12袋目 ルミナス騎士団

 雪解け水が大半を占める川の冷たさも意に介さず、男たちは砂金を探す。

 陽光はついに融雪を終え、冬の名残はついに、トラトスを見下ろす山の上流から運ばれる水から発する雪の匂いだけとなった。黄金が眠るせせらぎは川底から泥の堆積物を掬い取る音で掻き消え、濁りは油のように流されていった。

 どんなに鈍色にびいろよどんでも、流水は止めずとうとうと、おだやかに時が進む。誰もその事に気づかず水面みなもに細やかな陽射しを写し、きらめいて渡るのだった。


 ロミオに代わってジュリエットに手紙を渡し、歯を生え替えさせられ、魔狼のおさと格闘してみたら、他国のスパイ疑惑を受けて、それから2日が経った。

 俺は相変わらず砂金採りの作業に勤しんでいる。変わった事があるとしたら、魔狼の件を受けてトラトス辺境伯が兵士を少数送って警備をしてくれる事。もう一つは、宿屋の娘のエリンが俺にくっ付いて、砂金採りをそれとなく手伝うようになったことだ。でも大体は中空を見つめてボーっとしている。本当に変わった子だ。

「――――おっ、今日はヴィクか?」

「よう、ナガトエイト」

 見知った顔の衛兵が現れ、俺は作業を中断して立ち上がる。少し雑談を交えながら今日の作業内容と行動範囲を告し、街の方から絡事項がないか確認。また必要であれば現状の作業において支障があった際談もする。特になければ巡回に当たるルートを指定して、数名の衛兵たちに具体的な仕事内容を教えた。

「わかった。言われた辺りを探索して、それから周囲の警邏けいらに当たろう」

 ヴィクが他の衛兵を連れてエイトたちから離れていく。あの魔狼の件で変化があったのは俺だけではなかった。新米衛兵だったヴィクに対する評価が改まったらしく、部隊を少数の班に分ける際に班長クラスの発言力と権限を持つようになった。

 ヴィク達を見送った俺は砂金とそれ以外を選別する作業場に戻る。

「エイトー・・・これなにー?・・・」

 戻ったところにエリンが川で取ってきた生物を見せてくる。腰を曲げて膝に手をついてエリンの手に持つものを覗き込む。

「んー?・・・それはサワガニじゃね?」

 エリンの右手の上で5cm程度の蟹のような生物がじっとしている。

 エイトはサワガニと言ったが、サワガニは日本固有種である。エリンが持ってきた蟹はガザミ(ワタリガニ)に似ているが鋏脚長節にはとげが存在しない、この異世界で独自の進化を遂げた淡水種の蟹なのだろう。

「じゃー・・・これなにー?・・・」

 今度は左手の上でうねうねしている芋虫のようなものを見せる。

 やや偏平で細長く2cm程度。尾っぽが鈍く緑色に光っている。

「うおっ、ホタルの幼虫じゃん。ここにもいるんだな・・・」

 蛍は日本で人気のある昆虫の一つとして古くから親しまれている。

 ゲンジボタルがすべての蛍の代表のように扱われているが、エイトの元居た世界では2000種類以上。日本では約40種、台湾では約58種確認されている。

 おもに熱帯から温帯の多雨地域に分布されており、エイトに生物学の知識があれば、このトラトスの街がどういった気候の地域に居るのかが解る。が、今回は子供の頃以来の懐かしい虫を見て、童心に帰ってそれどころではなさそうだ。

