2袋目 野盗、死体、鎮魂

 人間は、未来へと進む文明と、社会との関係を変化させた後は、二度と、昔のおめでたい無知な自分に戻る事はできない。

 特に常日頃から文明の恩恵と贅沢を知る身にとっては、とても堪えきれるとは思えぬ、辛い現実だった。


 ガタンゴドンッ…! ガダンッ…! ガタタンッ…!


 憂鬱な気分から脱した俺は目を開いて周りを見る。薄暗い木製の床、商売道具と思われる荷物が多数と、向かい側には無言で座る二人の男女。布と木の骨組の接触面で破れた小さい穴から差し込む光は夕日だった。

 ほろ馬車はゆっくりと走っていく。誰もが忌避する暗鬱な気持ちとは無関係に、遠くに見える山間部から流れる涼やかな風が隙間から忍び込み、痩せた平野部から雪の残り香を消さんと春の匂いが強まり、2頭の馬車馬から働き者の匂いも混じり、垢抜けた都会の男に疎外感を与える。

 車輪と車体をつなぎ目に、路面からの衝撃や振動を吸収して車体を安定させるサスペンション。駆動を支え、摩擦を減らし、スムーズな機械の回転運動を支持するベアリング。車輪を丸く囲み衝撃を吸収する窒素で満たされたゴムタイヤ。セメントで水平に塗り固められ舗装された道路。

 その全てが無いむき出しの凸凹道を行く馬車は、正直つらい。

「そして何よりお尻が痛い・・・」

 俺は揺れる馬車内を。手をついて移動した。黙って座る二人の男女が慣れない馬車内に四苦八苦している俺を見て、少し驚いていた。

「――――ああっ、もう大丈夫ですか?」

 ワゴンに身を乗り出し、手綱を握る青年の隣に座る。

「いやーどーもこーもないよ、吐き気はしないけどお尻が、ね?」

 ケツに加わる衝撃は骨身にしみる。子供のころ近所のじいさんに乗せて貰った軽トラが、いかに乗り心地が良かったものか痛感する。

「慣れないうちはお辛いでしょうけど、明日の朝にはトラトスの街に着きますから、それまでどうか――――」

「んっ、がんばる」

 申し訳なさそうにする青年の言葉を遮るように返事をする。彼には何の落ち度もないので、こういったやり取りは早々に切り上げた方がいい。

 春の夕焼けに映える穏やかな青年。草木萌動そうもくめばえずるには蟄虫啓戸すごもりむしとをひらくを知らぬこの季節柄――おそらく初春のころと勝手に判断しつつ――とても自力で冬を乗り越えたとは思えぬ人畜無害そうな好青年だった。

 青年の名は「ジキル」。国中を渡り行商を生業とする彼は道中俺を見つけて保護してくれた。馬車内で座っている男女のうち、男は「ヴィク」と呼ばれ、女は「エレミア」と呼ばれていた。職業柄、人の名前と顔を覚えるのは徹底させているわけで、ちょっとした会話と動作で人物像をとらえることは得意だった。

 ヴィクはいかにも戦いに身を置く兵士の様な出で立ちだった。しかし俺より一回りは年下に見えるし、どこかの所属かを示すものは何も見当たらなかったため、おそらくは新米の傭兵か入隊前の兵士なのだろう。

 エレミアは分かりやすく、白黒を基調としたシスター服だった。その服装で宗派を特定するほど詳しくはないが、シスターベールの額の部分には十字架に似たシンボルが飾られ、馬車の中でも規律正しく座っていた。

 そして俺はというとスーツ姿のままだった。合併後の仕事を頑張る為に先月オーダーメイドしたばかりのスーツは、仕立て屋のあんちゃんも気合を入れて作ってくれた一張羅だ。

 上着ジャケットは肩幅周りの重みが均等に、肩先の部分を1cm程度つまめる余裕があり、スーツからのぞくシャツの袖は1.3cm(ハーフインチ)。ボタンをすべて閉じジャケット裏に手を入れるとき“握りこぶし1つ分”入るゆとり。パンツのウエストはシャツを入れるとき余裕を持たせるため、手のひらを入れてウエスト周りをぐるりと1周できるように採寸され、ジャケットはお尻が隠れる程度かつ腕を下した状態で指を曲げ、ジャケットの裾をつかめる着丈が理想。

 ブランドはタケオキクチ。前から欲しかったブランドだ。スクエアショルダースタイルの細身シルエットが特に気に入っていて、30手前で体型が変わりつつある自分が見栄をはるにはこれが一番だと思った。

 靴もタケオキクチに合わせて新調した。日本人に合うよう職人の手で作られた柔らかい履き心地が営業マンの足を支えてくれた。


 が、ここは(絶っっっ対認めたくないが)時代錯誤も甚だしい異世界だ。


 最初に3人に尋ねられた時は相当困った。どこの国の出身か、どこの組織に所属してるかもわからない男。それを説明するのは無理難題だった。

 日本という国の〇×ホールディングスの営業二課の永戸永人ながと えいとなんてこの世界には存在しない。この説明できない苛立ちは狂熱の炎になって俺の心を乱し、鎮火した時には憂鬱な罪悪感が襲ってきた。30年足らずだが確かに俺は生きていて、それを否定されるように訳の分からない男に飛ばされて、現代日本で生きる証と死ぬ義務をないがしろにされた、俺の気持ちを言葉にしても理解できる奴は、この異世界には誰も居ない。


