第四項(3)
ホール南東に隣接する西洋庭園は、既に跡形も無かった。
もうもうと立ちこめる土煙に乗って、無残に散らされた花弁が降る。
くすんだ視界の先、時折地鳴りと共に光が爆ぜている地点に、破壊屋がいるのは間違いない。そこに向かって、上空から連なる銃声。
真は本館側に振り向き、屋根を移動しながら弾幕を張り続けている部下を視認する。
「澪斗、状況は」
『見ての通りだ。
破壊屋は足下に爆薬をばらまき、巻き上がる土を煙幕代わりに身を隠している。そのくせ、澪斗に対しては的確にダーツを放ってくるので、それらを全て撃ち落とさなければならない警備員側の方が防戦を強いられていた。
真は一度腰のベルトに戻していた木刀を抜き、柄を両手で握り締める。ゆっくりと刃先を天に掲げ、静かに瞼を閉じて、闇の奥に敵影を捉えると。
「《静》の章、第二技……菩薩ッ!」
虚空に向かって、渾身の力で振り下ろされる刃。剣先は何にも触れていないにもかかわらず、亜音速で圧縮された空気が、刀身の何倍もある衝撃波を生み出した。さながら白虎の如く一直線に地を駆け抜け、土煙は綺麗に両断される。
切り開かれた視界の先に、澪斗は破壊屋の姿を確認。と同時に、肩に担いでいたバズーカ砲のトリガーを引く。
破壊屋のダーツ型爆弾を優に超える威力で、大地が抉られた。今のは完全に不意打ちだ。何せ、発射した警備員側の上司が、ろくに受け身もとれず吹っ飛ばされたくらいなのだから。
園芸土に顔面からダイブさせられた真は、生き埋めにされる前にがばっと身を起こす。
「こッ、殺す気かァ! 何なん今の!?」
『希紗に持たされた。昨日の敵から没収した装備品を、少しイジってみたと』
『つくづく敵に回したくねぇな、あの女……』
遠目に見ていた遼平ですら引く、魔改造である。
澪斗は弾切れになったバズーカを投げ捨てると、屋根から地上に降りて、再び腰のホルスターからノアを抜く。今の一撃で勝利を確信できるほど、楽観的ではない。
「……まったく、なんて無粋な壊し方だろう。センスの欠片も感じられないね」
あくび混じりの退屈な声が、夜の先から届く。「及第点には程遠いよ。遼平君を見習うといい」
月の無い夜に、女神の輪郭が浮かんだ。傾いた噴水の頂に腰掛けて、つまらなそうに真を見下ろしている。
「君たちのことは以前から耳にしていたよ、ロスキーパー。裏社会でわざわざ警備員とは……その浅ましさ、実に救い難いとね。生まれ出で、そして壊れ去ることこそ、自然の摂理なのに。万物は流転しなければならない! 美しさのために!」
「ご高説どうも。すんませんね、芸術を論じられるほど学が無いもんで。……『鮮血の星』の土台に仕掛けたのも、爆薬か?」
「そうさ、それも特別製だ。軽くこの美術館を更地に出来る程度にはね。ちなみに時限式だよ、ホール内の地雷が起動してから三十分でタイムオーバーさ」
思わず青ざめた真の頬を、冷や汗が伝う。
『鮮血の星』だとか美術展がどうこう、なんてレベルではない。看板に偽りなく、本当に一切合切を壊し尽くすつもりなのだ。
どうしてそこまで、という疑問はおそらく無意味。真が持ちうる理屈、感性では、一生かけても話が通じることはない相手だ。
「……希紗、聞こえとったか。土台の中身は時限爆弾。残り時間は、おそらく……」
『十四分よ! 最初の爆発音が聞こえた時刻から、アベルに逆算させた!』
「一応訊くが、爆弾処理の経験は?」
『あったら今頃こんなショボい職場にいないし!』
上司に向かってそこまで堂々と断言されては、「ですよねー」と返す他ない。本社になら専門家がいるはずだが、今から連絡しても十四分では間に合わないだろう。
『とにかく、やれるだけやってみるから! 邪魔が入らないように時間稼いで。こっちに爆弾飛ばしてきたら、全員道連れにしてやるんだからねッ!』