「エイト、ちょっといいか?」

 トーマスが桶を持ってエイトに近づいてくる。

「ん? どうしました?」

 エイトが背筋を正してトーマスの方を見る。それから間を置かずもう一度エリンの方に向いて「可哀そうだから早く帰してやれ」と言って、また向きなおす。

「ついさっきむしろからとった砂なんだが、見てくれよ」

 トーマスが泥のような砂と少々の砂利と少量の水で満たされた桶を持ち上げて中を見せる。それからきらりと光る砂金の部位を指さす。

「ほら、これで3回も繰り返して筵からとった分だ。最初に採ってた時よりかなり減ってきてやがる」

「うーん、随分採れる量が減ってきたなー」

 それでも砂金で得られる報酬は普段の働きで得られる賃金の数十倍に匹敵する。北海道、鴻之舞こうのまい鉱山が“東洋一の金山”と評されていた時代。金だけで年間2.5t。現在の価値で125億の利益を叩きだしている(1g=5000円で計算)。1日で大体50万円。この世界での金の価値は日本とは違うだろうが、それでも莫大な利益である。

「もうすぐ1週間たつからな。それでよ? 明日にでも採取する地点を変えようと思うんだ。また人かき集めてさ・・・」

「ええ、いいですね。別にぜーんぶ採り尽くすってわけにもいきませんし。採れる量が減ればモチベ――――やる気とか今後の仕事の士気と効率に関わりますから。

 ・・・とりあえず今日はいつもの作業に加えて、明日の準備も並行で」

「決まりだな! じゃあこれをパンニングにまわして・・・」

「あっ、ちょっとトーマスさん」

 エイトは呼び止めて、“トーマスさん達から見て、俺はどういう風に喋っている?”

 と、何気なく聞こうとしたが、寸での所で言葉に出すのをやめる。

 我ながら、自分で自分の首を絞めるような質問を投げかけようとしたものだ。と、自分を戒める。同時に意外と考えなしに行動する自分に呆れる。

 先日フリムジークに告げられた客観的な事実に応えていたようだ。

 本当に自分は異世界の言葉を複数使い分けて喋っているのだろうか。

「・・・まだなんかあったか?」

「ああ、いや・・・――――砂金採りでどかした岩とかも元に戻そうかな、と」

 ビジネスマン時代に培った“咄嗟の嘘”で誤魔化そうとする。

「あー・・・まぁガキの頃から遊んでたところだし、昔の姿に戻したいって思ってたけどよぉ・・・今日中にできるか?」

 とっさに考えた意見にトーマスが当然の疑問で返す。

「暇そうにしている衛兵がいるだろ?」

 自分たちの周囲を2人組で駄弁りながら巡回する衛兵を指さす。

「ああ、そりゃいいな!」


 正午が過ぎて、俺たちは昼飯を取る事になった。

 参加者の各家庭から奥様方が飯を持ってくるが、俺の場合は魔狼の一件以来、宿屋の女将が飯を作って待ってくれている。

「エリン、いったん帰ってメシにするぞ」

 川のそばで一人遊びをしていたエリンにそういうと、エリンは川に手を突っ込んで手を洗い、それから川の水を飲む。

 ゴクゴクと、エリンの体の容量から察するに、相当な量を飲んでいるようだ。

「おいおい、あまり飲みすぎるなよ。メシが食えなく――――」

 ここで俺は、あることを閃く。

 そうだ飲み水だ。

 倍増袋に増やす項目のうち、食料はあっても水はなかった。

 日本で普段から飲み水に困らない生活を送っていたものにとっては当たり前の水も、この世界ではそうはいかないだろう。旅先で飲み水に困って、水を巡って殺し合う・・・って事態も十分に考えられる。

