9袋目 魔狼一匹、敵う筈もなく

 魔狼。

 重厚な“天然の天鵞絨ビロード”と称させる美しい毛並。体胴長2m弱。体重は60kgを超えるのがザラで、通常の狼より大柄な体躯を持つ。

 槍を噛み砕く牙。鎖帷子くさりかたびらを引き裂く爪。最高時速なら時速80kmで30分、平均時速40kmで12時間維持して追い回す持久力と執着心。

 平均10~16頭の群れを作り、高い社会性を持ち集団行動を旨とする。性格は獰猛で、知能も優れている。中でも群れの最上位に立つ、おさと呼ばれる個体は人語を解し、高い魔力を秘めている。

 このおさが長生きで記憶力に優れれば、人間を狩りの最優先対象に定め、何度も村落を襲う事もある。またドラゴンが多数存在していた「行き過ぎた戦争時代」以前では、魔狼の巨大な群れがドラゴンを狩っていた記録が残されている。

 更に遡れば、魔狼は神話の時代から登場する。これにより犬や狼とは別の祖先を持つとする学説が有力。神々が人間と“お遊び”に興じる際に創造し、人間達に試練を与える為にけしかける神話が世界中に存在し、地上に住む多くのモンスターの中でも古い歴史を持つ。


 ヴィクティム・グレイは山岳地帯の、開拓民を祖とする狩猟を専業とする民族の生まれで、次男坊だ。16歳。郷で父や兄と同じように狩人として生きる事に疑問を抱き、単身家出。親戚の伝手つてで慣れない傭兵業をしながらトラトスを目指す。

 開拓民だった祖先が編み出した狩猟法とモンスター対策の知識はすでに頭の中にあった。巻き狩りの役割分担。獲物の痕跡を辿る単独猟。冬籠りの穴熊猟。有効な罠の張り方。山の神の参拝法から供え物の種類。季節ごとの山菜の種類。毒草から毒を抽出する方法。皮をなめして靴などの工芸品を作る工程。独自に発達した狩猟に特化した魔法。国の古い情勢。神殺しの逸話。神々の黄昏。

 少年の中に広がる世界は確固とした文化が築きあがっていた。


 開拓民は原野を開墾し、体を張って原生林を切り開く、自然との死闘だった。食うや食わずが当たり前の極貧生活。播種はしゅ適期を過ぎればそのまま食糧を失う事だったので、家族総出で必死の開墾が続けられました。開墾が進めば豊かになるとは言い難く、鉱山労働や農業、林業、出稼ぎを副収入として糊口をしのいでました。 開拓は厳しく、壮絶なものでした。開墾中に洪水や冷害、山から下りてくる強風にあおられ農作物が育たない。家畜を飼っても食糧不足により育たない。内にいれば飢えた家族が痩せ細り、外に出れば動物たちがこちらの動きを伺っている。そしてなんと言っても開拓の難しさはモンスターの存在にありました。特筆すればそれは魔狼の群れで、常に家畜と農作物を付け狙っていました。人間を狙わないのは、生かしておけば定期的に食糧を調達してくると学んでいるからです。貧しい開拓民は魔狼に対抗するすべを他者に依らず、自分たちの力で対抗していきました。


 開拓の歴史はそのまま、魔狼との戦いの歴史なのだと、父は言った。



 トラトスの街、東の奥深い山林地帯。永人エイトたちが砂金採りを行っている川の向こう側で、ヴィクティム・グレイは山狩りの任務についていた。

 結果から言えば、ヴィクはアポロン騎士団の入団試験に落ちた。騎士に必要な素養はおろか、馬術もろくに知らなかったからだ。しかし、狩猟民族としての知識や経験を買われ、トラトス領の軍人としてトラトスの街に残留できた。まずは衛兵として基本的な仕事を覚える時期だったが、魔狼の出現により山狩りが発令。アポロン騎士団と協力体制を敷き、共同で巻き狩りが行われることとなった。

 巻き狩りは役割分担して行われる。全体を見て指示する見張り役。弓や魔法を用いて獲物を狩る役。威勢よく声を張り上げ、狩り役の前まで追い立てる役の、3つ。

 古き良き狩猟法で追い立てる巻き狩りの掛け声は、故郷のものと同じだった。

 「ホーレィー! ホーレィー! ホーレィー!」

 ヴィクは独特な発声法で吠え、太く作られた槍で木を叩いて狼を追い立てる。

 巻き狩りは思っていたよりスムーズに行われていた。その理由は、ヴィクと同じく郷を出た狩猟民族たちで構成された部隊で編制された事。これにより共通の狩猟法を用いる事ができ、違和感なく魔狼狩りに集中できた。

