1-27 やり直しの日常(朝)

 アイリア達との状況確認、異世界組との話し合いが一通り終わった時には日も落ちてしまったため、その後は全員食事をとって休むことになった。


 次の日も騒動後の後処理が終わらなかったため何時もの勉強訓練生活を送るわけには行かず、異世界に来てから初めての何も予定のない休日を送ることになる。

 ただ、自由時間を得たからといって異世界組の面々は散開して行動する事はせず纏まって動いていた。後処理が終わり、確約書を作られるまでは安心できないという理由からだ。


 突然できた休日に異世界組がした事は、城内にある書庫での自習勉強である。病的なほどに本好きなゾラが大人しくしていて、監視しながら自主勉強もできるという理由である。そこ以外、時間を潰す場所が無かったという理由もある。

 今までは口頭で座学の勉強をしていたのでこの世界の文字を読めるのかという疑問もあったが、本の背表紙を見てすぐ翻訳できた事から無用の心配であった。召喚されてから此の方、この世界の人間と普通に会話できていた事からも何も心配する要素はなかったのだろう。


 ゾラが大人しく本を読んだまま、という事はなく少し席を外して洸哉たちが慌てる事もあったが、短時間で戻ってきたので訝しげな目を向けるものの大して騒動も起こらなかった。戻ってきた時にゾラの手にあった煌びやかな装飾の書物に関しては、誰も踏み込んだ言葉をかける勇気もなく。


 そして自主勉強の日も終わり、城内の事は落ち着いたという事で今までの勉強訓練生活が形を少し変えて始まる。





 ――◆ side:神近洸哉 ◆――



「それじゃあ、ゾラ先生の楽しい授業がはーじまーるよー。」


 朝食後、今まで通り異世界組専用と化した棟で、食堂の一角を使っての座学の時間。

 長机に洸哉たちが座り、その正面に机を一つ置いてスライムを頭の上に乗せたゾラが立つ。

ゾラの後ろには新たに黒板がわりの板が設置されていた。元いた世界にあったような教室風景を再現している。

 しかし、すでに幾つも突っ込みどころがあった。


「…なぁ、ゾラ。その黒板にデカデカと書かれた文字についてはツッコんでいいんだよな?」

「コレは今の僕の心を表した純粋かつ、ありありとした本音を投影したものです。他にも表す文字は色々ありますが、この一言に勝る言葉はないと思われます。」


 教師らしく硬い口調で洸哉の呟きに答えるゾラ。しかしその背後に書かれた文字が、雰囲気を台無しにしている。

 ゾラの背後にはデカデカとした文字で『自習』と書かれていた。


「…空船くん、何故この人が私の横に座っているんですか?彼は教える側の人間ですよね。」

「彼、ハグリルさんは生粋の学者。常に学び、常に研究し、世界の深淵へと挑む人間です。異世界から来た人間が何を知って、どの様に解釈をしたのかを知るために僕が教鞭をとる姿を見たいという事でこの場に同席することになりました。」


 今までの異世界組の座学の時間を受け持っていた学者風の男。今までの話し掛けても怯える様に逃げ回っていたため名前も知らなかったが、ハグリルという名前らしい。

 ハグリルは深澄の横へと腰掛けて、眼光鋭い眼差しでゾラへと向き合っていた。ハグリルの前にはゾラの言葉を聞き逃さぬ様にと筆記具が用意され、今日まで見せていた怯える様子もなくドッシリと構えている。


「…ゾラくんの手元にあるそれは何かなぁ。如何にも呪われてそうなシミが見えるんだけどぉ?」

「コレは知識交流の意味合いも込めて、ハグリルさんが持って来てくれた書物です。一方的に学ぶという姿勢は嫌だということで僕に提供してくれました。決して買収されたわけではありません。」

「…どう見ても買収されてる。」


 ゾラの手元にある提供された書物。

 数冊の手作り薄手のノートに見えるが、横から見てもその側面に赤黒いシミが見える。少し座高を上にしてノートの表紙を覗き見ると、そこには無地ではあるものの掌を擦りつけた様な赤黒い筋が見て取れた。何かしらの怨念が込められていてもおかしくはないだろう代物だ。


 しかしそれを提供されたゾラの顔色はというと、ヤル気の満ち溢れた表情をしている。昨日までの顰め面はどこへ行ったのかという状態だ。

 もう何も言うまいと洸哉たちは口を閉ざす事にした。


「それでは授業を始めます。今日の授業は本来この世界の人間には知り得ぬ知識を………異世界とこの世界との相違点、今までの授業とは被らない様な内容を講義しようと思います。」

