ヨルガオのせい


 ~ 九月五日(火) お昼休み

   九十センチ+俺の机が宇佐美さんの机にくっ付いてる ~


   ヨルガオの花言葉 夜の思い出



 ……ごめんなさい宇佐美さん。

 何度元の位置に机を戻してもここまで押すバカな子のせいで君まで先生ににらまれてごめんなさい。


 その犯人。

 隣と呼ぶにはおこがましい席に座って、昨日からぷりぷりし続けているのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はポニーテールにして、髪留めの辺りにヨルガオの白いつぼみを挿している。

 ユウガオとよく間違えられるヨルガオは、真っ白なユウガオと違って白地に美しい紫のラインが入る。そのつぼみは、夕方から夜の間に花開く。


 今日は文化祭準備の無い日で早めに帰宅することになりそうだから、この花が開くところは見れないだろうな。



 さて、昨日から後頭部しか俺に向けない穂咲だが、この時間だけは機嫌を直してくれるので心底助かる。

 今日のメニューは、目玉焼きで蓋をされたラーメンだ。


「教授、今日は普通ですね。教室内で食べるお昼としては異常かもしれませんが」

「よく分かっているではないかロード君! ラーメンは夕食にこそふさわしい!」

「違いますよ教授。俺が言ったのは、お弁当として食べるのが異常だということです。お昼にラーメンはかなり普通です」


 俺がラーメンどんぶりの模様を指でなぞっていたら、机の正面に腰かけた穂咲が自分の分のどんぶりを置きながら首を捻った。


「そうなの? でも、あたしには晩ご飯なの。いつも『くるくる軒』で食べるの」

「あれは『らいらい軒』って読むの。……怖いおじさんのお店? よく入れるね」

「『くるくる軒』なの。どんぶりの模様がくるくるしてるからなの。お店のやさしいおじさんが教えてくれたから間違いないの」

「これは雷文らいもんって言うの。なおさら『らいらい軒』の方が合ってる。薬局の隣のラーメン屋じゃないんだ。あそこのおじさん怖いからね」

「薬局の隣のラーメン屋さんなの。あそこのおじさんやさしいの」


 あれ?

 どういうこと?


 なんだかすべてが噛み合わない会話をしていたら、穂咲は昔話を始めた。


「パパがいなくなってから、ママ、しばらく具合悪かったでしょ? 晩御飯を作る元気がない日にね、くるくる軒に連れて行ってもらったの。ママはいらないって言って、あたしの前にだけラーメンが出てきたんだけど、ママが寂しそうにしてたからあたしも食べれなくて……」


 穂咲は、俺がしたようにどんぶりの模様を指でなぞる。

 少し寂しそうに。


 でも、続く言葉は嬉しそうに、優しい笑顔で紡がれた。


「そしたらね、薄い色のスープにワンタンを浮かせたのを、おじさんがママの前に出してくれたの。ママが食べないと、あたしが食べれないからって」

「あのおじさんが? 俺、怒鳴られたことしかない」

「うん、怒鳴り声。『あんたが食わねえと、嬢ちゃんが食えねえだろ!』って」

「あはは、似てる」


 俺が笑うと、穂咲もぱあっと笑顔を浮かべておじさんの真似を続けた。


「ウチのラーメン、伸びてから食う気か? 冗談じゃねえ! ほら、とっとと食わねえと、嬢ちゃんのラーメンが伸びちまうだろ! そんなの食って渋いツラぁさせてみろ、たたき出すぞ!」

「へえ!」

「そしたらママ、ありがとうって笑いながら、泣きながらあたしと一緒に食べたの。だから、あそこに行ったら、ママはワンタン。あたしはラーメン」

「……やさしいね、おじさん」

「そうなの。やさしいの、おじさん」


 いい話だった。

 長いこと、のれんをくぐってないけど、今度行ってみよう。


 そしてなるほど、ラーメンは君にとって夕食だってこともよく分かったよ。

 どうりで、話の間にヨルガオの花が開いたわけだ。


 穂咲のニコニコ顔が眩しい。

 最高の調味料。


 俺も笑顔でお箸を手にして、二人同時にラーメンをすすった。

 そして同時に、伸びきった麺のせいで渋い顔をした。


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