第二話『黄金の因果律』

Introduction

しかして平穏は程遠く

 貨物列車じみた黒い巨体が、夜の市街を突き進む。

 信号も対向車線も無視して疾駆するモンスタートラックの、さらに後方。銀の弾丸がごとく追走する、一台のスポーツカーがあった。


「やっぱり波止場に向かってるみたい。埠頭ふとうに未登録船舶を確認」


 スポーツカーの後部座席でノート型端末を開いていた少女が、運転席の男に向かってデータを飛ばす。男の眼鏡に半透明のマップが浮かび、窃盗犯たちの合流地点と目されるポイントを示した。


 依頼人の金庫へ巧妙に侵入した手口といい、周到な逃走ルートといい、相手もプロだ。それも最近台頭してきた、多国籍組織に違いない。国境を越えての逃亡も有り得る。

 だが彼ら警備員も、諦めの悪さには定評があった。


「……フン、さすがに海上までは追えんな。希紗きさ!」


「合点承知!」


 呼ばれた少女は得意げに、テレビリモコンのようなものを掲げボタンを押す。彼女手製の妨害電波が、半径一キロ以内の信号機に干渉し、強制的に赤へと切り替えた。


「もって十秒ってとこだけど!」

「充分だ」


 アクセルを全開まで踏み込み、一気に距離を詰める。敵が運転席から放ってきた銃弾を、慣れた片手ハンドルで避け、こちらも右手で銃を抜く。

 だが、狙うはトラックの運転手ではない。人の背丈ほどもある巨大な後輪だ。


 タイヤの側面に車体を近づけ、回転するホイールの隙間に一発。着弾と同時に破裂、膨張した白色が、内部の機構を絡め取る。


 当の開発者が背後で「今回のカートリッジは、名付けてガムガム弾! 通常の三百倍の粘着力を実現、さらにキシリトール配合!」などと盛り上がっているが、そのまま舌を噛めばいいと思う。


 男は眉一つ動かさないまま、ムカデのように連なるタイヤを次々と撃ち抜いてゆく。窓から叩きつける風が、淡い緑をした髪を掻き乱した。

 片側のタイヤを使い物にならなくされ、モンスタートラックはいびつな振動を繰り返し、蛇行し始める。


 車両先頭に並ぶまで、あと二秒――その正確な予測は、しかし突然フロントガラスを覆った白煙に狂わされた。

 男は思わずブレーキを踏む。煙幕や、催涙弾の類いではない。これは、


澪斗れいとっ、前! 前!!」


 掻き消された視界の先から飛んできた大型タイヤは、もう目の前にあった。直撃すれば車ごとぺしゃんこだ。

 それをとっさのハンドルさばきで回避するが、希紗の悲鳴じみた警告は止まらない。同じサイズのタイヤが、次々と跳ね転がってくるではないか。


 荒々しくアクセルとブレーキを踏み分け、タイヤをかわし、中央分離帯を飛び越える。そこでようやく白煙を振り切れた車体は、急ブレーキをかけ大きくスピンした。ゴムタイヤが甲高い断末魔をあげ、焦げた臭いを吐く。


 遠心力のまま窓ガラスにへばりついていた希紗は、その先の光景に思わず息を呑んだ。

 巨大トラックだったそれは、車輪部分を切りパージし、折り畳みプロペラを展開したことで、輸送ヘリに変形。切り替え時に射出した蒸気を自ら晴らしながら、宙へ飛び立たんとしている。