 盲点だった。いやーこの時点で気づいてよかった。

「帰ろうー・・・」

 エリンが濡れた手を衣服でグシグシと拭き取り、それから俺と手を繋いだ。帰りの途中ですれ違ったおば様方から「仲がいいのねー」と微笑んで俺たちを見送った。


 昼食をとってしばらくまったりした後、俺は倍増袋を持って出かける事にした。

 エリンも付いて行こうとしたが、流石にエリンに倍増袋の事を知られるのはどうかと思い、あと川の上流へと行く予定なので、遠慮してもらった。

 俺はエリンが駄々を捏ねる前に先手を打つことにした。

「お、そうだ。エリン、これくらいの大きさの石を2つ見つけてはくれないか。

 色は真っ白と真っ黒がいい。形は丸くて大きさはこれくらい」

 そう言って、俺は親指と中指で輪っかを作って、大きさを表現する。エリンは黙って俺の指を見て、それから小さく頷いて、宿屋の裏手へと歩いて行った。

 そのやり取りを近くで見ていた女将が「だんだん娘の扱いがわかって来たんじゃないかい?」と話しかけてくる。「まさか」と肩をすくめて他意はないことを示す。

「ああいやいいんだよ。あの子は変わっていてね。誰とも遊ばすいつも一人で遊んでいてさ。仕事も文句言わずやってくれて、なんというか子供っぽくなくってね。

 アンタがここに来てから他の子供と変わらない感じがして、あたしゃ嬉しいのサ」

「それはなによりで」

「・・・・・・ところで石ころなんて拾わせてどうすんだい?」

「ああ、ちょっと昔の遊びを思い出してね。久しぶりにやってみようかと」

 それだけ言って俺はそそくさと外に出て、砂金を採る川へと向かった。

 砦を出てすぐに、遠くからアポロン騎士団の騎馬兵たちが、どこかへと遠征するのが見えた。戦列を整えた簡易武装の一個小隊は、例え遠くから見える後姿であったとしても、その威風堂々とした力強さを体現した様は戦争映画の一幕のようだった。

 作業場までついた俺は、昼休憩していた他の作業者とその家族にあいさつする。

「ようエイト、エリンちゃんはどうした?」

「ちょっとおつかいを頼んでね。そして俺は上に用がある」

 上流の方に指さし、そのまま川に沿って上流へと歩きはじめる。

「足を滑らせるんじゃないよー」

「なんだよ山菜でも採りに行くのか?」

「柔らかい新芽が欲しいならヘーゼルかコーリアんとこに頼んだ方が早いぞー」

「いやー、まぁ野暮用さぁ」

 それだけ言って俺は足を滑らせないように砂利を踏みしめて歩く。

 川は上流になるにつれて、足元の砂利の一粒一粒が大きくなり、小石、石、角が取れた偏平な石へと大きくなっていく。このれきたちが自分の拳より大きくなったところで、俺は歩を止める。

 川の流れは作業場のある下流に比べて急になり、川幅もだいぶ狭くなっている。流れる音も滑るようにではなく、礫を押し出そうとする力強い音だった。

 川底には緑の絨毯が絶えず風に煽られてるかのような川草の田園で、人間の手が入っていない自然のままの河川だった。

 俺は近くに落ちてあった木の枝を拾って、川底にゆっくりと刺して引き抜き、大体の深さを測ってみる。

「・・・80cmから90cmってとこか・・・」

 枝の先の泥の部分を差し引いても60cm以上はありそうだ。この強さの流れの中に入った途端、足元をすくわれて流されてしまいそうだ。

「この中流域まで砂金を採りはじめるのは、何か月先になるのだろうか・・・」

 そんな独り言をつぶやきながら、俺は倍増袋を開ける。中身はからだと再確認してから閉じ、次は川の水を調べる。

 水は今年降り積もった雪解け水と山の地層から磨き上げられた湧き水を混ぜて清流と成し、陽の光をたっぷりと浴びて水汲みには都合がよい冷たさだった。

 手で水を口に含んで、大丈夫なのか確認。うん、冷たくて美味しい天然水だ。

「さて、俺の想像通りにいくかなっと・・・」

 袋口を大きく開けて、袋の半分を川に沈める。それから袋口に水を流し込む。

 川の水は絶えず流れ入るが、袋の中を満たすことはなかった。袋の中を満たして、水の流れに抵抗して押し流されることは一切なく、水は袋の中へ中へと吸収される。

 途中で俺は袋を川から取り上げ、中を見る。中は水で半分くらい満たされている。川に入れた時間を考慮しても、袋の容量と水の吸収量が一致しない。

 ここまではいい。次に俺は袋を閉じて、それから何もない状態を念じながら袋を開ける。すると袋の中は打って変わって空洞に、内部にのみ濡らした部位がさっぱりと消え去り、ただの伽藍の洞になったのだった。

