第7話 NID 眠らない!

 研究所の中は、いくつかの部屋に区切られているらしかったが、どうなっているか分からなかった。なぜなら入り口には大きなエレベーターがあり、地下へと降りたのだ。

 『NID』という文字がドアに掛かっている。


「有惈さん、エヌアイデーってなんですか」

「New life of dreamの略よ。『夢の新しい生活』ってこと。

 貢次郎さんが協力してくれるマシーンが入っている。

 ああ、そうだ」


 不意に有惈さんの表情が変わった。いつもの微笑のまま、サラリと言った。


「もしも、もしもだけど、体に異常を感じたら、すぐに協力をやめるのよ」

「どういうことです」

「だって、安全な研究協力なんてないわ」

「そ、そうです……よね」


 彼女のクールな忠告は僕をしっかりとびびらせた。

 『ドアの向こう側には石造りの血のシミが残る部屋が待ちうけているぞ』と覚悟つつ、部屋に入った。

 部屋はオレンジ色の照明が灯っていた。

 ほのかにラベンダーの香りが漂っている。

 そして、アラビアンナイトにでも出てきそうな天蓋付き、ピンク色のベッドが部屋の真ん中にあった。おまけにふかふかした縫いぐるみが沢山置かれている。ウサギだのカピバラだのカバだの……、まるでクレーンゲームの箱の中みたいだった。


「こ、ここで僕は寝るんですか」


 僕の疑問にみんなは、揃って頷いた。

 あっけにとられた。女の子なら『かわいい―!』と喜ぶかもしれないが、中学生男子で喜ぶ奴はまずいない。いやいや、落ち着いて眠れるはずもない。ここのみんな、まともな感覚をもっているのか。

 いやいや、うまく眠れなければ、僕は実験協力者として不適格。それはそれでラッキーだ。『そうだ、眠らないで耐える』という秘密作戦がこの時、ひらめいた。


「いろいろな機械がむき出しでは、危ないし、それに囲まれた中では眠れる気がしないでしょ。だから、機械を覆うように天蓋付きベッドと縫いぐるみを置くことにしたの。香りも機械油ではなく、ラベンダーにしてみたの。

 気に入ってくれたかしら、私のアイデアなの」

「有惈さんの……、これはいいですよ。最高」


 驚いた。有惈さんのアイデアだったとは。回りが機械でも縫いぐるみでも同じだ。結果として、眠れない。有惈さんが僕を守ってくれているわけだ、嬉しい。


「緊急時には、カピバラを叩いてください。それが緊急コールのボタンになっています」

「緊急時って何ですか」

「それは、ひどく気持ち悪いとか、心臓が止まりそうだとか、呼吸ができないとか、まあ、体の異常を感じた場合です」


 白衣の五人組の一人が言った。いかにも研究者といった顔で表情が崩れない。命に危険があるかもしれないよという内容をごく冷淡に言った。


「そちらのドアの向こうに風呂とトイレがあります。そこにパジャマも用意してありますので、入浴してお着替えください」

「えっ、入浴にパジャマ。」


 浴槽の中で体を伸ばすのも久しぶりだった。ここ数日、シャワーを浴びて終わりだった。

『すいません』と眠れず朝を迎えた僕の謝罪を『いいのよ』と慰めてくれる有惈さんの姿を想像した。

 眠らない努力すら要らないかもしれない。こんな状況で眠れる奴はそうはいない。少なくとも僕は眠れない。風呂を出て、青い横縞の、なんだか囚人服みたいなパジャマに着替えながら、ハッピーな気分になった。


天蓋付きベッドの部屋に戻ると、肩から頭部分を覆える巨大なヘルメットが用意されていた。


「それを被るんですか」

「ああ、これを被れば、君は、朝目が覚めても夢を覚えている。そして、君は、家族から見捨てられた世界ともう一つの世界、夢の世界で生きられることになるんじゃ」

「それって、うまくいけばでしょ。それに『家族から見捨てられた世界』ってやめてくれませんか。」

「素敵な夢の世界を創ってね、貢次郎さん」


 有惈さんの笑顔だけは、僕をほっとさせた。じっと彼女の顔を見ていたかったが、助手達は、体の何カ所かに端末みたいなものを付け、メルメットを被せた。

 装着感は悪くは無かったが、これじゃあ、いよいよ眠れないなと思っている内に急速に眠気が襲ってきた。

 あり得ないことだった。


「どうじゃ、眠くなってきたかね」


 ぼんやりしかけた頭に博士の声が届いてきた。いやいや、眠るわけにはいかない。


「貢次郎さん、さっきの軽食に、あなたの睡眠を助けるものを入れておいたの。そろそろ効き目の出てくる頃だわ」


 おのれ、一服盛られたか。しかも、それは間違いなく有惈さんの声だった。混乱の内に僕は眠りに落ちた。実にあっけなく。


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