7袋目 墓守の魔法使いの孫娘

 トラトスの街で一番の早起きさんは誰だと思う?

 新聞配達? ハハッ、まだ紙が普及してないので瓦版は無いぞ。

 衛兵? いやいや彼らは夜通し砦の上で見張ってくれるから話が違う。

 夜明け前に起きて朝の食卓すべてに届ける為、今日も力仕事をするその職人の名は

 パン屋さんである。

「おはようございまーす」

 夜明け前が一番暗い午前5時半過ぎ。湿った銀月の光がほのかに残り、薄明が眠る者を起こす事のない優しい時間帯。そこには夢の続きもなくただ薫るはパンの群れ。

 メイ=イン・ブランジェンドのパン屋はすでに営業の準備を済ませていた。

「――――おっ、エイトじゃ~ん、どうしたよ今日は~?」

 意外な客にちょっと驚いてくれたのはパン屋で修行中のヘイルだ。ヘイルはパンの仕込みが終わった後すぐに砂金採りに参加するので顔なじみである。彼はここら辺の住人と違うのか浅黒い肌に頭が長め、虹彩は濃い色でやや低身長。髪の毛は癖が強く金髪が微かに残る濃い茶髪。前に聞いてみたら両親が異国からこっちにきたそうな。

「焼きたてのパンをおくれ!」

 昨日の夕方からロミオのラブレター作りを手伝っていた時の深夜のテンションがまだ抜けていなかった俺は、徹夜してそのままの勢いでパン屋にやってきたのだ。

 俺のテンションが可笑しいのに気付いたヘイルが笑いながら応える。

「あいよ! 今日も最高の焼き加減だよ! 好きに見てってくれ!」

 商品棚には錚々たるパンたちが俺を待ち構えている(ように見える)。

 一口にパンと言っても形、大きさ、材料の組み合わせによって種類は豊富で、中央の大きいテーブルに置いてあるものでも6種類ある。壁側の2段の商品棚はトラトスの街の規模を象徴するかのようにたくさん並んでいた。

「これ全部売れるのか?」

「んー? イヤー、皆そう思ってるけど3割は残るかなー?このライ麦パンは日持ちして、こっちの牛乳や油脂を使っているのは今日中に食べないとマズいものまであるからねー。買ったものをその日に全部食うってのはないかな」

 ヘイルが丁寧に、パンを一つ一つ取って見せて説明する。ライ麦パンのモソモソする食感が気になるならバターを塗る。サワードウで作った黒パンの酸味が気になるなら塩気とあるものと一緒に食べる。副材料を用いない伝統的な硬いパンならカナッペ(薄く小さく切る)にして肉や魚を置いて食べる。

「うーん、いいねぇ・・・じゃあその丸いのと」

「カンパーニュ(田舎風)だね」

「その隣のもいいな。それも頼む」

「こっちは油脂、牛乳、砂糖を入れたサクサクのパンさ!」

「あ、そのコッペパンみたいな形したのいいな。それもお願い」

「コッペ? クープ(切れ目)のことかな? ・・・それから?」

「あー・・・じゃあ頼んだ奴を2つずつ」

「2つずつ? 一人でそんなに買って大丈夫かな?」

「大丈夫大丈夫。他の奴におごる為さ」

「ふーん、ならいいけどさ」

 俺は選んでいた途中で倍増袋に入れて増やす予定の物品に、食料が最重要事項としてリストアップされているのを思い出した。

 不思議な魔法のファンタジーグッズなんかより、今日腹を空かせる心配が無いようにするため、食料の調達は現実的な選択だ。それも種類は豊富な方がいい。毎日同じパンでも構わないが、毎日同じおかずは勘弁願いたい。これでも世界中の料理が集まる日本に生まれ、世界中の食べ物のうち半分くらいは食べたと自負する日本人だ。集めるだけ集めないと、いざというとき後悔して自分を責めてしまう。そうしないようにこの街以外の食糧もチェックする予定だ。