 それから俺は袋を閉じ「水」と念じてから袋を開けると、袋の底の方からと水が湧き、つい先ほど汲み上げた川の水がまた袋の半分を満たした。袋の底をつまんでひっくり返し、水をこぼしてみる。すると袋の許容量をはるかに超えた水がバケツをひっくり返したように流れ出て、元の川へと還元されていった。

「よし、想像通りだ。後はできるだけ水を回収するとしよう」

 この一回こっきりにして、あとは数日待てば、自分では処理しきれない大量の綺麗な水を手に入れる事になる。もしかすれば干ばつで飢えた村落に、多少の恵みを分け与える事に、なるかもしれない。その時は後先を考えず助けてみようかと思い、俺は袋を全部川に沈めて、それから袋口を大きく開いて、しばしの水汲み。

 両手で流されないようにしっかりと握った倍増袋は、こいのぼりの一番上にある、鯉のようで鯉でない「ふきながし」のように川の中を優雅に泳いでいる。俺は川の水の冷たさに耐えながらぼうっと見つめ、それから考え事をしていた。


 山から吹き降ろす風に混じって、昼下がりの中流域に相応しくない音。

「~~っ―――――」

「・・・?」

 俺は不意の音に倍増袋を持ち上げ、水汲みを中断する。

 そして静かになにごとかを待つ。

 人の声だったような、そうでないような。微かに分かりづらい声のような音は、次第に上流の方からのものだと分かる。

 それから少しして、甲高い声と、複数の足音がこっちに近づいてくる。

「誰かいるのか?」

 アポロン騎士団かヴィク達衛兵かと思われたが、どう聞いても女子供の声だった。

 俺は立ち上がって音のする方に注視する。

 まだ遠くに見える鉱山を頂に、川の上流域全体を睨んでいる。不意に視界の下部の異変に気づいた時、背から心臓にかけて冷たいヤリで貫くような衝撃を受けた。

 誰かが川に流されている。

 うつ伏せになった状態で流れているのは長い髪を揺蕩わせた女の子のようだ。白のローブは空気が入って所々風船のように膨らんで浮力と揚力を保ち、まっすぐこっちに流れていく。

 川の流れは下流より早く、もうすぐ俺の前を通り過ぎようとしている。

「嘘だろオイッ――――!!」

 俺は倍増袋を河原の方へ手放して、ポケットにあるものも倍増袋の上に放り投げて、急いで流されている子へと飛び込んだ。

 川の水は冷たい。陽光で暖かくなった衣服すべての温度を奪い去り、刃物で水に浸した全身を撫でられた戦慄を覚える。しかしそれとは逆に先ほどまで水汲みに徹していた両の手は冴えており、川の中の視界ではっきりと手を見て、その視線の先にいる少女を見据える事が出来た。俺はすぐに泳いで流れている子へ接近する。

 川底を蹴って、その時生じた淀みが流されるより速く、川の流れに沿うように泳ぎ始める。決して慌てず、しかし一刻も早く少女と自分を川から脱出する為、俺は川の中に絶えずうねりをあげる水中を両肩を回し、対角線に蹴り、ストロークを補助する。そして水を掴む動作が、ローズを掴む動作にかわる。

 少女を仰向けにして片腕で羽交い絞め、立ち上がる。さっきまで水を汲んでいた箇所はまだ浅かったが、溺れている少女を捕まえた所は腰の上のあたりの深さだった。川底の石が滑りやすく、早く上がらないと今度は自分も流されそうだ。

