【factor.1】風が吹けば武器屋が儲かる

factor.1 - 1

「……希紗、俺の認識が誤っているのか問うが」

「待って澪斗、私も一つ確認したいことがあるの」


 壁にスプレーで書き殴られた、『人でなし!』『出て行け死神』等の口にするのもはばかられる罵詈雑言ばりぞうごん

 昼間だというのに、隣接するビル群の影で薄暗く汚い敷地。

 素人が建てたのではと思うほど、全体的に左へ約三十度傾いた木造建築。

 そびえ立つ廃墟を見上げ、二人は開いたまま塞がらなかった口で声を揃えて。


「「――教、会……?」」


 依頼人との打ち合わせに指定され、『街はずれの教会』と紹介された場所は、おおよそ彼らがイメージしていた神の家とは似ても似つかなかった。これを教会と呼べるなら、段ボールハウスだって立派な寺院と自称できるだろう。


「……教会に死神が棲まうとは世も末か、もしくはよほど物好きな死神なのだろうな」

「死神は決定事項なの!? やめてよね、に加えて依頼人まで人でなしだなんて」

蒼波そうはならば今日は別案件だろう?」

「澪斗のそういう素敵に無自覚なところ、嫌いじゃないわ……正確には大嫌い」


 ポニーテールの少女が額を押さえている隙に、男は背後を一瞥し、眉間にしわを寄せた。眼鏡越しだった澪斗のそれは、一睨みと表現した方がしっくりくる眼光で、二人を覗き見ていた多数の視線はそそくさと逃げ去ってしまう。

 この辺りに住み着いたホームレスか、不法滞在者のようなものか。裏側の住人らしき気配はあるが、敵意にしては弱すぎる。


 灰色のシャツにベストを着込んだ澪斗は、右手のアタッシュケースを見下ろす。依頼人の要望に『一目で警備員とわかる服装は避けて』とあったので、装備も全てケースに収めてきたのだが、さほど効果は無かったようだ。



 二人が担当することになったのは、報酬額がやたら低い上に、『依頼内容は直接話したい』という厄介事の臭いしかしない案件だった。

 だが社内における中野区支部への評価が落ちに落ちている今、文句を言える立場でもなし。三組に分かれてそれぞれ仕事を請け負ったものの、どれか一つでも失敗しようものなら、明日から全員無職の可能性すらある。



 柵代わりに入口を塞いでいた十字架を蹴り倒し、澪斗は挨拶も無しに教会へ踏み込む。後から希紗もついていくが、照明どころか日差しすら無い屋内は、うすら寒くカビ臭い。


 本当に、死神でも出るのでは――

 そんな希紗の考えが悪かったのか、背後からぬっと現れた巨大な手が、彼女の両肩にのしかかった。


「ひゃああ!」

「希紗!?」


 彼女の悲鳴に振り返った澪斗は、迷うことなく回し蹴りを放つ。

 そこで二度目の叫びを上げて、頭部を抱えしゃがみ込む。結果、背後の誰かが澪斗の靴底によって床へ吹っ飛ばされた。


「……ちっ」

「いやなんで舌打ち!? いい口実とばかりに私を始末しようとしたでしょ今ぁー!」

「なんだ、わかっているなら素直に消されればいいものを」


 真顔から感情は読めないが、それが本音なのは確かだろう。そもそも澪斗には冗談という概念が無いので、あえて問い質してしまい跳ね返ってきたダメージが痛い。


「アウチチチ……、ひどいヨー! コレ召されたっ、絶対ボクの肋骨ろっこつ召されちゃった音したヨー!」


 何やら全体的に黄色い人物が、ジタバタのた打ち回っている。それを見た澪斗が「肋骨以外も召してやろうか」と脚を上げると、バネのように跳ね起きて両手を掲げた。


「ちょっとタンマっ、神に祈る時間くらいロスタイムとかフツーあるデショー!? 怪しい者じゃないヨ信じてヨー、ボクはここの神父で、善良な密入国者だヨ! あ、ちなみにキミたち雇ったのボクネ! ココ大事!」


