1-35 やり直しの日常(休日、夕)

 ――◆ side:海莉彩峯 ◆――



 彩峯は突然駆け出した姿を目にして、慌てて追いかける。

 相手の姿はいつ見失ってもおかしくはない距離にあった。

 普段の先頭訓練ではその様な速さを出した事などないのに、彼女は元からその速さで走れたかの様に人多き道を駆けて行く。

 庶民街を抜けて、貴族街を越えて、彩峯は獅乃を追って王城の中へと駆け込んだ。


 王城に入った途端、迷う。

 獅乃が何処へ向かったのかという事もだが、なぜ突然駆け出したのかという事にも。

 彩峯が知る獅乃は、大っぴらに自分の思惑を相手に気付かせる動きを見せる性格ではない。言動では少し大袈裟な言動を見せるが、行動では見せつけないのだ。冗談も本気も静かに行動するはず。

 だからこそ、突然駆け出した獅乃を彩峯は慌てて追いかけた。



 彩峯が獅乃へと洸哉が絡まれていると伝えたあの時、皆して渦中に分け入る必要はないと離れた所で様子見に徹していた。

 側にいた深澄は揉め事の輪から外れて何処かへ行こうとしていた隼嗣を捕まえるために離れたが、その時までは外部から洸哉たちを隙見て助けられないかと獅乃は考えていたはずだ。実際にそういった目をしていた。


 表情を変えたのは洸哉がスライムを手に言葉を発した後。

 洸哉の言った言葉に彩峯も驚いたが、獅乃も目を見開いて固まっていた。そして周囲がざわめき出すと同時に、顔を強張らせて頬をヒクつかせたのだ。

 何時もの獅乃ならその後ゆっくりと洸哉たちから距離を取り出すのだが、今回はなぜか誰の目にとまるとも考えずに駆け出した。異常とまでは言わないが、彩峯にとっては違和感を覚えるには充分な状況である。

 どこが獅乃に何時もとは違う行動を起こさせる要因になったのか。


 そこまで考えて彩峯の記憶にひとつ引っかかる出来事があった事を思い出す。

 アイリア達が彩峯たちを助け出したあの時。

 アイリア達の城奪還に使われたという、ゾラの用意した合言葉。

 そしてその効果は。


 仮に、洸哉が口にした言葉が、本人の意思とは違うものであったとしたら?


「………っ!?」


 彩峯の背筋がゾワリと泡立った。

 もしかするとゾラは自分達にも、そういった事を起こせる何かを仕掛けているのではないのか。そこまで思い至った獅乃は、慌ててソレを仕掛けたであろう本人へと問い詰めにいったのではないだろうか。

 獅乃は頭の回転が早く、観察眼が鋭い。古い家に生まれ育ったという事もあって、特殊な教育も受けている。

 異世界という異常な環境に突如連れて来られて今までは混乱し通しだったが、本来の状態に戻っていれば真っ先に思い至っていてもおかしくはない。

 ゾラとの力量の差は先日の事でハッキリと自覚しているだろう。

 自分達に何かが仕掛けられているとしたら、いまさら何か抵抗した所で意味をなさない。

 だが、真実を問わずにはいられなかったのだろう。

 だからこそ一人単身でゾラの元へと駆けていったのだ。


 獅乃が思い至ったであろう答えにたどり着いた彩峯は、これから向かわなければいけない場所にも考え至り、すぐさま方向転換して駆け出した。

 見当違いの方向へと向けていた足を動かし、獅乃とゾラがいるであろう場所へと走って行く。



 長い廊下を足早に駆けるその途中。

 彩峯はふと、昔の事を思い出した。

 旧家の現在の家長である獅乃の祖父。真面目一辺倒で、一度懐にいれた者には包み込む様な父性を発揮する凛々しい年配の男性が、一度だけ彩峯の前で煤けた背中を見せた事がある。

