フジバカマのせい


~ 九月十四日(木)  一時間目 二センチ ~


  フジバカマの花言葉 恋のキューピット



 にじにじと、さらににじにじと近付いてきた隣の席に腰かけるのは、昨日結局、四個の目玉焼きを食べ……、消したせいで俺には何も食べさせてくれなかった世紀の魔術師、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はつつましく首の後ろあたりで一つ結んで、そこにフジバカマをひと房挿している。

 紫色をした筒状の小花を沢山咲かせた房。

 古来から歌にも登場する、男性から女性に捧げるラブレターのような花。


 そんな文化を、歴史を感じるお花を見ていると、ちょっとぞっとする。



 だってそれ、準絶滅危惧種。



「うう…………、道久君。あたしはどうすればいいの…………?」

「きっと、勉強していたらいいと思うよ。今は授業中ですし」


 あまりの落ち込みように、机に突っ伏して唸ったままの穂咲。

 でもね、君がどうこうしたところでなーんも変わりません。


 今日は木曜日ですし、察しますけど。

 君が見てるドラマ、あれが悲しい展開にさしかかってるのね。


「超展開なの。信じられないの。まさか妹に……、縁談が……。血のつながっていないお兄さんへの想いは、どうなっちゃうの……?」

「俺が信じられないよ。まさかそれ、忘れてたの?」


 じゃあ、このあいだ俺がネタばらししたせいで非難された意味はなにさ。

 なんたる非難され損。

 もう、ずっとそうして唸ってなさい。


 昨日、お昼を食べさせてくれなかった腹いせも込み。

 無視して授業に集中していたら、急になにやらごそごそと動き始めた。


 目に溜まっていた涙を拭いて。

 えらいぞ。

 おお、ノートを出して。

 えらいぞ。

 真剣な表情で。

 えらいぞ。

 相関図みたいな物を書き出した。


「ちょっと感心したらこれだよ。真面目になさい」

「そうなの! あたしが真面目に、二人のキューピットになるの!」

「はあ? また変なこと言い出して……」


 ほんとになにからなにまでおかしな子だね、君は。

 ああもう、机の中から吸盤の弓矢を出しなさんな。


 そうか、ノートに書かれていた図は、君が描いた今後のストーリーなのね。

 ええと、なになに?


 妹が、悪い人に襲われる。

 お兄さんが助ける。

 ハッピーエンド。


 ……ざーつっ。


 あと、悪い人ってところの下に、道久君って書かないでください。

 出ないよ、テレビ。


「じゃあ、これを英文にしてみろ。……六本木。前に出て書きなさい」


 おっと、あぶないあぶない。

 先生、板書を終えてたんだ。


 返事をして、前に出る六本木君。

 その背を見つめる渡さんが、寂しそうにため息をつく。


 ……結局、ステージから落ちた渡さんは軽い捻挫とのことで大事には至らなかったんだけど、二人の仲はこじれたままのようだ。

 こじれた原因、俺たちのせいだし。

 なんとかしてあげたいな。


「おい、キューピットちゃん。ドラマじゃなくてさ、渡さん達のために、仲直りのシナリオ書いてあげれば?」

「……それ、採用なの! さすが道久君なの! ええと、悪者の道久君が香澄ちゃんを……」

「俺をいちいち悪役にしなさんな!」


 そんな俺たちの小さな声を掻き消すチョークの音が途絶えると、代わりにクラス中から妙などよめきが上がった。

 何事かと顔をあげると、黒板には外人さんのサインのようなへにょへにょの文字が書かれている。


 なにあれ?


「あー、六本木。正解だが、それではだれも読めんだろう」

「え? ああ、すみません。英語は父に教わったもので、こう書いてしまうんです。ちゃんとブロック体で書き直します」


 おお。ということは、あれが噂の筆記体という奴か。

 どよめきが黄色い歓声に変わる中、恥ずかしそうにする六本木君。

 かっこいいなあほんと。


 それにしても、先生もこんなの読めるの?

 ……いやいや、きっと読めるフリしてるだけなんだろうな。


 俺が羨望の眼差しを向けていたら、六本木君と目が合った。

 そして彼の恥ずかしそうな苦笑いが真面目な表情に変わる。


「藍川! こんなの書き写さなくていいよ! 今書き直すから!」

「ん? ……あ、これは違うんだよ六本木君。こら、穂咲!」


 夢中で仲直りシナリオを書いていたキューピットちゃん。

 俺の声に反応して顔をあげると、ようやく近付いてきた六本木君に気が付いた。


 そして、シナリオを見られると勘違いしたんだろう。

 あたふたと、それはもうあたふたとノートを閉じてペンケースを開いて教科書をめくって俺の机にカエルぴょこぴょこを置いてペンケースを閉じて定規を落っことしてペンケースを開いて……。

 挙句に、弓矢を引き絞って六本木君に放った。


「なにやってんのさキューピットちゃん!?」


 しかし、そこは運動神経もいい六本木君。

 穂咲の手から放たれた矢をひょいと避ける。

 そして行き場を失ったピンクの矢は、代わりとばかりに先生のおでこを直撃した。


 教室を震わせるほどの爆笑。

 命中時のルール通り、カエルをぴょんぺたさせる俺。

 おでこに矢をくっ付けながら、真っ赤になってぷるぷる震え始める先生。


 怒りの眼差しで六本木君と穂咲を何度も見比べた先生は、たっぷり悩んだ挙句、冷酷な沙汰を下した。


「……秋山、立ってろ」

「うん、ちょっとそんな気がしてた」


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