1袋目 最後の晩餐(居酒屋)
右手にビジネスバッグ。
左手に携帯電話。
口の中にブレスケア。
永戸 永人(ナガト エイト)は今日も行く。見慣れてしまったコンクリート建築の中を、新しい上司と意見交換し、取引先の同行者と名刺交換し、新宿駅の迷宮に入り、非効率的な新規開拓営業を続けること5日目。
流石に疲れ切っていた。それもその筈だ。自分の勤め先が吸収合併にあい、吸収する側の給与体制に変わって待遇は良くなったが、人間の関係の変化についていけなかった。
前の職場の雰囲気は悪くなかった。むしろ良好で、それに追随するように会社の成績もよかった。
「よかったから大きな会社に合併するって決まったのに…」
だが合併した後は良くなかった。まず前の職場の上司は昇進し、代わりに吸収する側の人間が新しい上司になった。彼はけっして部下を酷使するような人物ではないが、個人の成績よりも会社の規定を守らせることを重視し、吸収された側の人間を教育する事に長けた役員だった。
「まぁ、いい人ではあるんだが、ぶっちゃけ会社規定がね」
今は下がった成績を取り戻すように無茶なスケジューリングで回っている。本末転倒だ。はやく無難な所に決着してくれないものか。
北側の自由通路を経由して東口へ、携帯電話の時計機能を見れば、もう19時だった。
「愚痴ってもしょうがネェな」
俺は携帯電話を取り出し、新しい上司に“今日は直帰します”と告げた。
「そうか、ご苦労。明日になっても契約が取れないようなら、罰として3日間の休暇を与える。・・・君は良くやってるよ」
それだけを告げて、上司はさっさと切った。携帯電話をポケットにしまい、道行く人の邪魔にならないように歩調を合わせる。
「・・・・・・ふぅ」
新しい上司の優しさが、なぜか遠くの出来事のように聞こえる。
最近の自分は自分を俯瞰してみているようだった。
きっと疲れてるせいだ。もうすぐ30歳だというのに、自分は何をやっているのだろうか。首はくたびれ、足は棒になり、歩いているのに走り疲れているようだ。
俺はこのままアパルトマンに帰ろうか、いつものデパ地下から電気店、本屋を行く買い物ルートか考えている。考えた結果、2つのルートに分岐する地点まで歩いて、あとは自分の疲れ具合と相談して、それからという、なんとも疲れた人間がする選択をした。
「・・・・・・なんだコレ?」
俺は会社帰りから家までの2つのルート、【今日は用事ないからまっすぐ帰ろ♡】ルートと【今日はアフターファイブをしたい気分だぞ★】ルートの分岐点に立っている。立っているのだが・・・。
「おいおいアンタぁ・・・こんな所で寝てどうしたんだ?」
俺はその分岐点に猫のように丸まって寝ている男に声をかけた。
男は白のタキシードだった。靴はグレンソン、帽子はクリスティーズ、腕時計はサイモンカーター。高級志向の完全武装だ。男は話しかけられたことに気づいて、こっちを見る。
振り向いた顔を見た俺は驚いた。頭髪は太陽から庇護された様なプラチナブロンド、肌は陶器のように白く、蒼い瞳は涙目だった。
男は鼻水を垂れながら俺に飛びついた。
「うわぁーん!助けてよ知らない人ぉ!!!」
「ぎゃあああ! ヤメロォ鼻水がスーツにツクゥ!!」
俺はなんとか男の肩を捕まえて制止させた。掴んでわかるが男はえらく長身で、ガリガリに痩せていた。腹が減って死にそうなんですと叫ぶ男をなだめながら俺は、一番近い居酒屋に連れて行くことにした。
「ひっぐ・・・うっぐぅ、おいしいよぉ(;ω;)」
男は泣きながらお通しを食っている。まだ何も頼んでない。
「ちったぁ落ち着いたか? えっと・・・?」
初めて入った居酒屋の雰囲気は良かった。一枚板のカウンターは清潔で照明の光を鈍く反射してもキズが見当たらない。団体用のテーブルと距離があり外国人観光客が背負っているでかいバッグを背負ったままでも通路を通れるし、店員の声は劇団員なのか通りがいい。
「あっ!! 僕はニカ! ニカ・トバルって名前!!」
「永戸 永人です。名刺をどうぞ」
「!――――オーゥ! ジャパニーズメイシ!」
男、ニカは感動している風に仰向いて見せ、背筋をピンッッと伸ばしてからうやうやしく両手で名刺を受け取る。
「・・・大袈裟ですよ。そんなに流暢に日本語を話して、本当はここに来て長いのでしょう?」
「エエ?! イヤイヤ! そんな事ないよぉ!」