 もう一つは狩る役であるアポロン騎士団が効率よく魔狼を狩っていた事だった。

 「ホーレィー! ホーレィー! ・・・・・・そっち行ったぞぉ!!」

 追い立て役の一人が、魔狼が狩り役の前に出た事を伝える。瞬間、軽騎兵2体が縦一列で飛び出し、ロングソードを振りかざして魔狼の進路を妨害すると同時に弓兵の射程圏内まで誘導する。誘導しきった後は装備を短弓に持ち替え、3人の弓兵と同時に十字射撃。瞬く間に魔狼が狩猟の神の祝福を受けた矢の餌食になる。

「見事だ・・・」

 つい感嘆の声が漏れ出る。ヴィクは己がなぜアポロン騎士団に入れなかったのかと残念に思っていたが、この一連の狩りの技量を見て十分に納得した。山の中だというのに自分の手足のように操縦する馬の手練。合図もなしに繰り出される射撃の精密さ。そして何よりこういった集団行動をごく当たり前のように行えていること。

 気心知れた仲間と共に山に入り、古き良き狩猟法で動物やモンスターを追い詰め、狩っていた時とは次元が違う。正に戦場で勝つための軍事行動だと思った。


 魔狼狩りは大詰めを迎え、最後の一匹が追い立てられていた。山の頭頂部へと逃げようとする最後の魔狼が急旋回し山を下りようとしていた。

「一番デカイのがそっち行ったぞ!!!」

 見張り役が叫ぶと同時に、ヴィクの横を通り過ぎる影があった。通常の狼ではありえない俊足で駆け抜けて行ったそれは、ヴィクの目にしっかりと焼き付いた。

 それはひときわ大きな魔狼で、毛並から察するにもっとも年上の、群れのボスだ。

「――――群れのおさは人の言葉が喋れる!! 砦に近づけさせるなぁ!!」

 ヴィクの張り裂けんばかりの声にアポロン騎士団が呼応する。軽騎兵で追い駆けるが、いくら鍛え上げた馬で下り道をかけても時速50km程度。魔狼が駆ける死にもの狂いの時速80kmには及ばなかった。弓兵が総出で矢を放つも、老練な魔狼は最高時速を維持したままジグザグ走行で矢の雨を避け、運良く一本の矢が刺さろうとしても重厚な天鵞絨ビロードの毛皮が矢を弾き飛ばしたのだ。

 誰もが、矢を弾く魔狼の異様に絶句する中、ヴィクの目には違って見えた。幾度となく同胞と魔狼狩りをしてきたヴィクだからわかる、高い魔力を備えた魔狼の長だけが使える、矢除けの加護に似た防御魔法を行使していたのだと瞬時に理解した。

「矢ではダメだ!! 馬を駆けよ!! 砦に先回りするのだ!!」

 見張り役のアポロン騎士団の一人が叫べば、軽騎兵たちが一斉に山を下りる。

 ヴィクも居てもたっても居られなくなり、自分も魔狼の長を追い駆け降りる。

「おい! 持ち場を離れ――――」

 ヴィクに掛ける言葉より速く、ヴィクは山を下りていく。突き出た岩を踏み台にして木に登り、木から樹へと跳躍し、重力に従うように加速しながら、ブレーキを掛けることなく跳び続け、跳躍の高さが低くなりつづけさらに先鋭化する。

 ウサギのように飛びはね、カササギのように飛び下り、サルのように飛び移る。ヴィクはまさに狩猟民族の白眉だった。

 遠くからヴィクと軽騎兵部隊の駆けっこを見守る男たちが感嘆の声を上げる。

「なんだアイツ――――急な下り道を恐れることなく駆けて行った・・・!」

「あの新入り。アレでアポロン騎士団に入れなかったそうだぜ」

「末恐ろしいやつだ・・・だが、アポロン騎士団はさらに速いぞ・・・!」

 ヴィクが人間離れした木々への跳躍でアポロン騎士団の軽騎兵部隊を追い越せば、今度は軽騎兵たちの中で群を抜いて速い数騎がヴィクを追い越す。何度か首位が入れ替わると、遂には2頭と1人になって並走する。

