3袋目 トラトスの街
「おい、ナガトエイト。起きなよ」
ヴィクの声に俺は無理やり首を動かして、ぼんやりとした視界から朝日が射すのを感じ取り、体を力づくで起こさせる。馬車の中で雑魚寝していたので、体は木目に沿って軋みあがり、背中がまっすぐ歪んでいる。
「・・・・・・今何時だ?」
「ナンジってなんだ?」
「・・・・・・嗚呼、そうか、ないのか時計は」
俺は両手でしっかり抱えていた忌々しい袋を開け、ビジネスバッグから腕時計を取り出す。午前6時11分。元の世界の日常生活より早い時間に起きた。
寝ぼけていた頭が鮮明になるにつれ、平衡感覚がおかしい事に気づく。この馬車はいま緩やかな坂道を上っているようだ。
「こんな無防備に寝る奴は久しぶりに見た。もしかして旅とかしたことないだろ?」
ヴィクの問いかけに俺は頷く。
「もしかしてヤバイことか?」
「やばいかどうかじゃなくて、どうかしてる。
まぁ、俺やエレミアが寝ているあんたに何かする事なんてないけどな」
「・・・次からは気を付けるよ」
ゴキゴキ、首と腰の関節を鳴らして矯正する。我ながらよく寝たし、頭の中はすっきりしていた。しかし反省しなければならない。確かにこんな野盗とか襲ったり――まだこの目で確かめたことはないが――モンスターと呼ばれる存在がいる世界なんだ。少しは警戒心を持ってもいいはずだ。なのにこうやって馬車の幌布一枚で隔たれただけで何も安全を保障されていない所で熟睡するなんで、確かにどうかしている。
「見えてきたよー。あれがトラトスの街ですよー」
ジキルの快活な声につられて、俺は腕時計をバッグにしまってから外を見る。まず目に映ったのは、レンガの壁。続いて行き交う商人と、働きに出かける男たち。野菜や綿を運ぶ女性たち。
馬車はいったん止まり、城門に着いた。衛兵がジキルの所に近づく。
「ようジキル。予定より早く到着したな」
「いやー実は夜営するところで野盗に襲われた人たちを“発見”しまして。
これはマズイと思って、まっすぐこっちに来たんです」
「そうか、大変だったな。・・・で、荷物は?」
「はい、いつものと、あとアポロン騎士団からのご注文と、人が3人」
衛兵が馬車から覗いてくる。俺は身構えずにじっと衛兵を見る。
「一人は入団希望と、一人は教会からだそうです」
「あの変わった服装の男は?」
「あー大丈夫ですよ。かなり遠いところから来たそうでして・・・」
「そう、なのか・・・?
おい、そこのお前。何か怪しい事をしていたら容赦はしないからなっ」
それだけを言って、衛兵は退いていく。ジキルは一礼してから馬車を前進させる。
「うーん・・・やっぱりこの恰好じゃ怪しまれるのか」
スーツ姿の男なんて、絶対に目立つ。早めに資金を調達する手段を得てから替えの服装を買えるようにしないといけない。あと食と住の確保とかこれからの事とか、
いやーやる事が多いな。
一度この異世界で生きる覚悟ができると頭が冴える。
街の中に入った俺たちはそれぞれの目的の為に別れた。ヴィクはアポロン騎士団の所に行き、エレミアは教会に向かった。ヴィクは別れ際、腰にぶら下げていた一本の剣を俺に手渡した。
「これは昨日襲われた、護衛と思われる奴が持っていたショートソードだ」
「ええ・・・なんで俺に渡すの・・・?」
「いいじゃないか。剣は生きてる人間にこそふさわしい。死者の墓標として土に突き立てるにはまだはやい。見たところ新品だし、昨日お前が寝ている間手入れをしておいたんだ。このまま別れたら、あっという間に死ぬんじゃないかって思ってナ」
「おいおいヴィク・・・」
「ヴィクはあだ名だ。本名はヴィクティム・グレイ。じゃあなナガトエイト」
淡泊に剣を手渡して、さっさと町の中心地へと歩いて行った。俺は少し困ったが、もらえるモノは貰っておこうと結論付け、忌々しい袋にしまった。
元々トラトスの街は小高い丘の上に建つ砦で、国境を守護する軍事地区だった。その為この周辺を治める貴族トラトス氏は「辺境伯」の称号を帯びており、軍事色が強い。自領の軍以外にも数多の武功を立てた「アポロン騎士団」を有しており、他の地方長官である伯たちから一目置かれる、鶏群一鶴の人だ。
「だけど今はトラトス辺境伯はご高齢で健康状態も悪く、副官とアポロン騎士団が代理でこの街を治めてるんだ」
ジキルの指示に従って馬車から荷を下ろしながら、この街の事情を聴いている。
俺は今ジキルの商売の手伝いをやっている。
目的もなくこの街にやって来て、これからどうしようかと途方に暮れていた俺を見かねて、わざわざジキルが申し出て、俺の世話を焼いてくれる。
正直、ありがたい。ここまで親切にしてくれるなんて・・・
何か裏があるんじゃないか?
