1-30 やり直しの日常(夕暮)

 ――◆ side:海莉彩峯 ◆――



「…この世界では今、空前の土下座ブームでも到来してるのかな?」


 信じられないと思案気に呟かれたゾラの言葉に周囲にいた人間は皆、呆れた表情を浮かべる。


「俺は突然の土下座敢行した人間に、見飽きたからとフライング土下座を提案したお前が信じられないよ。」


 ため息をついて洸哉が言葉を返すが、その勢いに覇気がない。先ほどの戦闘訓練でのゾラとのやり合いに疲れがたまっているのだろう。

 本日最後の座学の時間。始めるまでの間、洸哉は少しでも体を休めようと机に突っ伏して体力を温存することにしたようである。


 彩峯はゾラへと視線をやって、少し前の戦闘訓練終わりで起こった出来事を思い返した。


 いつも通りのゾラもいる状態での戦闘訓練の風景。その終盤で行われた、皆のステータスカードの比較という見せ合い。

 なぜか出し渋るゾラからステータスカードを取り上げた事から小さな騒動に発展した。アイリア王女達と行った説明会でも、彩峯たち異世界組で行った話し合いの場でも語られなかった出来事がゾラの口から語られたのだ。

 彩峯たちもこれまで流出したゾラのやらかしてきた出来事に段々麻痺してきているのは自覚している。彩峯はゾラが別の世界から来た転移者であるという事を理解しているので、その麻痺し具合も顕著なものだ。

 事はゾラのお目付役である洸哉と、教師である深澄が説教をする形で収まった。


 しかし、まだゾラの行動に慣れていないこの世界の住人は違う。何度も驚かされていたガバリルアスですら何度も呆然として固まっていた。彼が慣れるにはまだまだ時間がかかるだろう。

 そして全くゾラの行動に耐性が無かったチャーリーはというと、ガバリルアス以上に動揺した姿を見せゾラに対抗するように驚くべき行動に出たのだ。

 チャーリーは洸哉と深澄の説教が終わって膨れっ面をするゾラへとステータスカードを返すと同時に、流れるような仕草で土下座を敢行した。

 それが冒頭でゾラが話題にあげた、土下座の話になる。



「ゾラくんのステータスの低さを知らなかったみたいなんだよ、チャーリーさん。」


 彩峯が胡乱な目で横目で見ていると、獅乃が小声で話しかけてきた。


「…あの場でそれを知ったからと言って、なぜ土下座することに繋がる?」


 同じく静かな口調で言葉を返す彩峯に、獅乃は訓練場のある方角に視線をやって、話を続ける。


「個人別の戦闘訓練の内容なんだけどねぇ?ゾラくんだけ取分けキツい訓練メニューを設定してたんだってぇ。」

「…ゾラは毎回私たちより先に訓練メニューこなしてたと記憶しているけど?」

「だから勘違いしてたんだろうね、ゾラくんは普通じゃないからぁ。」


 親友から齎された情報でチャーリーへ同情的な気持ちが湧くが、思わず土下座をしたくなる気持ちになる訓練メニューを課していたというに驚きを覚えた。

 自分の訓練メニューをこなす事すら大変な状態だったので、今まで他の人間の様子を見ることも出来ていなかった。その中で毎度真っ先を終了して見せていたゾラの訓練メニューを、低いステータスに見合った物凄く軽いものだと思っていたのだ。


「…でも普通、土下座する?ゾラ相手に?」

「それは私達が他よりも彼のこと知っているからだよぉ。ゾラくんを知らなければ、恨み辛みで逆襲されてもおかしくないと考えるのが普通だからねぇ。…むしろアレは、誰にも手を下さなかったことに関しての感謝の意味の土下座だったのかなぁ?」

「………感謝?」

「まぁもし意図的策略的にやったとしても、ゾラくんの事だから何かしらのしっぺ返し嫌がらせで相手を沈黙させて物事を荒立たせる事すらしないんだろうけどぉ。」

「………………。」


 眉間に皺を寄せて沈黙する彩峯に、クスクスと笑いながら獅乃は言う。その視線はいつの間にか遠くではなく、近くにいるゾラへと向けられていた。



「ねぇ、勉強会はまだ始めないの?」


 方々で自由に過ごす面々を頬杖ついて眺めていた実嶺が苛立たしげに声をあげる。

 普段なら全員集まってすぐに座学の授業を始めるだけに、今のような不自然な間は珍しい事だった。


「彼がアレに夢中の状態では始めることも難しいでしょうね。もう少し待つしかありません。」


 ため息をついて実嶺へと返す言葉。

 呆れた顔で深澄が視線を他所へと向けると、そこには熱心な顔で本と数枚の紙を見比べるハグリルの姿があった。彼の手元にあるのは先日どこからかゾラが持ってきた煌びやかな装飾の書物と、それを元に書き記されたメモ書きだ。


