【factor.3】虎の胃を狩る狐

factor.3 - 1

「どーも、こんにちはァー」


 この辺りでは珍しいイントネーションに、たむろしていた若者たちが一斉に振り返る。もとい、睨み返す。


 彼らに声をかけた方も若くはあるが、まとう空気は天と地ほど違う。頭のてっぺんから爪先まで、他者を威嚇することのみが目的としか思えない風貌の若者たちと違い、その新参者はどうしようもなく浮いていた。


 浅黒い肌に、日本人顔のせいで似合わない跳ねた金髪。コートの両袖を結んで腰に巻き、パンクなサングラスをしている割には、へらへらと相手の顔色をうかがってばかりいる優男だった。


「ンだよテメェ。ここにイイ女が居そうに見えるかぁ?」


「はは、視界の限りガタイのエエ兄さん方しか見えませんわー」


「そーだよなぁ。だからナンパ野郎は場違いだって言ってんのがわかんねぇのか?」


 下卑げびた笑い声が重なるのは、小さな住宅街と隣り合う公園――なのだが、微笑ましい子連れの母親どころか、小学生一人いない。

 コンクリート壁にスプレーで書き殴られた、どう拡大解釈してもアートでも何でもない悪態の数々。入口の看板には返り血のような赤が染み込んでいるせいで、【六本木ふれあい広場】という文字もホラー演出の一部にしか見えなかった。


 そしてスケートボードの練習場所に腰掛け、ゴミをき散らした彼らが、現状ここのあるじらしい。


『キャハハハッ、子供たちの公園で縄張り気取って「場違い」って、超ブーメランなんですけどーッ! おにーさんウッケる~』


 突如響いた甲高い哄笑こうしょうに、男たちはぎょっとして目を走らせる。しかし公園内には、ホームレス一人として第三者は見当たらない。

 ……とすれば、この場に居るイレギュラーは。


「テメェ……もういっぺん言ってみろこの金髪っ!」


「えぇ!? いや今のちゃいますって! ワイはただ、少し話を聞きに来ただけでっ」


 大男に胸倉を掴まれ、半ば持ち上げられながらも、がむしゃらに首を振って敵意が無いことを主張する。

 「じゃあ、俺らに何を聞きてぇのか言ってみろ」とそのままの体勢で問うてくるので、喉を締められつつも苦笑いを保って続けた。


「い、いつ頃からこちらにお住まいで?」

「住んでねぇよ家ぐらいあるわっ! ここを溜まり場にしたのは三ヶ月前からだ!」


「この場所を選んだきっかけってあります?」

「たまたま俺の目に付いたからだっ、自販機もベンチも屋根もあるからな!」


「今後ここからどうしていきたいか、目標などあれば是非」

「そ、そうだな、まずは港区のヤツらをシメてから、数が揃えばシブヤにも殴り込もうかと」

「アニキいつの間にか面接みたいになってます!」


 どうやら、この巨漢がリーダー格だったらしい。舎弟の言葉で我に返り、「それがテメェと何の関係があんだよ!?」と唾を飛ばして金髪男のサングラスを奪い取る。


 いかにも優男、といった印象は双眸そうぼうが露わになっても健在。むしろ人畜無害なイメージに拍車を掛ける、温和な眼をしていた。ただ調子がいいだけの若者にしては、落ち着きすぎた深みのある瞳に違和感を覚えたけれど。


「いやね、やっぱり公共の場所を独り占めするのはアカンのちゃうかなーって言うか、元いた場所があるならそっちの方が居心地エエやないですか? 帰れるものなら――」


 瞬間、胸倉を掴まれたままだった男の腹を、ゾワリとした感覚が襲う。全員の目つきが、男を射抜かんばかりに憤り始めたからだ。


「……なんだよ、テメェ」


 ドスをきかせた声が、唸るように最初の一言を繰り返す。


「テメェ、?」 


 周辺のチンピラは全て追い払った。近所の子供すら、公園内の異様な雰囲気を察して避けて通る。そんな場所にズカズカと入ってきた挙句、ご丁寧に声まで掛けてきたこの優男は何なのか。


 張り詰めきった空気の中、男たちの怒気を一身に受ける彼だけが、苦い愛想笑いを引きつらせていた。


「い、嫌やわァ、皆してそんな怖い顔せんでも……ワイはただの、」


『平日の昼間っから缶コーヒー片手に悪ぶってるおにーさんたちに、一撃かつをぶち込むためやってきた! 愛と勇気と前科だけがフレンドな正義の味方さーッ! 群れるだけならアブラムシでもできるッつーの、さぁかかってこォーいッ!』