そう高らかに「死なばもろとも」宣言を放つと、希紗は両目を厚いゴーグルで覆う。そして未だに傷一つ付かない土台に向かって、プラズマチェーンソーを振りかざしたではないか。
稲光が飛び散り、土台が甲高く悲鳴を上げた。気品ある黒だった側面に、高熱を帯びた真っ赤な切り口が開いていく。一歩間違えば、その火花で起爆しかねない。
「希紗おまっ、もっと他に方法あんだろ!? それでもメカニッカーかよ!」
「大丈夫だって! 失敗しても、たかだか死ぬのが十四分早まるだけじゃない!」
そんなダメ元感覚のチャレンジ精神をここで発揮しないでほしい、と仲間全員の心の声が一致する。だが彼らの不安など何処吹く風で、彼女は躊躇無くチェーンソーに全体重をかけていく。
やがて硬い層から感触が変わったことに気付き、更に出力を上げ、希紗は一気に刃を引き抜いた。側面が熔かされ切り落とされると、次いで奥に現れたのは空間。
チェーンソーを下ろした希紗が「どうよ!」と得意げな表情をしたのも一瞬で、土台の中身を覗いた途端、今度は分かりやすく頬が引き攣った。
狭い長方形の空間をびっしりと埋め尽くす、コードの奔流。色とりどりの配線は無秩序に伸びたツタのように、明確な悪意をもって希紗の行く手を阻む。
ペンライトで内側を照らし、無数のコードを伸ばしている根元を探す。それは土台の天井、ちょうど『鮮血の星』の真下にあたる位置にあった。黒い箱形の、時限爆破装置だ。
紅く浮かび上がった数字は、既に[13:00:00]を切ろうとしていた。
「せいぜい足掻いてくれたまえ、警備員諸君。君たちには、健闘むなしい惨めな死がよく似合うだろうから」
ルインは噴水の先に腰掛けたまま、ホールの方角を一瞥する。
時限爆弾についてあっさり明かしたことといい、土台内部の悪意ある構造といい、この破壊屋はそこまで迫られることを予期していた。否、待ち望んでいた。
逃れようのない破滅を前にした、人間たちの死に物狂いを、眺めたいが為だけに。
「……悪趣味やな」真は独り言のボリュームで毒づくと、向こうに気付かれぬよう深く息を吸う。ここで狼狽え、あるいは自暴自棄になって、女神のお気に召すのだけは癪だった。
「これ以上ここに
「フフ、嘘つき。このまま帰す気なんて更々無いくせに」
傾いた噴水の前にふわりと降りて、全てを見透かす銀の瞳が嗤った。
す、と真の眼から温度が消え失せる。
幽鬼の如き虚ろさで、緩慢に脚を開き、腰を低くする。左手で木刀の刃を握り締め、右手は柄に。上半身を左に捻り、前屈みになると。
「《動》の章、第四奥義――毘沙門天」
澄んだ金属音と共に、世界は黒の一閃で断絶された。
瞬きなどしていない破壊屋の前に、既に男の姿は無く。遙か後方、噴水の向こうに、彼の背中はあった。
聴覚と痛覚は半歩遅れて。
一文字に斬られた噴水の彫刻が崩れ落ちるのと、ルインの首筋から血が噴き出すのは同時。
音速を超えた彼の居合い抜きは、触れてすらいない花々さえ一斉に宙へ舞い上げた。白い花弁と共に散ったゴールデンブロンドの毛先を、ルインはどこか他人事のように呆と見ている。
首元からばっさりと斬り落とされた、金糸の髪。反応して回避したのではなく、直感だった。本能的に首を僅かに逸らしていなければ、今頃は背後の噴水と同様、綺麗な断面を晒していたはずだ。
左手で首の傷口に触れながら、破壊屋は真へと振り向く。彼が握り締めているあれは、元より木刀などではない。
すらりと伸びる、闇色の刀身。御神木で作られた
男も、ゆっくりと振り返る。仕留め損なったことに驚くでもなく、苛立つでもなく。感情の欠落した、亡霊然とした佇まいで。
「驚いた。そんな邪悪な牙を隠して、とんだ守護者もいたものだね。だが怒りの矛先を間違えてはいないかい? 部下を捨て駒にして、私の力を測ろうとしたのは君の責任だろうに!」
真は答えない。
中央ホールに何らかの仕掛けがされており、敵も潜んでいるかもしれない。どんな罠があるとも知れない危険な場所に、部下二人だけで様子見に行かせた。
