10袋目 はぢめてのモンスター戦

 魔狼のおさによって開け放たれた北門を、白馬に乗った騎士が続いて街に入る。せわしない蹄鉄の音が喫緊きっきんの事態を物語っている。

 恐慌状態に陥った兵士を他の兵士が取り押さえる様子を横目にフリムジークは魔狼の長を探す。北門からは墓地が近い郊外とあって、住宅街を目指しているはずだ。

 山を駆け下ってからぶっ通しで馬を全力で走らせているため、馬も騎手も限界が近づいていた。武装した状態での馬術は気力と体力を激しく消耗させる。さらに言えば無理を承知で天敵の狼に接近させたことで、馬の精神力もギリギリだった。

 しかしここで止まる事があってはアポロン騎士団の精神に反する。

 走りながら周囲を注意深く見まわす。この街中なら狼のシルエットは目立つ。

 だがほんの数秒差で門をくぐって来た筈なのに、魔狼の長の姿は無い。

 つい焦りが口に漏れ出る。

「何処だ――――何処にっ」

 寸暇を置かず、木材が砕ける炸裂音。

 音の大きさから折れた木の大きさを察することができる、若干湿り気を残した澄んだ音が街中にこだまする。馬上槍試合ジョストとは異なる激しさを伴った攻撃の音。

 聞いた瞬間「これだ!」と確信した。手綱を握る手に熱がこもる。

「さぁもうひと踏ん張りだ! ホワイトリウォード!」

 愛馬に拍車をあてて、音のした方を目指す。

 音は住宅街のはずれから発せられた。つまり人が襲われる瀬戸際に、誰かが待ったをかけたのだろうと、一縷の希望を見出す。

『オイ! ソコノオマエ! マテ! トマレ!』

 角を曲がり、街の中央への道。そこには探し求めいた巨躯の狼が、女の子を抱えた男を追いかけようとしていた。フリムジークは片手綱で器用に弓と矢を出す。

 愛馬に馬上弓用の歩調の中で、最も速い調子で走るように指示する。これに応えるように口と鼻で同時に熱い労苦の息を吐いた後、馬は呼吸と歩調を整える。

 一人と一頭はまだ若いが、アポロン騎士団は厳しい鍛錬と多くの遠征を経験し、大一番ではどうすべきかを学ばせている。

 この場合、馬上での弓は(月並みではあるが)緊張せず練習通りが望ましい。

「こっちだよぉ! こっちこっち!!」

 民家の方から声がする。逃げ行く男に窓を開けて、両手を差し出している民間人が見えた。遠くからでもわかる。彼らはあの男と子供を助けようとしている。

 これは、危険だ。どう考えても彼ら全員、魔狼の長の餌食にな――――。


「上手く受け取れオラァ!!!」


 アポロン騎士団の若き騎士、フリムジーク・アムステルダムは目を疑った。

 子供を抱えていた男が、助けようと声を上げる一家に向かって、抱えていた子供を投げた。子供は泣くことも抵抗する様子もなく、鋭い放物線を描いて一家の窓に飛び込んでいく。フリムジークは手綱を離して弓と矢を持つ。

 直ちに窓が閉められる。「あっ――――」ガチャンと鍵を閉める金属音。

「ちょっと待て! それは無いだろう!!」

 フリムジークは矢をつがえながら、男に迫る魔狼の長に標準を合わせる。

 一家の残酷だが的確な判断とか、残された男にかける憐憫は、弓を構えた時点で消え去ってしまった。これは長い長い訓練の末にたどり着いた、的を中てるための精神状態。無の境地とはまた違った、自己暗示による戦闘態勢への造り替え。

 矢を口元まで引き上げる。肩を起点として両腕の骨格を噛みあわせ、弓と矢をそれぞれ握った手はやや水平になり、軌道を描く台座と化す。一本の筋を通す見えない重心は、その延長上に魔狼の長が捉えられていた。

 この時、フリムジークは視界をおさに集中していたため気づかなかった。

 彼の視界の端に、奇妙な袋がエイトに向かって飛んでくることを。



 状況は、絶望的だった。締め出された男は何を思う。

 最初に心に浮かんだのは、人生で二度目の走馬灯。

 次に浮かび上がったのが、人生で五回目の生命の危機に対する本能的な訴え。

 しかし、これらにはまるで意味のないものだと、エイトは理解している。

 窓は固く閉ざされている。視界の下っ端には陰りが見え、オオカミが今にも飛びつきそうだ。こんな状況、元居た世界じゃありえない。だから走馬灯が見えても、答えは見つかるはずもない。また本能的に種を残そうと体が興奮状態になっても、相手がいないんじゃどうしようもないし、今はそれどころじゃない。