「「「「「「………。」」」」」」


 明らかにどう言う内容で買収されたのかを漏らしたが、洸哉たちは何か言いたくなる気持ちを苦労して押し留める。

 唯一純粋な瞳を向けるのは直樹だけだ。


「ゾラ先輩、そういてん?違うところって事だよね。僕たちの世界とこの世界の違いって事は、魔法についてって事?」

「関連はあるけど、僕としてのテーマは『人体』だね。」

「…体幹が違うということですか?見た限り違いがある様には見えませんが。」


 不躾ではあるが深澄は横に座るハグリルの身体に視線をやった。真剣な表情で前を向くハグリルの姿を上から下まで見やるが、何処にも自分たちとの差異を見つけられない。

 ゾラは深澄が首を傾げる様子を見て黒板の文字を消すと、そこに新たに人体の簡易図を描きだす。


「本来人体とは芯となる骨があり、内臓があり、それを包み込む様に筋肉や保護する贅肉、皮がある。これらを駆使して人は人としての活動を行なっているんだ。」

「詳細を省くとそんなもんだよねぇ。」

「僕達の世界ではこれで人体構造は完結しているんだけど、この世界では違う。異なる要素が存在しているよね。」

「魔法やステータスのことか?」


 洸哉の言葉にゾラは静かに首を縦に振る。


「厳密にいうと魔術や法術を使うための素、ステータスを構成するための素、レベルを上げるための素によるアチラの世界とは異なる要素があるんだ。」

「そちらに関しては最近発見され、命名されました。名を『法魔素』と。」


 突然口を挟んだハグリルの言葉に、洸哉たちは目を見開く。この男がここまでハッキリとした声音で話したのは初めての事だったのだ。

 洸哉たちとは違ってゾラは驚く事もせず、講義をつづける。


「この世界の生き物は母体や卵の中、赤子の間に周囲の微量な法魔素を取り込み、ステータスを向上して安定化させる。安定化した後は他の生物から法魔素を吸収してレベルを上げて、過酷なこの世界を生き抜くだけの力を身につけているんだ。法術や魔術が使えるのは、その人体に吸収した法魔素を利用したものだね。」

「んぁ?空気中にあるものを利用しているとかじゃないのか?」


 気の抜ける声で言われた隼嗣の疑問に、ゾラは苦笑を浮かべた。


世界によっては空気中に特殊な何か魔力や精霊が飛び交ってる事もあるけど、この世界ではそういう要素がない。基本となる世界構造が違うんだ。」

「世界構造ですか!」


 ハグリルが興奮気味の声をあげて腰を上げる。

 洸哉たちはその様子に引き攣った顔をするが、ゾラは静かに手で制した。


「法魔素は常に空間に満ちているわけじゃない。神様が天高くではなく地下深くにいた事からも察せる通り、発生源は地下深くに位置してる。」

「…神様が素となる物を放出している?」

「転換期かもしれないから今現在は、という注釈が必要だけどね。神様がいる様な地下深くで法魔素が発生し、ダンジョンを経由してモンスターが吸収して地上へ移動。地上で他の生物の生存戦争を起こってさらに別の生物が吸収、そして吸収した生物が死亡する事で上空地上海中の空間中に拡散する。最後は拡散した法魔素が下へと落ちて大地に吸収、地下深くへと戻る。それがこの世界の構造だよ。」

「イメージ的に星全体が呼吸している感じかしら。」

「法魔素自体が舞い上がり易く、空気より重いからこそ成り立つ仕組みだね。」


 異世界組は難しい顔で必死に理解しようとしているが、ハグリルは目を輝かせて話を聞き入っている。


「地上へはダンジョン内で生まれ育ったモンスターが運ぶとして…生物から生物へ、空間中に拡散する等はどうやって行われているんですか?」

「生物は体内に法魔素を一定量持っている。普段の呼吸でも体内の法魔素が出入りしているんだけど、それを持つ生物自体が弱っているとより顕著に法魔素が体外へと流出してしまうんだ。呼気から、傷口からいろんな場所から出てきてしまう。それを近くにいる生物が吸収する事で拡散するんだよ。」

「どれだけその生物が法魔素を吸収したか、その目安になるのがレベルって考えでいいのぉ?」

「その通り。つまりこの構造上レベルは一定値を常に保つ事は出来ないものなんだよ。レベルを上げることによりステータスを上げる事が出来るが、レベルが変動するからその強さすら一定に保っている事も出来ない。」