「速いな少年! まるでかの英雄フレメイアと韋駄天ヴェキナスの如し!」

「どうやら今年の試験官の目は節穴だったようですね!!」

「それはどうも!」

 魔狼の後ろ姿を見据えて追跡できているのは3人。葦毛の馬に乗るイーサンと白毛の馬に乗るフリムジークと単身のヴィク。魔狼が矢を警戒してジグザグ走行を維持している為、何とかついていける。

 砂金採りの川をその足濡らすことなく長い跳躍で飛び越える魔狼。続いて2頭が速度を維持しつつ川を踏破し、最後に1人が川の流れを裂いて鎮座する小岩を蹴って川を超え、人間の生活圏に入っていった。

 ついに森を抜けて、砦が見えてきた。

 森を抜けた魔狼が矢が飛んでこない事に気づくと、まっすぐに砦に走る。

「乗れぇ少年!」

 イーサンがやや前かがみになってヴィクに寄る。ヴィクは頷くようにイーサンの後部に飛びつき、絶妙な力加減で着地し馬に乗る。

「私が先行します! ハァ!」

 2人乗りになっては魔狼に追いつけないと判断した単騎のフリムジークがスパートをかけて魔狼を追いかける。だが残酷にも魔狼は米粒のように小さく遠のいていく。

「少年! さっき言っていた、アレが人間の言葉を喋るのは本当か!?」

「ああ! 故郷で罠にかかったおさが交渉しようとしたのを見た事がある!

 姿を見せずに『カイモン』と叫んで中に入ろうとする話もある!!」

開門カイモンか!? それはいかん!! もっと速く駆けよジェヴォーダン!!」

 愛馬をはやし立てるイーサンだが、これ以上速くなる事は無かった。


 魔狼の長は砦の壁沿いギリギリに走り、砦側の見張りを警戒しつつトラトスの北門へと向かっていた。すでに追い駆けている軽騎兵は見えず、大地を踏み進む蹄鉄の音が遠くから聞こえるくらいだ。

 おさの目標は「逃げ延びる事」から「補給」に切り替わっていた。群れを狩りつくされ、同胞を失った魔狼にとって、これは死よりも重い罰だった。いや、例え人語を解し、知恵を持っていても所詮は鬼畜生モンスター。罰という概念は群れの中の序列を乱したモノにだけ適用される。人間は違う。

 人間は、餌を用意する餌だ。

『カイモーン!! カイモーン!!』

 北門にいた門番2人を音もなく忍び寄り、後ろから一人を爪で頸椎を引き裂き、もう一人は喉笛を噛み砕く。噛みついた際、残りの魔力を総動員して人間の発声器官を走査し、過去の記憶を元に言語を再現する、餌をおびき寄せる動物魔法を行使する。

 これは捕食者が獲物に気づかれずに目立つ行動をとって獲物を近づけさせる攻撃擬態を発展させた魔法で、魔狼をはじめ他の発声器官を持つ一部のモンスターが行使する。この魔法は親から子へ継承されることは無い。

 このことはまだ人間たちに周知されておらず、民間伝承にのみ伝えられる。

『カイモーン!!』

 噛みついた門番によく似せた声が砦の巨大な門に響く。門の向こうでは呑気に「なんだなんだ」とくぐもった声が聞こえ、魔狼の長は後ろ足で地面をひっかく。

 この行為にははっきりとした事は分かっていないが、威嚇行為や自分の闘志を奮い立たせるため、もしくは初速で全力疾走できる様に地面を慣らす為と言われている。

 門の中にいる間抜けな兵士が、ゆっくりと門を開ける。人間の視界に入らないように低く姿勢を保ち、自身の巨躯が入り込めるギリギリまで待機する。殺気を立てず静止する魔狼のおさの眼光が鋭くなる。

 あと少し・・・もう少し・・・。

「その開門!! 待ったぁぁー!!!」

 フリムジークの叫び声が聞こえる。声は砦の上から見張る兵士に届き、開門をやめさせようとする。おさが舌打ちし――たはどうかは解らないが――無理矢理門の中へ押し入ろうと飛び込む。

