かくして因果は巡らない - 2

 こちらへ一直線に駆けてくる、青いキャップ帽の少女。そのさらに後方から「待ってアイちゃん危な、」「どわ急に止まんな純っ……ぐあああぁぁ!」と何やら聞き慣れた悲鳴までする。


 誰もが事態を呑み込めないまま視線をやると、勢い余って足を捻った男と少年が、ぐちゃぐちゃに丸まりながら転がってくるではないか。


 次から次へと現れる騒がしい闖入者ちんにゅうしゃ――しかも全員身内である――に、澪斗のこめかみに浮かぶ血管は限界を迎えつつあった。が、このまま躊躇なく引き金を引くつもりだった指は、そこで止まる。


 空を埋め尽くすおぞましいカラスの群れを見た瞬間、とうとう彼の処理能力が追いつかなくなったためである。


「嘘でしょ……ちょっと遼平っ、何また新種のUMA発見してくれちゃってんのよ!」


「アカンこっち来るっ、ユリリン下がっといて!」


「みんな、お願い逃げて! 早く!!」


 足首を捻ったせいで立ち上がれない遼平をかばいながら、純也は声の限りに叫ぶ。

 既にアイーシャを抱き寄せていた母親は、とっさに地面に体を伏せ、大きな背中で娘を覆う。


 大ガラスが真っ直ぐ急降下してくるのが見えているが、遼平は体勢が悪く、足に力も入らない。せめて自分にしがみ付いたままの純也を引き剥がそうとするも、鋭利な鉤爪はもう目と鼻の先に。



 ――ひどく、ゆっくりと、弧を描く白銀は空さえも斬り裂いた。



 純也の頭を胸に押し付けていた遼平の眼は、妙に緩慢で冷静なその一撃を、確かに捉えた。

 落ち着いた足取りのまま自分たちの前に立ち塞がり、巨大な棒状のものでたった一振りの下に、大ガラスを地に沈めた見知らぬ男を。



Get behind me, Satan悪魔よ、引き下がれ



 フェイズの長躯をも凌駕する、白銀の柄。その先端で西日を反射するは、冬の三日月を想わせる大鎌だ。


 それを腕一本で、ただ一打。

 的確に大ガラスの側頭部を柄で殴り飛ばし、泡を噴いて痙攣けいれんしているヤタのくちばしを容赦無く踏みつけて、抵抗する余地すら奪い去った。


 大鎌を軽々と肩にかけた男がこちらに振り向いた瞬間、遼平は身を強張らせる。


 この男が一体何者なのか、いま何と言ったのかすら、遼平にはわからない。

 しかしたとえ言葉の意味は理解できずとも、蒼波の耳は、音に含まれた底知れない意志を聞き逃しはしない。


「……お前、だ」


 遼平は警戒も、敵意も解かない。よろめきながら立ち上がり、混乱している純也を自分の背後に押しやる。


 大男の眼だけが、笑った。

 反射的に拳を握り締めたのは、かつて少年時代に何度も晒された、見下ろし値踏みする色をその眼に思い出したからだ。



「オー! 今日は本当に善い日だ、ハレルヤ! まさか遼平クンと純也クンにまで会えるなんて! ブラザー、キミのサプライズかい?」


『いやもう全ッ然、僕も驚いたよ! 良かったねフェッキー、これも僕らの日頃の行いが良いからさッ』


 二人を見つめていた表情から一転、空に向かって聖歌を口ずさみはじめた大男に、この場の誰もが口を半開きにしていた。


 遼平の背から顔を覗かせた純也が、視線だけで部長に説明を求めるも、それに応えてやれない真は同じ表情で首を横に振るしかない。


「後で改めてご挨拶するつもりだったケド、これも天のおぼし! 初めまして、ロスキーパー中野区支部の皆サン! ボクはフェイズ。この教会で神父しながら、副業でフリーの情報屋もやってたりしちゃうンだ!」


『フェッキーは僕と違って、ゴリッゴリの武闘派なんだよッ。日本に来てまだ三ヶ月なのに、もう「情報強盗」とか「凄腕ハッカー(物理)」なんて二つ名まで付いちゃって、僕の自慢の親友さッ!』


