第二項(4)

 地下エリアで仕事をしていた美術館スタッフたちは、侵入者に銃口を向けられ、一様に両手を挙げていた。どうやら倉庫に全員を押し込める算段らしく、列になって歩かされ、廊下を進んでいく。

 倉庫室前で銃を携えていた見張り役に、仲間が駆け寄ってくる姿が見える。フルフェイスのヘルメットをしているが、潜めた声色に焦りが滲んでいた。


「B班からの連絡が途絶えた」

「クィーンは、何と?」

「当初の計画に変更なし。作戦続行だそうだ」


 「現場の気も知らないで」「全くだ」そうぼやいていた二つのヘルメットが、連行されてきたスタッフの最後尾に向き直る。


「そこのお前、止まれ!」

「は、はいっ?」


 倉庫手前で止まらせた最後の一人は、左腕だけを掲げ、右手を後ろにした不自然なポーズで歩いてきていた。ただ、逆に言えばそれ以外は何の変哲も無い若造だ。

 疲れの溜まった目元に、怯えで引きつる口端。春先のコートで前を閉めているところを見るに、たまたま宮友本社から来ていた不運な社員、というところか。


「両手を挙げろと言ったはずだ。従わなければ撃つ」

「違うんです、右腕はちょっと怪我してて……。見てもらえれば分かりますけど、何も持ってませんて!」


 言いながら、男はすぐさまその場で半回転する。確かに、だらりと降ろされた右手は空だ。

 「ねっ?」とわざとらしい愛想笑いで振り向いた男の鳩尾に、グローブ越しの拳がめり込む。本気の一発でないにしろ、優男を転ばせるには充分すぎる重さだ。通路の壁に背中をぶつけ、しゃがみこんで咳を繰り返す。

 男を殴った方の侵入者が、「紛らわしい真似しやがって」と毒づく。「俺は持ち場に戻るからな」そう言い残し、彼が背を向けた直後だ。


 とんとん、と肩を叩かれた。

 「なんだよ」俺はいま、虫の居所が悪いんだ――振り向きざま言うつもりだった悪態は、発声できずに終わる。

 まず片目の視界で捉えたのは、床に倒れ伏している、見張り役の仲間で。

 両目まで完全に振り返った時には、鼻先で力なく苦笑う、優男。


「あんま痛くならんように、善処しますけど」


 理解が追いつかない侵入者の肩を掴み、左肘を引いて、男は真っ直ぐ拳を鳩尾に打ち込んだ。「保証は出来ないんで、あしからず」




 一発ずつで失神させた武装者二人組をロープで縛り上げ、真は倉庫室へと向き直った。押し込められた関係者たちが、怯えと戸惑いの表情で真を見つめてくる。


「怖がらせてすんません。すぐ片付くので、それまではここを中から施錠して、助けを待っててください。大丈夫、ちょっとした休憩時間とでも思ってもらえれば」


 近くにいた女性スタッフにロックを頼んで、真は外側から重い扉を閉める。

 壁際に寄せていた武装者たちの無線機が、先程から『地下エリアに一名、侵入者あり! A班は至急これを排除せよ!』と繰り返しているので、一息つく間も無いのだろう。


「ったく、侵入者はそっちやろ」


 盗人猛々しいとはこのことだ。ぶつくさ言いつつも、真はコートの前を開き、階段とは逆方向に通路を走る。

 敵が現在、どれほど館内のことを把握しているのかは不明だ。しかし無線内容を聞く限り、どこかの時点で真の存在が察知されている。おそらく幾許も無く、出迎えが現れるはず。


 先程の二人組からもう少し情報が引き出せていれば良かったのだが、スタッフの安全確保が最優先だったので仕方ない。『クィーン』なる指揮者の方針か、問答無用で一般人に襲いかかることは許可されていないようだが、それも絶対ではなかった。下手に人質に取られたりしないよう、スタッフたちを隔離しつつ、敵の狙いを真だけに集中させる必要があったのだ。


 美術館自体が巨大であるが故に、その地下空間は不必要なほど広く、天井も高い。加えてほとんど無人となった通路に、警備員の革靴はよく響く。

 真の足音が引き寄せ目的ならば、後方から連続してくる集団の靴音は威圧の為だ。侵入者と警備員、オフェンスとディフェンスの立場は完全に逆転し、彼らは自ら存在を強調しながら真を追い詰めていく。