 それにしても嗚呼・・・白い飯と味噌汁と唐揚げが食べたい。あと納豆とか豆腐とか焼き鮭。最後に熱い緑茶を。

「とりえあず3種類。あとのパンはまた今度」

「はい。ありがとうございます。またの来店をお待ちしてます!」


 朝6時丁度。宿屋に戻って、ロビーのソファに腰かけて、倍増袋を呼び出す。宿屋は基本個室以外はドアが設置されていないので、皆が眠っている時間帯なら、6人部屋から飛んでくる倍増袋を目撃する者はいなかった。手に取って袋を開け、買ったパン3種類を収める。次に整理整頓と数の確認。途中でタブレットPCを取り出して一人遊び用のアプリを起動してピコピコ。爪切りで両手両足の爪を切る。タバコを吸おうと思ったが灰皿が存在しない世界だと気づいて諦める。

 すこしの静寂の後、あることを考える。さっきのヘイルの人種が他と違うと説明したが、ここの住人の人種について、ちょっと考えてみた。

 まず金髪が多い、次点で茶髪。加齢とともに色が落ちて、根元が黒くて毛先に行くにつれて金髪も見受けられた。

 肌は桃色というより赤めの白肌で、なんとなく赤ん坊のような肌だ。これについては知識がある。昔高校を卒業してすぐに結婚したおバカな友人が、生まれた子供の肌が赤黒いと騒いで俺に頼るで、いろいろ調べてみたら赤ちゃんは生まれた時は褐色脂肪細胞が発達しているという事が分かった。これ、いわゆる体熱発生装置で、運動後や食事の後しばらく体が熱くなるのはこの細胞の働き。大人は筋肉を収縮して、つまり運動することで体熱を生産するが、赤ちゃんは筋肉が無いので褐色脂肪細胞が発達し常に発熱して成長を促している。故に肌の色が赤黒いのだ。成長することで減少し、成人したら赤ん坊のころの4割程度までになる。まれに褐色脂肪細胞が多く残って寒さを感じない人がいたりする。一年中半袖のクラスメイトがいたらそれだ。

 なぜこんなに肌について言及しているかというと、この冬を終えて春を待つ、まだまだ寒いこの季節で、俺たちは川に入って砂金採りをしているからだ。俺が川の中に入って作業をしていたのは1日目で、2日目からは余りにも寒かったので勘弁してもらった。代わりに砂金を効率良く採る作戦を考える担当と作業者の指示をする担当を請け負っていた。そのあと効率化を進め選別作業に回るのだが、とにかくここの住人は寒さに強い。特に子供が半袖半ズボンで川の中を遊び続けるからすごい。

「そういえば東ヨーロッパ系の白人って赤い顔してるの多かったな・・・」

 などと考えていると、宿屋の出入り口から一人の男が入ってくる。

「ごめんよ女将ー!・・・やっぱ早く来すぎちまったか・・・?」

「トーマスさん?」

 血相を変えて入ってきたトーマスを見て、俺は席を立つ。

「おお! 早起きだなエイト! ちょうどよかった!」

 ロビーに俺が居たのが意外なのか、トーマスが大袈裟に手を広げる。

「何かあったのか?」

「ああ、今日の作業は中止だよ、中止! ついさっきルドガーの野郎が一人で砂金採りしてたんだがよぉ・・・あのヤロー一人で砂金を採って儲けをかすめようって息巻いて川に行ったら、魔狼の群れに遭遇しちまってな!」

「まろう?」

「ああ、モンスターになった狼だよ。それで命からがら逃げだしたルドガーは自分が悪さしてたのを棚上げにして衛兵に知らせたんだよ。とりあえずアポロン騎士団が朝から魔狼狩りに出るって話になった。あとルドガーはお縄についたそうだ」

「そう、でしたか。モンスターが出たんじゃ作業どころじゃないですし、今日は別の仕事でも探します」

「いやいや今日は休めって! ・・・それじゃ俺は別の奴にも知らせるからな!」

 足早に宿屋を出たトーマス。俺はトーマスを見送ったあと、戻ってきた静寂の中ソファに座り直し、一つため息をつく。




「やきたてー・・・うめー・・・」

 朝7時半。まだ寝ぼけている9歳のエリンに焼きたてのパンを分け与える。一人で3種類のパンを食うのはさすがの俺でも無理だったので、半分食べて、あとは他の同居人や宿屋の娘に分け与える。

