、目があぁぁ!!」


 実嶺の背後では隼嗣の痛ましい声と、獅乃の冷ややかな声がしている。しかし実嶺は今、そちらを振り向ける心境になかった。

 いま実嶺と彩峯は文字通りもつれ合うように倒れている。他の人間から見れば衣服も乱れ、あられも無い姿を晒していることだろう。


「………。」

「……んぅ………いたい。」


 実嶺の下敷きになっている事を思うと早くその場から退いてあげるべきである。

 だが現在、実嶺の頭を占める事はそちらでは無い。


「………………。」

「…実嶺?」


 実嶺の下では彩峯が涙目で痛みを訴えているが、実嶺は転んだときに手で鷲掴みした柔らかいモノに顔を顰めた。


「………………くっ!」


 口には出したことはないが彩峯は実嶺と同類だと思っていた。

しかし今こうして触れて実嶺ば、獅乃たちほどではないが多数派に属していたことが発覚した。


「……高円寺さん。アナタもまだ成長の余地はありますから…。気を落とさないで?」


 彩峯の胸を掴んだまま憎々しげな目で凝視して固まる実嶺に、深澄の気遣う言葉がかけられた。

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