「何かあった時のために、戦力は分散させた方がいい」と提案したのは純也だ。「真君は、出来るだけ後から来て」とも。
仲間内から異論は出ず、結局、部長はその作戦を承認した。
だから真は、否定できない。
純也と遼平の二人を、見殺しも同然にしたことを。そしてそんな個人的な感情に駆られて、いま、殺意を抜き放ったことを。
両手で柄を握り締め、剣先を正面に構える。
闇夜に溶け込む刀身は、真の肉体の一部のように――否、使い手を凶刃の一部として呑み込み、首級を求め始める。
遙か昔『
そうして「不吉の刀」として長く眠らされていた阿修羅の、当代の
抜刀したことで爆発的に増幅した殺気を、真はそのまま推進力に変え、大地を蹴る。
距離を詰めようとしてくる警備員に、破壊屋は後方へ跳ぶ。両腕を広げ、無数のダーツ型爆弾を展開しながら。
少量の爆薬でも、連鎖的に引火すればその威力、範囲は計り知れない。一本の針先が地面に到達した瞬間、辺り一面が橙色の閃光に侵される。
まっすぐ駆けてきていた男の影を、猛火が喰らう。
だが彼自身の体は、音も無く上空にあった。肌を焼く爆風の勢いを借りて、天高く跳び上がったのだ。
体は重力に任せ、刀の切っ先に集中。砂塵荒れ狂う中で、はためく金糸の頭に狙いを定める。
完全に警備員の姿を見失った――はずだった破壊屋の顔が、突如ぐるんと上空に向けられた。正確に真の視線を捉え、口の端を引き上げた奇妙な笑みで。
その歯に咥えていたのは、手榴弾のピンだった。
白磁の指先から放り投げられる、起爆寸前の兵器。
それがスローモーションのように見えていながら、真にはどうすることもできない。回避どころか、身をよじることすら許さない重力が、彼と死を引き合わせる。
……俗に言う走馬燈は、残念ながら見られなかった。
眼前に迫っていた手榴弾を、横からかっ飛んできた謎のコルク栓が弾いたからだ。
混乱は後回しにして、真は大きく阿修羅を振り上げる。
軌道を逸らされた爆弾が破裂する寸前のタイミングで、ルインに向かって円を描く衝撃波を放った。
「《静》の章ッ、第四奥義! 輪廻エェ!」
刀身の残像で現れた黒い渦は、龍の
しかし真も、己の技を見届けることは叶わず。空中で全力を出し切った体を、手榴弾の火炎が容赦なく襲う。顔を焼かれ、爆風によって地面に叩きつけられ、されるがまま焦土を転がる。
ようやく俯せの体勢で止まった時には、朦朧とする意識の中、まず血と土の味を思い出した。
「っ……は、はっ、つぅ……ッ!」
赤黒く染まった世界はピントが合わず、苦痛の声すら上手く発音できない。両脚がまだ有るのか確信が持てないのに、右手は未だ阿修羅を握り締めているのが、酷く皮肉に思えた。
『……どうする、真が死んだぞ』
『ダジャレみてぇだなソレ』
「いや全然洒落にならんから、ホンマやめて……。澪斗、フォローありがとう、助かっ……あれあんま助かってへんかも……」
あの状況で的確に手榴弾を狙い撃てるスナイパーは、そうそういまい。もし着弾の衝撃で起爆していれば、間違いなく上司が即死していた。それを考慮した上で、躊躇なく発砲できるその自信と決断力、人命軽視を併せ持った警備員はまず他にいない。
結果として、かろうじてまだ生きている体を起こしてみるが、刀に体重を預けても片膝立ちをするので精一杯だった。右目は開かず、何もかもがぼんやりと霞んでしか見えない。
破壊屋の痩躯は、真よりもホールに近い位置に投げ出されていた。満身創痍の黒い影はよろよろと立ち上がると、天に向かって哄笑する。
「フ、ハハハハハ! 良いね、実に良い! 今宵はなんて胸が躍る! 嗚呼、血で描き、臓物で形作り、絶望という額縁に収まる君の命の煌めき! さぁいよいよ完成だ!」
血を吐き、足を引きずりながら、女神の影が徐々に近づいてくる。