 その時の疲れ果てた顔と口調は、今も彩峯の記憶の中に焼きつく様に残っていた。

 彼は重たい口調、相手の心に刻み付ける様な声音で言った。


『人生には関われば後悔する物事も多々ある。もし遭遇してしまったら、何がなんでも回避する努力をなさい。無理なら………諦めなさい。』


「………。」


 なぜ今この時に思い出したのかと、彩峯は遠い目をして反省した。

 同時にその言葉を見聞きした場に、獅乃が一緒だった事まで思い出したのだ。

 まさかそんなと獅乃の行動に疑惑が発生したその時、彩峯はゾラが今日1日過ごすと口にしていた禁書庫、その手前の通常の書物が置かれた書庫へとたどり着いた。





「お前らやっぱりココか!無関係気取ろうとか、そうはさせねぇぞ!!」


 書庫へと洸哉たちが飛び込むと同時に、先頭に立つ洸哉が声をあげた。

 扉は開きっぱなしだったので駆けてくる足音まで耳には届いていた。

しかし耳には届いていようと、意識にまでは届かない。


「………!」


 大きな声に彩峯は一度ビクリと体を跳ねさせると、洸哉の方へと視線を向けた。だが何か会話する事なく、すぐさま視線を前へと戻す。


「…もどってる。」


 呟いた彩峯の言葉に反応する様に、斜め前にいた獅乃が立ち尽くしていた体を動かして後ろへと足を動かした。

 獅乃が動く事でその前にある光景が全員の目に映る。

 彩峯の呟きに誰も問いかけることはない。

 ただ全員が、そこにある光景に息を飲んだ。


「っ、ゾラ!どうしたんだ!?」

「「あっ!」」


 衝動のままにゾラへと駆け寄った洸哉に、彩峯と獅乃は同時に声をあげる。

 ゾラに触れていいのかという疑問が湧きだち、止めようと思ったのだ。

 二人の葛藤に気付かず洸哉はゾラへと近づくと、どこか荒々しくも気を遣う力加減でゾラの上半身を抱き上げた。


「…いったい、何があったんだ。」


 周囲を観察すると、ゾラの周辺に散らばるのは禁書庫から持ち出されたと思わしき陰気な雰囲気漂う蔵書の数々。おそらくゾラが大量に散らばるそれらを手に出てきた所で何事かがあったのだろう。

 共にいたはずのハグリルの姿を探せば、彼は禁書庫を出てすぐの壁にもたれかかる様に意識を失っていた。


「…ゎ、私が此処に来た時にはゾラくん?が倒れて?いたのぉ。何があったか知らないよぉ。」


 青い顔で言葉の端々に疑問符を混ぜて話す獅乃の様子に、洸哉は眉をしかめる。

 彩峯はその困惑する気持ちは分からなくもないと、同情的な視線を獅乃に向けた。


 洸哉たちが目にする時にはすでにに戻っていたが、獅乃が目にしたものは召喚直後に彩峯が目にしたものと同じ状態。のゾラだ。

 今までのゾラというを視覚理解していれば、取り乱すのも仕方がない事である。彩峯たちがいた世界には存在しない生物形態なのだから。


 獅乃と彩峯の動揺困惑が別の要因であると結論づけた洸哉は、辺りを警戒し始めた。


「…襲撃。いや、暗殺か?」


 力なくグニャリとしたままのゾラの体を、洸哉は目視で確認するがどこにも外傷がある様子はない。服には汚れも傷も見当たらなかった。

 薬でも盛られたのだろうかと小さく呟いていると、蚊帳の外に放って置かれていた面々が詰問する声があげる。


「神近くん!そちらの事より空船くんの容体はどうなんですか!?」

「あんた一人安心して、話を進めようとするんじゃないわよ!説明しなさい!」

「…ゾラ先輩、死んじゃうの?」

「ゾラは無事なんだろ?そうなんだろ?だったら早く此処から離れようぜ!危険が危ねぇかもだし!」


 深澄たちの言葉に洸哉はハッと驚き、慌てて容体を説明しようと口を開いた。


「悪い、ゾラの状態は――っ!」


 だが、その言葉は予期せぬ方向から止められる。


 洸哉の肩にズルリと手が置かれ、そして。


 相手の動きを目撃した深澄たちが、声を揃えて思いを口にした。



「「「「ヒィッ!」」」」



 別方向から見ていた獅乃と彩峯も声は出さないものの、同じ様に恐怖に固まる。

 まるでホラー映画のワンシーンを彷彿とする動きをとったのだ。何の構えもなくそんな動作を見せられれば、悲鳴の一つでもあげてしまうだろう。


「…意識が戻ったんだなゾラ。」


 唯一ソレを目視していなかった洸哉は安堵の声をあげた。

 しかし当のゾラは皆に声を返さない。


「………………。」


 起き上がりはしたものの、洸哉の肩に手を置いたまま顔を俯かせて無言の状態。


「どうしたんだ?やっぱり体調が良くないのか?………っ!?」


 心配してゾラの顔を覗き込んだ洸哉が、言葉の途中で体を強張らせる。

 彩峯の立つ方向からでも見えた。

 顔を俯かせ、そこに浮かぶ感情を隠す様に垂れる髪の毛の隙間から、ゾラの口が裂けるように弧を描くのを。


 驚きのあまりゾラを抱えた状態で顔を引かせた洸哉。

しかし洸哉の肩に置かれたままの手に力を込めながら、ゾラは低い声を発した。


「…もう、限界だ。」


 ゾラが放つ異様な空気に誰も反応できない状況。

 誰に構う事なくゾラはヌルリと立ち上がって、宣言する。




「僕は数日中…いや、三日後に城を出る。邪魔は、しないでね。」



 その言葉は妨害する者は許さないといった響きが込められていた。

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