異世界召喚と

1-01 日常と異変

 ――◆ side:空船ゾラ ◆――



 知恵の実とはどこにでも転がっている。


 生物というものを樹木とすると、そこから生まれ出した知恵は果実である。

 生まれ落ちた果実は様々な形をとる。一つの製品、一つの部品、一つの点に至っても果実の一種とも言えるだろう。

 酸いも甘いも大も小もすべて等しく知恵の実であり、尊きものである。


「…はぅ。」


 そう思えるからこそ、今この手にある書物に対して尊く愛しいという気持ちが溢れるのだろう。


 後世の若木を育てるために作られた書物。

 その多岐にわたる数々全てが狂おしいまでに愛しいがために、思わず溜息も漏れ出てしまうのだ。






「こら!まだ教室にいたのかゾラ!」


 声と共にのめり込む様に読んでいた本を取り上げられた。

 空船ゾラカラブネ ゾラは反射的に顰め面をしつつ顔を上げると、そこには眉間に皺を寄せる黒髪短髪のクラスメイトの顔。


「…なにすんのさ、お笑い芸人。」

「っ、それお前のせいで言われ始めたんだからな!?芸人志望した事もないし、考えた事もねぇから!!」


 いつもと同じ切り返しに少し気を良くして、不満気な表情をおさめた。


 このクラスで一番よく対話する相手とあって、このしょうもないやりとりもゾラは結構好ましく思って居る。大概このクラスメイト、神近洸哉カミチカ コウヤの方が一方的に絡んでくるだけ間柄だったりするのだが。

 それなりに顔も体格もよく社交性もあるこの男が、自己中心的に動き回る自分に絡んでくる意義があるのだろうかとゾラとしても不思議に思う所である。


「分かってるよ?ただ素直に自分の夢を口にできないだけなんだよね?僕は分かってる。キチンと理解しているから、早くそれ返して?」


 仕方ないなぁと首を横に振りながら掌を上に向けて催促。少し伸びたゾラの黒髪がその動きでサラサラと揺れる。


 相手を苛つかせる様なゾラの態度にさらに何か言い募ろうとする動きをグッとこらえて、洸哉は取り上げた本をパラパラと捲って体の向きを変えた。


「~~~っ!……はぁ、お前また小難しい本を読んでんだな。頭痛くなんねぇ?」


 眉間にしわを寄せて嫌そうな顔をする洸哉からスルリと本を取り返し、その言葉を鼻で笑う。


「この叡智の塊に対して頭痛くなるなんて、心踊って体が熱くなるの間違いじゃないの?」


 乱暴に引っ張られた本に傷がないか軽く確認するゾラを横目に見ながら、洸哉の口からは呻き声に似たうわぁという言葉しか返せなかった。


「あー…そんな事よりお前、正門の所で集合だって行ったよな!なんでまだ教室にいるんだよ!」

「? そこに本があるから?」


 仕切り直そうとする洸哉の言葉も、即座にゾラによって停止を余儀なくされる。

 本気で言っている様なその顔を見て、自分が伝え忘れたのかと頭を傾げていると開け放たれたままの教室のドアから複数の人影が入ってきた。


「洸哉く〜ん、ゾラくん見つかっ…あらぁ。」


 間延びした声でドアを潜ってきた華柳獅乃ハナヤナギ シノは、二人の姿を見つけると同時にその場で立ち止まった。困った子を見つけたかの様に頬に手をやって顔を傾けると、少し茶色がかった波打つ髪がさらりと揺れる。