 釈明のため近づいてきた男は二メートル近く、希紗は首を垂直にしてその巨体を仰ぐ。目鼻立ちから見るに、欧米系の白人らしかった。

 日本語慣れしていないイントネーションと、坊主頭を少し放置したようなマリモ状態の髪。そして何より彼の異彩を際立たせているのは、浅黄色した司祭服だ。


 希紗や澪斗も無宗教ではあるが、全身黄色の神父が有り得ないことぐらいはわかる。そもそも不法滞在な時点で聖職者名乗ってていいのかとか、問い詰めたい部分は山ほどあるが、澪斗にとって重要なのは言葉の最後だけだった。


「そうか貴様が依頼人か。言う通り、俺たちがロスキーパー中野区支部から派遣された者だ」

「イヤー、裏の墓地で草刈りしたら疲れちゃってサー。キミたち遅いし、ココで一眠りしてたワケ!」

「早速だが仕事内容を確認させろ。貴様の依頼書は抽象的過ぎて、警備の価値があるのかすら判断しかねる。一体何を護れと――」

「それでなんか騒がしいナーって起きてみたら可愛い女の子がいるジャナイ! ここはハグするのがマナーでショ!」

「それ日本ではセクハラって言うんですよ」

「人の話を聞け貴様ぁ!」


 怒声を上げると同時、澪斗の手には黒銃が握られている。相手の顎を銃口で押し上げ、睨めつける目は確かな殺気を帯びていた。

 だが痛い痛いと喚く神父にその表情は見えないので、この場で最も焦ったのは他でもない希紗である。


「ダメだって澪斗っ、真に『依頼人を射殺しないように』って言われたでしょ!」

「そんな注意されてる時点で有り得なくナイ!?」


 一々騒がしい依頼人と、出会って三分の相手に殺意を放つ同僚の間に割り込み、希紗は必死に「仕事だから」と言い聞かせる。いかにもクールそうな顔つきのくせに、その実、怒りの沸点は遼平並みに低いのだ。


「……用件だけ述べろ。無駄口を叩いた瞬間、火刑も止むなしと思え」

「ぐぬぬ、セッカチさんネー。遅れちゃったケド、ボクはフェイズ。気軽に愛を込めて『フェッキー』って呼んでネ!」


「希紗、ライター持っているか」

「ごめん、小型の火炎放射器ならあるんだけど」

「ボクの名前『無駄口』にカテゴライズされちゃうノ!?」


 余計な時間を取らせるなとばかりに鼻を鳴らす澪斗に、フェイズも唇を尖らせ頬を膨らます。これ以上険悪になっては、説明以前に依頼そのものが破綻しそうだ。慌てた希紗が、愛想笑いで割って入る。


「わ、私の名前は希紗! こっちのちょっとコミュニケーション能力が壊死してる同僚が澪斗ですよ!」

「希紗チャン! イイお名前だネー、仕事上で連絡取り合うカモだし、この機会にアドレス交換しようヨ!」

「あ、依頼を真っ先に引き受けたのは澪斗なんで、そっちと交換してください」

「こんな時ばかり都合の良いことを……」

「エェー、ボクそっちの趣味無いヨー」

「貴様に至ってはもう私情のみか!」


 今にも引き金を絞りたい衝動に駆られつつ、いい加減このままではらちが明かないと察したらしい。整った横顔に血管を浮かばせながらも、「……それで、依頼は、何だ」と冷静さを捻り出し、なんとか一文節区切りで言葉を発することができた。


 今回は上司も不在なので、自らが率先して動かなければと思っているのだろうか。そんな人間としては今更過ぎる成長に、三歳下の彼女が感動で涙しそうだ。


「ソウソウ、お仕事の話ネ! 最近、ボクらベリベリ困ってるヨー。悪い業者のヒト来て、『ここは自分たちが買い取る土地だ。金を置いて出ていけ、さもないと痛い目を見るぞ』なんて無茶なコト言い出して……。オォ主よ、我ら路頭に迷える子羊を、どうかお救いしちゃってクダサイ!」


 大仰に両腕を掲げ、フェイズは傾いたマリア像へ十字を切ると、蚊でも叩き潰す勢いで指を組む。瞳を潤ませすがるように祈るが、砂ぼこりをかぶった聖母像を見る限り、彼の信仰心に対する救いはそれほど見込めなさそうだった。


