第四項(5)
「で、ようやく今回のラスボスがお出ましなわけだけど」
手指から顔まで砂埃まみれの希紗が、重そうに落としたプラグ穴だらけの黒箱を、全員が間の抜けた顔で見つめる。誰かが口にした「……あ」という音が引き金で。
「うわああァァどないしよコレどないすんのコレー!? え、ちょっ、残り何分!?」
「いやー、どうにかコードのジャングルから取り外すので精一杯だったわー。……あと二分デス」
「よし蒼波、これを持って走れ! そのまま散れ!」
「やめろこんな場面でお前が言い出すとマジでそーいう空気になりそうだろっ!」
「愚か者、冗談ではないわ!」「尚悪いわ!」互いに口から血を吐きながら相変わらずの罵倒を始める大人たちの下で、しゃがみ込んだ純也が装置をじっと観察している。一時離脱していた彼は知らないだろうと、希紗が「それ時限爆弾らしいのよっ」と至って簡潔に今の絶望的状況を教えてくれた。
「あぁもう騙されたわっ、あのコード全部フェイクだったんだもの! 起爆させるコードは有るくせに解除のコードなんて一つも無いじゃない、作ったヤツ性格最悪!」
「起動した時点で、爆破は止められないということか……」
「これ、この炸薬の臭い……『MG火薬』じゃないかな……?」
顔を擦り寄せるようにして調べていた純也が、呆然とそう呟く。そんな疑問を投げかけられたところで、遼平が答えられるはずも無し。希紗ですら「エムジー?」と聞き返していた。
「嘘やろ……なんでそんな物騒なモン使うてるんっ、『マーガレット』が国内にあるだけでも大問題やんか!?」
説明を求めてくる部下たちの視線に、真は「要するに安全・万能・高火力な軍事用爆薬!」と今にも泣きそうになりながら告げる。美術館どころか、都市一つ消し去る為に使用される最新鋭の爆破薬だと。
装置の重量を確かめ周囲の状況を見渡した純也は、一人で何かに頷くと、同僚たちに向き直った。
「今から強い上昇気流を発生させて、これを垂直に打ち出そうと思う。爆発時刻と高度を計算すれば、被害を最小限に抑えられるはず、だから」
「そんなことが可能なのか?」
「必要なエネルギーの分だけ、僕が風を収束することが出来れば……。念のため、みんなはなるべくここから離れて!」
そう言うが早いか純也は重たい爆破装置を持ち上げ、駆けていってしまう。
ふらつきながらも独りホール中心部に辿り着き、ルインによって穴を開けられた、ドーム型天井の頂上を仰ぐ。あれを発射口代わりにして、圧縮した空気を押し出せれば。
純也は黒い箱を胸に抱き締め、気圧をコントロールし始める。全ての通路から、破壊された壁の穴から、少年の力に引き込まれた風が彼の周囲を渦巻きだす。燃え盛る炎のように、激しくはためく白銀の髪。
もっと。もっとだ。
そう強く念じた途端、少年の唇から大量の血がこぼれた。
「っ、う……ぐっ……」
咄嗟に右手で口を覆ったものの、指の隙間から漏れる赤が、びちゃびちゃと爆破装置にかかる。やはり、内側のダメージには再生が追いついていないらしい。
高速治癒といっても不死身などとは程遠く、命にかかわる傷を、少ない余力で無理矢理塞いでいるに過ぎない。折れた肋骨や、内部で破裂した血管はそのままだ。
痛みのせいで集中が鈍る。このままの風力では、目標高度の半分にも到達できない。そうなれば今までの戦いが、大切な人たちの全てが、水の泡だ。
「おねがい……ぜんぶ……僕の全部をあげるから……っ!」
聖堂の荘厳さを失ってしまった廃墟の只中で、少年は祈るように膝を折った。
また一段と気流が勢いを増し、壁際まで退がっていた遼平たちも吸い寄せられそうになる。
倒れていた瓦礫片までも動き出したのを見た真が、はっと天井に視線をやる。支柱を失い、大穴を開けられてしまったドームが、旋風によってボロボロと崩れ始めたのだ。
かろうじてぶら下がっていた屋根材が、突風に負け、少年目掛けて落下してくる。
「避けろ純也ァ!」
暴風の中、部長の声が届いたかは分からない。仮に聞こえていたとしても、いま集中を切らせばどのみち全滅だ。
ほぼ一瞬の内に、けれど三度、重なった銃声。
少年に迫っていた大きめの石塊が、空中で三度砕かれ、無数の塵となって竜巻に呑まれていった。
澪斗の掲げたコルト・パイソンが、微かな硝煙を上げる。既に床から腰を上げることも出来ない彼が早撃ちを実現できたのは、男の背に寄り添い銃のグリップを支えた彼女のおかげだ。