「新刊貸出して図書室から追い出しといたって図書委員の子が言ってたけど…いたわね。」


 背の高い獅乃の横から上半身を傾け、高い位置でまとめた黒髪のポニーテールを揺らして高円寺実嶺コウエンジ ミレイが顔を出した。


「……いたね。」


 前で立ち止まる二人の脇を潜り抜けて海莉彩峯カイリ アヤネが中を確認すると、溜息をついて切りそろえられた黒髪を左右に揺らす。


「お〜い、お前ら俺を置いてくなよぉ〜、っと。」


 短髪を逆立てた頭をわずかに下に下げて三人についてきた鳴宮隼嗣ナルミヤ ハヤツグの隣を押しのける様に小柄な人影が潜り抜けた。


「ゾラ先輩、何してるの!早く帰って作戦会議しようよ!早く、早く!」

「あ!コラ、直輝!」


 一直線に駆け寄ってきた小柄な人影、高円寺直輝コウエンジ ナオキは急かす様にゾラの腕を引く。

 ガクガクと身体を揺らされながら、この場では見ないはずのその姿にゾラは首を傾げた。


「あれ?直輝くん校舎に入ってきて良いの?中学生だったよね?」


 慌てて直輝を止めようと姉の実嶺が駆け寄り、ゾラの疑問の言葉に顔をしかめる。


「門前で待たせようとしたんだけど…言っても聞かなくて…」


 深い溜息をつく実嶺の様子に外で大騒ぎでもしたんだろうかとゾラは想像するが、当の本人である直輝の顔は悪びれている様相もない。


「えー、だって…スティーヴンさんは学校に忍び込んでこそ青春を謳歌できるんだって言ってたよ?意味はよく分からないけど。」

「お願いだから、あのダメ大学生の言葉を鵜呑みにしないで…」


 さらに深い溜息を吐く実嶺の姿にゾラは苦笑を浮かべる。


 直輝の言うスティーヴンというのは、一年前の校外学習の時に宿泊施設でハッチャケていた主人の息子さんのこと。本名は材木坂弥太郎ザイモクザカ ヤタロウというのだが、本人はその名前がダサくて嫌だと頻りに自分のことはスティーヴンと呼べと叫ぶ残念な大学生だ。


「まだあの人と交流あったんだ。僕はあれ以来、顔は合わせてないけど皆はどこかで会ってたの?」


 ゾラの言葉に隼嗣と直輝以外の者は眉を顰めて首を横に振った。一部の人間だけ交流があるということなのだろう。


「俺は兄貴とはメル友だし、たまに会って語り合ってるぜ?直輝もたまに会うんだよなー。」

「お爺ちゃんの家に行く時にたまに会うんだ〜。知り合いの家があの辺にあるんだって。」


 隼嗣は上げなくてもいい手を上げて答え、直輝は笑みを浮かべて嬉しそうに話す。実嶺はその様子を複雑な顔で見つめていた。不可抗力とはいえ自分のせいで本来知り合うはずのなかった二人が知り合ってしまったため、本心ではあまり関わって欲しくないのだろう。