 ……そんな、あおりという次元を超えた挑発は確実に、目の前の優男から聞こえていた。

 正確に言えば彼自体は口を開いていないので、奇妙なひとり腹話術にも見えたが、頭に血の昇ってしまった男たちがそんなことを気にするはずもなく。


「こンの……っ、テメェまで人を小馬鹿にしやがって! 野郎共ッ、爪先から毛根までぶっ潰せぇ!!」


 話し合いの望みは完全に断たれ、最悪の展開に胃痛は酷くなるばかりだ。


 どうしてこんなことになってしまったのか――。

 飛んでくる鉄拳から己の毛根を護りつつ、しんはほんの三十分前を思い返す。




『真にやってほしい雑用っていうのは、要するになんだよねッ!』


 ワックスで整えた前髪に、ホストでも気後れするような胸元を大胆に開けたシャツ。さらに顔の上半分を狐面で覆い隠した男が、携帯画面の中から指をさしてくる。


 天井まで這い回るコードと電子機器を積み上げただけの壁を見るに、本社内の専用個室から通信しているのだろう。情報部員であるフォックスが、今回はオペレーター役として共に仕事をするという。

 相変わらず脱線ばかりの彼の話をまとめるに、顛末てんまつはこうだ。


 近頃この港区で、裏社会人予備軍こと《半裏はんうら》の若者たちによる小競り合いが、頻繁に見られるらしい。

 しかしせいぜいが警察に補導される程度の、チンピラの延長線上でしかない彼らだ。今のところ脅威度としては低く、表・裏社会のどちらからも問題視されていない。


『でもね~ッ、その人数と範囲がどんどん拡大してるんだよ。このペースで行くと、来月には千代田区まで来ちゃいそうなんだッ』


 そこから先は、真にも読めた。千代田区にはのだ。


 以前「企業のイメージアップは大事だよねぇ」という社長の一声によって義務化された、社会貢献の一環『街のクリーン活動』。……といっても、別に路上のゴミを拾うわけではなく。本社まわりで幅を利かせていた素行不良者たちを、片っ端から駆除する運動だった。


 真もかつては本社に所属していたので、あの地獄の釜のふたを開けたような光景はよく覚えている。

 一切の手加減をしない裏社会人に、次々と千切っては投げられる、か弱きチンピラたちの山。命乞いと阿鼻叫喚あびきょうかんのフルコーラス。東京中の救急車を出動させる事態となり、近隣住民から苦情が殺到した伝説のトラウマイベントである。


 今回、港区で増長している彼らも同じ羽目になると、フォックスは踏んだのだろう。だから本社へ報告を上げる前に、こうして真を呼び出した。


『つまりさッ、君に頼みたいお仕事は、』


「……直接現場に行って、やんちゃな奴らが増えた原因を調査して、適当に説教垂れてこいっちゅーことやろ?」


 真が憂鬱そうにそう吐くと、何が可笑しかったのかフォックスは小さく噴き出す。


『うんッ、その通ォーりッ! 引き受けてくれて嬉しいよ真。君ならきっと、護ってくれる』


 『この僕も一日協力するからさッ、泥船に乗ったつもりで安心してよね!』そう無駄に白い歯を見せ、親指を突き立てた今回の相方なのだが――




『キャハハハハ最ッ高、真ってば大ピーンチッ! やっぱ地域住民との乱闘ふれあいはこうでなくちゃ!』


「黙れこの性悪狐っ、こんな血と涙しかないふれあい広場があってたまるかァ!」


 確かに、紛うことなき泥船だった。

 あらゆる監視カメラに不正アクセスできるフォックスのことだ、今も何処かのから、お笑い番組感覚で眺めているに違いない。


 羽交締めにしようとしてきた男に回し蹴りを放ち、よろめいたところに下腹部へ拳を見舞う。膝から崩れ落ちていく男を確認しつつ、右頬に迫っていた正拳突きを払い上げ、振り向きざま相手のあご掌底しょうてい打ちを決めた。


 腰に結んでいたコートを掴まれたせいで引き倒されそうになり、ほどけないよう右手で死守しながら、左の裏拳を強かに顔面へ打ち込んだら。


「あァもう人の背後から寄ってたかって卑怯やぞ! これおニューやぞっ! 嫁イチオシの新色コーデを汚すなやボケェ!」


 下半身を覆うようにコートの袖を結び直して、今度はこちらから右脚を振り切ると、四人目のこめかみにクリーンヒットさせ砂場まで蹴り飛ばした。

 巨漢のリーダー含め七人程度の集まりだったが、真の攻撃にさほどダメージが無いのか、何度も立ち上がってくるものだからタチが悪い。


『真ッ、危ない後ろーッ!』


 ポケットに入れたままの通信端末から、フォックスのただならぬ声が届く。

 背後から、何か質量のある長物が空を切る、微かな音がした。その響きは真が聞き慣れたものに酷似していて、彼の右手は反射的な速度で左腰、コートの下に隠していたそこへ伸びる。


