奥様の秘密

中野あお

奥様の秘密

 私には夫に、航さんに内緒にしていることがあります。


 どんな夫婦でもお互いのことをすべて打ち明けているなんてことはないでしょうから、相手に秘密にしていることがあるといっても普通に聞こえてしまうかもしれません。


 でも、私のそれは他の人のとは違うのです。


 打ち明けてしまえば、それはそれは夫婦関係そのものを揺るがしかねないのです。


 結婚して四年、大きな喧嘩なく過ごしてきた尾道家に修羅場が訪れてしまうかもしれないと思うと、後ろめたくはありますが隠し通さなくてはならないのです。


 結婚当初からの秘密というわけではありません。

 それほど長く隠し事ができるほど私は器用ではありませんし、それに耐える精神力もありません。


 ほんの数か月前に生じてしまった秘密です。

 偶然、出会ってしまったことが運の尽きだったのでしょう。


 あぁ、こう言うと不貞行為ではないかと疑われてしまいますね。

 安心してください。私が航さん以外に心身を許すなどという事があり得るはずないじゃないですか。


 そういえば、三階の伊藤さんはご主人の留守中に男を連れ込んでいるなどと噂になっていましたね。噂の真相は知りませんが、現在離婚協議中だと漏れ聞こえてきました。

 私はそのような不義を犯す女ではありません。それは航さんが一番知っていると思います。


 他所の奥さんを捕まえてあれこれ言いたくはないですが、あのような見た目で妻としての自覚があるのか怪しかったではないですか。それに、マンションの人にもあまり挨拶をしない人です。だから、真偽はともかくそういう噂になるわけで、私とは大きく異なります。


 話が逸れてしまいましたね。

 何に出会ったのかという話でしたか。


 あれは三か月前のことだったと思います。


 いつも通り加奈子を幼稚園に送り、洗濯と掃除を済ませた私は夕食の支度をするためにスーパーへと向かいました。

 すると、その道中『それ』に出会ってしまったのです。

 見たこともない光景に私が呆然としていると、『それ』は私に助けを求めてきました。


 さっきから代名詞ばかりで申し訳ないと思いますが、『それ』には名前がない上に何とも形容しがたいものですので聞き苦しいかもしれませんが我慢して下さい。


 さすがに、何かもわからないものを助けるほど私はお人よしではありません。だから、最初は無視して通り過ぎました。主婦にはそれほど時間もありません。加奈子が帰ってくる前にしないといけないことが山ほどあるのです。


 スーパーで買い物をしている間は『それ』のことをすっかり忘れていました。今日のお昼ご飯は何にしようとか、お夕飯は何がいいかとか考えないといけないことがたくさんあるのです。


 そうして買い物中はすっかり忘れていた私ですから、油断をしたのか同じ道を通って帰ってしまいました。

 すると、『それ』はまだその場所にいたのです。そして、再び私に助けを求めてきました。

 最初は何故、私を指名するのかと不思議に思いましたが、周りにいた他の人たちには『それ』が見えていないらしいであることに気づきました。


 別に私が疲れから見た幻覚とかお酒や危険な薬物の影響によって見た妄想ではありません。私自身もそれをしばらくは疑っていましたがどうもそうではないのです。


 そこで私は『それ』を助けることにしました。

 助けると言ってもその場でどうこうという話ではありません。「助けてほしい時が来たら説明する」と言われその場は終わりました。


 もし幻覚なら寝たら終わるだろうと思い、気にしないことにして加奈子を迎えに行き、普段通り航さんが帰ってくるまで過ごしました。航さんもその日は疲れていたのか私の悩みには気づきませんでした。


 いえ、それはそれで助かったことなので航さんを責めているわけではないです。

 まあ、その日はなにもなく終わったのですが、問題はその翌日におきました。


 玄関を開けたら『それ』がそこにいたのです。昨日見た時と同じように血のようなものを流して倒れていたのです。血のようなものというのも、説明がしづらいと言いますか、血ではないのですが『それ』にとっては血と同じものです。


 血を流して倒れていたなんて言ったら事件に巻き込まれたみたいに聞こえますがそうではありません。『それ』は人間とも動物とも似つかないような見た目をしています。


 あえて言うならば、ホイミスライムとウニャを足して二で割ったような感じです。ドラクエに出てくるモンスターです。知ってますか?