「まぁダメな年上の話はそこまでにして…誰かゾラに今日の集まりのこと言ったか?」


 結局自分が伝えたかどうか思い出せなかったのか、洸哉が全員に問いかけると其々目をパチクリとしたり首を傾げたりして言葉を返した。


「昨日ちゃんと伝えたわよ?…何だかボンヤリしてたけど。」

「…私もその場にいた。聞いてるのかちゃんと問いかけたら返事していた。」

「私はぁ、二人が伝えただろうと思ったけど念の為に今朝伝えたねぇ。本片手にニコニコしてるところにぃ。」

「あ、俺言い忘れたと思って昼休みに行っといたぞ。本に夢中だったけどな。」

「ぼ、僕高校生じゃないから言うタイミングが無いよ!」


 自分だけ何も言うことがなくて焦ったのか態々言わなくても分かることを報告する直輝の頭に頭を撫でながら、洸哉はゾラを睨みつける。


「お前…俺が言ってようが言ってまいが、何度も声掛けられてんじゃねぇか!」


 怒鳴る洸哉に縮こまる事なく、ゾラは目を伏せる。


「やれやれ、たとえ何度も声掛けられようとも本人の耳に入ってなければ意味はないんだよ?」

「いい加減、本ばかりじゃなくて周りにも目を向けろ!この本の虫!!」


 仕方ないなぁとばかりに首を横に降るゾラの態度に洸哉は手近にあった小さめな本を手に取り、ゾラの頭目掛けて振り落とした。小気味のいい音が鳴り、ゾラが呻き声を上げた。


「酷いよ!本を大事にしない人間は呪われるんだよ!?主に僕に!!」

「著者じゃなくてお前にかよ!そもそも話しを聞いてなかったお前が悪いんだろ!?まったく!」


 まだブツクサ言うゾラに呆れて洸哉が手に持っていた本を机に置くと、その本を見た隼嗣が声をあげる。


「ぁあ!その本、俺が図書室にリクエストしてたやつじゃねぇか!何でゾラが一番に借りてんだよ!!」


 唸り声まであげる隼嗣に、ゾラは不満げな顔を消してニンマリとした顔で胸を張った。


「僕は毎日図書室に通ってるからね。当日に入庫した本を一番に借りる事ができるのさ。」

「お前小難しい本専門じゃなかったのかよ〜。これラノベだぞ?夢ロマン溢れる物語だぞ?」


「いつ僕が実技書や歴史書専門だと思っていたんだい?僕は其処に人の知恵を感じたら何にでも興味を持つんだぜ?そう、例えばこの勇者召喚モノ、弱者からの成り上がり、仲間に裏切られて、神々に助けられ、大元の敵だと思われる召喚国の王を倒して一件落着かと思いきや、本当の敵はその世界の神で――」

「うわああぁぁぁ!?お前ネタバレすんなよ!面白味が減っちまうだろうがよぉ!!」


 ショックで崩れ落ち机に膝をついた隼嗣に呆れて溜息をつき、洸哉はニヤニヤとその様子を眺めているゾラの頭に手刀を落とした。


「いたっ!」

「いい加減にしろ、ったく。」


 口をへの字に曲げて頭を抑えるゾラの姿に、今日もいい様に弄ばれているなぁと洸哉は頭を抱えてしまう。


 あの妙な体験から約一年。あの時の校外学習の下見メンバーは面白い様に同じクラスになり、隼嗣の声掛け中心に交流が続いている。


 あの時の白昼夢だったのか異世界転移だったのかは答えも出ず、小一時間程度で元の景色に戻り宿泊施設もゾラ達も被害無く事なきを得た。宿泊施設の辺り彼処にスティーヴンが描いた魔法陣は残っていたものの光を放っておらず、全員で何とも言えない空気を作り出したものだ。

 その後、所用で外出していた宿泊施設の主人が帰宅。スティーヴンが大騒ぎしたところ、宿泊施設内外への魔法陣と言う名の落書きを知り主人が大激怒。スティーヴンへの説教が開始され、それを尻目に僕たちは帰宅解散したのだ。

 後日行われた校外学習本番では何も問題は起こらず、無事終了する事ができた。施設内の壁に真新しいペンキが塗られた跡や、敷物が増えていたのが妙に印象に残っていたりもする。スティーヴンの姿は見かけなかったが、裏で色々頑張っていたのであろう。自業自得ではあるが。



「こら、あなたたち!まだ校内に残っていたの!?早く帰宅しなさい!」



 騒がしくしていたが気がつけば陽も傾き、三階であるこの教室には夕日が差し込んでいる。下校の時刻となり居残りがいないか教員が見回りを始めていた。


 声に驚き実嶺は校内にいてはいけない直輝を慌てて背後へと隠し、対照的に隼嗣は弾かれた様に笑みを浮かべて声の主の方へと駆け寄る。


「おっ、深澄先生が今日の見回りっすか?奇遇っすね。」

「本当ぉ。期せずしてあの時のメンバーが集まった感じだねぇ。」


 長い黒髪を横でまとめた見回り教師の女性、真藤深澄シンドウ ミスミは校外学習の下見の時ゾラ達を引率していた教員だった。去年度はクラスを受け持っていなかったのだが今はそうではない。今年度はゾラ達のクラスを担当になったので接点としては多いにあるのだが、去年の関係者だけでという機会は今この時までなかった。