 振り返れば、圧殺でもしようかという至近距離まで迫った巨体。筋肉を隆起させた両腕が振り上げるは、歪んだ太い鉄パイプ。

 けれどその様を視覚する前から、真の瞳の色は変わり切っていた。


 大地に爪を立てるように力強く脚を開き、腰を落とす。全身を用いた滑らかな構えは、彼本人の思考など一切介さぬ、本能によるものだ。


「《動》の章、第四奥義――毘沙門天びしゃもんてんッ!」


 名を最後まで口にする頃には、


 真が振り向く速度すら視認できなかった彼らに、抜刀、居合の瞬間など捉えられるはずもなく。

 ただ気が付けば、くの字に折られ転がる鉄パイプ、優男がどこからともなく出した木刀と、何故か地面に伸びている大男という――何が起こったのかはよくわからないのに、誰の目でもわかる決着の光景だった。


 ピクリとも動かなくなってしまった男を全員が呆然と見下ろす中、一応この場の勝者である真が「……あ」とかすれた声で。


「ああァァあかん救急車ー! フォックス早う救急車呼んだってええぇ!」


『そーだねッ、初めに通報入れる第一発見者が犯人ってのがセオリーだからね! 揉み合った末にドグシャッなんて死因、裏社会じゃかえってレアだけど』


「え、嘘、やってもた!? ワイとうとうやってもうたー!」


 相変わらず姿なき声は狂ったように笑い続け、木刀優男は地面に顔をうずめて「もうアカン……今度こそ腹切るしかないぃぃ……!」だとか涙声で打ち震えていた。


「裏社会って……こいつが!?」

「ヤベェここも危ないっ、逃げんぞ!」


 真が勝手に罪の意識にさいなまれている内に、舎弟たちは三人がかりでリーダーの巨体を引きずり逃げ去っていく。

 雲一つない快晴の下、顔面土砂降り状態から起き上がれないでいる相方に、さすがのフォックスも少し可哀想になってきたので。


『ちょっとお、何マジ泣きしてんのさー。支部に飛ばされて、死体と失神の区別もつかなくなったのッ?』


「え、あれ、死んでへんの……? せやかて結構思いきりやってもうたでっ、表側の子はめっちゃ打たれ弱いのに! 豆腐の角すら凶器になりうる繊細さやぞ!?」


『まぁ君らの物理的な打たれ強さと比べたら、誰だってそうなるけどさ……』


 敵も味方も化け物だらけの仕事に身を投じ過ぎたあまり、力の感覚が麻痺しかかっている友人に、狐面から覗くライトブラウンの眼は同情の色を浮かべた。


 裏側に属するからと言って皆が皆、中野区支部員のような底無しのバイタリティーを持つわけではない。

 むしろ異例中の異例なのだ。あんな、倒されても第二・第三形態となって立ち上がってくる魔王のごときしぶとさは。


『案の定だけど、お説教も通じなさそーなタイプだったしさ~ッ。全員ちょっと一発痛い目に遭わせて「これが裏社会」って言葉を脳に焼き付けさせる、パブロフの犬作戦でどうよッ?』


「そら条件反射やのうてただのトラウマやろが、もっと平和的な解決方法をやなァ……。フォックスあんた、さっきわざとワイに警告したやろ」


 普段おちゃらけた声しか出さないフォックスが必死に叫んできたので、ただ事ではないと思い、とっさに木刀を抜いてしまった。けれど相手の得物はただの鉄パイプで、さらに不幸なことに、真がそれに気付けたのは技を終えた阿修羅アシュラが腰に戻った後。


 認めたくはないが相方の言うとおり、真の強靭さは一般人を遥かに上回る。鉄パイプを脳天に振り下ろされようが、腹を貫通しようがとりあえず死にはしないだろう。後で嫁に延々怒られることの方が、よっぽど辛いくらいだ。