「・・・まぁいいさ、これもなんでっけな・・・」
「袖触れ合うも他生の縁! イイ言葉だよね!!」
「いやーちょっと違うかなぁ・・・こんな見ず知らずの外国人を助けたりしてねぇで、頭の上の蠅を追えってやつだ」
「どういう意味?」
「・・・こっちの話です。さぁ何か頼みましょう」
それから俺たちは適当にメニューに書いてあるモノを頼む。
生ビール2つ、黒ビールの後に塩をきつめの枝豆、ササミのテンプラ、焼き鳥をたくさん頼み過ぎて冷奴で口直し。
ちょっと席を立って用を足して帰ってみたら、ニカはサーモンのカルパッチョ、マカロニチーズの鉄板焼き、味噌モツ炒めを頼んでいた。
酔った勢いで「バカかてめぇは」と言ってしまうが、ニカは母親にしかられたようにシュンとしたと思ったら、次の瞬間にはお子様ランチを待つ子供のようにソワソワしだした。愉快な男だ。
それから俺は追加でビールビールハイボール、テンプラ各種盛り、カラアゲ3人前、ソース焼きそばを頼む。さっきまでの憂鬱さが嘘のようだ。
ニカはペラペラと俺に話しかけるが、不快な話をあえて避けて、楽しい酒盛りを心がけるようなしゃべり様に、俺は感心していた。子供のような天真爛漫さで警戒されずに近づく手管に加えて、相手の知的好奇心を満たすために用意された教養のストックが幅広く、相手に教えたがるような事をせず、さらりと流すように伝える。「社交パーティ狂いの貴族もどき」というより「上流社会の花形」と話をしているようだ。いや、実際そうなのでは?
かれこれ6時間はこの居酒屋にいるのではないだろうか。
気づけば俺は自分のことを話していた。ニカから俺の事を聞こうとしてたのか、俺が気を許して自分から話し始めたのか、よく覚えてない。
最初は学生時代の事をポツリ、たぶん人より大変な目にあったであろう苦労話から始まって、若いうちから成功することは難しいという持論を述べてから大学生の時の話をし、前の職場、今の職場のギャップに戸惑っていることをツラツラといった。そして、
「この1年間で1000件くらい回って、0を1にするのが難しいことも知った。けどそれでいいのかって思うようになって・・・・・・
このまま仕事に追われるだけじゃ時間だけ食われて手遅れになる。そんな気がするけど変えようもなく、明日の事を考える自分がいる。
気が付けばもうすぐ30だ。昔流行った映画の最新作を見なくなって、ふと思いだしたかのように1作目を見直したら20年前の作品だった。
あの時の俺は心が大人の振りをしていて、本当は思い出の中で大事にしまってあったんだ。それを年月と現実がペアになって頭を叩いてきた」
段々と、詩的な事を言い始めた。まるでおっさん――いやおっさん1歩手前であろう。酒飲んで愚痴なんて誰もがみな通った道を俺も言く。
自分はほかの人と違う歩みをしているよう主張するが、実際には人生ってやつは、ものすごく幅の広い大通りで、誰かと違う道を行くのではなく、ただちょっと変わった歩き方でジグザグに歩いていただけだと気づかされる。そして過去の自分の歩き方に恥を覚えるまでが皆が通る道だ。
一息つこうと氷が解けきって薄くなった梅酒をあおる。ニカの顔をふっと見やると、なんと泣いていた。
「ヒグゥ・・・ウグッ・・・・・・わかるよぉぉソレ・・・・・・!」
「お、おい」
「最初は僕もあぞんでいだいダケだったんだよおお!
でもみんながね!みんなが拒絶したんだ!」
さっきまでの知的な会話をしていた時と打って変わって、しゃべり方がかなり幼くなっている。いやこれは最初にあった時に戻ったか。
「あの時は楽しかった・・・人間たちは無垢で、純粋で、生まれたての僕達のようだった。でも脆かった。だからみんな強くした。でも僕は反対してオモチャを与えるようにしたんだ。そしたらみんなが僕の真似をし始めて、あいつが決まり事を上手く作ってからは、皆夢中になって・・・
創って真似て改造して考えて聞いて読んでカイテひねって壊して治して動かして追加して削除して・・・!」
ニカの目は天井を見ていた。いや、天井ではない、はるか遠い過去を空に映し見ている。
「そしたらあの子たちはどうしたと思う!? 僕たちと遊んでくれるようになったんだよ! ア、あの時の興奮は今も忘れないよ!!」
「お、おいおい興奮しすぎだ。ちょっとは静かに・・・」
「皆怖がってたよ! それも当然さ! 僕が仕向けたんだ!
