閑話:1―10―01 試練という名の実験場(前)

※本編1-10「1-10 ダンジョン(後)」に続く裏話です。


 ――◆ side:ハグリル ◆――



 なぜこの様なことに関わることになってしまったのか。

 ここ最近、同じ様なことを自問自答してしまう。

 何だかんだと理由を乱立させてはみるが行き着く先はいつも同じ。

 自分は間が悪かったのだということだ。


 事の始まりはファスワン王城に勤める文官見習いに、か細いながらにも縁ができた事だ。

 そこから得られた情報は少ないながらにも、ハグリルに大きな衝撃を与えた。


 今代ファスワン国王サンディアナ=デジア=ファスワンは、国民を重要視した思想を持つことは周知されていた。

 これは国民軽視の思想をもつ上流階級の中にしては珍しい事だと郊外町民間でまで噂にまでなったからである。

 そんな中でサンディアナ国王は周囲の貴族の反対にもあいながらも、いくつか国民向けの政策を打ち出していた。

 本来これは国民に周知されているべき情報であったが、下々の者に教養をつけさせまいとする上流階級の面々により圧力がかけられ隠された情報だ。


 サンディアナ国王の打ち出した政策の中に一つ、国民向けに民間用書庫の設置というのが進められていた。さらにその関連で王城にある一般書庫の閲覧を許可するというものが出されたことを耳にしたのだ。

 必要な書類、厳重な審査諸々がありはするという話だが、この情報にハグリルは食いついたわけである。

 元々民間の手に渡りにくい書物。王城に納められているその中から一般でも金さえ積めば手に入る写本を街中に建てられた民間用書庫へ、学が必要な特別な書物は王城の一般書庫へと移されるという。

 おそらく一般の目に触れられると危険な書物だけは王城奥深くの禁書庫に移されることとなり、申請したところで御目にかかることは出来ないだろう。だが、それ以外ならば閲覧可能になるということだ。


 今でこそ有名と辞される様になったが、学者ハグリルを以ってしても城に納められている様な書物にお目にかかれることは少ない。

 だからこそハグリルにとって、この情報は無視できないものだった。

 情報を手にしてからというものハグリルはただでさえか細い縁から伝手を辿り、どうにか王城の一般書庫への立ち入り許可を得られないかと奔走。

 そしてやっとの事で閲覧許可の権限をもつ者へと伝手ができた時が、あの異世界召喚が行われた時分だったのである。


 もちろん城内奥地で行われた召喚の儀についての情報は城下国民には伝わってはいなかった為に、その時のハグリルは知りもしなかった。

 だが、何かが行われている不穏な空気は嫌でも漂うものである。

 それでもやっと辿り着けた伝手を無意味にするのを恐れて事を急いだのは失敗だった。

 知識欲による暴走、何処ぞとの戦が始まり書庫へと閲覧も不可になるやもという焦燥の念、色々な感情入れ混じって行動を起こしてしまったのだ。普段通りの思考であれば、周囲の制止の声なくとも踏みとどまっていただろう。

 間違った罰はすぐさま自身の身に降りかかる事となった。

 巻き込まれずとも良かった国上層の騒動に巻き込まれる事になってしまったのだ。



 伝手を頼って王城一般書庫への閲覧許可の権限を持つ者に対面願おうと、登城したハグリルは何故か謁見の間に通された。

 嫌な予感に体を震わせていると、そこに貴族を御供につけたファスワン王国第三王女サウマリア=デジア=ファスワンが現れた。

 現在王国には王族が二人しかおらず、国王は病に臥せっている為に幼い彼女が事を取り仕切っているのだという。第三王女の側に控える貴族の顔を見るに、胡散臭い事この上ない様子だ。