 そんな事より剣を取って戦う事を、俺はいま決めた。

 種を残すよりまず、抵抗するしかない。

 かなら、抵抗するしかない。

 これから理不尽な経験を何度もするようなら、しかない。

 

 だからこうやって俺は、手をかざしている。

 

 憎いから貰った、あの倍増袋を。


 手に取ってあのオオカミと戦おう。


 抵抗する為、生きる為。あのニカ・トバルをこの手でぶっ飛ばす為。


 俺は最後まで抵抗する決意と覚悟を心に満たした。


 ナガトエイトは右手に飛来物の柔らかな衝撃を受け止め、その勢いのまま振り向こうと身をよじる。左手で袋の腹を掴み、右手を改めて袋口に突っ込む。

 回転しながら魔狼の長と向き合い、袋から出てくる右手には、ヴィクから受け取ったショートソードがあった。

 魔狼の長の大きく開かれた口に、鞘から抜かれていない小剣がガッチリとくわえ込まれる。口の奥、臼歯きゅうしで剣を鞘ごと噛み砕かんとするその力強さに、エイトは歯を食いしばる。

 飛びついた勢いそのままに、エイトの体は吹き飛ぶように後退し、民家の壁に激突する。後頭部が弾ける様な痛みと、鼻腔びくうからむせ返るような血の臭いが充満する。視界の端から星屑と火花が見えたような気がした。

 袋を手放して両手で剣の鞘を持ち、長と力比べになる。だが2mを超える体躯の魔狼では両手を上げて鉄棒で逆上がりするような不利な体勢になる。

 しかも最悪な事に、エイトの右手人差し指と中指の半分が、長の牙に寸断されている。かろうじて、皮だけが繋がっている状態だ。長の口の中で上顎と鞘の間に挟まって、下手に身動きができない。

「へううぉおおおおおお!!!!」

 必死に、抗う。

 指先の理解したくない痛みよりも、この状況を脱出することをさっさと考え、とっとと行動すべきだ。

『――――!!』

 すると、魔狼の長の動きが突然止まる。力で民家に押しつぶされようとしていたエイトの体に、わずかな隙間と好機が生まれる。

「フンンンッッ!!」

 エイトは民家の壁に体重を預け、鉄棒の逆上がりの要領で両足を上げ、魔狼の胴体に両股で挟み込み、両足で引っ掛けて、下半身で魔狼を捕まえる。

 この時、足を動かした時に何かに引っかかる感触に気づいたエイトは、誰かが矢をこの魔狼に中てたのだと直感する。

「まさか――――その状態から戦うというのですか!?」

 遠くから声が聞こえる。しかも馬が走る時のあの音も、いまさら気づいた。

「――――逃がさねぇぞこの犬畜生・・・!」

 エイトは両足で締める力と、小剣を顎の奥へ押す力を同時に強め、全力で抗う。

『ッ!!? フゥグッ!!!』

 後ろ足で立っていた状態の魔狼が、エイトの体重に負けて4本足で立つ状態に移行する。しかし締め付ける力を押し出す力で、猫背と仰け反りを同時に行わせる、奇妙な姿勢を強制させられる。

 口を開けば鞘が顎の奥に押し込められる。頭を振って離れさせようとしても、力を振るう為に必要な酸素は足りなかった。ガッチリとクローズドガードで胴体を締められ、肺が強く圧迫されて酸素を受け取れない。しかもさきほどの木の棒のフルスイングを受けて、鼻の中は出血して上手く鼻呼吸ができない。