「ここが軍事地区ってことは、おもな産業は軍需企業が?」
「え? いや、普通に丘を下った平原で綿花農場があって、紡績が主だけど・・・
今は土づくりで石灰をまいてるんじゃないかな?
あっ、あと近くに鉱山があったり、結構できることは多いよ」
「特に今現在なにか争いごとがある訳じゃないんですね?」
「そうだね。ここ1年は平和そのものだし、国境に接していないからね」
「・・・ん? どういう意味だ? ここはさっき国境の近くって・・・」
「――――あ、あーそうだね、その辺の事も知らなかったんだね」
荷を半分下ろし、一つずつ商品を並べ市場で売買しはじめる。この辺で採れない作物から日用品、保存食、武器や防具も少々。俺はジキルの手伝いを続けながら、注意深く街の様子を観察する。
トラトスの街の市場に売られているものは綿、麻、羊毛などを
朝が早いので、客層は独身と思われる若い男たちと主婦とみられる女性たち、あとは母親についてきた子供たち。みんなジキルの商品を吟味しては売買する。
「(・・・みんな顔立ちや体形、頭髪や目の色まで、アジア系がいない・・・)」
ジキルに銭勘定を教わりながら、本当に今までの人生とは異なるファンタジーな世界に来たんだと実感する。
でもこういったファンタジー物に限って、なぜみんな西洋系なんだろうか・・・?俺は別にファンタジー物に詳しい訳じゃない、むしろ映画とかで高品質なファンタジーシリーズを面白おかしく鑑賞していたが、それは飽くまで娯楽の範疇で、夢中になって考察や研究をするほどじゃなかった。
小高い丘の上、という事もあって、石垣と坂道が多く見られた。住宅は2階建てでロフト付きが多く(実はちょっと覗き見た)、また雪が降る為だろうか屋根は鋭い三角だ。昨日草原で嗅いだ雪の残り香がするように、ここにも四季があるのだろう。
「すごいじゃないか。ちょっと教えただけで会計ができるなんて。それにお釣りの計算も早くて助かるよ」
「金貨がなくて、銅貨と銀貨しかなかったから早くできたんだよ」
いつの間にかジキルの隣に座って、一緒になって売買している自分がいる。銅貨12枚で一番安い染料を渡す。銀貨3枚で羊皮紙と
「別に貨幣価値の基準が無い訳じゃないんだけど、税制とか相場とか地方でそれぞれの貴族が決めてるわけで、トラトスは税が重い代わりに品物は安いんだ」
「イラッシャーセー」
「あ、そのアイボリーベリーは早く使ってくださいね、風味が飛びますからね」
「コチラアタタメマスカー」
「え!? 奥さん3人目!? それはおめでとうございます! じゃあちょっとサービスにこれをおまけして・・・」
「ヤスイーヤスイヨー」
「やぁ、いらっしゃい。どれもいいものばかりですよお客様」
「アリガトーゴザイマシター」
商売がひと段落して、俺たちは酒場で遅い朝食をとっていた。注文した料理が来るまで二人で丸テーブルを陣どり、今朝の売り上げを計算する。その間に、俺は3種類の銀貨の説明を受ける。
「この一番大きいのが大銀貨。ここ最近流通し始めている、金貨は持ってないけど銀貨は大量にある場合に換金されて、金貨の次くらいに価値がある。この小さいのが小銀貨。大体みんなこれを持っている。最後に中間くらいの大きさの古銀貨。これは何百年も使われている一番古い硬貨で、時代によって銀の含有率が違ったり偽造品が出まわてたりするんだ。これを是正するために大銀貨が作られたんだけど、なかなか浸透しなくってねー、僕ら行商人はこれを効率よく流すように商売してるんだ」
「なるほどな。庶民の間では小銀貨と銅貨で釣銭用に、古銀貨と大銀貨で取引にの主な通貨として使われていると。しかし古銀貨のほうがまだまだ信用が高いからなかなか大銀貨に代替わりしないと」
「それなんだけどね、僕としてはこの3種類の銀貨はいい政策とは思えないんだ。銀貨の額面としての価値と、実質的な価値に違いがあるから、大銀貨を使わず懐にしまって、今まで通り銀の含有量の少ない方の古銀貨と小銀貨を使うだけで終わると思うよ」
「グレシャムの法則だな。経済の法則の一つで、悪貨は良貨を駆逐するって話だ」