 そうそう、私は最近あなたが家にいない間、暇な時間があればドラクエをしているのです。Ⅸですよ。DSであなたが持っていたあれを勝手に借りてやっているんです。そろそろ全部クリアできそうなんです。

 それが終わったら3DSを買ってⅪでもやりたいなって考えてますけれど、それは航さんが良ければという事ですし、加奈子の教育も考えると子供の前ではゲームできませんから迷っています。


 あぁ、またまた話がそれてしまいました。

 ごみを捨てようと玄関を開けたら『それ』がいたものですから、私はとっても驚いてしまいました。ご近所の目があるものですからさすがに声まではあげませんでしたが。


 そして『それ』は私に言うのです。「予定よりも早くなったけど助けてほしい」と。

 正しくは言ったわけではないと思います。『それ』には口もありませんし、声らしいものを発することもありません。ただ、頭の中に直接語り掛けてくるのです。航さんも経験してみたらわかります。とても不思議な感じですよ。


 私は一度助けると言ってしまったのですから後には引けませんでした。自分でも真面目過ぎるとは思うのですが、道理は通さないといけません。


 『それ』の説明を要約するとこういうことでした。


 世界を救ってほしい。


 私はドラクエのやりすぎを疑いましたが、どうやら『敵』は魔王ではないようです。…と言いましても説明がしづらいのですが、『敵』にもまた名前がないのです。

 『それ』が『それ』自身の名前も『敵』の名前も言ってはいるのですが、何回聴いても聞き取れないといいますか、まず知らない言語で言われているのでわからないのです。他の言葉は聞き取れるのに、名前となると何故かわからなくなってしまうのです。


 要するに、その『敵』を倒さないことには世界が大変だけど『それ』は今怪我をしていて戦えないので『それ』の持っている力を貸すから代わりに戦ってほしいということでした。


 最初は頭に?がいっぱい浮かびました。

 助けるというのは『それ』のことではなくて世界のことなの?とか、その間の家事育児はどうすればいいの?とか色々と考えました。


 その後、『それ』と色々話し合った結果として、平日のみ一日二時間を限度として私は戦うことになったのです。それ以上やっていると家事育児がままなりませんから。


 安心してください。戦うといってもそれほど危険なことはしていません。何と言いますか、『敵』があまりにも弱すぎるのです。本当にこれで世界が大変なのかと思う程度に弱すぎるので私は怪我も何もしていません。


 『それ』が言うには私と力の相性が良すぎて、規格外に強いからそう感じるとのことで普通の人間なら『敵』に傷すら付けられないそうです。


 また、殺生なんてこともしていません。どっちかというと強さを見せつけてお引き取り願うという形でやっていますので、残虐なこともしていません。安心してください。

 航さんに内緒とはいえ、妻として夫に顔向けできないようなことはいたしておりません。そこは信じていただきたいと思います。


 というよりも、この話を素直に信じてもらう事の方が難しいと思いますので証拠を見せます。

 この映像を見終えたら寝室に来てください。



 金曜日の夜、飲み会を終えて家に帰ると普段出迎えてくれるはずの妻が玄関にいなかった。不思議に思いながらも、先に寝たのだろうと思い手を洗い、うがいをして、部屋着に着替えてリビングに向かうとテーブルの上にメモが置いてあった。


『お疲れ様。テレビをつけてビデオを再生してください。 真子より』


 さらに不思議に思いながらも言われた通りにしてみたところ、そこに写っていたのは真子がリビングでカメラに向かって独白する先ほどの映像だった。

 正直、話の半分くらいがわからなかったのは俺が酔っているからなのか、そもそもおかしな話だからなのか。


 とにもかくにも、言われた通り寝室に向かうしかないと思い移動。

 普段は加奈子と三人で川の字になって寝ているのだが、加奈子はお泊り保育に行っているため不在だ。


 寝室をノックする。


「どうぞ。」


 控えめな返事が返ってくる。

 少し覚悟を決めて扉を開ける。


 そこに待っていたのは妻だった。

 いつもと違うのは、寝間着ではなく青いフリフリな服を着ていることだった。


「えっと…、この服が証拠です。私が力を使う時の衣装です。勝手に変わるんです。」


 照れながら言う。

 その青いフリフリとした衣装は加奈子が毎週見ているプリキュアのようにも、昔見たおジャ魔女のようにも思える。要は少女向けの衣装だ。


「えっと、それはコスプレかな。」

「違います。私の戦闘服みたいなものです。」


 ますますわからなくなってしまう。


「あぁ、加奈子がいないから久しぶりに夫婦の営みをってこと?」

「航さんのエッチ。違いますって。」


 よくわからなくて自棄になって来た。


「コスプレなんて付き合ってた頃以来じゃないか。」

「話を聞いてください。だから…。」


 我慢もめんどくさくなった俺は真子の話を遮って押し倒し、久しぶりの二人きりの時間を楽しんだ。



 妻が本当に世界を救ったなどということはまだ知らなかった。

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