「褒めすぎだよブラザ~、このサイスだって普段は、墓地の草刈りぐらいにしか使わないしネ! イヤハヤ、今日は一気に皆サンとお近づきデキて嬉しいナァ!」


 「まぁ、ようにボクがブラザーに頼んだンだけどネー」『ねーッ』首だけで振り向きウィンクを送ってくる大男に、ようやく事の真相が呑み込めてきた部長が目を見開く。


「フォックス、おんどれ……外部の情報屋にワイらを売ったな!?」


『僕が君たちを売るッ? まさか! 中野区支部のデータなんて、タダ同然で譲ったに決まってるじゃなーい』


 膝から崩れ落ちた部長に、アイーシャの母親が先程貸したハンカチをそっと返してくる。既に大分湿っているそれで、彼の慟哭を受け止めきれるとは思えなかったが。

 早々に心がまっぷたつに折れた上司の屍を超え、希紗が元依頼人の前に立つ。


「説明してフェッキー。依頼であった以上、私たちを利用しても、騙していたとしても、契約違反にはならないわ。でももし、のために、無関係の人まで巻き込んで騒ぎを起こしたのなら――落とし前はつけさせてもらうわよ」


 首を垂直にしなければ目も合わせられない身長差にもかかわらず、物怖じ無く、希紗はフェイズを睨み上げた。「今ここで、遼平がね!」「俺かよ!?」相手の鼻先を指すと、ただ突っ立っていることしかできない同僚に拒否権の無い指名を言い渡す。


「ごめんよ希紗チャン、ブラザーとの約束をヒミツにしてたのは、申し訳ないと思ってるヨ。でも信じてほしい! 三ヶ月前みんなと仲良くなろうとしたコト、最近ドドメキ商会にここの人たちが困っていたコト……、何よりボクが希紗チャンを愛しているコトは、神に誓って真実ダヨ!」


「最後のやつのせいで、個人的には絶対に信じたくないんだけど!」


 フェイズは大鎌を握っていない左腕だけで希紗を捕まえると、強引に肩を抱き寄せる。思わず悲鳴を上げて澪斗に助けを求めるが、一度キャパオーバーすると再起動まで非常に時間がかかる彼の仕様は、彼女が一番よく知っていた。


 半ば爪先の浮いた状態で、近付いてくる男の顔に希紗はぎゅっと目をつぶって歯を食い縛る。だがフェイズは、シルクシャツの襟から小さなシールのようなものを摘み剥がすと、そのまま彼女を丁寧に降ろして。


「……そしてボクが情報屋として、キミたちのデータを欲していたコトもネ。だからその全部を使って、お仕事ぶりを観察させてもらったってワケ。今回の企画・発案はボクだけど、この小型盗聴器はブラザーの提供だから、ついでに返しておいてヨ!」


「ちょっ、盗聴っていつから!?」


「最初からダヨ? ほら今朝、希紗チャンと運命の出会いを果たして後ろからハグしようとした時に」


 神父の指先に乗った、白いシール状の盗聴器をぶんどり、地面に叩き付けてブーツの踵で何度も踏み躙ってやる。


 その度に『あぁんッ、乱暴にしないでッ』と息を弾ませた機械音声が届くものだから、ついには大地ごと割けよと言わんばかりに一心不乱に跳び始めた彼女を、一体誰が止められるだろう。


「あの、ごめんなさい、全然状況がわからないんだけど……」


「っつーか俺らを置いて話進めんな! オイそこのマリモ頭! テメェが踏んでるバカガラスは俺の獲物だッ、俺たちの晩飯に手ェ出すんじゃねえ!」


「さすがにあのサイズは台所に入らないよ!?」


 本当に食材のつもりでいた同居人に、純也は縋りつくようにしながら何度も首を振る。「お願いだから野生に返してあげて」「大丈夫だお前なら美味くできる」と微妙に噛み合わない口論を始めた二人を一瞥し、フェイズは己の靴底の下で失神している巨鳥に瞬きした。


「純也クン、今日はドクター炎在のお仕事受けたンでしょ? どーして世田谷でモンスターパニックしてたの?」


「ンなもん俺らが聞きてーよ! 西新宿でこいつらが繁殖しまくって、ババア共が洗濯物も干せねぇだの持病の腰痛が悪化しただのうるせーからっ、一ヶ所に集中しねぇように追っ払ってだなぁ!」


「つまりね、新宿区の方で、野良動物による被害が増えてて。どうも道にゴミを捨てる人が急に多くなったせいで、そのエサを求めて集まっちゃったみたいなんだ」


 横で喚き立てる遼平の言葉を、同時通訳のスピードで純也が順序立てて説明する。

 西新宿の町内会に頼まれ、動物たちの縄張りを分散させようとしたが、カラスとは話し合いで解決できず抗争に発展してしまったと。


 真面目な顔で「犬や猫とはもう和解済みで」と経緯を語る純也に誰もツッこめないのは、隣の男の肩に舞い降りてきた巨大蝙蝠と、そんな怪異に側頭部をかじられながら平然と会話を続けてくる遼平のせいである。