「うっわあ何あれいいなー!」


「ロシア製の陸空輸送艇か。まったく準備の良いことだな」


「ごめん……『澪斗の車に無断でホバリング機能つけちゃおうプロジェクト』が完成してれば追えたのに……!」


「絶対にするな」


 悠々と夜空に舞い上がっていくヘリコプターを、もはや手も足も出ない二人は呆然と見送るしかない。その表情は落胆によく似ていた、が。


「なんて言うか……あれよね」


「あぁ……気の毒にな」




 しつこかった追跡者が諦めたことを確認して、男はヘリのドアを閉じた。元より戦車砲でも持ってこない限り、傷一つ付けること叶わない重装甲だ。

 周囲のビル四階の高さまで上昇し、ローターの旋回音が辺り一帯を覆う。

 ……それゆえに。遠く、バイクをふかす唸りになど、誰も気付きはしなかった。


 異国から来たばかりの新参者かれらは知らない。

 この街の空は、決して安全地帯などではないことを。


「うをおおぉ――らああぁあ!!」


 立体駐車場の屋上フェンスをぶち破った大型バイクが、勢いそのままにヘリの荷台部分に激突してきた。


 真横から砲弾じみた衝撃を受け、乗組員たちは銃を構えて身を乗り出す。

 が、その時には既に「ちくしょうがあぁぁー……!」と吠える謎のチンピラが地上へ落ちていくところだった。


『なんだ今のゴリラは!?』

『それより積み荷だ!』

『機体に損傷は――』


 操縦室が一度大きく揺れ、機体が傾き始めた。回転翼の動力部に異常が発生したと、計器が赤く染まりだす。


『後部ローターにエラー! 安定しません!』

『なんとか港までもたせろ!』

『なんだあのゴリラは!』


『あてんしょんぷりーず』


 こつこつ。

 窓を叩いた音に、パニックに陥っていた全員が視線を向け、絶句する。

 フロントガラスに貼り付くようにして、逆さまの顔を覗かせているのは、少年だった。肌も、風にあおられる髪も真っ白で、瞳だけが晴れ空の色をしている。


 トラック発進時も、離陸の際も、屋根に誰かが乗っていればセンサーが知らせたはずだ。ならばいつから、どうやって?

 必死に冷静な判断力を取り戻そうとする、プロの窃盗犯たちは夢にも思うまい。まさか少年が、宙へ特攻するバイクを踏み台にして飛び乗って来た、などとは。


 皆が注目してくれたことに満足したのか、少年は気恥ずかしそうに頬を染め、こほん、と咳払いを一つ。

 そこで彼らはようやく気付く。少年が手に持ち、ノック代わりにガラスを叩いた

 それがこの輸送ヘリの、ブレードの一枚だということに。


『これより当機は乱気流に突入し、墜落態勢に入ります。シートベルトをしっかりお締めくださーい』


 ヘリは数度、縦に揺れた後、都市の上空に突如として発生した竜巻に飲まれた。上下左右にシェイクされる操縦室に、人数分の阿鼻叫喚あびきょうかんが渦巻く。

 波止場に向かって、きりもみ回転で頭から落ちていくヘリ。


 もはや操縦桿にしがみついているだけの運転手は、岸のへりにひとつ、影を見た。

 淀んだ東京湾を背に、こちらを見上げて突っ立っている男だ。


 驚きのあまり動けないのか、不運にも頭上から降ってくる巨大ヘリに微動だにせず、褐色のトレンチコートだけがはためいて――



 墜落寸前、死を覚悟した乗組員たちの目に、世界はスローに映った。

 にもかかわらず、その黒の一閃を捉えられた者が、はたして何人いただろう。


 此岸しがんの境に立つ男が抜き放った刀は、コックピットと荷台の接合部を切断。一刀のもとに首をねられたように、操縦室だけが放物線を描いて海へと落ちていった。




[――これは。

 これは、今や『欧州せかいの裏側』と呼ばれる、とある経済後退国、その首都にて。

 闇夜を跋扈ばっこするならず者と、それを迎え討つ警備員ならずものたちに関するレポートである。]


 ヒュウ、と口笛を夜風に乗せて、電脳双眼鏡をおろす。

 東京湾に大きく上がった水しぶきが合図だったかのように、パトカーのサイレンが今宵の幕引きを告げる。


 地上三十階からぶらぶらと宙に遊ばせていた脚で、おもむろに立ち上がり、その人物はいずこかへ消えた。



     ◆ ◆ ◆



「……結果、窃盗犯グループ含め、死者だけはゼロですが」


「うん、人的損失ねぇ」


 その日、ロスキーパー本社・社長室は沈痛な空気で満ちていた。


 童顔にそのまましわを書き足したような、人懐っこい笑みが似合う老翁。

 社長デスクの横でぴんと姿勢よく立っているのは、秘書代わりの青年。

 そして入室するや否やヘッドスライディングで土下座し、ぴくりとも動かないのが、中野区支部長、霧辺きりべしんである。


 今回、窃盗犯に狙われた依頼品『金塊レプリカ』は、あらゆる国の税関を突破できる、超精巧な偽物だった。重量、光沢、センサー反応、どれをとっても正規品と見分けがつかない違法品であり――当然、衝撃に対するも本物同様であって。