 味は申し分ない。あとはこのパンに合うおかずを探すだけだ。

「やっぱり汁物は外せないとして、サンドイッチみたいなかんじで・・・」

「な、なぁエイト・・・」

「ん? どうしたロミオ?」

 おどおどと、朝食を済ませたロミオが俺の前に立つ。両手には例の手紙が。

「・・・そ、その・・・ジュリエットに手紙を、渡してほしいんだ・・・」


「ハぁ?」


 怒気のこもった素っ頓狂な声にエリンがビックリ跳ね上がって、そのまま女将さんの所へ逃げ出した。俺は気にせずロミオを睨む。

「お前さぁ・・・」

 怒っているのは、自分の人生の大切な場面を他人任せにしようとするロミオの性根に釘を刺そうとしているからだ。きっかけを与えるとか、途中まで手伝うとかは喜んでするが、何も疑わず最後の仕上げを誰かに任せるのはダメだ。

 部活を引退した後の就職活動で苦労した思い出が蘇り、少し前のめりになる。

「ロミオ。俺が手伝えるのは苦手だった文章の書き方であって、お前の恋のキューピットになった覚えはない。自分で行け!」

「で、でも・・・」

「テメェそれでも男か!? キ×玉ついてんのか!?」

「だ、だってぇ・・・」

「イヤ、俺からも頼むよエイト・・・!」

 横からノリスが割って入る。

「なんだノリス」

「エイト・・・お前は知らないんだ・・・あのジュリエットのお爺さんの事を」

「ジュリエットのおじいさん?」

「ああ、この街で一番の魔法使いで・・・

 その・・・あれだ・・・おっかないんだ・・・」

 ノリスが視線を外し、気まずそうに告げる。

「俺がガキの頃、遠くへ行ったらあの爺さんに攫われるとか、勝手に砦を出たら魔法の実験につきあわせられるとか、食べられないようにいい子にしてなさいとか」

「と、とにかくいつも脅し文句であのお爺さんが出てくるんだ・・・」

「――――ええ・・・」

 なんじゃそりゃ。メルヘンやファンタジーじゃあるまいし・・・。

「でも子供の頃そういう事があったからじゃなくて! 実際に何年かに一度はあの爺さん街の一部を魔法で吹き飛ばしたり! 子供捕まえてアトリエに何日も閉じ込めたり・・・! とにかく墓参りの時以外は近づきたくないんだ・・・!」

 あ、ここファンタジーの異世界だった。

「――――んん? なんだって? 墓参り?」

「ジュリエットのお爺さんは、この街の墓地の管理を任されてるんだ・・・

 噂じゃ死霊術を使っていろんな実験をしているとか何とか・・・」

「わー、くっだらねぇー」

 話を打ち切る為に席を立ち、ロミオから恋文を取り上げる。

「行きゃーいいんだろー行きゃー」

「お、お願いします! 気を付けてね・・・!」

「すまねぇエイト! 骨は拾ってやるからな・・・!」

「・・・・・・ところで墓地って何処だ?」

「アッ、ここから北にある郊外が墓地だよ」

「よーし行ってくる。今日の夕飯はオゴレよ」



 俺は不服だった。なぜ俺が仕事でもないのに配達人の真似をしなきゃならないのだろうか。それもついこの前知った男が、自分で渡すべきモノ、恋文を。

 手に持っている手紙を開いて、もう一度中身を確認する。この世界の文字はまだわからないが、たぶん大丈夫だろう。読みやすく分かりやすさを重視した文章構成、同じ言葉を繰り返さないように語彙を駆使し、自分が出会った貴女の事をどう思って、どうしたいかを悩んでいるという段落だった起承転結。読み応えのあるようにむかし無理矢理読まされた恋愛小説を元に描いた詩的表現。恐らく現時点で一番の出来だ。

 気がかりなのは、何度も書き直したせいで紙を切らし、俺の持っているA4コピー紙を使った事、蝋で封をする封蝋がないので、仕方なく学生時代にやった手紙折りにしたこと。

 半分に折って、互い違いに三角を作って、余った余白を谷折りにして、それから複数のバリエーションはあるが、中高生が授業中に折って「“○○に送って”って」と渡されるアレである。もちろん渡された時は素直に従わなくてはいけない。