 ぼんやりと、会話もなく風景を、ただ見ているだけ。さっきまで取り乱すのを我慢して、勝手に意気消沈して、俺の異常を察した3人に促されるように馬車に入ったことを思い出しながら、これからのことを考える。

 我ながら情けない姿をさらしてしまった。そしてこれからどうしようか。いま身に着けているものといえば、右のズボンポケットに財布(鍵付き)、左に携帯電話(社用)、薬物乱用防止啓発の広告が入ったポケットティッシュ。お尻のポケットはハンカチ2枚。胸ポケットにはポケットチーフとペン型ICレコーダー。内側のポケットに名刺入れと名刺。そして例の忌々しい袋と、その中にはビジネスバッグ。

 

「どれどれ・・・」

 俺は例の忌々しい袋――あのニカ・トバルと名乗った男から受け取った袋――からビジネスバッグを取り出す。忌々しい袋は俺のビジネスバッグより大きく、俺の背中ぐらい広い。大体大きさはヨコ45~50cm。タテ65~70cm。何気に黄金比っぽい長方形型なのが憎い。素材は麻に似ているが触り心地は昔、家に置いてあったテディベアみたいだ。

 ビジネスバッグの中は、多忙を極めていた時期なので何が入っていたのか、自分でもよく憶えていない。そんなのビジネスマンとしてどうかと思うが、とりあえず中を見てみよう。

 クリアファイルに契約書十数枚、私物のスマートフォン、クリアファイルにA4のコピー紙(白紙)。学生時代から使っている筆記用具一式。スペアの名詞と名刺入れ。朱肉、印鑑マット。アプローチブック、提案資料。タブレットPC。モバイルバッテリー3つと未開封の乾電池(12本)。メモパッド、身嗜み用のブラシ、ハサミ、爪切り、手鏡、歯ブラシセット。腕時計(飲んでるとき外した)。ガム3種類、カロリーメイト(チョコ味、2本入り)、好物のスニッカーズ。電卓。折り畳み傘。防水スプレー。タバコ、ライター。予備のネクタイ。用箋鋏とクリップもある。最後にエチケット用に買っておいてそのままのマスクを入れてしめて30点。

「どんだけ整理整頓しなかったんだ・・・」

「――――いろいろと入ってますね。なんなんですか、それ?」

 ジキルが興味深そうに俺の手荷物を見る。旅の行商人らしく、見たことないものに目が無いのだろう。

「・・・ん・・・まぁ、仕事で使ってたヤツなんだけどさ・・・・・・」

 こんなパンパンに膨らませた重いバッグを持って新宿周辺をうろついていたのかと思うと、精神的に参ってたのが窺える。自分を客観視せず仕事に追われていたことにやっと気づいた。でももう遅い。

「・・・あっ、この臭い・・・」

 突然ジキルが前を向いて、注意深く遠くを見やる。俺もつられて、少しぼやける夕方の水平線に、細長い黒い煙を見つける。


 馬車がついたところは、旅人が足を休める休憩ポイントだった。山から川の水が流れ、井戸もある。腰を落ち着かせる丁度いい高さの岩も見受けられるし、野営の痕跡も複数見られた。しかし。

「・・・うぇぇ・・・」

「嗚呼、これはひどい・・・」

 そこには5体の死体が無惨に放置されていた。死臭をまき散らし、蠅が飛び交う。空の上にはカラスの群れがが悠々と、「エサ」にあり付こうとまっている。

「こいつは・・・野盗にあったんだな」

「ああ。その跡に狼か猪が食べたんだと思うよ・・・」

 馬車からヴィクが下りてきて、死体に近づいていく。ジキルもそれに付いて行く。俺もそうしようとしたが、途中で足がすくむ。

「あなたはそこにいて下さい、エイトさん」

 シスター・エレミアが優しくそう言って、ヴィクについていく。

 俺にとってはショッキングなものだった。これらの死体たちに比べれば車に轢かれた子供や電車に飛び降りて逝った中年なんて綺麗な死体だ。悪意ある人物が殺し、奪い、野生動物が食い散らかしたモノだ。

