第四項(2)

 破壊屋は、寸でのところで顔面への直撃を回避した。もっとも半分は、遼平の一撃による風圧のおかげで飛ばされたようなものだったが。

 ダンプカーじみた速度と威力でもって壁をぶち抜いた男は、ターゲットを仕留め損ねたことを悟ると、すぐに犬歯を剥き出して二発目の構えに移る。


 迎え撃つルインが両手指に出現させたのは、無数のダーツの矢。先程と全く同じモーションで突っ込んできた遼平の進路、その足下へと一斉に放つ。

 ダーツ針先が床に触れると、内蔵されていた爆薬が破裂。一面に炎と煙が立ち塞がり、遼平の体を飲み込もうとする。


 それでも尚怯まず、逆に爆炎へ喰らいつかんと、男は前へ跳んだ。黒煙に身を隠した破壊屋まで一直線、再び全力の殺意を振り上げる。


「なんてことだ、やはりか! 嗚呼、逢いたかったよ――


 芝居がかった歓喜の台詞は、男の背後から聞こえた。

 振り向くどころかブレーキもかけられない遼平の背に、銀の小さな針が刺さる。それが何であるかを伝えるシナプスよりも速く、烈火と衝撃が肉を食い千切っていった。


「ぐッ、が……っ」


 背中に直撃したダーツ型爆弾の勢いで、遼平は火と血の赤を撒き散らしながら床を転がる。真っ白になる意識の中、左腕を突き立てて勢いを殺したのは、ほとんど本能と言っていい。伏したまま、焦点の合わない眼で敵意を露わにする様は、手負いの猛獣だ。

 ルインは『鮮血の星』のショーケースに寄り掛かり、そんな遼平をじっと眺めている。恍惚に溶けた、聖母のような眼差しで。


「……あの日ここで、初めて君と目が合った時、不思議な既視感デジャヴュを覚えたんだ。まるでずっと前から君を知っていたような、永く求めていたような。先程から、妙に胸は高鳴るし……でも、ようやくわかった。君と私は、同じなんだね」


 首を上げるだけで精一杯のくせに、遼平は「あぁ!?」と意地で吠える。事実、そうでもしないと表情を偽れそうになかった。

 いま破壊屋が告げた感覚は、遼平が抱いていたものと一語一句同じなのだから。


「究極の美とは、壊れゆく一刹那に煌めくもの。真実の生とは、死にゆく寸前に宿るもの。故には、それを求めざるを得ない! それ以外は全て矮小で無価値だと、それでしか渇きを満たせないと、知っている私たちは」


 自らが創造した廃墟を背に、両腕を広げて、女神は語りかける。


「素晴らしい。君の眼に浮かぶ衝動は、荒れ狂う獰猛さは、まさに『壊す者』のそれだ。この私が見間違えるはずもない……いや既に君自身、気付いているね? 君は断じて護る者などではない、天性の破壊者だと!」


 生まれて初めて同族を見つけたような、無垢に輝く瞳。狂おしい悦びと、賞賛のみで形成された声。

 遼平は思わず呆気にとられ、言葉を失う。


 ――初めて、だった。

 生みの親、仲間、かつての友ですら理解できず、あるいは拒絶された遼平の本質を、初対面の女神は言い当てた。その上で、こともあろうか肯定したのである。

 これまで誰一人として受け入れてくれなかった、遼平のさがを。


「可哀想に……、そちら側で生きるのはさぞ苦しかったろう? 弱者が強いる規律や秩序ごときに、君が縛られる必要なんてなかったんだ。もう大丈夫だよ同胞、私が救い出そう。君は、君のまま生きていい。魂が指し示すまま、血を、悲鳴を、破滅を欲して良いのさ」


 誰も、共感してくれなかった。誰にも、それは間違いだと首を振られた。遼平の衝動を、本能を、孤独を。初めて「それでいい」と頷き、微笑んでくれた。


 左胸が熱い。

 その時、遼平は悟った。おそらくルインも。

 眼前の相手こそ、世界でただ一人の理解者であると。


「共においで、我が同胞。約束しよう、君に二度と不自由な想いはさせないよ。天命に従うまま殺し、心の赴くままに壊し、この世界を美しい死で彩ろうじゃないか」


「……ああ。そうだな」


 傷だらけの腕で上半身を起こし、遼平は血反吐の混ざった声でそう返す。

 ルインの言葉に嘘はない。この拒絶され続ける世界で、魂の半身のような理解者を得られるのは、後にも先にも今夜一度きり。

 これを奇跡と呼ばずして、何と言うのだろう。


「端から警備員なんてガラじゃねえし、テメェと一緒に行けばさぞ楽しいだろうよ。……けど、悪ィな。もう先客がいるんだわ」


「おや、それは妬けるね。どこの誰かな、君の生き方をねじ曲げているのは」


 骨にヒビの入った脚で立ち上がろうとするも、よろけて背後の壁に体重を預ける。右腕はもう上がらない。それでも彼は、不格好に浅い呼吸を繰り返す口角を引き上げた。


「――テメェが傷つけた、俺の弟だよッ!」


 放った怒りより速く、遼平が駆ける。歩くことすら不可能なはずの脚で床を蹴り、左拳を握り締めて。


 人間の脳には常に、無意識のリミッターがかかっている。これは至極真っ当な管理機能であり、制限なしに筋肉が最大の力を発揮した場合、まず己の骨や繊維を壊してしまうためだ。

 蒼波一族に伝わる旋律に、その制御を司る脳の一部をマヒさせるものがあった。リミッターを外すことで、肉体の発する危険信号を無視して動かすことが可能になる。が、短時間しか保たない上に、一切の力加減が出来なくなる諸刃の剣だ。