「・・・おっ」

 街のはずれ、郊外に出た。郊外と言っても、トラトスの街は砦に囲まれている。砦の中の市街地や市場から外れた、比較的に街の初期の段階で、まだ畑を耕していた名残を感じる場所だった。公園もささやかながら存在し、軍事都市でもあるので兵舎も見られた。訓練場で木の剣を持って素振りに励む若者の姿も見えた。

「いま8時過ぎくらいか・・・綺麗な朝の風景だ」

 そういえばこの街について、よく知ろうとしなかった。乾いた冷たい風が着慣れ始めた服に吹き抜ける。日が昇ってきた方から来る風だから東風こちなのだろう。

 少し視線を上げれば砦の外は牧歌的な風景が広がっていた。小高い丘の上に建つので地平線が見えず、代わりに遠くから見える山々と少しの森が、この世界の広さを教えてくれる。鉱山は禿てここの領地だと分かるし、規則正しく植林され並列に伸びる針葉樹林は歴史を垣間見せ、原生林は様々な色合いの青緑の絨毯じゅうたんで、冬の厳しさを忘れて夏に向かおうと青々としていた。

 これがいま自分の生きている世界で、地続きの現実なのかと吐息を漏らす。

 もう少し若くて、無鉄砲な頃だったら、倍増袋をアイテム一杯にして、冒険の旅に出かけただろう。

「そしてよく知らないモンスターにやられるのだろうな・・・」



 墓地に入ると、一気に雰囲気が変わった。整然と並べられた墓標の戦列。風が吹いているのに湿り気を感じさせる木々の日蔭。ゴミはおろか落ち葉一枚もない異様な殺風景さに悪寒が走る。まるで汚しやディティールに拘らず写実的でない画家が想像で描いた、味気ない完璧主義的な墓地。

「――――お、あれがそうか?」

 墓地の奥に立派な館が建っていた。年季を感じさせるつたの絡まるレンガ造りの、墓を管理している墓守のものとは思えない風格のある建物だった。

「・・・・・・なんだか営業マンしてた頃を思い出すな」

 キュッと、無意識にネクタイを締める動作をする。飛び込みの営業で図々しくもお金持ちと思われる方々と面識を持つため色々と無茶をしてきたものだ。例えば舎弟企業と知らずヤクザな人達と取引して新規開拓した時は大変だったな。けど結局は政治結社を有していない5次団体の、見てくれだけ怖いだけの怠け者で、警察と手を組んで対策を用意したらあっという間に逃げ出した奴らだった。その名残でICレコーダーやらなんやらを持ち歩くようになったのだが・・・。

「・・・うーん、なんかやる気出ちゃうな。鬼が出るか蛇が出るか」

 さきほどのロミオとノリスの話を真に受けていないが、もし万が一そうなら極力失礼の無いように、かつ誘いに乗ったり約束事はしないようにしなければ・・・!

 館の前に立って、身なりを整える。とにかく第一印象と第一声が大事だ。自分より上の世代に評価され続けられるのが営業マン。ゆえに年上の世代に違和感を覚えないよう身なりを整えマイナス点をすべて取り除く。自分の体をチェックする。

 頭髪、良し。寝癖、矯正済。目ヤニ、無し。鼻毛は、出てない。口回り、清潔。耳くそ、無し。爪は切ったし垢もない。靴も常に綺麗にしている。服のほつれや着崩れもない。体が歪んで見えないようにまっすぐしている。だらしなく口を半開きにしない。貧乏ゆすり、クネクネしない。指で遊ばない。ペン回しの癖は今回関係ない。

 表情は明るく振る舞うように表情筋を意識しないとダメ。特に日本人は表情筋を上手く使えないので「表情が乏しくてコイツ何考えてるか分からない」と思われる。とにかく日頃から外交的になって友人と楽しく過ごせば顔の垂れがでなくなる。