 ゾラとハグリルの間に何かしらの取引でもあったのか、まだ途中だけどと前置きをしてゾラが作成したメモ書きと共に書物をハグリルへと渡した直後、彩峯たちの授業も放り出して夢中で読み始めたのである。

 周りの声も聞こえぬほど集中するハグリルに皆あきれ返り、彩峯たちはそれを読み終わるのを待つしか出来なかった。声をかけても体を揺すっても、それらに意識をやったままの彼に何も手を打てなかったのである。


 彼が読み終わるのを待つ間、彩峯たちは会話や休息、書庫から持ち出してきた本を読んで時間を潰していた。

 しかしそれも我慢の限界に達しようとしている。


「ねぇちょっ――」

「…ハッ!講義も始めずこのままの状態って事は、本日は自習で仕方なしって事だよね!それなら僕は書庫へ行っても許されるのでは!?」


 我慢ならぬと声があげる前に、ゾラが突然立ち上がって声を発した。

 非難の声を上げようとしていた実嶺が出鼻を挫かれる形で沈黙する。


「んぁ?」


 ゾラの言葉に洸哉が突っ伏していた顔を上げるが、完全に顔が上がる前にゾラは動き始めた。


「大変!こうしちゃいられない!人生に時間は限られているからね!」

「ぇ?あっ!ちょっと、待ちなさい!!」


 体力の尽きて動作緩慢な洸哉が対応間に合わず、代わりに深澄が慌てて立ち上がる。

 しかし出遅れてしまった対応ではゾラは止まらない。スルリと深澄の手を逃れ、出口へと駆け出した。

 他の面々も慌ててゾラを止めようと動き出す。


「………へ?」


 気の抜けた声。その声をあげたのはゾラだった。


「え、あれ?いつの間?」

「何したんだ!?瞬間移動か!?」


 逃走図ろうとしていたゾラの行く手を阻んだのは、先程まで驚愕の集中力を発揮していたハグリル。何をしても微動だにしなかった彼が瞬時に移動し、扉の前に立ちはだかっていた。


「くっ、流石ハグリルさん。速さだけは天下一品のステータスを誇る。いっそメタリックなスライムの名を名乗ればいいんじゃないかな。」

「おいコラやめろ。何処ぞのゲームのファンを挑発するな。」


 未だに疲労で席を立ってすらいなかった洸哉が、弱々しくゾラへと注意する。

 何者も逃すまいと両腕を広げて立ちはだかるハグリルは、俯いていた顔をゆっくりと上げるとゾラの顔を穴が開くほど見つめた。


「ゾラ様。あなたの御慧眼、誠に感銘いたしました。宝物庫の奥深く眠りについていた、古の知識を書き記された書物。忘れられた知識の塊を発掘し、さらにその内容を解明するだなんて…私には成し得ない事でございます。」