「これにっつかまって!!」

 声のした方へ条件反射的に手を伸ばし、俺は長い木の棒を掴み、強い力で引っ張られた。そのままの勢いで川から上がり、少女を仰向けに寝かせる。

「セレスティナ!!」

「ああ大変! どうしましょう!!」

「息してない!」

 俺と少女の周りを、5人の少年少女で囲まれる。俺は少年少女たちがセレスティナと呼ばれる少女に集中しているのを見て、その隙に倍増袋を取り寄せる。

 倍増袋は誰にも気づかれず俺の懐に飛び込んだ。

「ねぇ! どうしよう!!」

「お、落ち着けぇ!! ――――マ、マズハ・・・」

「まずは二次災害を防止するために周囲の安全を確認するんだよ」

 倍増袋から着替えを取り出して素早く着替える。

「ええっ?」

「次は溺れた人の意識を確認。名前で呼びかけるんだ。

 両肩をゆすって、耳元で呼びかけるんだ」

「セレスティナ!! 起きてセレスティナ!!」

 言われたとおりに両肩をゆすって意識の有無を確認する。ゆすっているのは子供用の鎧を身にまとった騎士風の女の子だ。

「返事が無いよ!!」

「そこの君。そう、君。次は応援を呼ぶんだ」

「ねぇ!」

 俺は5人の男女のうち、一番余力が残っていそうな人選をする。体力的に有利な男の子で、呼吸の乱れと汗の量で判断して一人を指さす。

「下流に砂金採りの作業場の大人たちがいるから呼んでくるんだ。今すぐ行け」

「は、はい!」

「――――ねぇったら!!」

 俺は男の子が下流へと走って行ったのを確認して、セレスティナと呼ばれている少女に向きなおす。

「ああ、大丈夫だ。これでちゃんと見れる」

 俺は至極冷静に、少女のそばに座り込む。体が冷え切って頭の中は鮮明で、魔狼の長の一件から、取り乱してはいけないと肝に銘じていたせいなのか、非道な位に落ち着いていた。もしかすると5人の男女が耳元でギャーギャーと騒がしすぎたから、かえって冷静さを得られたからなのだろうか。

「やってて良かった普通救命講習会・・・」※1

 俺はセレスティナの呼吸を確認する。片方の手で額を押さえ、もう片方は顎の先端に指を当て、ゆっくりとあご先を持ち上げ、顔がのけぞるような姿勢にする。

 気道を確保してから、早めに10秒数えながら呼吸の有無を確認。

「呼吸無し」

 俺は倍増袋から腕時計を取り出し、セレスティナのすぐそばに置いてから、両手を重ねて少女の胸の上に置く。胸骨圧迫――心臓マッサージを行う。

 “お腹を押して水を吐かせる”のは基本的に間違った対応である。肺に入った水は、肺に短時間で吸収される。また、胃に入った水を無理やり出すのは、逆流によって器官を閉塞させてしまう為、救命処置としては致命的である。

 故郷の消防本部で学んだ講習では確か「心肺停止と確認されたら、停止した循環を補佐する心肺蘇生を圧倒的に優先」と熱く語っていた事を思い出す。

「1,2,3,4,5,6,7,8」

 時計の秒針が5つ進む間に8回。これで1分間に100回以上の「強く早く」で圧迫を維持できる。俺は30秒間でできる事を考え、口にする。

「この子の家族はこの中にいるか?」

「ええ? ああ、いやいない!」

「なら俺がやるしかないな」

 胸部圧迫を30回以上続けた手を止め、大きく息を吸う。そしてセレスティナの口の中に手を入れて、異物が無いか確認。舌を指先で押して念のために気道をもう一度確保するここで俺は、口の中を確認して気道を確保する手順を前後させていた事に気づく。が、そんな事より救命だ。

 鼻をつまんだ手で額を押さえ、開いている手で口を開いて、それから覆うように自分の口を密着させる。一気に息を吹き込む。

 俺の人工呼吸を4人の男女が固唾を呑んで見守っている。何をやっているのか解らないが、セレスティナを助けようとしているのは解っているようだ。

 約1秒吹き込んで、セレスティナの胸が上がるのを確認。それから口を離して5秒ほど、自然に息が吐き出されるのを待つ。それから2回目の人工呼吸を行う。

 2回目を終えたら俺はすぐに胸部圧迫を再開する。人工呼吸で胸部圧迫の中断が10秒以上経過しては命にかかわる。

 胸部圧迫を30回。人工呼吸を2回。これを1サイクル。

「――――ゴボゴボッ」

 5サイクル目でセレスティナが初めて反応を示した。俺は肩と片方の膝を持ち上げて体位を回復体位に移行させる。セレスティナは必死に呼吸しようと吸い上げて、途中で何か煮詰まって反射的に吐き出し続ける。吐瀉物の内容は伏せるが、大体は水だった。

