フレンズ的プシュケー(仮題)

@micromillion

◆ その日

 サバンナの水場で水浴びを終えたかばんが、木陰に座って涼んでいた。


 カラリとした気候であるとはいえ、太陽の光は強く、暑い。


 木陰にいるなら、今着ているくらいの服(特にこの服は『したぎ』というらしい)がちょうどいい陽気だった。


 木の葉の隙間から差し込む光に目を細め、そのまま閉じる。


 肩よりも短い髪から、水がひたりひたりと一定の間隔で雫が落ちて、その音に耳を傾けていた。


 水場から上がったサーバル――服ごとブルブルと体を震わせて水を切っていた――が、


「あれ? かばんちゃん、なにそれ?」


と言って、かばんを指差した。


 かばんは、サーバルの指の延長へ視線を移す。


 自身の腰を隠している『したぎ』から少し上、毛のない、つるりとした右脇腹に、指一本分の太さの赤い線が、背中から腹に掛けて走っていた。


「え、ああ、これ? これはこの前の巨大セルリアンに食べられたときにできた傷が……」


「えええええっっっ!!!!!」


 かばんが言い終わる前にサーバルが声を上げ、すぐさまかばんに駆け寄って、傷を舐め始めた。


「わぁ! く、くすぐったいよ! サーバルちゃん! 大丈夫だから!」


「大丈夫じゃないよ! 傷は舐めないとダメだよ!」


 そう言ってまた一心不乱に舐め始める。


 サーバルのざらりとした舌がかばんの脇腹を撫で、頭の大きな耳が、脇の下をくすぐるようでかばんの口から笑いが漏れる。


 逃げようにもサーバルがしっかり胴に手を回しているから逃げられない。


「あはは! さ、サーバルちゃん! やめてよ! あはは! 大丈夫だから、これ、もう痛くないから!」


 かばんの「痛くない」という言葉を聞いて


「本当に?」


と言ってサーバルが動きを止めた。


「本当だよ。ほら、もう血も出てないでしょ?」


 かばんが涙を浮かべ、ヒックヒックと笑いをこらえながら傷を指さして言った。


「なーんだ。傷って聞いたからつい焦っちゃったよ」


 頭を掻きながらサーバルが「てへへ」と笑った。


 かばんとサーバルは、水場の縁に並んで腰掛けて、足を水に晒した。


 通り抜ける風に、さらさらと木の葉が鳴って、木漏れ日が二人の顔に影を作る。


「あのね、これは『ケロイド』って言うんだって。この前図書館に行った時に調べたんだ。確か正式名称は『ひこうせい? なんとか?』って難しい名前だったんだけど、ヒトは傷口が塞がって、痛みがなくなっても傷跡がこうして残ることがあるんだって」


 かばんが博士に聞いた話をすらすらと述べる。


 かばんの脇腹をサーバルがのぞき込み、


「へぇ~。そうなんだ」


と感心していた。


「暑くなると、色が少し赤っぽくなるんだけどね、痛くはないんだよ。少し引っ張られる感じがないでもないけど」


といってグググッと伸びをする。


「フレンズさんたちは傷が治ったときに『ケロイド』はできないらしいから、ヒトだけみたいだね」


 サーバルがスンスンと音を立ててかばんの『ケロイド』を嗅いでいた。


「ちょっとかっこ悪いかな」


 そう言ってかばんが苦笑すると、サーバルがすぐさま


「そんなことないよ! かっこいいよ!」


と否定した。


「えへへ、ありがと」


 かばんは、困ったような、照れた様子で自分の短い髪を撫でた。髪は、早くも生乾きになっていた。


「……ごめんね。かばんちゃん」


 しばらくして、もう一度水を浴びている最中に、不意にサーバルが言った。


 かばんには意味するところが分かっていた。


 黒い巨大セルリアンに、かばんが食べられたときのことを言っているのだ。


 あれからもう十日は過ぎているが、サーバルは後悔からか何度か謝罪をしていた。


 さっきの一幕でかばんが傷のことを話さなかったのは、自分を気遣ったからだと気づいたのだ。申し訳なさがサーバルの胸中を満たしていた。


 ざぶりと水をかき分けて、かばんがサーバルに近づく。


 サーバルの手を、指先だけ黒くなったかばんの手が握った。


「ううん、ありがとう。サーバルちゃんは気遣ってくれてるけど、ボクは本当に大丈夫だから」


 サーバルは少しうなだれていた。


 その様子を見て、かばんがさらに言葉を重ねる。


「ボクはね、『ケロイド』が残るのは、きっと意味があると思うんだ」


「?」


 サーバルが怪訝な顔をする。


「意味自体は、まだよく分からないけど、きっとヒトならではのなにかが関係してるんだよ」


 そういってかばんがにっこり笑ったので、意味はよく分からなかったが、サーバルもぎこちなく微笑んだ。


「でも、本当にどこか痛かったらすぐに言ってね」


というサーバルの念押しに、かばんは「分かったよ」と短く答えた。


 サーバルには言わなかったが、かばんは本当は、少し調子が悪かった。どうにも、以前より頭が冴えない気がしていた。ただ、あれだけのことがあったのだから、少し疲れているのだろうと考えていた。


 そうして二人は、また水浴びを再開した。

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