 だが口呼吸しようにも口を開ける訳にはいかない。開ければたちまち鞘が顎の奥に衝突し、そこからはテコの原理であっけなく首を曲げてしまう。

 首を曲げてしまえばそれは、人間に力比べで負けてしまう。

 オオカミが、エサに、力負けする。

 それだけは譲れない、許せないと、長く生きた魔狼の長は考えていた。

 長く生きすぎてしまったゆえの自尊心と、ツけ込む隙。

 そこにフリムジークは第二の矢を放つ。魔狼の背中に2本目が突き刺さる。

『グゥ・・・!!』

「それでいいです! そのまま離さないでください! 頑張ってください!」

 フリムジークの言葉に、エイトは答えられなかった。噛まれている指先の痛みに耐えていた。離れようと上半身を大きく振り回す魔狼の抵抗に、挫けそうだった。

 だがまだ早い。なんとかしようとエイトは鞘を押し出す力を引き込む力に切り替え、顔を魔狼の鼻先に近づける。喰いしばる歯を緩め、口を開ける。

「アグァ!」

 魔狼の長の出血している鼻に、歯を立てる。

『フゥゥオ・・・!!』

 己の鼻先が人間に噛みつかれていると分かるや否や、魔狼の長は自尊心を放棄する。許容量を超える行動に出た餌を、今やっと敵と認識したのだ。

『クゥオォォ!!』

 “バキン”と小剣が「」の字に折れる。

 前足で器用にエイトの体に爪を立て、上手く引っ掛けながら口を開ける。鼻先から人間の口が離れるとエビぞりになって無理矢理エイトを引き離す。

「うおおおぉ!!」

 剣を離したエイトは、腹筋と背筋を総動員して上半身を魔狼に近づける。右手で握りこぶしを作って、歯型がついた鼻を殴りつける。

 魔狼がエイトの喉笛を噛んで窒息死させようと口を開けるが、フリムジークの3本目の矢が首に近い位置に突き刺さる。

『フゥゥゥ!!』

 脊髄に近い所に矢の痛みが走り、反射的に身をよじらせる。

 これを逃がさんとエイトは左手で魔狼の首根っこを摑まえて、もう一度腹筋と背筋に力を込める。さっきの右手の攻撃は、人差し指と中指がしていて握り拳ができず、大したダメージになっていなかったので、今度は腕を畳んで肘で鼻先を叩きつける。非常に硬く尖っている肘鉄砲は、と鼻先から血飛沫をあげる事が出来た。

「もういいです! 離れて下さい!!」

 フリムジークの声に、エイトは間髪入れず魔狼の首に手を回して首相撲の体勢に移る。そのままの勢いで「ゴツン」と鈍い音。

 エイトの頭突きは自爆に終わった。頭の中で一番硬い額が、魔狼の牙にぶつかり、額から血が出る。エイトの抵抗と反撃が終わる。

 両足の結びをゆるめ、魔狼の長を解放してしまう。長は痛みと眩暈で体勢を崩さないように必死になってエイトから離れる。フリムジークの4本目の矢が外れる。

「魔狼の長よ! このフリムジークが、あなたを逃がすはずがありません!!」

 弓からロングソードに装備を切り替え、フリムジークとその愛馬が魔狼の長とエイトの間に割って入る。長は後退する。エイトは受け身を取れず地面に落ちる。

 落ちた衝撃で遂にエイトの二本の指の半分がポトリと取れた。

「・・・・・・」

 今までそこに当たり前のようにあった利き腕の指が、もうない。初めての喪失感にエイトは、体を硬直させる。その直後、覚悟を決めた心が体を揺り動かす。

 全身の痛みとだるさに抵抗するように体を起こし、魔狼と騎士を見る。

「袋はっ・・・」

 エイトは周囲を見回す。魔狼との取っ組み合いで気づかなかったが、あの民家から離れていた。袋も民家のすぐそばに落ちていた。

 左手をかざして袋を引き寄せる。手に取って自分の前に置いた時に、気づく。

 自分の下半身がべっとりと脂に濡れて、獣の臭いを放っていた。

「ん・・・」

 エイトの頭の中は冷え切っていた。額から血が止めどなく流れている。頭に血が昇って短気を起こしかねない状態だったから、血が出る事でかえって丁度良かった。

 この獣脂に関する知識を引き抜き、最適な行動を考える。獣の毛は人間と同じくクチクラという体表から分泌してできた硬い層があり、これに皮膚から出る脂にも覆われている。羊など屋根のない場所で暮らす動物が雨に濡れないのは、この脂で弾いているのだと。――――ではそれからどうするか。

 エイトは袋の中を見る。開けて最初に見えたのは、残り31本のショートソード。

 だがこれでは太刀打ちできないと判断し、一旦袋を閉じて必要な物を念じてから、袋を開ける。中にはA4紙、メンズシャツ、スーツジャケット。そしてライター。

「アブラだからって安直だけどよぉ・・・」

 左手でライターに火をおこし、右手の薬指と親指で挟んだ紙を燃やし、それからメンズシャツに火を移す。

 何も躊躇せず、エイトは自身の世界の物品に火をつける。これは、自分の世界に対する未練と執着から脱却する、一種の儀式のようだと心の片隅で嘲笑する。

「嗚呼、あとそれから・・・」



 蹄鉄が大地を蹴って不規則に乱打する。トラトスの街は押し入った危害を静寂で押しつぶすように静観している。イーサンとヴィクは2人と1頭を捉えた。

「見えた・・・! フリムジークが魔狼を抑えている!」

 後部に座るヴィクティムが肩を掴んで鞍から立ち上がり、状況を見る。

 フリムジークはロングソードで上から叩くように闘い、魔狼の長はそれを避けて移動しようと走り出す。しかし瞬時にフリムジークの愛馬が先回りして、逃走先を塞ぐ。おさが爪を立ててひっかきたてようと腕を伸ばすが、長剣で受け止める。

