【第三項】弊社は生命の保証は致しかねます。

第三項(1)

「つまり、あなたが黒幕です。代々木会長」


 入室早々、客人の鼻先を指差した希紗に、皆が呆気にとられた。

 とりわけ一番狼狽えたのは上司である真で、失血だけのせいではない顔面蒼白ぶりで希紗の指を遮る。彼女の額に包帯が巻かれていなければ、即ハリセンを見舞っていたところだ。


「いきなりすぎるわアホ! すッ、すみません代々木会長、さっき頭を打った拍子に輪を掛けて失礼になったみたいで……!」

「まったくだ。侵入者騒動の次は犯人呼ばわりとは、大したもてなしではないか宮友」


 険しい視線を向けてくる希紗を、冷めた目で一瞥して、代々木は嘆息する。

 オーナー室には、騒動が収まるまで籠もっていた宮友会長に、代々木会長。そして監視室から独り突撃しようとした希紗と、それを止められなかった真、澪斗がいる。


 希紗以外の全員が大なり小なり困惑する中、宮友会長が「安藤くん。どういうことか、説明してくれるかのぅ?」とお茶を啜る手を止めた。


「はい。まず先程の襲撃ですが、私があえて、地下までの侵入を許しました」

「はァ!?」


 初耳だった部長の声が上ずる。事もあろうに雇い主の前で堂々と言い切られ、彼の胃痙攣はついに震度四に達した。

 上司がショックのあまり言葉を失ったのをいいことに、希紗は事の次第を明かし始める。


「こちらの画面を見てください。今日の午後五時前、裏口の監視カメラのものです」


 希紗が持参したパッド型端末には、天井からの映像を静止画にしたものが表示されていた。代々木会長と、隣を歩く米田秘書。そして後に続く運搬作業員が、大きめの段ボールを台車で押している。


「代々木会長。この時、搬入口での荷物チェックを受けなかった段ボールを一箱、運び込みましたね?」

「ただの花だったからな。関係者口で顔を見せたら、そちらの秘書が飛んできて案内されたぞ」

「確かに立派な胡蝶蘭こちょうらんの鉢が一つ、ロビーに届けられていました」

「何も矛盾はあるまい?」


 「いいえ」希紗は物怖じなく首を横に振る。ただでさえ強面である代々木会長の眉間に皺が増えても、彼女は引き下がる空気すら見せない。


「胡蝶蘭は非常にデリケートなので、通常、専用の箱でぴったり固定して運搬します。でも実際に届けられた鉢に対して、この段ボールでは無駄な余白が多いんですよ。ちょうど、くらいなら潜める程度には」


 希紗の端末が次に映し出したのは、先程、監視室をジャックしていた侵入者の女だ。床で失神しているだけだが、死んだバッタのように脚を曲げた姿は、確かにぎりぎり段ボール箱に収まりそうにも見える。


「このすぐ後、館内の回線から、警備システムへの不正アクセスがありました。即刻追い出しても良かったんですけど、予告状の差出人が一向に割り出せないので、いっそこちらから攻めてみようと思いまして」

「予告状? 何の話だ。先程から聞いていれば、こじつけ同然の状況証拠しか出てこないではないか」

「そうなんですよねー、初日からどうしても決定的な証拠が掴めない。だから打って出たんです、名付けて『虎穴に入らせんば犯人を得ず』大作戦!」


 「恐ろしく語呂が悪いな」背後でそう漏らした澪斗の率直な感想も、今の希紗には賞賛にしか聞こえない。


「証拠が掴めないなら、捕まえるまでです。初日からの、広範囲で手の込んだやり方を見るに、黒幕はそれなりの組織だろうと考えていました。それも、組織です。一般人をそそのかしたり、裏社会の強襲屋を雇ったり。自分たちの手は汚さない――あるいは、直接的に動けない立場にある。たとえば、大企業の会長さんとか」


