第9話 今のところは無事な幸せ

 NIDの中は、眩い光で満ちていた。巨大なヘルメットが外され、僕を博士と五人の助手、そして、有惈さんが囲んでいた。

 こんな目覚めは、もちろん初めてだ。

 家族の誰にも起こされず、のそのそと起き出して、キッチンに行くと冷めたトーストがテーブルの上でぬるんだ牛乳とだけが待っている朝なら何度も経験している。でも、自分の目が覚めた瞬間を何人もの人が見つめているというのは、僕を固まらせた。


「いや、貢次郎くん、すまんな。実験初日じゃったので、ちょっと短めで睡眠を終わりにしてもらった。気分はどうじゃろ」

「……」


 まだ、置かれた状況に呆然としたままで、口から言葉は出なかった。


「種野博士、だから、私、クラシカルな目覚まし音で、無理矢理起こすのは止めましょうって言ったのに。

 ねっ、ねっ、とりあえず朝食、食べましょう。私が用意したのよ」

「いえ、あの音は別に、警報音かと思いました。えっ、朝食ですか」


 たしかに有惈さんの後ろには、テーブルに乗った朝食が見えた。

 トースト、野菜サラダに、カリカリのベーコン、それが三人分用意されていた。僕は、簡単に洗面を済ますと、パジャマのまま、朝食の席についた。

 

「あの人たちは、食べないんですか」

「今は、これまでのデータを調べておる」


 なるほど、部屋の入り口に向かって左側には、パソコンやら医療機械のようなものがいくつか置かれており、それを見ながら、頷いたり、小声で話したりしている。実験台、つまり僕の昨夜と今の状態について、あれこれ言っているのだろう。気持ちいいものじゃないな。


「うん、顔色は悪くないね。

 まあ、食べてくれたまえ。その野菜は、研究所の横にある畑から取ってきたもので、新鮮じゃよ」


 博士は、笑顔で、ミニトマトだのレタスだの煮た豆だの野菜の素性を説明してくれたが、僕はカリカリベーコンに目がいった。三人分のカリカリベーコンの匂いは、夢の中で溶接ロボット型のフューズドが焼いた臭いと同じだった。そのベーコンを噛みながら、聞いてみたくなった。


「博士、夢は、寝ている時も現実のものが入り込むんですか。例えば、匂いとか」

「あらま、貢次郎さんの夢にもベーコンが出てきたの?」

「うむ、夢の働きからして、それは当然のことじゃ。

 人は、寝ている間に、起きていた時のいろいろなできごと情報を脳で整理をする。必要な情報を脳に刻み、要らない情報を捨てるわけじゃ。もし、夢を見ている時に匂いがあれば、それが夢に入り込むのも、また自然じゃな」


 あの夢を見ていた時、もし、チーズを焼いていれば、溶接ロボットはチーズフォンデュを作り始めたかもしれない。


「ところで、どんな夢を見たか、覚えておるかね」

「ええ、夢には、今いない僕の家族やら、種野博士、それに有惈さんも出てきました。

 地球上の物に融合した生き物たちと闘う夢で、その一体と闘うところで起こされました」

「なるほど、くっきりと覚えておるようじゃな。結構、結構。

 あとは、今夜じゃ。寝た時に、その続きから夢が始まればいいわけじゃ」

「へえ、貢次郎さんの夢の中身を私も見てみたいわ」

「見えるんですか?」


 恥ずかしくなり助手達を見た。彼等は一様に首を振った。


「はは、心配はいらん。夢とはいえプライバシーじゃからな。今のところ覗く気は無いよ。

 体に着けたセンサーからも異常は出てないようじゃ。

 では、今夜も十八時ごろには来てくれたまえ」

「門まで、私、送るわ」


 助手達が、体に着けたセンサーを外し、僕は服に着替えると有惈さんと研究所を出た。


「本当に気分とか大丈夫?」

「ちょっと、ボウッとするかな。でも、それも朝だしな。

 ああ、それにこのところの朝食に比べれば、最高の朝食でした」


 彼女の用意したところが、特に最高のところだが、とりあえず、僕は朝食を褒めた。だが、僕の褒めたことには、彼女、反応しなかった。


「朝食といえば、ほら、そっちが畑」


 バスケットコートほどの大きさの畑には、いくつかの野菜が植えられており、手前には、きれいな花も咲いていた。


「ハイビスカスですか、あれは」

「えっ、あれはオクラ。たしかハイビスカスと親戚だったかしら」

「なるほど、オクラが幾つかなっている。でも、花、きれいですね」

 

 僕は花に興味はない。そもそも花好きの中学生男子は、世間にほとんどいない。だが、きれいな娘と花を眺めたいと思う男子はいくらでもいる。


「へえ、葉っぱがハマキみたいになっているのがある」

「ああ、あれは、中に毛虫がいるのよ。オクラには、葉を丸めてその中で葉っぱを食べる毛虫がいるの。どんなのか、見てみる」

「いえ、僕は蛇と毛虫は苦手で」

「私もよ。後で、駆除を園芸係に言っておくわ」


 ここで、話のネタはつきた。おかげで門にはすぐ着いてしまった。そこで、彼女は僕をじっと見た。


「夢は楽しかった?」

「ええ、続きをみたいですね」

「博士は言わなかったけれど、忘れることになっている夢を脳に記憶していくって、かなり不自然だと思う。だから、気をつけて」

「はい、気をつけます」


 何に、どう気をつけていいか分からなかったが、インコの待つ家へと僕は向かった。

 今夜が楽しみだった。家族からも見捨てられた僕に最高の夏休みが来たかもしれない気がして、足取りがスキップになりそうだった。

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