 騎士と魔狼とは離れたところに、見知った顔が見えた。

「――――弓を貸せ」

 ヴィクは矢筒と弓を帯から取り外し、走る馬から飛び降りる。着地の衝撃にひるむことなく足早に魔狼の長に近づく。その間に弓の弦の強さを確かめたり、矢筒の矢の本数を数え、2本の矢を小指薬指でつかみ、1本を弓に番える。

 自分が百発百中の範囲内にある、なにか適当な的を探し、普段使うモノとは違う弓で試射する。弦の張り具合は強めで、矢は的にした民家の柱の真ん中から左下へと逸れていった。慌てずもう1本を番え、今度は弓に合わせて試射する。

 イーサンはロングソードを抜いてフリムジークに聞こえるように声を張り上げる。

「ヤーヤーヤー! 害獣の首魁よ!

 このイーサン・ブロムナスも追い駆けていた事を忘れたとは言わせないぞ!!」

 モンスターと言えども、後ろから襲いかかるのはどうかと思って、このアポロン騎士団の無鉄砲は口上を述べる。魔狼の長は一瞥した後フリムジークとの距離を保ちつつ、どうやってこの局面を乗り越えるか考えていた。

 臀部から肩にかけて3本の矢。鼻は潰れて機能しておらず、口呼吸で息している。牙も心なしか噛み合わずグラグラしている。貯蔵している魔力はすでに無く、戦力差も馬に乗る騎士が2人に増えた。爪の先が冷たく、出血量も馬鹿にできない。

 ここから難局を乗り越えて魔力ある餌にあり付くことは無い。

 もはや逃げる事でしか、生き残る術はない。

 本能と知性の意見が合致した所で、長はさきほど侵入した門の方を見る。まだ開いているかどうか判らないが、他の門を通るよりは逃げられる確率があるのではないかと考え、そして2騎との距離をジリジリと変化を加える。

 突然、2騎の合間から火の玉が飛んでくる。

『!?』

 突然魔力を感じることなく火の玉が飛んできたことに驚きつつも、後退し回避する。エイトが革靴をシャツで包んで予備のネクタイで括ったモノを燃やしてそれを回しながら投げたようだ。遠心力も加わって意外と遠くに届く。続けて2,3個投げると、長は憎たらしくエイトにうなる。

 間髪入れずにフリムジークとイーサンが魔狼の長に攻撃しようとする。だが馬の歩調をすでに掴んでいる長はその歩調よりも長く飛び跳ねて見せて、剣の間合いから遠ざかる。この時、死力を振り絞れば何とか突破できる隙間が偶然生まれる。

 ラスト・スパートをかけ、まっすぐ隙間を縫うように走り出す。

「いかん!――――」

「しまった!――――」

「ふんっ」

 エイトが新たな火の玉を投擲する。走る魔狼の長の前に1つの火の玉が落ち、真ん中をやや窪ませて火の手が上がる。長はそれでは妨害する意味がないと言わんばかりにスピードを上げ、火を避けずに飛び越えようとする。

「いいぞ、飛んでみろ――――」

 ヴィクが気配を殺して死角から矢を番える。3本の試射で大体のコツをつかみ、あとは胴体に矢を刺すだけだった。矢の先には念のために携帯していた毒を塗りこませ、粘性のある液体が滴り落ちる。

 火を飛び越えた空中では無防備だ。ヴィクは息を止めて深く集中する。

 追いかける2騎。スーツのジャケットを持って走り出すエイト。ジャケットで体の前を庇う様に持ち上げ、オオカミよりも、投げつけた火に注意を払いながら魔狼に近づいていく。

 前足でブレーキを掛け、後ろ足で体全体を蹴り上げるように跳躍し、勢いに乗って前足を前にピンと伸ばし、火を飛び越える。


 ボッ!