 その説明で一同はなるほど、と一息をついた。


「だが、それはこの世界の生物の話だろう?なんで俺達にもそれと同じ事が適用されているんだ?」


 召喚されたときに配られたステータスプレート。そこに表示されていた自分のステータスを思い出しながら洸哉は問いかける。


「そんなの適用されてないと、この世界では生きていけないからに決まってるじゃないか。こっちに召喚されてすぐ、色々な人神様ら達が手を貸してくれたんだよ。向こうと同じ人体構造で生きて行けるとでも思ったの?」

「うわマジか!神様、様々だな!…土下座しようとしてたけど。」

「土下座の女神様、ありがとー。」


 ゾラの言葉でダンジョン地下であった人神の姿を思い返すが、皆がその時の行動も思い出して困惑の表情を浮かべた。純粋に感謝の言葉を口に出来たのは直樹だけだ。


「では何故、神様が同じ様に手を貸してくれたというのに空船くんだけ体質による違いというものが発生したんでしょうか。」

「一緒に召喚されたからといって差異が出ない、という事は有り得ないよ。僕以外の人は問題なくこの世界に適用ことが出来たけど、僕はそうでは無かった。それだけの事。」


 深澄と洸哉は納得がいかないという顔をするが、ゾラが別世界から来た存在だと知る彩峯と獅乃は何とも言えない表情をする。


「でもゾラは何時、自分が体質違いで色々制限があるとか分かったんだ?俺らと一緒にダンジョン行った時には気が付いてたんだよな?」


 隼嗣の疑問は最もで、ゾラは皆でダンジョンへ行くその時まで朝から晩まで一人になる事など無いに等しかった。一人になったとしても風呂やトイレなどの僅かな時間だけだろう。

 同じ疑問が生じた異世界組の面々が首を傾げると、ゾラは呆れた表情を浮かべた。


「あのねぇ、どこの世界でも普段とは違う場所へ行ったら取るべき行動っていうものがあるんだよ?自主的であろうがなかろうが、現地に着けば一番に自身の体調とどれだけの事が出来るのか行動がとれるかを確認しなければいけない。次にその場の環境と周辺に危険があるかの地理の確認。次いで近辺にいる生物の有無とその危険度の確認。」

「…そこまで周到な確認要項は聞いたことがありませんが?」

「そこは情報満ちる安全な国に生きる障害とも言えるかもね。何にせよ情報の全く無い未知の場所にきてしまったのだから、生存するためにも基礎の部分から疑ってかからなければいけなかったんだよ。」

「…うへぇ。」


 この中で一番異世界に浮かれて周辺の確認を怠っていた隼嗣が、心底面倒臭そうな声を漏らす。

 聞いたこともないゾラの論法を聞かされた深澄は、眉を顰めながらも今回はそれが必要だったのだと納得した。


「ゾラくんはその確認をキッチリと行なっていたからこそ、一人変則的な行動をしていたんだねぇ。ダンジョンでの戦闘も後方へと回っていることが多かったもんねぇ。」

「あの時はまだ確信を得ていない状態だったね。何と無くこうしてはいけない、これは出来ないぐらいの不確定な状態。念の為に敵のトドメを刺す瞬間は間に誰かを挟んで後方へと下がっていたんだけど、結果的にそれで正解だった様だよ。ハッキリとした確信を得たのは皆と別れて、人神様に会いに行った時だね。」

「…あの時のフザケタ行動は、意味があった!?」

「…心底驚いたって顔をしないでくれるかな彩峯さん。」


 隠す事なく目を見開く彩峯に、ゾラは頬を膨らませて不満を表す。

 しかし理由を説明されなければあの時の行動は誰が見てもふざけたモノにしか見えなかっただろう。

 ゾラは頭を横に振って溜息一つ吐くと、締めだとばかりに言葉を発した。


「少し話が脱線してしまった気がするけど、向こうとこっちでの人体の違いってのは分かってもらえたかな?」

「ゾラー、俺らが魔法を使えるかどうかについては無いのかー?」

「僕も魔法つかいたーい!」


 その話が重要だとばかりに隼嗣が挙手して発言する。

 追従する様に直樹が元気よく挙手して続いた。


「その話については僕ではなくハグリルさんに聞いてください!質問がないのであれば、以上で授業を終了します!僕は禁書庫にこもるので探さないで下さい!」

「ダメに決まってるだろ!」

「ダメに決まってるでしょ!」


 机に置いていた提供された怪しげなノートを手に持ったゾラは終了を宣言する。

 流れる様に告げられたゾラの逃走を示唆する言葉は、直後に発せられた洸哉と深澄の言葉によって即座に止められてしまった。

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