「ゲェホッ!・・・ガァハッ――――!」

 俺はバンバンと背中を叩いて吐き出す助けをしてから、倍増袋から布を取り出す。バスタオル代わりになるかと思って買っておいた布は毛布ほどではないが、なんとかセレスティナの濡れて冷えた体を包んでくれた。

「セレスティナ! セレスティナ!!」

 騎士風の女の子が滂沱の涙を流しながらセレスティナに近よる。他の4人も安堵したり泣き出したりと反応は様々で、俺も全身の緊張が抜けるのを感じた。

「なんとか戻ってきてくれたか・・・」

 俺はここでやっと、自分が救命処置に成功したことに安堵して。へなへなと倒れこんで横になる。両手で顔を覆って、よかった、よかったと心の中で欣喜雀躍きんきじゃくやくする。

「よかったぁぁ・・・本当によかった・・・もしこれで死んでしまった日には、我らルミナス騎士団始まって以来の死者を出すところだった・・・!」

 騎士風の女の子は俺に振り向いて、顔を覆っている両手を持って自分に引き込む。

「あなたは命の恩人だ!! セレスティナ個人と、騎士団の命運の両方を救ってくれたのだ! ありがとう! ありがとう!」

「ああ、はいはい。そうですかっと」

 俺は立ち上がって、セレスティナに近寄って、回復体位の彼女の肩と膝に腕を入れて、一気に持ち上げる。

 セレスティナは呼吸こそ安定し始めたが、意識はまだ混濁しているようだ。

「早く体を温めないとやばそうだ。作業場で火を起こしてもらうぞ」

 お姫様抱っこで少女を抱え込みながら、そそくさと下流へと歩きはじめる。

「あ、ああ! はやく行こう!」

 4人は涙を拭いて俺の後を付いて行く。

「すまないが、俺の荷物を持ってきてくれ」

「私が持とう!」

 騎士風の女の子が――おそらくルミナス騎士団と名乗るグループのリーダーだろう――俺の倍増袋を持ち上げて肩に担ぐ。腕時計も拾ってくれる。

「ああ、ありがとうな。名前は?」

「私はルミナス騎士団第24代目団長! ノエル・リューヌバルト・ヤーレアッハである!」

 騎士風の少女は安心しきった表情で剣を抜き、天高く掲げてポーズをとる。剣は柄の部位から鞘の先端に至るまでボロボロで、24代も続く騎士団だというのも、嘘ではなさそうだと察することができた。

永戸永人ながと えいとだ。アポロン騎士団以外にも騎士団があるとは知らなかったな」

「そうだとも! 我らルミナス騎士団はアポロン騎士団に続こうと発足した子供たちの騎士団! そんじょそこらの傭兵団よりも規律と歴史があって――――」

「ゥゥッゲホッゲホ!!」

「!! 大丈夫かセレスティナ・・・!?」

「・・・この子も騎士団の一人か? それにしては装いは騎士のそれじゃないな」

「あ、ああ。セレスティナは魔法部隊の隊長なのだ! 騎士団と言っても皆が得意な事が違うから、それらを役立てる為には独自の役割を見つけて・・・」

「ああ、わかったわかった。それはこいつの回復を優先してからな」

 話が長くなりそうだと判断した俺は話を打ち切って、もう少し早く歩き出す。

 ノエルも他の3人も、黙って俺についてきてくれた。

 セレスティナは大きく呼吸しながら、俺の顔をまっすぐ見つめていた。



 ※1:なおエイトはJRC蘇生2015のガイドライン変更を知らない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る