「何よそれ、そんなの悪徳業者って言うより暴力団じゃないっ」

「奴等の組織名はわかるのか?」

「えッと、ドドゥ……そうっ『ドドメキショーカイ』ネ!」


 聞き慣れない音に首を傾げる希紗の横で、澪斗は心当たりがあったらしい。手帳の端を破り取り、素早く文字を書いて依頼人へ掲げると。


「『百々目鬼どどめき商会』――名は、この綴りだったか?」

「アッ、これコレ! 全身黒服で、名前の通りデビルみたいな人たちサ!」


 澪斗は小さく鼻を鳴らし「そうか」とだけ言うと、眉間の皺を一つ増やす。

 表面の変化としてはそこだけだったが、希紗は本人すら自覚していないであろう、気に入らないとでも言いたげな瞳の色に気付いていた。


「澪斗知ってるの? 商会って、そこ何の業者?」

「まぁ名前ぐらいはな。銃火器売買の仲介や横流しをしている、言わば『こちら側の中小企業』だが……。貧乏人相手に、地上げ屋の真似事でも始めたか」


 相変わらず、合成音声じみた一本調子な台詞からは、義憤らしき感情など読み取れなかった。元より人情や正義感など欠片も無い男ではあるが、ならば尚更、皺を刻んでまで苛立つ理由が同僚にはわからない。


「ココに住んでるみんなは、多国籍の上に訳アリアリで、ポリスに被害届は出せないんだヨー。そこでトモダチに相談したら、ロスキーパーを紹介してくれてネ!」

「なるほど、ようやく話が見えてきたな。それで俺たちにこの周辺を警備しろと、」


「ウンッ、だからあの悪徳業者サン、ブッ倒して来てヨ!」


 一瞬何を言われたか理解できず、同じ表情になる警備員二人の前で。

 意味がわかっているのかいないのか、「チーマツリ! ハーラキリ!」と手を叩いて盛り上がる、自称聖職者。

 希紗は今日この時をもって、神も仏も存在しないことを確信する。


「あの、フェッキー? 一つ聞くけど、『警備員』ってどんな仕事か知って、ます?」

「モチロン! トモダチ言ってたヨ、お金さえ払えばどんなコトにも手を染めル、クレイジーな便利屋サンだって!」

「いや全然ちがっ……わ、ない、とも言い切れないけど、うん、部分的には……」


 即座に否定しようとした希紗の脳裏に、中野区支部の日常が過ぎる。

 アイドルの握手会のために三日三晩並ぶ代行とか、動物園から逃げ出したサルの捕獲とか、トイレの水漏れ修理とか――広義的には、地域の平和を警備している、はずだ。そういうことにしたい。


「やっとココに居場所を見つけた人たちも、彼らに脅されて追い出されちゃって……。サタンは世田谷に居たんダヨッ、バチカンは今スグ彼らを悔い改めさせるべきネ!」

「その前に、教皇庁はまず貴様を取り締まるべきだと思うがな。そこまで言うのならば貴様が直接、神の教えとやらを説けば良いではないか」

「ヤだヨあんな地獄の軍団相手にして、純潔・実直・非暴力をモットーとするこのボクに、モシモのことがあったらドーするのサ! 絶対ボクの名前出さないでネ! あと独りじゃ心細いから希紗チャン置いてってヨ!」

「さっきまで無防備に爆睡してたでしょうがっ、一番目からモットーくつがえしてんじゃないわよ!」


 どさくさに紛れ固く手を握り締められてしまった希紗は、想像以上に筋肉質な指先を振り解こうと必死だ。

 同僚に涙目で訴えかけるが、そもそも彼女の救難信号に気付いてすらいない澪斗に、救いの手を望めるはずもなく。


「キミとの出会いが教会だったのもデスティニー、主のおぼしに違いないヨ! さぁ準備は既に整った! ヴァージンロード・ボク、神父・ボク、新郎・ボクで永遠の愛を誓おうマイプリンセス!」