 逃走の末、丁字路に突き当たった真は、そこで右か、左に行くかを考えて――諦めた。

 立ち止まり、いま来た方角に向き直る。五メートル先で隊列を組み、銃を構え終えている武装者たちに、弱り果てた笑みを浮かべて。


「えっと、ここは平和的に話し合いで解決しません? お互い、痛いのは嫌ですし……」

「問題ない。お前が一瞬痛むだけで終わる」


 確かにあの数の発砲を一身に受ければ、痛覚が働く余地すらなさそうだけれど。

 片足をついた体勢で前列に三人、後列も両手で銃を構えているのが三人。予算不足のせいで拳銃どころか防弾チョッキすら装備していない警備員では、この距離を覆すのは不可能に近い。


「参ったなァ……、純也に何て詫び入れよう」


 独白し、彼は力なく肩を落とす。右手を左手に添えたのは、薬指にはめた指輪を外す為だった。肌が浅黒いせいで見えにくかったそれは、素朴な金色をしている。

 誓いのリングを制服のポケットにしまいながら、男は何でも無いことのように口を開くと。


「まだ新婚なんですけどね、ほんま、世界一可愛い嫁で」


 同情を引く為なのか急にそんな話をしだした警備員は、垂れ目を下げてへらりと苦笑う。「血で汚したく、ないやないですか」


 次の瞬間、武装者たちの照準は全て褐色に覆われた。

 それが警備員の脱ぎ放ったコートだと認識するや否や、弾幕で迎え撃つ。


 鉛弾に穿たれ、散り散りになっていく布を突き破って迫ってきたのは、一筋の剣先だった。

 前列中央にいた武装者の喉元を、一突き。そのまま左右で膝をついている彼らに、二薙ぎ。リーチという最大の利点を失った銃を、未だ握り締めている後列に、三太刀。

 その間、五秒と要さない神速の刀捌き。真が腰のベルトに得物を戻す頃には、武装者の全員が床に重なり合っていた。


「……今度からは、相手を選び」


 短い息を吐いて壁にもたれた警備員の体は、案の定血まみれだ。だがそれは返り血などではなく、全て彼自身の赤である。そもそも誰も斬られてなどいないのだ、真がいま振るったのは、ただのなのだから。


 故に、制服の所々についた血は突撃の際に受けた銃創。そして右腕を伝う流血は、先日純也に塞いでもらった傷口が開いたせい。

 純也から「まだ無理をしちゃダメだよ」と口をすっぱくして言われ続けていたので、出来る限りその約束を守りたかったのだが、今回は仕方がなかった。と、いうことにしてほしい。


 銃創はかすり傷程度だが、この右腕は誤魔化せないだろうなと思うと、深呼吸は途中で溜息に変わる。

 そこですかさず、今度は丁字路の両脇から足音が聞こえてきた。溜息は落胆へと最終進化を遂げて、軽い目眩に襲われる。せめて止血なりをして、形勢を立て直さなくては。その時間を稼ぐ為にも、今は逃走あるのみだ。

 そうと決めたら、今度は先程逃げてきた通路を逆走する。後ろを振り返ってみると、幸い、追いかけてきている人数はもう残り少なく――


「どわふっ!?」


 全力疾走の勢いをもって何かに激突した真は、人型の凹みを作ってしまった壁を見て、混乱する。つい数分前まで、こんな所に壁など無かったというのに。


 明滅する視界を懸命に凝らしてみれば、それは防犯用シャッターだった。あの希紗が防火シャッターを勝手に造り替え、ダイナマイトにも耐えうるという無駄な強度を得てしまった、突破不可能な檻である。

 まさか、と思い左右に目を走らせる。生まれてこの方二十五年、彼の『嫌な予感』は外れた試しが無い。予想通り、通路を区切るシャッターが次々と降りてきているではないか。


 今度こそ、完全な袋小路だ。

 通路は、大人が二人、両手を広げれば塞がってしまう行き止まりに早変わり。咄嗟に通気口も探してみたが、天井が高いせいで三メートルほど頭上になる。なるほど、対犯罪者用の罠としては申し分ない仕組みだ。希紗の今回の報酬はいくらか減給しようと思う。


「そこまでだ、大人しくしろ!」

「えー、入館料も払わん大人げないそちらに言われたくないわァ」


 シャッターに背中から寄りかかり、右腕を押さえていた左手を離す。戦意が無いことを示そうと両手を開いて見せるが、彼らは銃を構えたまま、


 やはりか、と真は内心で苦虫を噛み潰す。

 敵に筒抜けなこちらの動きに、警備員側を窮地に追いやる防犯システム。そして何より、普段はミュートにしたいくらい騒がしい無線機の、不気味な沈黙。

 ――監視室がジャックされている。それも真っ先に、巡回中の警備員が気付く間もなくピンポイントで、だ。


 監視室を乗っ取った何者かが、他の侵入者を誘導していると見て間違いない。でなければ、先程の真の得物、その使い方を見ていない彼らが、ここまで不自然な距離を置くはずがないのだ。