「ん、ありがとう。ついでにそこを退いてくれると嬉しいかな。」


 熱い眼差しで見つめるハグリルをゾラは笑顔で切り捨てる。

 どうにか部屋を出ることは出来ないかとゾラの視線は動き続けているが、ハグリルの隙が見つからずに眉間に皺を寄せた。


「あれやこれやと持て囃されても、私はまだまだ未熟。一単語を抜き取ってもその様な解釈があったのかと驚かされました。私はまだまだ学ばなければいけない。」

「そっか。その気持ちは大事だよ。受け手側で満足して思考を止めた人間を僕は嫌悪するけど、向上心がある者は大好きだ。これからもお互い頑張ろう。」


 拳を握りしめて俯向くハグリルの側を、それじゃと自然な仕草でゾラは通り抜けようとする。

 しかし部屋を出る扉へと近づいてすぐに、ゾラの動きは止められた。


「学ぶためには私の頭は凝り固まってしまった。これからは他者との議論も入れて、より深く知識の追求をしなければいけません。」

「…ぇと、ハグリルさん。離してもらっていいかな?」


 ゾラの肩へと置かれたハグリルの手に力がこもる。


「私がさらに成長するためにはゾラ様の協力が不可欠なのです!」

「ちょっと、この人握力が大変なことになってるんだけど!ステータス無視は僕だけの特権だよ!?」

「そんな特権ねぇから。」


 ポカンとした顔で皆が二人のやり取りを見つめる中、ゾラの言葉に対るする全員の気持ちを代弁する様に洸哉が力無い突っ込みを入れた。

 誰もが動きを止めたままの中で、ハグリルはさらに熱く言葉を紡ぐ。


「さぁ!私の成長の為、さらなる真理への一歩の為に御協力をお願いしますゾラ様!」

「ヤダってば!僕は禁書庫に行くの!行かせてよ!」

「協力して頂ければ先程の交換条件以上の物を提供致しましょう!共に知識の深淵へと至る為に!!」

「!!?」


 扉の前で押し問答をしていたゾラがハグリルの言葉に動きを止めた。

 抵抗が無くなったことに気を良くしてハグリルはゾラの体を引きずり出す。部屋の外ではなく室内、教鞭をとるための場所へと。


「まず手始めとして私の語る知識について、ゾラ様のご見解とご意見をお願い致します。もちろん今日だけではなく、これからはその様に授業を致しましょう。」


 満面の笑みでハグリルが前へと出ると、ゾラを一番意見をしやすい場所へと促した。教鞭をとるハグリルのすぐそばの席だ。


「………共感するんじゃなかった。」


 肩を落として席についたゾラは、心の底から後悔した声音で静かに呟いた。






 教壇に立つハグリル、その近くに座るゾラ。

 やっとの事で座学の時間開始かと、皆は困惑しながらも各々席についた。


「では、本日最後の座学を始めます。今回は――」

「ねぇ僕、ハグリルさんのこと聞きたい。自己紹介してもらってないよ?」


 早速授業を始めようとしたハグリルの言葉が、直樹の発した言葉で止まる。

 そう言えば召喚されてから彼に座学を教わっているが、彩峯たちはハグリルに一方的に自己紹介をしただけで彼に返してもらっていなかった。名前を知ったのも、この騒動が終わってゾラが彼の名を口にしてからだ。

 座学の時間中は一方的に知識を語るだけ、始まり終わりの時間はハグリルが逃げる様に去ってしまうため会話することもできなかった。思い返せば、追いかけても捕まえられない移動速度はその頃から目にしていたものである。


「…その事に関しては申し訳なく思っております。」


 出鼻をくじかれた形ではあるが、ハグリルは意気揚々としていた雰囲気を引っ込めて申し訳なさを前面に出した態度を見せる。

 渋々席についていたゾラはハグリルの言葉を引き継ぐ様に話を続けた。


「ハグリルさんは外部の人間なんだ。王城にある書庫や禁書庫にある書物の閲覧許可を得ようと訪れた所に、サウマリア王女の王族命令が下されてなくなく従ってたんだよ。」

「命令とは言え皆さんへ教えるものは古い知識に限定され、法魔術も下位のものを口頭でのみ伝える様にと指示されていました。無理やり異世界から召喚された皆さまへ対する行いとしてはあってはならぬ行いです。」

「ハグリルさんの周辺にはいつも監視役が付いていた。彼の今後を考えると、いうことを聞く他ないよね。」

「…しかしそれで仕方がなかった、と納得する訳にはいきませんので。」


 苦笑を浮かべ合うゾラとハグリル。

 そこに浮かぶ感情は、その立場を思ってのものだろうか。何故か彩峯にはゾラの語る『今後の事』の内容が、ハグリルの生命に関する事ではなく王城の書物が読めるかという事の様に聞こえてしまう。