 ほとんど特攻じみた突撃。相手に当たろうが避けられようが、間違いなく左半身は使い物にならなくなるだろう。


 ――最後に、誰かの顔が過ぎった。


 これが奇跡的な皮肉でなくて、何だと言うのだ。

 ようやく出会えた理解者を殺し、己の本質を偽り、報われない不幸に塗れようとも。縁もゆかりもない少年との約束を、守ろうだなんて。

 笑わせる。

 親だった女を殺した。友だった男を殺した。仲間と過ごした街を壊した。

 そんな自分が今更、誰かを、何かを護りたいだなんて。



 鬼と女神の激突地点は、一瞬で粉塵に包まれた。轟音、衝撃、激痛、その全てが遼平の脳を蹂躙する。もう自身の眼が開いているのかすら分からない、消えゆく意識の中で、確かに誰かの顔が過ぎった。


 ――妙に浅黒くて、安っぽい金髪の、凡人選手権日本代表みたいな面構えが。


 両者の間に突然割って入ってきた影は、左腕一本で遼平の突撃を受け止めた。更にその勢いを利用して体が反転するままに、右手の木刀で、ルインの胴にフルスイングを喰らわせる。

 破壊屋の長身はくの字に曲がり、既に風穴の開いていた壁から外へと放り出される。だが当人に、そんな場外ホームランを確認している余裕は無い。遼平の全力に押され続け、ホールの縁まで両足で床を削る。

 反動が遼平自身にいかないよう力を逃がし、ようやく崩れ落ちた体を、真は片腕で支えた。


「……すまん、遅くなった」

「ざけんな。早ぇんだよ、俺の見せ場奪いやがって」


 もはや憎まれ口は、生存確認みたいなものだ。一目で重傷と分かる火傷に裂傷。出血量も命に関わるレベルのくせに、表情筋だけで強がれるのだから大したものだと思う。


 遼平を壁際にもたれさせながら、部長は努めて感情を削いだ声で問う。「……純也は」「まだ生きてるぜ、たぶんな」「そうか」つい、安堵と沈痛の色で震えてしまった目元を押し殺して、すぐに仕事の顔に戻った。

 まだホール中央に鎮座できているショーケースを一瞥して、真は口を開く。


「会長には事情を説明してきた。展示品さえ無事なら、多少の設備損壊は大目に見てくれるて」

「多少っつーか、もう壁の半分がねぇけど」

「まっ、まだ屋根があるから大丈夫……きっと……っ!」


 ほぼほぼ自分に言い聞かせる意味合いで、部長は「まだセーフ、ぎりセーフ」と唱えている。あと少しでも衝撃を加えたら崩落してきそうな天井を仰いで、遼平は他人事のように「いや完全アウトだろ」と正論すぎるジャッジをこぼした。


 破壊屋が投げ出された方角から、爆破音と銃声の応酬が絶え間なく響いてくる。作戦通り、澪斗による足止めは成功しているようだ。

 ホールにルインが戻って来られないことを確認して、真は手招きを。待ってましたとばかりに入り口跡から顔を出したのは、本来前線に出てこないはずの希紗だ。

 軽快な足取りで瓦礫を避け、二人のもとに辿り着くなりノート型端末を開くと。


「本社のデータベースにアクセスしたけど、『破壊屋ルイン』について実のある情報は無かったわ。その仕事場に居合わせた人間が、ほとんど生存してないせいで」

「分析の方は?」

「純くんの推測通りだった。あれ見て」


 希紗に示されるまま、真と遼平の視線が『鮮血の星』に向けられる。

 滑らかな黒い光沢の台座と、厚いショーケースの四隅に埋め込まれたダイヤモンド。そして、それらは足下の存在と言わんばかりの紅と銀のリング。

 破壊屋によって全てのカメラが消し飛ばされてしまった希紗は、監視室を飛び出し、ホール手前で息を潜めて観察していた。全ては、事前に純也から頼まれていたことだ。


「周りはほとんど原型を留めていないのに、あのショーケースだけ傷一つ付いてない。異常よね」


 それは、ほんの二十分前。遼平とホールに向かおうとしていた純也が、希紗へと託した『気がかり』だった。

 この美術館で最も価値のあるものを奪う、というあまりにシンプルな手段。大胆不敵が過ぎるそんな計画を、数年越しで実行に移す執念。敵側としても、絶対にミスは出来ないはずだ。

 であれば、失敗の余地が無い方法とは何か。

 シンプルに、ストレートに。答えはずっと、警備員たちの目の前に鎮座していたのだ。


 そうでなければいい、と切に願いながらも、純也は最悪の可能性を希紗に伝えた。「『鮮血の星』の土台そのものに、敵が何らかの仕掛けをしているのでは」と。


「……ワイと澪斗で敵を押し留める。その間に希紗は直接、土台を調べてくれ」

「俺を忘れんなよ」

「口しか動かせんくせによう言うわ……、じゃあ遼平は応援係な」


 「三三七拍子でよろしく」と無理に作った苦笑いを最後に、部長はホール外へ駆け出していった。彼が今どんな想いで、本当は何と言いたかったのか、それが察せないほど短い付き合いでもない。


 遼平は壁に体重を預け、瞼を閉じる。リミッターを外した反動で四肢の感覚は消え失せてしまい、遼平の意思に従わない。ゆっくりと息を吐き出すだけで、鉄の味が鼻腔にまで入る。


「よーし、私もいっちょ始めますか。……そうだ遼平、一つ言い忘れてたんだけど」

「あ?」

「さっきの『俺の弟だよッ!』って台詞、高音質で録れてるから後で純くんに聴かせてあげるね?」

「マジでやめろ!」


 したり顔でボイスレコーダーをちらつかせる希紗に、腕の一本も上げられない己が憎い。「全社で拡散希望しとく?」「鬼かお前!」

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