 なぜ機会が訪れなかったのかは、今声をかけた生徒達の顔を見て渋顔をした深澄の顔を見れば一目瞭然だろう。あから様に、と言うわけではないが実に嫌そうな顔である。


「…奇遇とか言う話じゃありません!早く帰——」

「先生も異世界転移した人!?ねぇねぇ先生のお話も聞かせて!」

「あっこら!直輝!」


 手で額を抑えて再度帰宅を促そうとした深澄の声を遮り、実嶺の後ろに隠れていた直輝が制止の声も聞かず飛び出した。

 深澄に纏わりつこうとする弟を止めようと実嶺がその後を追い、あらあらぁと口にしながら獅乃が続いた。


「な、なんでその話を!?って、なぜうちの生徒ではない子が此処にいるんですか!」


 一瞬狼狽の表情を浮かべたが、すぐに持ち直してキリッとした瞳で直輝の肩を抑えた実嶺を見据える。


「…私の弟です。直ぐに外に出させます。すみませんでした。」


 縮こまって謝る実嶺の姿に、誤魔化す様に怒鳴ってしまった深澄は狼狽える。

 このまま放っておけば責任感の強い実嶺は泣き出してしまうのではないかという空気に、洸哉はため息一つ吐いて動いた。彩峯もゾラをチラリと横目に見て後に続く。


「深澄先生、すいません。ちょっとした集りにゾラが遅れたもんで、皆で呼びに来たんですよ。もう見つけたんで直ぐに出て行きますね。」

「わ、わかってくれればいいのよ。」


 洸哉の一声にホッとした顔をして深澄は安堵の声をあげた。

 そのまま解散となる空気に、隼嗣が突然思いついた顔で口を開く。


「なぁ深澄先生!俺たち夏休みに去年校外学習で行った山に行こうって話してたんだけど、深澄先生も行かねぇ?ってか行こう!」

「…隼嗣、まだ諦めてなかったの?」


 詰め寄る隼嗣の言葉に深澄はギョッとした顔をする。

 この夏休みの計画に高校教師である深澄を誘うというのは難しかろうと早々に却下となったのだが、全員でという気持ちを持っていた隼嗣は諦めていなかったのだろう。

 期待を込めた瞳で深澄を見つめる隼嗣に、彩峯が呆れた声を上げた。


「あなた達、またあんな所に行こうとか考えていたの!?やめなさい、危ないでしょ!行くのは中止しなさい!!」

「えーなんでなんで?僕行きたいの!みんなが行った山行きたいのー!」

「ダメです!ただでさえ郊外に子供だけで行くのは危ないのに、子供だけでなんて——」






 直輝と深澄の攻防の声を聞きながら、ゾラはのんびりと帰り支度をする。と言っても、机の上に積んだ数冊の本をカバンに詰めるだけなのだが。


「おっと………?」


 少し手を滑らせて本を一冊床に落としそうになった所、床に浮かんだそれが目に入った。


 それは暗い木目調の床にゆっくり浮かび上がるように黒字のラインをひき、ゾラの周囲を囲むように動く。

 円が繋がると今度はその中に模様を描き始め、それがスティーヴンも嬉々として描いていた魔法陣と類似したモノだと気付かされた。



「っ!?」



 完全に魔法陣が描き上がる前にゾラは荷造りしていたカバンをそのままにその場を飛び退き、机をいくつか挟んだ位置へと移動する。

 教室の出入り口近くでゾラを横目に見ていた彩峯が驚きの表情を浮かべていたが、急に机を飛び越える同級生の姿を見ればそんな顔を浮かべるのも仕方ないだろう。


 ゾラは周りの様子を手早く視線を動かして確認すると、今度は油断なく魔法陣の動きを観察する。

 何かが起こる前に対象がその場から退避したのだから不発に終わって欲しいとは思うが、そう上手くはことが動かなかった。


 魔法陣は完成し、わずかに明滅を繰り返すが消滅はしない。数秒その場にいたのち、緩々と移動を開始した。それは対象を探すように緩やかに。


 軽く舌打ちして、ゾラは動き出す。

 少し離れた位置で未だ驚きの表情を浮かべる彩峯を掴み、そのまま教室の出入り口で話し込む深澄達の方へ投げるように引っ張る。


「きゃっ!」

「うわっ!」

「なんですぅ!?」

「いたっ!」

「いてぇ!」

「わぁ!」

「なんなの!?」


 彩峯を動かした直後にゾラが教室から押し出すように体当りしたせいで、状況がわかっていない深澄達は痛みに短い悲鳴をあげた。

 文句は後で受け付けようと心に留め置き、全員が教室から一歩外へ出たのを確認する。


 そして、未だ教室の中央を彷徨う魔法陣の方へ目を——



「「「「「「「「!?」」」」」」」」



 突如周囲一帯が光に包まれた。


 全員が声も挙げられず驚愕に目を見開く中、光はゾラ達を中心に収縮し地面に円を描く。そして教室に浮かんだ魔法陣と似た絵柄へと変化すると、今度は上下へと眩い光を放った。


 教室にあった魔法陣が出入り口の方へと移動するのをゾラは知覚する。


 自身の下に魔法陣が移動したのを光に眩んだ目で見た直後、ゾラの体からごっそりと力が抜き取られる感覚。


 不快な感覚に抵抗することができず、そのまま意識は遠のいていった。

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