「なんでそうなるの飛躍しすぎっ、頭の中にトランポリンでも収納してんの!? もう新婦役も含めて独りで結婚式してなさいよっ!」

「いや貴様ら案外似合いだぞ、これで晴れて寿退社だな」

「澪斗までぇー!」


 神父に左手を掴まれ指輪をはめられようとしている女と、もがく彼女の右手に引っ張られ鬱陶しそうな眼鏡男。そんな、三つ巴とも三角関係とも表現しがたい修羅場が繰り広げられること、約五分。


「――わかったっ、わかったから! ならこうしましょう、今回の依頼、私たちがその百々目鬼商会って奴らを大人しくさせて、二度とここに迷惑かけないようにできたら、私のことは諦めて! もし失敗したら姫でも嫁でも好きにすればいいわっ!」


 腹をくくった風で、希紗はフェイズの高い鼻先をビシッと指差す。

 その後、耳まで赤くした顔で恨みがましく澪斗を睨んでみるが、感情音痴の彼は怪訝な表情を向けてくるだけ。この男、鈍い鋭いの次元ではなく、端から心など無いのではないか。


「……希紗、本当に良いのか?」

「仕方ないでしょ、それでこの場が収まるなら! もちろん報酬はちゃんと貰うし!」

「そうではない。その条件ならば俺は、面倒な仕事を放棄し得ると同時に、貴様を厄介払いできてまさに一石二鳥だと気付い――」


 そこに良心の呵責など一切無かったのだろう。画期的な妙案が思い付いたとばかりに、真顔で考えを述べた澪斗の左足を、ウエスタンブーツのヒールが急襲した。

 声を堪えたのか、もはや言葉にならなかったのか定かではないが、歯を食い縛りながらその場にうずくまった男に、希紗はもう目もくれず。


「この仕事、確かにロスキーパー中野区支部が引き受けたわ! ちょっと調子乗ったチンピラ集団の一つや二つ、天才メカニッカー安藤希紗様の敵じゃないものっ!」


 俺はまだ了承していないとか何とか文句を口にする同僚の襟を引っ掴み、希紗はヒールで大地を踏み締めながら廃屋を後にする。

 出発する際に再び、外壁に書き殴られた『出て行け死神』の文字が目に入る。仮にも聖職者に対し、頭の悪い嫌がらせをするものだ。

 希紗はいま依頼人と同僚に抱いているありったけのフラストレーションを全て、まだ見ぬ悪徳業者に向けることにした。


 ぶんぶんと黄色いハンカチを振り見送る神父が小さくなった頃に、彼女は「……で」と足を止める。


「その百々目鬼商会って、どこにあるの?」

「俺が知るか。名前ぐらいは、と言ったろう。それ以外は所在も組織構成も知らん」

「私の人生かかってるのよ!? もう少し協力してくれたっていいじゃない!」


 呆れ顔で「貴様が勝手に賭けたのだろうが……」と零してから、彼女の工具カバンを指差した。唯一の手荷物であるそれに、財布も携帯も化粧ポーチさえも一緒くたに詰め込まれているのを、事務所で隣席の澪斗はうんざりするほど見掛けている。


「知らぬなら、調べるまでだ。本社の情報部でも利用して……そうだな、フォックス辺りで良かろう」

「えー! フォックスだけはイヤ、澪斗が連絡してよっ」

「俺とて死んでもこちらから接触など図りたくない。だが奴は、相手が女ならば二コール以内に確実に出る」


 だから嫌なのよと肩を落としつつも、背に腹はかえられないと携帯端末のアドレス帳を開く。

 意を決してコールボタンを押し、深呼吸のために息を大きく吸ったところで、それを吐く間もなく回線が繋がった。


『うッは希紗ちゃんおひさーッ! そろそろ僕を呼び出してくれそうなラブ電波ビビッと感じてたところだよッ、これって運命じゃない!? デートの予約なら即日オーケイさマイハニィー!』


 開口一番からのテンションに、画面こちら側の男女は強烈なデジャヴと疲労感を覚え、思わず電源ボタンへ伸ばした指が二人初めての共同作業になってしまうところだった。


「……どうやら貴様には、ろくでもない男ばかりを惹き付ける、ろくでもない才能があるようだな」


 「そんな才能あったら、とっくに澪斗に使ってるわよ……」ぼやいた彼女の切なる声は、スピーカーから届く疾風怒濤のろくでもないラブコールに掻き消されてしまった。

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