藍のせい


 ~ 九月十二日(火) 放課後 一・五メートル ~


   藍の花言葉 あなた次第



 体育館のフロアから見上げるステージ。

 百五十センチもの高みの先、体操着姿でよたよたと演技を続けるのは、お芝居なんてまるで経験のない藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は頭のてっぺんでお団子にして、そこに小さな鈴生りの藍の花――桜のようにピンク色をした房をいくつも挿している。


 そう言えば君、クライマックスシーンではお花のベッドから起き上がるんだよね。

 その頭に花が挿さってるわけだ。笑いを独り占めだね。



「ちょっと穂咲! そこじゃないわよ、もっと下手しもてに掃けて! ……逆よ逆!」

「あう、あう、えっと、小人さんのダンスの前? 後?」

「前に決まってるでしょうに! ゴメン、香澄。先にお手本見せてあげてくれない?」


 厳しいなあ、監督さん。

 俺もしっかり頑張らないと、怒鳴られながら六本木君のお手本をああして正座で見ることになりそうだ。


 今日は、ステージを借りての練習初日。

 実際にここで練習できるのはあと一度きりなので、三回くらいは通しでリハーサルしてブラッシュアップしたいという話をしていたのが一時間前。


 現在リハーサルは、前半のさらに真ん中あたりのシーンだったりする。

 ……これ、二時間ドラマだったっけ?


 体育館で練習中のバトミントン部と男子バスケ部から笑い声と声援がステージに届く中、穂咲はそんな声も耳に入れず、真剣に渡さんの演技を頭に入れる。


 穂咲のへたくそさと一生懸命さは想定内だとしても、呑み込みの早さは予想外。

 一度渡さんが演じた動きと監督からの指示を、たどたどしいながらも二度目は確実にこなしているのだ。


 ……がんばれ。


「……よ、主役。暇そうだな?」

「六本木君も暇そうだね。でも俺、主役じゃないよ。それは彼女たちじゃない?」

「まあな、そもそもタイトルが白雪姫なわけだし」


 隣に立った六本木君が目を細めて見つめる先では、美しい方の主役が七人の小人の前をクルクルと回りながら通り抜ける。

 穂咲と違って、さすがに渡さんのダンスは綺麗で惚れ惚れするな。


 ……ん?


「あれ? 白雪姫、小人たちが下がってから前に出るんじゃなかったっけ?」

「凄いな道久。なんでそんなことまで頭に入ってるんだよ」


 姫のセリフと動きは散々仕込まれたからね。

 それより、そんなに舞台の端で踊ったら……っ!!!


「危ないっ!」

「香澄!」


 足を踏み外した渡さんが、舞台から落ちた。

 体育館を埋め尽くす悲鳴の中、真っ先に駆け寄る六本木君。

 みんなを掻き分けて、バドミントン部の顧問の先生も慌てて駆けつけてきた。


 でも、真っ青な六本木君の顔とは対照的に、冷静な笑顔で渡さんが声をかけた。


「だいじょうぶ、頭は打ってないから。落ちた時に足を捻ったかもだけど」

「保健室に行こう。……肩を貸すから」

「うん」


 六本木君と先生に支えられて渡さんが歩き出すと、何人かが心配そうにその後を追い始める。

 でも、その中に穂咲の姿を見た渡さんが声を荒げた。


「ついて来てどうする気よ! 穂咲はしっかり練習なさい! あなた一人の舞台じゃないの。みんなが一生懸命やってるの! リハーサルを続けて!」


 その言葉に、誰もが足を止めた。

 そして渡さんの姿が見えなくなると、穂咲はぼろんぼろんに泣き出してその場にしゃがみ込む。


 困った、なんて声をかけたらいいんだろう。

 俺が穂咲の肩に手を乗せてやると、悲しそうなタレ目が見上げてきた。


「香澄ちゃんが言ってることは分かるの。でも、どうしてもそばにいたいの。どうすればいいの?」

「あのね。そんなの俺に聞かないでくださいな、いつもいつも好き勝手するくせに。今日も、お前が一番したいようにすればいいじゃない」

「……ありがとう、行って来るの! 道久君、たまにはいいこと言うの!」

「おいこら」


 そうそう、そうやってにぱーっと笑顔で、好き勝手に渡さんの後を追いかけなさいな。

 散々文句言われるだろうけど、後悔するよりましでしょ。


 がくはもってむべからず。青はこれを藍より取りて、藍よりも青く、氷は水これをなして、水よりも寒し。


 俺が君から教わって来たようなものだ。

 やりたいようにしなさいって。

 ようし! 俺も、やりたいようにやるぞー!


「俺が姫と二役やる! 最初から通しでやるぞ!」


 一斉に上がる怪訝な声。

 だが諸君! みんなはその声を、感嘆の吐息に変えることになろう。

 二日間にわたる特訓の成果。

 穂咲より色っぽいとおばさんに褒められた俺の演技にひれ伏すがいい!


「あはははは! 秋山君、ほんとに穂咲の王子様だね!」

「それは勘弁願いたい」

「さあみんな! リハーサル続けるよ!」


 こうして今日は、穂咲のせいで舞台に立たされることになった。


 ……そしてこの日から、俺を姫と呼ぶ連中が生まれることになるのだった。


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