「あぁもうビックリしたっ、助けが必要な時は事前にちゃんと言ってよ!」
「……離れろ。まだ、来るぞ」
「あのねぇ、こんな時まで怖いとか言ってらんないから! 何があっても私は澪斗を支える。だからほら、今は前に集中!」
人に発破をかけておきながら、希紗の呼吸は浅く速い。拳銃を視界に入れるだけでも震えが止まらなくなるくせに、直接触れて、間近で銃声を聞くなど、正気を失いかねない行為だ。
目尻いっぱいに怯えを浮かべながらも、彼女は決して視界を閉ざさず、発砲の度に澪斗の体にかかる反動を受け持つ。
だから彼も、必死に喉元で悲鳴を押し殺している希紗に振り向くことなく、残る全てをもってその覚悟に応える。
少しずつ確実に、竜巻は威力を増し巨大化している。澪斗たちによって撃ち砕かれた細かな欠片が、全て渦に取り込まれたことで、中央にいる少年の姿はよく見えなくなっていた。
「……っ、くぅ……あ、あぁ……っ!」
空へ吹き上がろうとする風が、純也の制御に抗い始める。
だが解放にはまだ早い。計算通りの高度に達するには、あと少し足りない。
細胞の一つ一つが煮え立つような熱を溜め込んで、かつ、渦中心部の局所的低気圧に耐える。
充血していた視界が、白に侵されていく。急速な酸欠に脳が限界を迎え、気付いた時には、純也の体は力無く床にうずくまっていた。
瞼が重い。
あの日の白が、一面の無が、少年の意識を連れ去ろうとする。
「先に一人で死にかけんなバカっ、しっかりしろ!」
純也が我に返ったとき、その体は誰かの腕に抱き上げられていた。間違えるはずもない。脳が停止しようとも、心は確かに覚えている。
あの雪の日、救いあげてくれた手の温度を。
「……りょう」
破片飛び交う竜巻に自ら突っ込んできたのであろう彼の顔は、切り傷だらけで。気圧の急激な変化に慣れていない男は、少年以上に苦しそうだった。
機能を失いつつある鼓膜、遠のく音の中で、遼平は叫ぶ。
「本当にこれで大丈夫なのか!?」
「大丈、夫……マーガレットには、衝撃に強い特性があるんだ……この方法なら上手くいくから……!」
「違ぇよ!! ――お前がだ、純也」
その真摯な漆黒色が、優しい声が、嵐の中でもしっかりと純也に届く。開いた瞳に浮かんだ雫は、容赦ない旋風が攫っていってしまうけれど。
「だいじょうぶ」
もはや聴覚も触覚さえも奪われた世界で、その口の動きだけが見えた。
感覚を失った左手で純也の小さな頭を抱き留めて、か細い両腕が掲げた爆破装置ごと星の無い闇夜を睨み上げる。渦の外から希紗が両腕で合図しながら「あと十秒っ!」と叫ぶと同時に、純也の手から箱がゆっくり宙に浮き始めた。
「「いっ――けええええええええぇぇぇ!!」」
刹那の静寂と、直後響き渡る凄まじい轟音。
ホール頂点しか解放を許されなかった烈風が、爆発的な勢いで夜空を昇り貫いた。その先端で打ち上げられた爆破装置が、時刻丁度に美術館上空で破裂する。
橙色に明るい黄を混ぜた閃光の大輪が、暗闇いっぱいに広がり、半歩遅れて爆轟の音が東京の夜に降り注ぐ。
その光景を最後に、散り散りに吹き飛ばされた警備員たちは気を失っていった。
「もしもし……夜分遅くすみません、ワイです……」
『おや、久しぶりだね真。ねぇねぇ見たかい、さっきなんだか大きな花火が上がってたんだよー』
「あ、はは……そらもう特等席で見れましたわ」
ショーケースは大きく歪んでいるものの、『鮮血の星』自体は無傷であることを確認し、真はずるずると土台に寄りかかる。
携帯の通信画面に映った人物が『なんで私も呼んでくれなかったのさ』と口を尖らせてくるので、「この仕事回してきたんはそっちやないですか」と引き攣った苦笑いで返した。
「……申し訳御座いません社長、中野区支部より本社へ支援を要請します。宮友グループの施設を大きく損壊させてしまったので報告と修復フォロー、加えて
『うんうん随分と頑張ったみたいだね、あと私に何か出来ることはあるかい?』
「エエ加減、転職したいです……ッ」
『ダーメっ』
間髪入れずに却下した社長の満面の笑み(ピースサイン付き)に見送られて、真も意識と携帯を手放す。
部長ひとりだけ何故か泣きながら失神しているのを、後に駆けつけた炎在医師が発見した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます