濡れている人

柴山 岬

濡れている人

 その日は暑くて、高校生だったわたしは薄いタオルケットを一枚掛けて二段ベッドの下で昼寝をしていました。目を瞑っても眩しいほどお天気が良かったのを覚えています。家族は外出していて、家にはわたし一人しかいませんでした。

 脱力し、そろそろ深い眠りに落ちそうだというとき、ふいにブーンという耳鳴りがして体の自由が奪われる気持ちの悪い感覚が襲ってきました。金縛りです。

 この頃わたしはバドミントン部に所属していて連日の練習に体は疲れ、時折金縛りにあっていました。金縛りというと霊的なものを想像するかもしれませんが、全くそういった経験が無い為に過労からくるものだと判断していました。実際に金縛り中に怖い思いをしたことは無く、体が動かせず声も出せない嫌な感じはありましたが、なんとか指先を動かしたりして回避していました。

 その時も手や足の指先を動かし一回目は回避しました。しかし金縛りというものは数回は続く為、すぐにまた耳鳴りがしました。体を動かそうとしても動かないあの間隔は本当に気持ちが悪く、こうなったらいっそ動かず受け止めてしまえばいいと思い、わたしは強くなる耳鳴りと増していく重力におとなしく耐えていました。


 その時、ガチャリと玄関のノブが回り、鍵を掛けたはずなのに大きくドアが開きました。ずーん、ずーん、ずーんと大きな耳鳴りとともに重力が増していきます。そして、影のような黒い誰かがわたしの部屋の入口にいるのが分かりました。

 わたしの部屋は玄関を入り、左に数歩いくとあります。短い廊下をその人は三歩で来たようでした。そして部屋の左の壁に姿見が立てかけてあるのですが、その人はその鏡を見ながら着ていた黒いコートを大きく上下に振りました。そのコートはびしょびしょに濡れていました。

 その後またずーん、ずーん、ずーんと三歩でベッドの横に来て、どうやらわたしを覗き込んでいるようです。わたしは思い切って目を開けました。

 

 なんともない、いつもの自分の部屋でした。目を開けてみると別に嫌な感じも全くしません。姿見も濡れていなければ、玄関にはちゃんと鍵が掛かっていました。

 わたしはずっと目を瞑っていましたが、玄関のノブが回ったのも、どれくらい大きくドアが開かれたのかも分かりました。その人は黒い影のようなモヤで性別も顔も服装も分かりませんでしたが、姿見を見ながらコートを振っていたことも、それが濡れていることもはっきりと覚えています。


 それから二度とこのような体験はありませんし、この体験が何だったのか分かりません。

 

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濡れている人 柴山 岬 @16shiba1023

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