 それでも恐れ慄き萎縮しながらもお伺いを立てれば、異世界から召喚された勇者という者達の教育をしろという。

 訳も分からないまま、しかし王命を拒否することもできず。おまけの様に付け加えられた王城書庫の閲覧許可を報酬にその命を受けることとなった。


 そしてそこからは幼い顔立ちの少年少女を相手にして教鞭に立つ日々である。

 しかし彼らに教える事ができる内容も細々としたもの。おそらく彼らに知識がつき、叛逆や脱走されることを怖れたのだろう。

 そして異世界から召喚されたという少年少女には副騎士団長チャーリー=グレー、私ハグリルには従者という名の監視が常についていた。命じられたこと以外の行動は制限されたという事である。

 この世界に無知であるという少年少女たちは私の授業に終始驚き、目を輝かせていたというのにキチンとした知識を与えてあげられない事が心苦しかった。

 せめてもの思いで、古くはあるが正しき知識を伝えたのが彼らの力になってくれれば良いのだが。



 そんな鬱々とした日々に、何やら変化が起こる。

 その日、異世界から召喚されたという少年少女たちはダンジョンへ戦闘訓練に赴いたのだという。

 それを聞いたのは当日のこと。何時もの座学の時間直前に伝えられた。

 もっと早くから伝達すべき情報をここまでギリギリに伝えられたのは、少年少女達に情報が漏れることを恐れて、ではなくハグリル自身を軽視されているという事だ。

 自分の立ち位置がどういうものか分かっていても歯痒いものである。もっと前から知れていれば、それとなく少年少女達に何かしらの知識を教える事ができただろうに。

 少年少女らが持ち合わせている知識は、強硬派が思想に掲げる神話と神敵のこと。人間族と魔人族の対立時代のみの歴史。古い知識である法術魔術の行使方法。戦いの知識と技術。

 とても偏ったものばかりで最新のものはなく、外へ出た時に役立つものはない。それどころか害獣や法魔獣などの敵対生物に関する情報すらないのだ。

 これでは仮に脱走できたとしても、その後この世界で生き抜く事が出来るかさえも怪しい。

 おそらくそれを狙って教育環境を整えているのだろう。何も知らぬ少年少女らに隷属の黒輪まで装備させて。




「これはこれは、ようこそお越しいただきました。この様な所に御自ら足をお運び下さり誠に――」

「くだらない問答は不要。此奴が件の者ですわ。」


 眼前で受け渡しが行われる。

 ハグリルの目の前には幽鬼の様な意姿でいる少年。

 彼が受け渡される対象である。


 ダンジョンでの戦闘訓練のためにと、一時的に城外へと連れ出された少年少女ら。

 そこで脱走してくれればよかったのだが、願い叶わずファスワン城へと戻ってきてしまった少年少女らの一人である。

 空船ゾラという名らしい少年は、いつも浮かべていた笑みをなく感情抜け落ちた状態でそこにいた。


 ゾラ少年の隣にはサウマリア王女。ハグリルはその斜め後ろから姿を見ているため、王女の顔に如何様な表情を浮かべているか分からないがその声は投げやりなものだ。

 近くにガバリルアス騎士団長を控えさせて毅然とした態度を取っているが、その側にいるも者の表情は少年と同じく感情抜け落ちた人形の様である。それはハグリルの逃亡を防ぐ様に立つ両側の騎士にも言えることだ。


「…確かにお引き取りいたしました。後のことは私どもにお任せ下さい。」


 サウマリア王女の対面に立つ取引相手は汚れた白衣を着て妖しい笑みを浮かべる男。

 しかしその男の異様な雰囲気は、この場において違和感一つ抱くことはない。

 それはゾラ少年と共に連行されたこの場の空気によるせいだ。


 異世界から来た少年少女らがダンジョンへと戦闘訓練へ向かった日の夕暮、ハグリルはロクな説明もなく呼び出された。

 拒否する事もできずに出向いた先にいたのは不穏な雰囲気を放つ者達。そのまま彼らは呼び出されたハグリルに何の説明の言葉もなく動きだした。

 まずはハグリルの左右両側を虚ろな目をした騎士たちが固められる。そして前には騎士たち同様に虚ろな目をしたガバリルアス騎士団長と、ダンジョンから戻って来たばかりのゾラ少年。そして物言わぬ状態の彼らを命令する幼いサウマリア王女に先導される形で、ハグリルは追い立てられるように此処まで来た。