「よし、行くか」

 スーツじゃない分ちょっと不安だが、とりあえずこれでいいはず。

 俺は強張る体を鼓舞する為大きくを息を吸って、緊張感ごと吐き出す。そして館の玄関前に立ち、ノックする。

 国際標準のノックの回数はベートーベンの「運命」の4回と覚えよう。

 ノックした途端、営業マンスイッチの入った俺の視界は鮮鋭になる。

 館の中からドタドタとくぐもった足音が聞こえる、次第に大きくなり、ガチャリ。

「おぉ、よく来たのぅ、待っておったぞ」

 扉を開けて顔をのぞかせたのは、長い白髪と長い白髭のお爺さんだった。恐らくこの人が件のジュリエットのお爺さんなのだろう。

 しかし“待っていた”というのはなんだろうか。

 俺はこのお爺さんを「やっと出会えた大切な人」と思ってお辞儀する。

「おはようございます。約束もなく朝早くから押しかけるような真似をして―――」

 言葉を遮るようにお爺さんは手をゆっくりあげて、笑顔を向ける。

「おお、構わん構わん。君のことは知っとるぞ。最近始まった、川で砂金を採るのに、えらく活躍しとるそうじゃないか」

「ここに来たばかりの私をご存知でしたか、恐縮です」

「ほっほ、大層な働き者と聞いとる・・・そして今日来たのはズバリ・・・」

「ずばり」

「この街に永住するにあたり、自分の墓を買う為じゃろ?」

「えぇ・・・?

 いや、恐れ入りますが・・・今回は別にそう言ったわけでは・・・」

 なんだろう困ったな・・・思ってたのと違うぞこのご老体・・・。



 麝香じゃこう草の焦げた臭いで、私は目を覚ました。どうやら作業机の上に突っ伏して眠り、寝相の悪さで消えかかった蝋燭ろうそくに当ててしまっていたようだ。

 ハッと自分の粗相を悟った私は慌てて頭を上げる。絨毯じゅうたん敷きの小暗い部屋。たくさんの棚、写本に必要な参考図書の山。羊皮紙、仔牛皮紙ヴェラム、竜皮紙、綿紙、葦紙、ドルイドの樹皮紙の束。百を超えるインク壺は色も材料も違い、それぞれに番号を振って管理されている。羽ペンも鳥の種類や部位により書き心地や効果の具合が微妙に違うのでこれも百を超える数を揃えている。顔料もそろそろ補給しなければいけない。特によく使われている炭は上質な物でなければならないから、またジキルさんに頼まなくては・・・。

 「トラトス地方薬草大全第五版」は途中で止まっていた。細密さいみつ画は終えているが飾り文字、飾りけい、その他装飾も最新版に合わせて新しく考えなくてはならない。

 文字の種類からその太さ、飾りに至るまで、一冊の本を仕上げるというのは、自分の人生の妥協できない部分でできている。そう信じて疑わない。

「おぉ、よく来たのぅ、待っておったぞ」

 遠くからお爺様の声が聞こえた。朝早い時間に客人が来るのは珍しい。呆然としていた頭に日常がぶり返してくる。すぐにお茶を用意しなくては――――。

 部屋を出て身だしなみを整える為洗面所に向かおうとしたが、お爺様が私を呼ぶ声がした。言われるがまま私は玄関にフラフラ歩いていく。

「はい、お爺様・・・」

「おはようございます、あなたがジュリエッ――――ブッ」

 そこには私を見るや顔を横にして噴き出す男がいた。この人は前に見た事がある。

 それは確かそう、ジキルさんが街に来てすぐ市を開いて、私もそれを聞いてすぐに買いつけに行った時に会ったはず。ええと、それは・・・どこで会ったのかしら?

「ホッホ、すぐに顔を洗ってきなさい。昨日は“満月の光を浴びる樫の木とその下に生える満月草の曰くの考察”を書いておったようじゃの・・・?」

 流石お爺様、昨晩私がやっていた仕事の内容を見抜くなんて・・・え?

「・・・あらやだ、わたくしったら・・・」

 私はやっと、自分の写本していた内容が顔にべったり着いていたことに気づく。

 おそらく仕事がひと段落した時にしてそのまま乾いていないページに顔を突っ伏して寝てしまったのだ。すぐに顔を洗わないと――――。

「おおっと、お待ちてください。先に用件を済ませましょう。

 この手紙を渡すだけですぐ消えますし、その顔も忘れましょう。さぁ――――」

 そういって気さくそうに男は私に手紙を手渡そうと近づきます。手紙の配達人にしては言葉遣いや姿勢、仕草が洗練されており、他の男性とは一線を画す存在だと認識した。素直に手紙を受け取ろうとした瞬間、突然全身の毛が逆立った。