 砦の中の平和を脅かさんと門に突貫する轟音。押し入り食らい尽くす死と恐怖の象徴。弱き民草を刈り取る魔害の狼。その姿がトラトスの街にとび込もうとしている。

「うっうわぁああぁぁ!!?」

「狼だあああ!!?」

 兵士たちが気づいた時にはもう遅く、魔狼の長は体躯の前半分を門の中に入れ、残り半分を力押しでねじ込もうとしていた。近くに居た兵士たちが即座に集まり、門を押し閉めようと奮戦するが、邪悪に尖る牙が兵士たちの眼前に向けられ、邪魔する者を切り裂く爪は兵士たちの肩にかかってきた。

 恐慌した一人の兵士が崩れるように倒れこむと、残りの兵士の膂力では太刀打ちできず、魔狼の長の侵入を許してしまう。

 颯爽と門の中、トラトスの街に入った長は、我が物顔で餌を探し始める。人より速く走る時速40kmで、高い魔力を秘めた人間を。

 補給とは即ち魔力を持った人間を食すことである。

 防壁の内側は無防備だという事をおさは知っていた。故に魔力の補給という冒険に挑み、成功すれば矢の雨だろうが完全武装した兵士だろうが、自身の防御魔法で弾き返しつつ、この砦の中を脱出できると判断したのだ。

 この砦の中に侵入してから、高い魔力を持った人間を捕食するまでが、生きるか死ぬかの大勝負だ。長にとっても、人にとっても。


「アウウゥ・・・! エウゥ・・・!」

 教会から帰る道、永戸永人ナガトエイトは未だに歯の治療のダメージを引きずっていた。子供の背丈くらいある太くて長い木の枝を支えに歩いていた。大の大人が大きな木の棒を杖にして歩く様は、日頃からテンションの低い反応を示すエリンから見ても面白がる、おかしな光景だった。

「大丈夫かー・・・? 大丈夫かー・・・?」

 エリンはエイトの周りをぐるぐる回りながら、心配しているのかおちょくってるのか判らない行動を繰り返す。まるで森の中を彷徨う旅人を、悪戯心で死ぬまで案内しつづける小さな妖精のようだ。

 エイトが何か言おうとエリンを睨んだ時、遠くから鐘の音が聞こえる。鐘は平和なこの街に緊急事態を告げるべく、ひっきりなしに乱打する。

 時鐘ではない非日常的な警鐘に、エイトは困惑する。

「な、なんだなんだ?」

「おー・・・しんにゅーしゃだー・・・てきしゅーだー・・・」

 エリンは鐘の音を聞いてスキップしながらエイトから離れるようにはしゃぎ始める。両手を上げて「にげろーにげろー」と調子よく言う。

「お前は防災訓練でテンションが上がる小学生か・・・」

 嗚呼いや本当に小学生ぐらいの歳か、と呆れつつエリンを注意する。

「待てエリン。緊急事態を告げるっていう鐘ならさっさと帰って――――」

 不意に、風に乗って漂ってくる臭いが変化したのを嗅ぎ取った。

 それはこの世界に来てすぐ嗅いだ臭い。元の世界の日常では滅多に嗅がない、粘性と鉄分を含んだ血の臭い。そして土と埃、森の青葉と苦虫のような臭い。なによりこの獣の臭い。鎖に繋がれたまま放置された犬とか、牧場で手抜きの世話をされている家畜とは程遠い、危険な臭い。

 獣臭のする方を振り返れば、ここから遠いはずの門から、通常ではあり得ないスピードで走ってくる犬の姿が見える。否、犬というには認識と遠近法が狂うほど巨大な、走狗というには捕食者と例える方が相応しい。その禍々しい姿は・・・。

「オオカミ!!?」

 魔狼の長は標的を見つけた。この街に入ってすぐに見つかったのは重畳だ。あとはただまっすぐに進んで食らいつくだけ。魔狼の長が見据えていたのは。

 高純度の魔力を蓄えた、子供だった。

 目標を達成したと確信した長が口を大きく開けて、子供に飛びつく。


「ぬおぉりゃあっしょぉおおい!!!!」


 乾いてない湿った木が折れる爽快な音。斧を用いて縦に割ったとも異なる炸裂音。エイトは持っていた木の棒を、歯を食いしばってエリンの眼前まで飛び込んだオオカミの鼻っ柱に、ホームラン級のフルスイングをぶちかました。