 ゆえに、フォックスのあれは警告ではない。

 注意を促すこと自体に意味が無いし、


『うん、そだよッ。いやぁ久しぶりに真の技が観られて面白かったーッ、ブラボー!』

 大体彼が、真のことを心配してくれた試しが無かった。


 携帯画面の向こうでいつの間にかスナック菓子を広げていたフォックスは、拍手喝采を送りつつ、器用にも炭酸飲料のストローを啜る。


『ほらッ、僕が君と一緒に仕事するのって久しぶりじゃん? だからついでに、データを更新しとこうと思ってねッ!』


「ついでどころか、完全に仕事の邪魔やったやろが。無意味に阿修羅を使わすな!」


『関西に伝わる剣術の流派なんでしょ、閃斬せんざん白虎びゃっこって。そこって一々、技名叫ばないといけないルールでもあんのッ?』


 散々煽っておきながら、こちらの言葉など聞いてもいない。のれんに渾身のタックルをかましているような虚しさを覚えながらも、「ワイはとっくに破門された身やけど」と前置いてから真は律儀に返答してやる。


「小っさい時から師範にそう教えられて、今じゃ反射で叫んどるからなァ。ほらアレや、ハンマー投げの選手が瞬間的に力を出す時、大声上げるやろ。そんな感じちゃう?」


『ふむふむ、つまり【そっちの方がカッコイイ気がしている】と』


「本人前にして捏造ねつぞうすんな!」


 調査のメモなど片手間で、ポテトチップスを口いっぱいに詰め込んでいる情報屋に、悪びれた様子など欠片も無く。その光景は真の怒気をみるみる急降下させていく。落胆の方向へ。


 悲しいかな、己の情報に大した価値など無いと自覚している真は「あァもう、全部好きにせえ」と早々に諦めることにした。


「エエ加減、話を戻すぞ。さっきの兄ちゃんの話やと、ここに居座り始めて三ヶ月ほど言うてたけど。元々縄張りとしていた場所から流れてきた――っちゅーか、追い出されたって感じやったなァ」


『なんか最後に「ここも危ない」とか言ってたよねー。以前もどっかで痛い目見ちゃったのかなッ?』


 ならば彼らは元の縄張りで何らかのアクシデントに遭い、逃げ伸びた先の港区で居場所を見出そうとしたのだろうか。

 青年たちの必死な奮闘ぶりが脳裏を過り、少し悪いことをしたと頭を掻く。まぁ家はあると言っていたし、本気で住む場所が無いわけでもないだろうが。


「ほんなら何処から来たんやろ……あの口振りからすると渋谷区、でもなさそうやし。最近あっちで大きな衝突があったなんて話も聞かんし」


『シブヤのが、他区にちょっかい出すとは考えにくいよね~。すっかり昔の勢いは失っちゃったもん』


 数年前までは二十三区を覆う強大な影響力を持ったグループだったが、かつての王者も、今では一つの区で組織を維持し続けるのが限界らしい。

 いつの世も、こんな物陰の小さな社会でさえも、盛者必衰、諸行は無常だ。


『あのおにーさんたちは、新しい縄張りを探すもシブヤには入れなくて、それで港区にまで辿り着いちゃったんじゃないかなーッ?』


「まるで民族大移動やなァ……。渋谷を除外すると、南の品川か、北の新宿辺りか?」


 どうやら真が調査すべきは、元々彼等が何処に居たのか、この移民現象は何故起こったのか、という点らしい。


 考え込みながらふと視線を下げると、先程の彼等が残していった空き缶や食べかすの付いたビニール袋が目に入った。その残飯にどこからともなく寄ってきたドブネズミが、まるで次の主は自分だと言わんばかりに、ゴミ山の頂きに立つ。


『これ以上都心を汚されると、表裏両方のの人にも目を付けられちゃうからさーッ。ここらで真に繁殖を止めてほしーんだよねッ!』


 相手が警察にしろ裏稼業にしろ、先程のような半端な青年たちでは到底敵わない。ならば元居た場所に帰してやりたいし、そこで元凶となった問題も、できれば何とかしてやりたい。

 根本的な解決とは言えず、結局は問題の先送りでしかないけれど。


「ワイは結構好きやけどなァ、雑草魂、ドブネズミ。どこかの性悪狐よりよっぽど胃に優しいわ」


『僕だって、どっかの牙も剥けない虎よりは親近感湧くしッ』


 子供っぽく唇を尖らせる相方を適当にあしらいつつ、公園の出口へと向かう。


 ふと、頭上から羽ばたきの音が降る。

 やかましい鳴き声に振り返ってみれば、黒の弾丸と化して上空から襲いかかったカラスが、あのネズミを捕食しているところだった。


『……真ごめん、僕やっぱドブネズミよりは頑張って生きたいかも』

「諸行は無情やな……」


 社会の底辺を這いつくばって生きる自分たちの姿が、蹂躙じゅうりんされるネズミに重なり、男二人は熱くなる目頭を押さえた。

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