テーブルの上にはそれぞれ大銀貨、古銀貨、小銀貨、銅貨の山。売り上げを計算し終えたジキルは、銀貨の山たちをすこし崩して、もう一つの小さい山を作る。
「この銀貨40枚が君の取り分だよ。収めてください」
「・・・・・・いいのか?」
「ああ、もちろんだよ。荷物持ちから会計まで結構手伝ってもらったし、なにより一文無しなんでしょ? これから色々いりようだし・・・」
「どうしてそこまで親切にしてくれる?」
「ええ? 誰かを助けるのに、ちゃんとした理由がいるのかい?」
「・・・・・・」
俺は眩暈を抑えるように眉間を押さえる。続いて溜息、あと反省。
嗚呼、こいつ、掛け値なしに善人だ。
「――――いや、いろいろとありがとう。このお礼は絶対に返しましょう」
「うん」
丁度いいタイミングで、注文した料理が運ばれてくる。俺たちはお金をしまって、料理に向きなおす。
「パンとオークの肉野菜炒めです。冷めないうちにどうぞ」
「いただきまーす」
「いただきま・・・え?」
俺は何か引っかかる単語を聞いてジキルを二度見する。ジキルは美味しそうに肉野菜炒めを頬張ってる。労働の後の食事なのか、実においしそうに食べている。
「・・・・・・・・・」
俺は何か大切なことを見逃しているような気がしたが、恐る恐る食べてみた。
肉野菜炒めは、塩味とニンニクに似た香辛料の味が薄く口の中に広がり、甘みが乏しく身がかたい豚の味がした。これが異世界で初めての料理である。
「よぉジキル! こっちにきてたのかよ!」
食事が終わったころに一人の男がジキルに近づいてくる。親しげなところを見るに知己のようだ。ジキルも笑顔で答える。
「やー、トーマスさん。元気でしたか?」
「おうよ元気元気! なぁちょっと聞いてくれよぉ」
トーマスという男が余所のテーブルから椅子を借りてこちらのテーブルに座る。
「お? 見ない顔だな? 今日来たのか?」
「ああ、はじめまして。ここは活気があっていいところだ」
「そうだろう? ここらへんじゃ一番の街さ!」
トーマスという男は50手前の中年で、筋骨隆々の体にべったりと脂がのっている風体だった。昔は「街一番の力自慢だった!」と言われても信じられるくらいだ。
「あー挨拶はここまでにしてだ。聞いてほしいのはな! ちょいと前にフィリーズんとこの
濡れ鼠になって帰ってくるのはいつもの事だったんだが、パンツの中にとんでもないもん引っ付けてたんだよ! なんだと思うよ?」
「んー・・・パンツの中じゃわかんないなぁ・・・川魚じゃないよね?」
「ああ、そんなチャチなもんじゃネェ・・・・・・あんたはわかるか?」
「ん? 俺か? そうだなぁ・・・」
小首を傾げてから、考える間もなく勘で答える。
「わかった。デッカイ
「なんでだよ! 砂金だよ砂金!!」
「砂金!?」
ジキルが思わず立ち上がる。俺も「おっ」と予想を超えた物ができてて驚く。
「ああ。それでもしかしたら砂金で一儲けできるんじゃないかって、今日爺様(トラトス辺境伯)の所に遣いを出してお伺いを立てたんだ。そしたらオッケーがでてな! いま人を集めているところなんだ。ジキルにも外から人を集める手伝いができたら頼めないかな~って思ってたところに、お前がここに居たってわけだ!」
トーマスが言い終わった時、俺とジキルは顔を見合わせ、お互いに頷いた。
「人手が欲しいんだね? じゃあここに一人、いるんだけど?」
「はい、ちょうど働き口を探してたんです。
俺くらいの素人でも砂金採りはできるだろ?」
「おおっ! さっそく一人確保できたか! よろしくな若いの!」
俺は席を立ってトーマスと握手する。
来てすぐに働き口を見つけるとは幸先がいい。異世界生活をする最初の街がここでよかったのかもしれない。
あと最初に出会った人がジキルで本当よかった。これだけははっきりとわかる。
いつか生活が安定したら、改めてジキルにお礼をしよう。うん、そうしよう。
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