真の右腕は、とうに限界を迎えていた。完治していない先日の傷口を無理に固定し、刀を振るってはいたが、もう肘から下の感覚が無い。両膝をつき、さながら処刑台の罪人の如く頭を垂れる。
だが彼の鳶色の瞳は、静かだった。
「澪斗、爆発までの残り時間は」
『七分二十一秒、二五』
相変わらず機械じみた細かさだ、と微かに頬が緩む。
思えば澪斗が、真にとって初めての部下だった。四年も同じ職場で働いたのに、未だに素性の大半が謎だし、上司として扱われた記憶は丸きり無い。
柔軟性の欠片もない頭の固さに、山よりも高い自尊心。そのうえ自身には一点の誤りも無いと決め込んでいるものだから、本当に手のつけようがない部下だった。
つまり、紫牙澪斗とは。
「残り五分を切ったら、皆を連れて撤退してくれ」
『……いいだろう』
常に、誰よりも、真面目なだけの男なのだ。他人にも、自分の心にも正直すぎるだけ。
冗談というものを知らない彼は、「殺す」と言えば本当に殺しにかかってくるし、一度頷いた取り決めは絶対に破らない。
だから真は安堵した。体が鉛のように重いが、痛みは徐々に薄れている。風前の灯火こそ強く輝くというのなら、あと二分くらいは保ってくれるだろうか。
純也は
ただ単純に、最も戦力の大きい者。依頼を遂げられる可能性がより高い、最適解として、真は全員からこの役目を託された。
未だ刀に寄りかかった体勢のまま、柄を握る手に力を込める。焦点の合わない片目は閉じて、じっと耳を澄ませた。
不規則な足取りで、だが着実に、破壊屋がすぐそこまで近づいてきている。
阿修羅を振るえるのは、良くてあと一度だろう。それも全力には程遠い、技にもならない一刺しが関の山だ。
あと五歩。
そこで刀の間合いに入る。
あと三歩。
衣擦れの音から、ルインが爆弾を取り出したのが分かる。
あと一歩。
あと一歩。
あと、一歩。
けれどいつまで経っても、黒のヒールはそこから進もうとしない。酷く嫌な予感がして、真は思わず顔を上げてしまった。
それを待っていた女神は、膝をついた戦士を愉快そうに見下して。
視線はそのままに、ノールックで右腕を後方に払う。
ただ一本のダーツが、高く放たれ、上空で放物線を描く。それが何を目指しているかを理解した瞬間、悲鳴と怒声、叫びが喉でもつれ合って、声は一拍遅れてしまう。
「――希紗ァ!!」
『へ?』
耳元の無線機から唐突に呼ばれ、希紗は何事かと体を起こす。ずっと土台内部に首を突っ込んでいたせいで、外の様子はほとんど分かっていなかった。
ホール全体が激しく揺れる。が、地震ではない。震源といえるものは希紗の真上で発生していた。
ダーツ型爆弾が屋根に落ち、炸裂したことで、とうとう全体が倒壊し始めたのだ。
崩落する天井、砕け散ったステンドグラスが、虹色の凶器となって降り注いでくる。
咄嗟に身を丸め、両腕で頭を庇うことしかできなかった少女を、無慈悲なほど巨大な瓦礫が一瞬で押し潰した。
「くッ、そ……どけオラァ!」
運良く瓦礫と石像の隙間で助かった遼平は、邪魔な天使像を蹴り飛ばして顔を出す。砕けた大理石の粉塵が立ちこめるせいで、周囲がよく見えない。
『遼平、無事なんかっ? 希紗は!?』
訊かれずとも、遼平の足も既にホール中心部へ向かっていた。
近づくほどにそびえ立つ灰色の輪郭に、息を呑み、応答を忘れる。
『鮮血の星』が鎮座していた位置は、岩石の如き壁材が積み重なり、山となっていた。
これほどの重量では、仮に下敷きになったのが遼平だとしても生還できる望みは薄い。まして、肉体は普通の十九歳である希紗など。
「希紗っ、おいコラ返事しろ! オメーが死んだら爆弾どうすんだよ!」
無理矢理にでも声を荒げて、遼平は瓦礫片を一つずつ持ち上げ、押し退けていく。爪が剥がれるのも構わず、掻き分けて、掻き分けて、ついに。
どかした一枚の壁材の下に、おびただしい血の跡を見た。
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