 代々木は腕を組んで瞑目したまま、口を真一文字にして黙っている。

 むしろ困り顔なのは宮友会長の方で、警備員と旧友に交互に視線をやっていた。


「話が冗長だな。お前たちと違って、俺の時間は安くない。それで、決定的な証拠とやらは手に入ったのか?」

「そりゃあもう。先程の雇われ部隊は一網打尽にできましたからね、後は彼らの依頼人を吐かせるだけですよ」

「そうか。では万が一にも俺の名前が出たらアポイントメントをとれ。名誉毀損を詫びる謝罪状でも構わんが」


 「とんだ茶番に付き合わされたものだ」と顔をしかめ、代々木はソファから巨体を起こす。そのまま警備員たちを押しのけ悠々と出て行こうとする容疑者に、希紗が立ち塞がった。


「ちょっと! このまま帰すわけないでしょうが!」

「どけ。証拠も出ていないくせに、何の権限があって俺を閉じ込める。いい加減にしないと、この場で警察を呼ぶぞ」

「だからっ、証拠なら今すぐにだって――」

「安藤くん」


 圧倒的な権力にも体格差にも怯まなかった希紗が、その静かな一声で黙らされた。何の命令でもなく、ただ名を呼ばれただけなのに。彼女の口を噤ませ、全員の視線を集めるには充分な圧をもって。

 宮友会長は曲がった腰で立ち上がり、心痛の瞳で希紗を見据える。


「小太郎とは若い時分からの付き合いじゃ。長年の友のことは、私が一番よく知っておるよ。どうか道を空けておくれ」


 そんな風に懇願されては、たとえ相手が依頼人でなくとも、首を横に振るのは難しい。下唇を噛んだ希紗が、渋々と脇へ退いたのと、ほぼ同時のタイミングで。


 美術館が突如、上下に揺れた。

 次いで一斉に照明が落ち、全員が顔を見合わせる。


「アベル! 何があったの、報告して!」

『地下エリア、電気室の内部で火災が発生しました。全館が予備電源に切り替わるまで、あと三十秒です』


 すぐに携帯端末を取り出した希紗に、AIは淡々と答える。アベル自身は彼女の個人バッテリーで稼働しているが、美術館全体の電源が落ちていては、館内の操作はままならない。


「そんな……内部ですって? 誰かに侵入されたのっ?」

『ノー。直前まで、電気室に近付いた人物はいません』


 彼女の顔が青白く見えるのは、液晶の光のせいだけではないだろう。呆然と「あり得ない、あり得ないって……」と繰り返す希紗の後ろで、部長も慌ただしく無線を繋げる。


「遼平、純也っ。今どこにおる!?」

『捕まえた奴らをまとめて倉庫で縛っとけ、つったのはオメーだろうが! 急に暗くなりやがって……なんか焦げ臭くねぇ?』

『りょう大変っ、向こうで爆発に巻き込まれたスタッフさんが!』

『あぁ!? おい説明しろ真っ、何がどうなって――あ、コラ待てッ、便乗して逃げてんじゃねぇぞザコがぁ!』


 無線機の向こうから、火災と暴力、混乱と悲鳴入り乱れる状況が伝わってくる。

 すぐに美術館内の明かりは復旧したが、謎の停電にざわつく来場者の声が、オーナー室にまで届きそうだ。


「安藤くん。急ぎ、館内にアナウンスを流しなさい。設備不良のため、本日は閉館時刻を早めると。霧辺くんは、表の警備員たちと連携してお客様の誘導を。紫牙くん、君には負傷したスタッフの救助を頼む」


 毅然とした態度で指示を並べた宮友会長は、呆ける警備員を「急ぎなさい!」と一喝する。すぐさま我に返り、部屋を飛び出していった三人を見送った老爺の眼には、深い憂いだけがあった。



     ◆ ◆ ◆



『本日夕方、都内の宮友美術館で火災が発生しました。地下設備からの発火ということで、来場者に怪我人は出ていません。設備点検のため、明日は臨時休館になるとのことです』