 無言の連行。しかし移動までの僅かな時間でハグリルは事態を理解することができた。

 一方的に命令が下され、返事も反論もなく実行する彼ら。何らかの手立てで彼らは操られサウマリア王女がそれを指揮しているのだと。

 しかし分かったからといってハグリルに抵抗する手立てはなく、薄暗い通路、人払いもされている暗い道を長々と歩かされ、たどり着いたのは城敷地内の外れである。

 そこが今しがたサウマリア王女の取引相手であるらしい白衣の男が出てきた、隠す様に建てられた不穏な空気を放つ手狭な建物だった。


「くれぐれも頼みましたよ?此奴、素材だけは良質のはずなのですから。」

「承知しておりますサウマリア王女。…して、そちらの男は?」

「民草の中では名のある学者とのことらしいです。あなた達の研究にも役立つのではないですか?」


 異様な雰囲気の中で会話を続ける二人は、小さく縮こまっていたハグリルへと注目する。

 白衣の男はニヤニヤと君の悪い笑みを浮かべ、サウマリア王女は侮蔑に似た冷たい視線を向けた。

 二人の表情に差はあるが、共通するのは者ではなく物を見る目をしている所だろう。


 冷や汗が流れ落ちる。

 学者として色々な場所、危険な所にも今まで渡り歩いたものではあるが、ハグリルは自身に戦う力も抵抗する力もない事は嫌という程知っていた。自分の持ちうる中で誇れる力があるとするならばそれは知識と逃げ足だけである。

 左右両側には騎士二人、斜め前にはガバリルアス騎士団長。自己意識の無いように虚ろな目をする彼らを相手にさえも、戦闘力も戦闘技術も劣る自分が対抗できるはずもない。

 正面にはサウマリア王女。今より幼い頃からステータスの精神力値の高さに注目され、将来を期待されていた幼子が現在ではどのような成長を遂げているのか。少なくとも昔の状態と変わっていなかったとしても自分に抵抗できるとは思えない。

 仮に逃げを選択したとしても、すぐ側の騎士達との攻防、距離を置けてもサウマリア王女の法魔術での攻防。それら全てから逃げ延びられたとしても、王族の命を受けての王命使者からの命を賭けた国内外での逃亡劇である。

 とてもではないが逃げる手は存在しなかった。

 王城に訪れてから同様に言うことを聞き続けるしかないのだ。

 たとえそれが死ぬまでの時間が僅かに延びるだけだとしても。


「ほぅ?それはそれは…。本当によろしいので?」

「私は私の思う通りに事が進めばそれで良いのです。この学者を利用することでより効率的に事が進むのならば、それに越したことはない。もちろん私の方で使用するときは回収しにまいります。」

「なるほどなるほど、使い潰すおつもりで。しかし首輪がついていない様ですが?」

「隷属の黒輪はいま余剰分も使用中です。ですが、それが無くともコレは逃げもしませんわ。」

「クク。王女様の権威があれば、如何様な者も逆らうことは愚かと分かっていますからね。」


 やはり自分の立ち位置を読まれた上での扱いをされているらしく、反論する言葉もない。

 今は異世界から召喚されたという少年少女の8人分を使用しているために隷属の黒輪を付けられていないが、何事かあって余剰分が出れば真っ先に自分にもつけられることだろう。