 金属特有の甲高い破裂音。飛び越えた瞬間、火がまるで意思を持ったかのように爆ぜ拡がり、魔狼の腹部に襲いかかる。突然の出来事に、エイト以外が仰天する。

 爆発が都合よく跳躍のさなかに起きたのは偶然だが、これはこのエイトの戦いの中で最も幸運な攻撃だった。

 先ほど投げた火の玉は革靴ではなく靴やスーツに使う防水スプレーに替えて投げた物だった。使い始めてまだ間もない代物だったので、ガスの量は十分だった。

 爆発するタイミングは解らなかったが、投げるまでは自分の手元で爆発するんじゃないかと肝を冷やしていた。

 『?!――――!?』

 魔狼の長は本能的に火を消そうと地面を這いずり回る。突拍子もない出来事に驚き、一瞬で燃え広がった自分の体に混乱し、燃やされたのではないかと錯乱する。

 獣脂は引火温度が高く、余分な水分が多いので、1か所を火であぶり続けないと簡単には燃えない。しかしそんな知識が魔狼の長にあるわけがなく、ただ昔、若い魔狼だった頃魔法使いに燃やされそうになった時を思い出し、必死になって火消しに没頭する。

 これを、すぐに落ち着きを取り戻したヴィクが逃すことは無く。

 もう一度矢を継がいて、毒矢を魔狼の胴体に向かって射出する。

 毒矢はすんなりと胴体に刺さり、長は痛みで正気に戻る。

 火はすでに消えていた。騎士たちも爆発で興奮する馬をなだめて制御しきれてない。エイトも走り出せばすぐに距離が開く程度にしか近づいていない。

『クゥォオォ・・・!!?』

 しかし体は動けなかった。毒が回り始め、強烈な痺れと脈動する焦熱感、刺さった部位を中心に炎で焼かれ、ような感覚が襲いはじめる。

 ヴィクの民族の狩猟法には5種類の毒の製法と運用法がある。最初は4~5日で死に至る遅行性の毒から使いはじめ、最終的には即効性の毒を学ぶ。

 即効性の毒はあるモンスターから採取したもので、血液と結合しただけでポイズンスライムの亜種に変化する希少な毒である。このポイズンスライムは一定の温度でしか生きられないで、放って置けば死んだ宿主が低温化し、勝手に死滅する。

 これは狩猟ではなく、外敵を確実に殺す手段として用いられる。

「なんだ・・・やったのか?」

 エイトは近づくのをやめ距離をとり、魔狼の長を観察する。

 おさは何か体の中を蠢く物に抵抗しようともがき苦しんでいたが、ポイズンスライム以外にも混ぜてある神経毒で呼吸困難に陥り、虫の息だった。

「まだ近づくなナガトエイト。毒が回り始めても暴れる場合もある」

「おおっと」

 エイトが3歩退いて距離を取り直すと――スゥ――っと魔狼の長の周囲にぼんやりと光が覆う。まるで魔狼と外界を遮断するように、光が物質的に固定化する。

「ほっほっ・・・どうやらわしの出番は後片づけくらいしかなさそうじゃぁの」

 エイトの肩をポンと掴んで、老人がひょいっと顔をのぞかせる。老人は今朝、エイトとあったばかりの、墓守の魔法使いだった。

「墓地のじいさん」

「ほれ、おぬしの指じゃ」

 墓守の魔法使いが左手の掌の上にある2本の指をエイトに差し出す。自分の指先を見た途端、エイトは取れた右手の指先に激痛が走る。

「ツゥッッ――――アァァッ」

「おお、大丈夫じゃ。すぐに治してやるわい」

 そう言って優しく老人はエイトの右手を取って、自身の左手に持っていって、それから取れた指先と右手の位置を調整しながらぎゅっと握り、何かを唱える。

 その唱える声はどこか、歯の治療に用いた回復魔法に、どことなく似ていた。

「熱っ――――」

 切られた部位から焼きごてを突っ込まれる感覚、続いて氷箸が解けて血管に走り、冷えた感覚が腕全体に広がる。そして、指先から伝わるジンジンと痺れる感覚。切り離されていた指が、あっという間に元に戻った。

「老ベルデュラン殿」

 フリムジーク達が墓守の魔法使いに近づいて、馬から下りる。墓守の魔法使いが二人の騎士に向きなおそうとすると、エイトが肩を掴む。

「待てじいさん。この指――――」

「ん? その指の事かの? 礼なら気にせんでも・・・」

「そうじゃねーよ! 人差し指と中指が逆になってるんだ!!

 もう一度引っこ抜いて元に戻してくれ!!」

「ん? おお、すまんすまん」

 慌てて墓守の魔法使いが、エイトの右手を両手で包み、また何かを唱える。


「――――んぎゃああああ!! いってぇぇえぇええ!!!」


 エイトの情けない叫び声が、トラトスの街に木霊する。これには思わずフリムジーク、イーサン、ヴィクティムの3人が吹き出し、戦いが終わった安堵と可笑しさがない交ぜになって、笑い声になってトラトスの街に響き渡った。



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