 男は、“なにもなかった”。


 一言で表すには難しい。この男の人はすべての人間が持って生まれる守護精霊を宿しておらず、また幼子のころから風習として風土病の克服の為に施される対病術式や、少なくとも各家庭ごとに信仰する多神の、一柱ひとしらくらいはその祝福を受けるはずなのに、この男にはそれらが無い。

 ――――いや待って、それどころか魔力も宿していない。

 眠気が吹き飛んだ私は呆然としつつ手紙を受け取り、去っていく男の背中を凝視していた。やはり男からは、何も感じ取れなかった。

「お爺様・・・あの人・・・」

「ホッホッホ・・・まぁ、一人くらい居ても可笑しくはないじゃろ。

 いやしかしまだ墓を持つ気はないときたか、そうかー残念じゃー・・・」

 お爺様が庭の方へ歩いていく。私はまたハッとして、洗面所に向かった。

 顔を洗い、髪を整え、手拭いで湿り気を完全に抜いて、改めて手紙を見る。

 封蝋ふうろうがない白い手紙は、見たこともない折り方をしている。

「いや待って、この紙・・・何でできているの?」

 白い手紙というのは別段珍しくは無い、しかし数多くの紙を扱ってきた私でも、その材料が木材だと特定できても、その製造法が分からなかった。なにか特殊な製法か、独自の研究で成し得た錬金魔法を使ったのだろうか・・・?

「えと・・・どうやってひらくのかしら・・・?」

 得体のしれない手紙の折り方に、私は手間取る。線対象に折られた、何段も折って重ねられた紙が開かれた時の大きさを予想させ、中央の四角の紙片が「引け」と自己主張しているようなしていないような・・・。

「おはよーお姉ちゃん・・・」

 寝ぼけた顔で妹が洗面所に入ってくる。

「ああ、おはよう――――」

「ん?その手紙どうしたの? 洗面所に紙を持ち込むなんて珍しいね?」

「う、うん・・・えっとね、この手紙・・・」

「それってー、帝都の若い子たちの間で流行ってる手紙の折り方だよね?

 中央のピラピラひっぱたらほぐれるよー」

「ええ?」

 流行にうるさい妹がそういうので、私は言われたとおり引っ張る。すると折られた紙が展開し、丁寧に折られてできた手紙が開く。

 これは・・・紙の特性を理解し、折ればどうなるか予想する構造把握力もさることながら、幾何学的に機能していて面白い折りものだった。

 遊び心がある人が紙を扱ったらどうなるかの好例だと思った。

「・・・・・・あら――――」

 この手紙の折り方に感心するが、中身はもっとすごかった。

「あれー? コレ恋文だよね?」

 妹が覗き込むので、私はあわててしまいこみ、部屋に戻る。

 改めて手紙を読むと、それは恋文というより、私と仲良くなりたいがなぜかうまくいかない自分の心情を理解してほしいという内容だった。

 読めば読むほど、なんて純情な文章でしょう。それに読みやすい様に何度も推敲されているのが判るし、単純なようで語彙力豊かな文章構成。私を見てどう思い、それからどうしようかと悩みを打ち明ける段落の分け方が物語的で参考になる。

 これを書いた――――いえ、手紙の差出人、ロミオさんの話を聞いて、これを考えて上手く手紙に落とし込んだ人はどこかの詩人か作家なのかもしれない。

「もしかしたら・・・・・・さっきの人が・・・?」

 などと思ったが、今は手紙の差出人。ロミオさんの事考えようとした。

「とりあえず、会ってみようかしら・・・?」

 写本の仕事はまだ納期に余裕がある。たまの息抜きに、新しい友人を作るのはいいことだと思った。それにもしかすると失礼かもしれないけれど、ロミオさんが手紙作りを手伝った人と、さっきの人について教えて貰えるかもしれない。

 この手紙を読む限り、ロミオさんはとても心優しい人だ。きっと失礼が無ければ、この手紙を書いた経緯を、少しずつ話してくれるはず。

 ロミオさんの為に手紙を考えた人。

 さっき手紙を渡してくれた人が。

 どうか同じ人でありますように。



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