「分かっているなら御託は終わりにして、作業に入りなさい。」

「承知いたしましたサウマリア王女様。」


 ご機嫌伺いをする男に嫌気がさしたのかサウマリア王女はそう締めくくり、会話を終わらせると踵を返して人無き廊下をガバリアル騎士団長をお供に引き返していく。

 この場に残されたものは、白衣の男を先頭に否応無く陰気な建物の中に引き連れられる事になった。



「…あぁ、嫌だ嫌だ。王家の血筋でなければ無価値な小娘が偉そうに。反吐が出ますね。」


 全員が建物内に収まり、扉を閉めてすぐ白衣の男は吐き捨てる様につぶやいた。その感情は表情にも現れ、顔を歪めて嫌悪感を露わにしている。

 好きで媚びへつらっていたわけではなかったのか。

 一般的にも自分のふた回りも下の少女に頭を下げるなど、一部の性癖の者を除いてやりたいと思うことはない。何かしらの思惑がない限り。


 ブツクサと呟きながら前へと進む白衣の男に引き連れられながら、建物に入ってすぐ繋がる長い階段を降りて行く。

 どうやら手狭に見えた建物はこの下へと続く階段を覆うためのものであり、肝心な部分は地下へと作られているらしい。陰気な雰囲気だったのは目立たぬ様に仕向ける加工がされていたからだろうか。