 木の棒は豪快に折れ砕き、オオカミは体躯を空中で「」の字に歪め、遮断された子供、エリンを避けるようにはじけ飛ぶ。

 地面に叩き落とされ、転げまわる魔狼の長は困惑した。すぐさま身を起こして4本の足で立ち、獲物のほうを見る。しかしそこには獲物はおらず、一人の大人が獲物を抱きかかえて、他の獲物たちと同じように逃げる姿があった。

「おー・・・」

「アレがトーマスさんの言ってた魔狼かよぉぉー!!!」

 高い魔力を持つ獲物に集中するあまり、すぐそばにいた魔力の乏しい人間に注意が向けられなかった。おさは人間の中には弱いくせに反撃する変わり種が居る事を失念していた事に腹立たしくなり、すぐ追いかけようとする。

「こっち来たー」

「ヒエェー!!」

 なぜ一般人であるエイトが魔狼の長に対して大立ち回りを演じられるのか。それは2つの要因があった。1つは生命の危機による火事場の馬鹿力。2つめは咬合力の向上である。前者の火事場の馬鹿力は説明の必要はないが、後者は少し触れておこう。

 咬合力とは歯の喰いしばる力である。人間は健康な体と歯を持つ場合、自分の体重以上の力を発揮することができる。日常の場面において重い物を持ったり、またスポーツの場面では歯を食いしばって、普段以上の筋力を発揮する。

 咬合力は全身の筋力を瞬間的に増強させるテクニックの一つなのだ。

 ではなぜその咬合力が向上したかというと、魔法による歯の治療である。虫歯によって穴が開いて代用品で埋め立てられた歯。咀嚼のし過ぎですり減った歯がすべて生え変わり、健康な永久歯を取り戻したからだ。加えて親知らずも含めてすべて矯正され、噛みあわせも良くなった。咬合力で発揮できる力が増したのだ。

「これでも食らえオラアァ!!」

 魔狼の長が迫る前に、意を決したエイトは右足でブレーキを掛け、体を開いてから左足をおさに向け、右手にはまだ持っていた折れた木の棒を野球の投手よろしく全力で投げた。

 横回転する木の棒は運よくおさにまっすぐ飛んで行った。だがおさは意に介さずと言わんばかりに、木の棒を口にくわえて受け止める。

 敵意を表すように木の棒をたった一回で噛み砕き。咀嚼する。だがそんなパフォーマンスを見ることはなかった。なぜならエイトは投げてすぐ後ろを向いてまた走り出したのだから。

「おー・・・すごいすごーい・・・」

 長のパフォーマンスを見たのはエリンだけだった。

「何か無いか何か無いか何か無いか!?」

 子供を抱えながら、全力で走る。

 全力で走りながら、思考を巡らす。

 死にもの狂いで思考しながら、手をかざす。

『オイ! ソコノオマエ! マテ! トマレ!』

 後ろからなんだか聞いたことのある声がする。それはそう、最初にトラトスの街を訪れた時、馬車を覗いてエイトに声をかけた衛兵だったような・・・。

「こっちだよぉ! こっちこっち!!」

「えっ」

 エイトが声のした方を向くと、そこには窓を開けて両手で「こっち来い」のジェスチャーをする見知らぬ一家がいた。

 気が付いた時には既にトラトスの住宅街の端まで来ていた。住人達はすでに避難し、戸締りをしっかりして静かにしている。

 後はこの民家の窓だけ閉めれば全員避難が完了する状態だった。

「――――うおぉっしゃあぁ!!」

 エイトは全力疾走を維持しつつ軌道を変え、その民家へ向かう。だが魔狼の長のほうが速く、だんだん距離を詰められていく。

「上手く受け取れオラァ!!!」

 エリンの股間に右手を突っ込んで、左手で胸を掴み、肩の位置まで持ち上げ、力の限りを尽くして一家にぶん投げる。一家が全員叫ぶ。

「「「エエェーー!?」」」

「おおー・・・」

 空を初めて飛んだエリンは感慨に浸る声を上げ、民家の窓に突っ込んでいく。

 エリンが民家の見知らぬ一家全員に受け止められるのを見たエイトは、安堵する。

「よしっ――――」

 直ちに窓が閉められる。「あっ――――」ガチャンと鍵を閉める金属音。


「ちょっと待て! それは無いだろう!!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る