「あー、お隣の港区も、悪い子たちがポイ捨てしたゴミがひどかったわね。もう三ヶ月も居たもんだから臭いとかサイアクよぉ、ノラ黒猫の群れがシンっちの前を駆け抜けていくわ、直後に何故か開いていたマンホールから下水道に落ちちゃうわで!」


「そうなんですか? じゃあ二ヶ月前からの新宿のゴミ問題も、その人たちが……?」


「……おい待て。百々目鬼商会がこの下北沢にビルを建設しようとしたのは、害獣駆除商品がよく売れたからだと言っていたが――」


 ようやく我に返った澪斗が、ゆっくりと視線を上げ、黄色の神父服をまとった死神を指さして。


「――全部、貴様が発端ではないかぁッ!」


「エェッ!? でもボクは、最初にみんなと話し合おうとしたダケで……」


「大鎌持参の話し合いって何なのよ! それ日本じゃなくても脅迫でしょうが!」


 警備員五人に取り囲まれ、フェイズは広い肩幅を縮ませる。大鎌を器用に折り畳んでそそくさと上着にしまい込むが、当然、それで見なかったことになるはずもなく。


 無言の叱責に、さすがの彼も「アハ、アハハハー?」と苦笑いを浮かべながら素直に両手を上げた。


「よくわかんねーが、要は全員でコイツをボコれば一件落着か? そこのバカラス共々、晩飯にぶち込むぞゴラァ!」


「夕飯をどんどん猟奇的にするのやめよう!? っていうか料理するの僕なんだけど!」


 犬歯を剥き出して唸る遼平の裾を、純也が必死に握り締める。

 とっくに一日分の胃薬を飲み切ってしまった部長が、ギリギリと痛む腹部を押さえながら苦い息を吐いた。


 狭い空を覆う黒の大群と、フェイズの足元でもがく彼等の頭領。

 行き場を無くして街を汚すチンピラに、裏社会に脅かされながら暮らさざるを得ない路上の人々。

 目の前のハタ迷惑な情報屋をちょっと懲らしめたところで、誰一人、何一つとして根本的な解決になりはしないのだ。


「……やめんか、遼平。情報屋にかかわるとロクなことが無いっちゅーのは、エエ加減フォックスで学習しぃや。世界一優秀な教材やでアレは」


「じゃあこのマリモは放っておくのかよ!? 元はと言えばコイツのせいなんだろ!」


「でも遼、もう起きたことは仕方ないよ。この人も、そこまで考えてやったわけじゃないみたいだし……」


「故意であろうがなかろうが、これだけ広域で迷惑をこうむったのだ。とりあえず一度、燃やすぞ」


「フェッキーサイズの十字架ってその辺にあるかしら……」


『ブラザー逃げてッ、この人たちキャンプファイヤー感覚で磔刑たっけい始めようとしてる!』


 顔を突き合わせて『この元凶をいかに調理するか』を討論し始めた警備員たちと、未だにくちばしを踏み付けられたままもがく大ガラスを見下ろして、フェイズは腕を組み、三秒ほど悩んだ後で。


「ムゥー、わかったヨ! つまりボクがみんなまとめて、ハッピーエンドにぶち込めばいーんでショ?」


「あのねぇフェッキー、それができたらこんな苦労は……」


 子供へお説教するトーンで腰に手をやった希紗の唇に、人差指をそっと当てて、彼は悪戯いたずらっぽく片目を閉じて見せた。


「まぁ見ててよマイハニー。情報屋【fool's Goldフールズ・ゴールド】を今後ともごヒーキに、ネ!」






 後日。

 カラスの大群が棲みついたことで悪人すら寄り付かなくなった下北沢のとある教会で、夜な夜な開かれている老若男女国籍不問のダンスパーティーが大盛り上がりだと、一晩踊り明かしてきた友里依から聞いた。


 その隣で事務所ソファに沈みながら白目を剥いている夫を見れば、あちらの賑わいぶりは嫌でも伝わるが。


「でね、次回のイベントこそ希紗ちゃんに来てほしいってフェッキーさんが! 来週は裏の墓地でエレクトリカル運動会ですって~」



「絶っ対、行かないんで!!」




        ―――― 依頼2《黄金の因果律》完了 ――――

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