「お貴族様のお相手、お疲れ様でした先輩。サウマリア第三王女様がいらっしゃってたんですか?」


 何段下へと降ったか分からないほど長い階段の先。

 たどり着いた扉を白衣の男が開けた瞬間、別の白衣の青年が声をかけた。内容から察するに二人は同僚であり、先輩後輩の仲のようだ。


「生意気なガキですよ、全く。…なぜなぜ私がこの様なことをしなくてはいけないのか。」

「仕方がないじゃないですか。先輩がこの実験の顔役なんですから。」

「私は私の思うが侭に実験ができればそれで良いというのに。全く、全くですよ。」


 ぐちぐちと白衣の男は言うが、その内容は今貶しているサウマリア王女が言い放った言葉と似た様なもの。同族嫌悪というものか。

 白衣の男が口にする小言はいつものことなのか白衣の青年は苦笑を浮かべると、視線を動かしハグリルへと目を向けた。


「…先輩?コッチのはどうしたんです?」

「小娘王女様が持ってきたんですよ。それなりに有名な学者らしいです。」

「へぇ。学者、ですか。…いじり甲斐がありそうだ。」

「!?」


 その言葉を聞いて白衣の青年が歪んだ笑みを浮かべる。

 これまでの会話から白衣の青年の方は常識的な考えを持っていそうだったが、同じ白衣を着ていることから同様の趣向を持っていたらしい。

 覗き込む様に視線を合わせてくる白衣の青年の目から逃れようと足を後退させるが、ハグリルの両側に控えた騎士二人によってそれも叶わない。

 ゆるりと伸ばされた白衣の青年の手から逃れる手も無く身構えていると、その動きを白衣の男が咎めた。


「ソレは壊さないでくださいよ。たまに回収に来るらしいですからね。」

「えー?思考解析の実験をしたかったのにですかー?」


 白衣の男の言葉に白衣の青年は出した手を引っ込めて振り返ると、不満露わに頰を膨らます。

 間一髪の所だった。いつのまにか白衣の青年の手には小型ナイフが握られており、何処を狙ってか突き立てられるところだったのだ。

 触れられずに済んだと小さく息を漏らすが、続く白衣の男の言葉にハグリルは身を震わせる。


「弄り倒しても良いのはコッチです。使える様にしてほしいとの以来ですからね。あぁ、そこの騎士も一人ぐらいは使っても良いのではないですか?」

「お、本当ですか!?オレそこの糞みたいな視線向けてくる騎士を解剖してやりたいと思ってたんですよ!」


 一変して喜色満面の笑みを浮かべる白衣の青年は、ハグリルのすぐ隣にいる騎士へと顔を向けると明るい声を出す。


「君は全く、現金ですね。……しかししかし、その好機的な思考が好ましい。」


 コロコロと表情変える白衣の青年に白衣の男はため息を一つ漏らすと、後輩と同じ様な表情を自身も浮かべ始めた。


「先輩、先輩!もうコレ持っていっちゃって良いですか!?切って開いて引き摺り出して弄りたい!」

「まぁ待ちなさい。持って行くならコレもです。」

「はぁーい。このちっこいガキもですね。了解でーす。」


 怒涛の勢いで会話が進み、眼前で物事が動き始める。

 二人の会話に口を挟めるはずもなく、傍らにいた虚ろな目をした一人の騎士とゾラ少年を引っ張る様に引き摺り、白衣の青年は奥の部屋へと消えていった。

 残されたのは白衣の男ともう一人の虚ろな目をした騎士、そして自分だけだ。


「…さてさて、コチラはどうしましょうかね。私もアチラの実験に移りたいのですが。」


 白衣の男がコチラに目をやって顔を顰めた。しかし気持ちは白衣の青年が向かった部屋へと移っているのか、その体は別方向に向いている。

 それは何も目の前にいる白衣の男に限った話ではない。


「………。」


 扉をくぐった先、広間の一辺に横並びに設置された扉の一番奥。そこがゾラ少年と騎士の一人が連れ込まれた部屋である。

 今まで騎士とは接点を持つことはなかったが、ハグリルは座学の教鞭をとっていたことから異世界から来た少年少女たちとの接点はあった。しかしそれは別としてもゾラ少年と顔を合わせる機会は多い。

 もちろんハグリルには監視がつき制限がかかっていた為に会話等の交流はなかったが、遠目に見ていただけであっても他人と切り捨てるには何とも言えない気持ちを抱くものがあった。


 ゾラ少年は勤勉であり行動的、そして秘密主義である。

 教鞭をとる座学の時間では他の少年少女と同様に勉学に励み、戦闘訓練の時間は知らないが夜半にも一人訓練をする姿を遠目に見たことがあった。

 ここ最近ようやく入ることが許可された王城一般書庫に行けば、そこでもゾラ少年の姿を時たま目にしている。

 昼夜問わず己のすべきことを、貪欲に知識を求めるゾラ少年の姿に共感めいた気持ちも抱いていた。知識欲に溢れる勤勉な少年であっただけに、もしかすると会話の弾む良い相手であったのかもしれないと思うと残念に思う。

 ゾラ少年のあまりにあまりな最後に、顔を伏せて吐息を漏らした。


「とりあえず貴方には………?何です?」

「…?」


 今後のハグリルの方針が決まったのか、なにかを言いかけた白衣の男の言葉が不意に止まる。

 奥の部屋から妙な物音がしたせいだ。

 同様にその物音に違和感を抱いたのか、一様に訝しげな表情を浮かべた白衣の人間達が隣の部屋から次々と顔を出し、異音がした部屋へと向かう。

 そして彼らが中に入り、その扉が閉じた途端に物音と僅かな声が漏れ出て、また静かになった。

 静寂が場に満ちる。

 少し待ったところで物音がした部屋から誰も出てくる様子はない。


「…あの部屋には問題が発生するようなモノは無かったはずですが。」


 白衣の男はチラリと虚ろな目をした騎士へと視線を投げると、身を翻して異常が発生したと思わしき部屋へと足を向けた。

 言葉一つかけられることはなかったが、その後を騎士が続く。


「………。」


 ハグリルへは指示を発せられていないが、この場に置いていかれても仕方がないと後へ追う事にした。


「何があったというんです、騒がしくし、て………。」


 先頭を行っていた白衣の男が苛立たしげな声を発していた言葉を途切れさせ、動きを止める。

 扉を潜りながら言葉を発していたため、戸は半開きの状態。そこから見えた何かに驚いたのだろうか。

 僅かにある隙間から覗き見ようかとハグリルが体を傾ける前に、白衣の男はフラリと動き出した。


「…いったい、なに、が?」


 白衣の男とその後に続く騎士が前へと動いたことで、ハグリルにも室内の光景が目に入る。


「…!?」


 そのあまりにも酷い光景に思わず息が詰まった。

 隠れるように建てられた建物、そこの代表と思わしき白衣の男の姿からそれとなく察している。だが想定していてもそこにあった光景はあまりにも悍ましく、色々な場所を見聞きして知識を蓄えているハグリルあってしても吐き気を催すものだった。