『オープンしたばかりだというのに、驚きましたねぇ』

『先日も予告状騒ぎがあったばかりでしょう? 因果関係はあるんですか?』

『えー、美術館側によりますと、鮮血の星および他の作品にも一切被害は無いということですが……』

『所有者にわざわいを呼ぶ、なんて曰くが真実味を帯びてきちゃいますよねぇ』


 そこでコメンテーターの神妙な面持ちは、ぶつり、と暗転する。今日で既に五回以上は見たニュースに辟易した澪斗が、テレビの電源を切ったのだ。


 時刻は、じきに夜の十時を回る。

 監視室の空気は重く、特に希紗の消沈ぶりは一際だった。

 さもありなん。先の火災で、スタッフ数名が病院送り。死人が出なかったのは不幸中の幸いだったが、人命救助を優先している隙に、捕まえていた侵入者には逃亡されてしまった。加えて、とうとう表沙汰になってしまったトラブルのせいで、オープニングイベントは台無しだ。


 今度ばかりは宮友グループの力でも隠蔽できず、消防と警察の立ち入りを認めるしかなかった為、裏警備員たちは一時的に待機――正確には、身を潜めるしかなかった。

 その謹慎じみた指示も先ほど解除されたが、希紗は回転イスの上で三角座りをしたまま、動こうとしない。


「……鬱陶しい。日頃の、度を超えた自信と口数は品切れか」

「いつもはいつもで、やかましいって言うくせに」

「そうだな。つまり貴様は、どうしていても俺の気に障るということだ」


 「故に、今更失敗の一つや二つ重ねたところで、貴様の評価など何も変わらん」言って、涼しい顔でコーヒーを口に含める。部長は責任問題で駆け回り、純也と遼平もどこかへ出て行ってしまった今、部屋には監視システムの駆動音しかない。

 そんな静寂が、優に一分は過ぎて。


「……万が一にでも可能性があるだけで奇跡なんだけど、もしかして、励ましてくれてる?」

「さっさと自分の仕事に戻れ、と言っているだけだ。手始めにその耳を修理する必要がありそうだが」


 項垂れて弱り切っていた希紗の表情に、僅かながら笑みが差す。折り曲げていた脚をうんと伸ばしたら、体を捻ってメインコンソールに向き直った。


「言っとくけど、別に何もしてなかったわけじゃないからね。アベル、どう? 調査結果は出た?」

『イエス、マザー。電気室で、小型の時限発火装置が使われた可能性。最後に設備点検が行われたのは、二日前の朝です。その際の様子も録画してありますが、スタッフに不審な動きはありませんでした』


「入室権限を持たない人間が、忍び込んだ形跡も無いのね?」

『イエス。電気室周辺の、全ての監視映像を遡りましたが、装置を持ち込んだ人物は特定できませんでした』


「……今回の発火が、本当にただの整備不良である確率は?」

『六・二パーセント。瞬間的な爆発の規模と、燃え広がり方のデータから、作為的なものと判断できます』


 AIの報告を聞いて、希紗は顎に手を当てる。タイミングからみても、何者かが悪意を持って発生させた、と考えるのが妥当だろう。あの侵入者たちの仲間による犯行、というのが一番しっくりくる。

 だが当然、捕らえた彼らの武器や危険物は全て没収していたし、新たな侵入者など許していない。


「捕まえられた証拠かれらを逃がすことが狙いだったのは、間違いないと思う。でも誰が、どうやって? 特に厳重に監視していた部屋なのに、私たちの目をかいくぐって……」


 希紗の独白じみた疑問に、答えられる者はいない。

 そもそも、こういった謎解き紛いのことは希紗の担当ではないのだ。彼女が得意とするのはデータの収集であって、そこから真実を見抜くことに長けた人物は別にいる。


『マザー。最後の仮眠から、既に二十四時間以上が経過しています。休息を推奨します』

「まだ平気。それに今日は私のせいで、みんなを余計な危険に晒した。何の手がかりも掴めなかったのに、私だけ休むなんて出来ないっての……!」


 首を強く横に振ると、額の傷口から鈍い痛みが広がる。

 証拠を掴もうと躍起になって、勇み足を踏んだ結果、無駄骨どころかより悪い事態を引き起こしたのだ。意地と責任感がない交ぜになって、希紗をコンソールにしがみつかせる。


『――そんなこと、ないよ』


 突然繋がった無線機の回線から、それは届いた。

 柔らかく、しかしはっきりと。スピーカーから語りかけてきた少年の声は、彼女の自責を拭い去るように。


『希紗ちゃんのおかげで、ようやく分かったんだ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る