そうすればみんな退屈しのぎにいじくり回すのはやめてくれるんだ。
僕が愛してやまない人間をいじめるモノがいなくなるって!」
話している途中で“でもそれは間違いだった”という言葉を遮るように酒をあおる。
「きっと素敵な世界になるはずだったんだ。僕らの手を離れて、成長して、そして・・・・・・」
もはや支離滅裂になってきた。これは潮時か。
「なぁニカ、そろそろ」
「あっそうだ」
ガタン
ニカが席を立った音が、俺の脳髄に鋭く響く。それは本能から来る忠告だった。
「(あ、これヤバイやつだ)」
深酒が過ぎたのか、非日常的な風貌のこの男と長く居すぎたのかわからない。いやもしかするとここ最近のハードスケジュールのせいで精神的に参っているのだろうか、とにかくこの男の狂気に近い愚痴に対して体が反応しない。動けなかった。
「君はもう友達だよね?」
「お、おう・・・」
「じゃあ今日のお礼をしないと! 何がいい?」
落ち着きを突然取り戻したニカの調子に、俺はついていけなかった。
「イヤ、お礼だなんてそんな」
「そうだ! キミイマノジンセイニイキヅマッテルンダヨネ!?」
ぐにゃりと、視界が歪む。
「このまま自分の人生とウソぶって、理想と現実の両方から夢を抽出するなんて、都合のいい事できるわけないじゃないか!!
いいかいエイトきゅぅぅん?二兎追う者は一兎をえずって、この世界の言葉にある通り、人間のスペックじゃ限界があるの! だから君には自分の夢や目標を持ちつつ、皆と同じ幸せな人生を送るなんて無理だから!
このままじゃダメなんだ!!」
「ひ、ひでぇ!」
「だからボカァネェ!! 決めたよ! 君の願いを叶えてあげる!」
視界の歪みが強くなる。初めて入った居酒屋が、割って入ろうとする店員が、後頭部へと流れていくようでした。
目をぎゅっと押さえてから離した瞬間の、あのぼんやりとした鈍痛の視界が頭の芯に広がり、首筋を通る際に耳鳴りが聞こえ、咽頭、心臓、横隔膜へと脈動し、体全体に広がっていくのだった。
全身が手の先のように敏感になり、ゆっくりと飽和する。すべての感覚が過去に向かう。走馬灯だ。あり得ないような眩しさが視界を埋め尽くすが、次第にすべての色を同時に認識し、陽炎のように揺らいで見せた。
気が付くと俺は宙に浮いていて、ここでないどこかに居ました。
「サァ! コレヲモッテイクトイイ」
オトノニンシキガアマカッタノカ、
アー
アー
あー
・・・・・・大丈夫。感覚が戻ってきた。手を足の小指が動く。まばたきをした時のかすかに触れる上下のまつ毛。唾を飲んだ時の耳の雑音。段々と感覚が戻ってきた。
俺はニカから袋を受け取った。
「これは僕が最後に作ったものだよ。どうか受け取ってほしい」
「なんだ、これは」
「これはねぇ・・・ふふーん・・・! 世界を滅ぼすもの!」
突拍子のない言葉に、俺はニカを睨んだ。
「おおっと! コレは冗談で言ってるんじゃないよ!使いかた次第でって言ってるんだ! さァ中を見て!!」
いわれるままに、俺は中を開けた。
カラだ。
「うっぷっぷ~、中は空だよ~★ でも袋口に入るモノならなんでもOKだから安心して! コレで僕たちが作った世界を好きにしていいよ♡」
「――――あ、ちょっと待てっ!! それってつまり――――」
「それじゃあ行ってらっしゃい。僕はこれ以上いけないからね――――」
宙に浮いていた体が指向性を帯び、ゆっくりと後退する。
それは段々と加速していく、高校生の時に乗ったジェットコースターのように、初めての海外研修で乗ったジャンボジェットのように、幼いころ夢見たスペースシャトルのように、すべてが虹色に輝く光のように。
遠く遠く小さくなっていくニカは、どこか寂しそうだった。
「彼の第2の人生です! 拍手で送りだしましょう!」
「ふざけるなぁぁぁ!!!」
やがてサラリーマンは異世界にたどり着く。最後の神が見限った世界へ。
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