 切り開かれ、中身が見えるように固定された生物。抜き出された臓物。

 歪な形状へと変わり果てた何か。

 標本のようにされているモノから、そうされてからさほど時間が経過していないモノ。

 赤黒く汚れ、滑り、乾いたそれら。

 顔が付いたままのモノは生きながらソレが成されたのか皆、苦悶の表情でそこにある。

 悍ましい。

 非常に悍ましい光景だ。


 しかし今、そんな悍ましい一室で妙な状況が起こっていた。

 白衣を着た人間が辺りへと倒れ伏し、その中央には一人立ち尽くしている人。

 先程、白衣の青年にこの部屋へと連れ込まれた騎士だ。


「奴がこの惨状を?しかし、アレはあの小娘が完全に洗脳したはずでは…?」


 コチラに背を向けて立つその騎士が、今どのような表情を浮かべているのか分からない。

 腰にさしたままの剣を抜き放つ事なく無手の状態。だが、その騎士を中心に白衣の男たちは倒れ伏していた。


「…ぅ、あ。」

「っ!?まだ意識のある者がいましたか!」


 息絶え絶えの声音を耳にし、白衣の男が弾かれたように動き出す。

 声の発生源はちょうど開け放っていた扉の裏。扉を閉めてさえすればその主を確認することができる。

 白衣の男は従えていたもう一人の騎士とハグリルを押しのけるように扉を閉めると、声の主へと駆け寄った。


 扉に隠れていたのはゾラ少年と騎士の一人をこの部屋へと引っ張っていった白衣の青年。

 白衣の青年は横っ腹に攻撃を受けたのか壁に背をつけて座り込み、胴に腕を巻きつけて息を詰まらせる。

 しかしその様な状態にあっても伝えるべき事があるのか、声を詰めながらも何かを語ろうとする。


「…せんぱぃ。…ちが、ぅ。…あの、ガキ…。」

「何です、何なんです!もっとハッキリと言いなさい!」


 錯乱しているのか、白衣の男が後輩の白衣の青年の襟を掴んで揺さぶりながら叫ぶ。

 だが、当然のことながらそんなことをしても呼吸することすら辛そうな白衣の青年が何か言えるはずもない。


「――っ!?」


 ガクガクと揺らされながらも何かを伝えようとしていた白衣の青年の体が突然、事切れたように力を失った。

 意識を失った事によって急に重みの増した白衣の青年の体に驚き、白衣の男が姿勢を崩す。


「!?何が、ッグ!?」


 体制を立て直そうとするが、体制を正し終える前に白衣の男も同様に意識を失うこととなった。


「っ……………。」


 白衣の男に押し退けられた場所から動かず傍観していたハグリルは、目を見開き壁に背を押し付ける。

 見ていた。この部屋に来てからの一連の全てを、ハグリルは見ていたはずだ。

 揺さぶられる白衣の青年の、乱心する白衣の男の首へと真っ直ぐに細い串が生えるのを。

 見ていたが、理解できなかった。

 いったい何が起こったというのか。

 分からないからこそハグリルは声を殺して思考を巡らす。


「騒がしいな、まったく。」


 音の亡くなった室内に紙をめくる音。

 声も同じ場所から。

 そして白衣の男たちに突き刺さった串もその方向を向いている。

 手に持ったままの紙束を一枚めくる声の主。ハグリルの視線はそこから動くことはない。

 同様な紙束がその近くにある机の上に数束、棚にも乱雑に同じような物が積んである。


 読書、だろうか。

 最近ハグリルもよく見る、一般書庫での光景と類似していた。

 ひっそり隠れるように。しかしそこにいても当然のように、違和感なく場に馴染むその姿。

 だが此処は一般書庫ではなく悍ましいモノで溢れる研究施設。

 ハグリルでさえも吐き気を催すこの場所で、のような人生経験まだ若い者ならば卒倒してもおかしくはないはずだ。

 だが彼は、ゾラ少年は顔青ざめることなく平然とした姿で読書に励んでいた。

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