 回収した荷台の中身は、まさに無残の一言だった。

 無理もない。激しいカーチェイスの後、大型バイクから横殴りにされ、最後は空中でミキサーされたのだ。

 あのレプリカで一儲けを企んでいた依頼人は、砕け散った全財産を前に、泡を吹いて寝込んでしまった。


「本っっっ当に、申し訳御座いませんでした……!」


「お客様への損害補償は、本社でしておくよ。シュン、後処理も頼めるね?」


「お任せください。既に事件の隠蔽いんぺい、警察への根回しは済んでおります」


 呼ばれた青年が、恭しく頭を垂れる。

 開いているのかどうかも定かではない細目に、ラフな黒ジャージ姿と、外見はその辺を歩いている男子高校生と変わりない。だが実態は、十年前から在籍している古参社員の一人である。


 裏社会に関わる案件専門の警備会社、Loseロス Keeperキーパー

 その企業方針として、敵の生死は問わず、社員の生死すら重要視されない。ただ一点、『依頼対象を護り抜くこと』だけが彼らの意義であり、評価となる。

 ……と、いうわけで。今回の中野区支部の仕事結果は、大失敗以外の何物でもないのだった。

 中野区支部が設立されて早四年。常に全支部の業績ワースト一位に輝き続け、そろそろ殿堂入りも検討されている。要するに事務所の閉鎖だ。


 真の後頭部を見下ろし、瞬はちらと社長をうかがう。

 常に微笑みを湛えているような目元は感情が読みにくいが、床から額を離そうとしない同期に、思うところがあるのだろう。


風薙かぜなぎ様……」


「うーん。私も、真はよくやってくれていると思うよ。ただ他の社員の手前、中野区支部だけを特別扱いはできないからねぇ」


「な、なんでもっ、どんなことでもしますので、どうかもう一度チャンスを……!」



『――今なんでもって言ったッ?』


 この場にいない、どころか人ですらない声がした。天井のプロジェクターが勝手に起動し、白壁に絵本調のきつねアイコンが映し出される。


 『全社員変人』と名高いロスキーパーでも、頭一つ飛び抜けた男――フォックス、と名乗る情報屋だ。常時ボイスチェンジャーを用い、社長室の機器を面白半分で乗っ取るような、変態的な技術力を持った変態である。

 彼は電脳空間を自在に行き来できるので、その登場には誰も驚かないが、直属の上司にあたる瞬は「ノックぐらいしなさい」と顔をしかめた。


『なんか楽しそーな話してるじゃん! ねぇおじいちゃん、それなら本社で溜まってるを彼らに片付けてもらったらどーかな? 僕もちょうど、真に頼みたい雑用があったんだよね~ッ』


「なるほどねぇ。確かに反省文や謹慎より、よっぽど生産的だ。真、どうかな?」


 社長にそう投げかけられては、壊れた赤べこのように首を縦に振るしかない。実際、信頼回復の上、僅かでも収入が得られるとなれば願ったり叶ったりだ。

 たとえそれが、社内一のトラブルメイカーによる発案だったとしても。


『いや~よしてよ真ッ、いくら僕が中野区支部の救世主だからって、そんな膝をついてあがめなくたって! 君と僕との仲じゃあないかッ! あ、お礼なら虎猫屋の高級羊羹ようかんでいいから――』


 電流が弾けた音で、唐突に画面は終わった。見上げると、ボールペンの突き刺さったプロジェクターが煙を噴いている。

 ノーモーションでそれを投擲とうてきした瞬から、重い溜息が零れた。


「シュンも大変やな……」

「いえ、霧辺殿に比べれば……」


 くしくも、部下のことで常に頭が痛い同期二人である。

 瞬のタブレット端末が鳴り、早速フォックスから依頼内容が送られてきたことを知らせた。ホログラムディスプレイを宙に立ち上げ、他にも回せそうな仕事をデータベースから探す。


「どれも規模の小さな仕事で、報酬も低いのですが……」


 そう申し訳なさそうにしつつ、パネル上で滑らせていた指が、はたと止まった。

 僅かに考え込む時間の後、瞬はやっぱり笑っているのか困っているのかわからない細目を向けると。


「フォックスの案件も含め、直近で三件の依頼があります。ただ……全て同日でして」

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