「・・・ん? よくみたらこれ、一人の人間が引き裂かれて5人に見えるな。本当は4人の家族…なのか?」

 ジキルが黒い煙を上げている火を消し、少し遠いところに放置されている死体に近づき、眉間に2本の皺を作って観察する。

「こっちの子供はひどいよ・・・途中まで引きずられた後両足を持ってかれてるよ。母親の方はハラワタがない。これはモンスターの類だよ」

「かわいそうに。すぐに準備しますね・・・」

 エレミアがこっちを見て、なにか手伝うように促す。

「あ、ああ・・・何をするんだ?」

「とりあえず、馬車から布とシャベルを。布は大きいので。

 それでいいですわね? ジキルさん」

「ああ、使ってください。弔う為なら使ってくれても」

 俺は言われたとおり、馬車の中から布とシャベルを探し出し、3人の所まで行く。ヴィクは死体とそのパーツを集め、俺とジキルで穴を掘る。

「本当はここら辺で休憩する予定でしたけど・・・この人たちを弔ったら、まっすぐトラトスの街まで行きましょう」

 俺は返事をせず慣れない手付きでシャベルを使って穴を掘り始める。ジキルは淡々と掘り始めるが、俺はジダバタするように急いで掘っていた。焦燥感が頭の中を侵食するようだ。急がないとあの家族のように、俺たちも、と考えしまう。

「・・・あのシスターを何をやっているんだ?」

 俺は吐き気と帰りたくなるような臭気を我慢しながら土を穿っている。

 シスター・エレミアは懐から書物を取り出して、それから何やら決まった動作を反復してはブツブツ唱え、入念な準備を進めている。

「あれは鎮魂の為の魔法と儀式をしようとしてるんだ。ああしないと彷徨える魂がゴーストになるから、大切なお仕事なんだ」

「まほう」

 素っ頓狂な、しかしシックリくる単語が、するりと善良そうな男の舌から滑り落ちてきた。魔法、魔なる方法、祈りと呪いの拡大解釈。

「これで全部だ」

 ヴィクが死体を集め終わると、1体ずつ丁寧に大きな布に包む。

 最初は小さい子供、次に父親、損傷のひどい母親、最後に家族とは思えないが、傷の多さからおそらく護衛であろう男性。死体が遺体になる。

 俺とジキル、ヴィクも加わって墓穴を掘るのを無視して、エレミアは並べられた遺体の前に膝をついて、大きく息を吸って、ゆっくり目をつむる。


「ここに、眠る事のない横たわる信徒がいる

 沈む陽の安らぎを忘れ、昇る陽の暖かさを知ることは無いでしょう

 見果てた夢は思い出に、なるようにしてならなかった事を置いといて

 わが胸にある郷愁たち、故郷は死したあなた方を今も手招いている

 右手には神の御剣が、左手には守護霊の盾が、魂には水の器・・・

 彷徨える魂よ」


 不意に、寒気がした。ボボボと風が吹いていないのに風切音がする。風の音に混じって怨嗟の声が木霊する。しゃなり、しゃなりと掠れては反響する、妙に耳に残る衣擦れの音たち。

 エレミアの周りに冷たい空気が渦巻く、程なくして陽炎が立ち、陽炎は収束して、ぼんやりと尾を引いた小さな炎が4つ、エレミアの頭上をゆっくり回る。これは直感だが、あれらは魂だ。


「さようなら、神の信徒よ、さようなら。神への扉はわが胸にある

 別離のさだめに悲しみがあるなら、座へ帰すことに喜びがある

 私はあなた方の知らぬことを許し、あなた方は私と未練を忘れる」


 フッ、と、寒気が消える。4つの魂が立ち消え、静寂に包まれる。

 気づけば俺たちは穴を掘り終え、遺体をすべて穴の中に置いていた。

「・・・今のはなんだったんだ? 彼女の周りに何がいた?」

 俺の言葉に、ヴィクは不可解な顔をする。

「ええ? 別にただの鎮魂の詩と魂を呼び寄せる魔法だけど・・・

 まさか魂が見えたんじゃないだろうな?」

「いや、それがよく分からないから聞いてるわけで――――」

「これでいいですわ」

 エレミアが立ち上がり、略式の葬式が終わる事を告げる。

 丁重に弔いを済ませた時にはすっかり陽は落ち、暗闇が広がり始めている。もはや近くまで寄らないとだれか見分けがつかない。

「さぁ、馬車に乗って!まだ野盗や動物がいるかもしれないし、夜になったらモンスターも出るんだ! 乗って乗って!」

 ジキルに促され、俺たちは川の水で汚れを洗い流し、馬車に乗り込む。

 

 焦燥感は、無い。ただ不思議なものを見せられて、宵闇の恐ろしさがチンケなものに感じた。けたたましい馬車の音。まだ残る血の匂い。死が日常に地続きな世界。魂の実在。忌々しい袋に収まった異物たち。

 もうアレコレと、自分の世界に帰れないと思う事を何度も繰り返すのはうんざりしていた。そろそろこの世界についてよく見るべきだ。注意深く、執念深く、生き意地汚く、死にたくないから。あの哀れな家族と護衛を弔ったあの時から、憂鬱な気分が引っ込んだ。

 そして俺は一つの結論に達した。


 この世界で生きていくしかない、それも必死に、今まで以上に。


 馬車は揺れていたが、もはや誰も言葉を発していなかった。俺は不意に、あの忌々しい袋を手に取って、大事に抱えて寝る事にした。

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