 周囲を見渡せば彩峯と同じ思いが過ぎったのか、彩峯同様の表情を浮かべる者がいた。


「外部の人って事はこの城の文官とかでは無いのよね。あなたって普段何してる人?職業とかあるんでしょ?」


 二人の表情に何も思うところが無かったのか、実嶺が別の疑問を浮かべる。


「私は学者、ステータスプレート上では『探求者』ですね。普段いろんな場所へ赴いて、気の向くままに旅しています。」

「彼は巷で結構有名な人だよ。知識の探求者として、新たな発見や語られなかった歴史なんかを書にまとめて世間に発表しているんだ。」


 今まで何気なく前にしていた相手が有名人だった事に、皆が一様に驚いた。

 話を聞いていた隼嗣が感心した顔で口を挟む。


「へー、すごい人だったんだな。ゾラが呼んではいたけど、本名はどんなんだ?」

「ハグリル=はぐ◯メタル。」

「おいコラ!勝手に家名を付けるんじゃねぇ!」

「私に家名はありませんでしたが、ゾラ様が仰るのならば今日からそう名乗りましょう!」

「貴方も拒否してください!?」


 ゾラの真実を語る様に吐かれた嘘の言葉に、洸哉が勢いよく注意する。

 しかし嘘の情報を語られたハグリルの肯定する言葉に、深澄が動揺を覚えた。ゾラとハグリルの力関係がおかしくなっている事に戦慄を覚える。


「随分と仲が良いみたいだけどぉ、ゾラくんとはいつ分かり合ったのぉ?同じ穴の狢っていう同族の直感みたいなものでもあったぁ?」


 ゾラが城を出るまでは彼らの関係もここまで砕けたものでは無かった。こうなったのは合流してから、騒動が終わってからだ。その間に何があったのか。

 獅乃の言葉に皆の視線がハグリルの方へと向かう。


「ゾラ様と交流が出来たのは…えぇっと………。」

「僕がこっそりと書庫へと忍び込んだ時に何度か顔を合わせてたんだよ。」


 ハグリルの言葉を奪う様にゾラが口を挟んだ。

 笑みを濃くして言うその姿に、彩峯は何か別のことを隠したのではと勘繰ってしまう。


「はぁ?何度かって、お前が俺たちと一緒にいた時はそんな暇なかったよな?…別れてから忍び込んでたのか!?」

「甘いね、別行動する前からだよ。毎日の様に入り浸ってたけど何か?」

「朝から晩まで常に一緒だったでしょう!いつそんな暇があったと言うのですか!?」

「どれだけ睡眠削っても僕は元気に生きていけるから問題ない!」

「問題あるから!生物としての本質を容易く無視すんのやめろ!?」


 言い募る深澄と洸哉にゾラは悪ぶれる事もなく、二人から視線を外してハグリルへと向ける。


「些細な問題は無視して、本題の座学を始めようよ。さーて、今日の座学のテーマは何かな?」

「~~っ!…くそっ、色々追求したいが言いくるめられる未来しか見えねぇ。」

「…説教しても行動改めないでしょうね。」


 悔し気な顔で洸哉は机に拳を叩きつけて舌打ちし、深澄もため息ついて席に着き、前を向いた。



 ――別行動、城の外れ、血跡のついた本。


「っ!?」


 彩峯の耳元で突然声が届く。

 慌てて背後へと振り返るが、そこには何者の姿もなかった。

 ゾラへ注意喚起するために夢枕で出てきた、あの時の声。一瞬で聞き覚えある声の正体に辿り着いた彩峯は顔を真っ青にする。


「………ここ異世界まで、ついて来た?」


 視線を彷徨わせながら彩峯は呟くが、声の正体の姿は見えもしない。聞き覚えがあるとはいえ、姿を確認したことは無いので見えていても気がついていないのかもしれない。

 しかし今まで見て来たアレらは見えても追いかけて来たことは無いのにと、必死に気を落ち着けながら彩峯は体を前へ向ける。今声の主を探しても何も出来ない。


「彩峯ちゃん?どうかしたの?」


 突然挙動不審になった親友を心配して、獅乃が彩峯には話しかける。


「…大丈夫。後で話すから。」


 軽く深呼吸して答える彩峯に、少しの間を持って獅乃は頷きを返した。

 どう見てもおかしな態度を取っていると言うのに今この場で問い質さない獅乃に感謝して、彩峯は下げていた頭を上げる。


 そして、息を詰めた。


 彩峯の方をジッと見つめる目。

 教壇に立つハグリルの、すぐ近くに座るゾラだ。

 すぐに彼の視線は外されたが、ゾラは確かに彩峯に声を掛けた何かが居た場所を見つめていた。それはそこに何かが居たのだと、理解させられる視線。


「………。」


 声に出さぬ様に、態度に出さない様に気をつけているが、彩峯は混乱していた。

 なぜ異世界にまでアレがついて来たのか、なぜゾラが自分の側に居たであろうを見つめていたのか。

 他にも色々な疑問が頭を過るが、彩峯の中には一番根強く残ったモノがあった。



 何故、ゾラが隠したであろう行動のヒントを霊が伝えて来た?

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