 ほんの三十分前、監視室に独り残してきた部下が、頭を過ぎる。

 ならばこれ以上は悠長にしていられない。


「ロスキーパーか。どんなものかと思っていたが、小賢しく逃げ回る警備員とは確かに新しいな。お得意のせこい不意打ちも、ここでは出来なかろうよ」

「はは、自分ら以外全滅させられてるのにまだ強がれる犯罪者よりは、目新しくないですわ」


 四人の銃口が、警備員一人の眉間に集中する。今の発言は単なる鎌掛けだったのだが、その反応を見るに、どうやら図星だったらしい。

 地下フロアを一人で駆け回り、掻き乱し、分散させた敵戦力もこれが最後だ。あとは速やかに彼らを無力化するだけ――なのだが。


 相手が凶暴であろうがなかろうが、どんなに時間がなかろうが。彼は必ず、本心からそれを尋ねる。


「出来れば争いたくないんで……なんとか穏便に、逃げたりしてもらえません?」


 霧辺真は、根っからの事なかれ主義である。


 警察ほどの正義感はなく、博愛主義者ほど寛容でもない、どこにでもいそうな受動的凡人である。

 故に、全員が引き金に指をかけても動かなかった。

 故に、一発の弾丸が頬を掠めても、動かなかった。

 故に、残り全ての銃弾に貫かれる刹那――消えた。


「《動》の章、第一技――龍王」


 声は、頭上から。

 両脇の壁を交互に蹴って跳び上がり、天井寸前で回転した体は、稲妻を超える速度で襲い来る。

 四人の眼前で床に突き刺さった木刀は、大理石を粉々に砕くには十分で。落下の衝撃波だけで全員を壁に叩きつけ、失神させるには十二分。


 クレーター状に窪んだ床の中央で、片膝をついた体勢のままだった真は、ゆっくりと木刀を引き抜く。

 山陰のとある御神木を削って生み出されたそれは、美術品のように滑らかな刀身をもって、持ち主の横顔を映す。自らが握り締めた得物と、地に伏した人々を見下ろして、酷く悲しい眼をする彼を。


 気を抜くとすぐ後悔の海に身を投げようとする己を叱咤して、真は監視室の方へと向き直る。が、当然そちらの通路もシャッターが行く手を阻んでいた。

 仮にこのシャッターを木刀で滅多打ちにして突破できたとしても、監視室までの全区画に同様の鉄壁が続いているのだ。何より、痛みで感覚が無くなりつつある右腕が保つとは思えない。


「こういうアホみたいな力尽くは、遼平の領分なんやけどなァ……」


 我ながら呆れつつ、真は木刀を振り上げた。



     ◆ ◆ ◆



 赤い靄のかかっていた視界が、急速に輪郭を取り戻していく。

 手は後ろで縛られていて、床に打ちつけた頭がまだ割れそうに痛い。


 うつ伏せの状態からなんとか上半身だけでも起こそうとした希紗は、後頭部で束ねた髪を何者かに強く引っ張られて、強制的に顔を上げさせられる。

 唇の端を苛立ちで歪めた、中年の女が、希紗を睨み下ろしていた。


「館内の照明システムのロックを解きな」

「当店はセルフサービスですので。ご自慢のハッキングで、ビシッと決めちゃってくださいな」


 額から流れる血が腫れた左目にかかっても尚、希紗は不敵な笑みでそう返す。それクラックが出来ないからわざわざ言っているのだと、百も承知の上でだ。


 宮友美術館地下の最奥、監視室。

 ここまでのセキュリティを全て突破してきた女にとって、後の仕事は実に簡単であるはずだった。関係者入り口からシステムをハッキングし、監視カメラをかいくぐり、警備の要である監視室を乗っ取る。そこまで成功してしまえば、後はメインである強襲部隊を誘導するだけで良かった。

 監視室に残っていた小娘を背後から襲い、鼻歌混じりにメインコンソールに触れる。既に目前まで迫った巨額の報酬に舌舐めずりをして――いたところで、女の顔から余裕の色が消えたのだ。


 ここまでのプログラムとは比べものにならない複雑怪奇なロックが、何重にもかけられているではないか。

 用意してきた侵入用ソフトは全て弾かれ、一つロックを解いている隙にこちらの端末にウイルスを仕掛けられる始末。かろうじて地下エリアの操作権限は乗っ取ることができたが、美術館内のシステムとは切り離されており、どうやってもアクセスできない。

 こうしている間にも、壁一面に広がる監視カメラ映像の中で、強襲部隊が次々と片付けられている。今は画面内で暴れている警備員たちが、ここにやってくるのも時間の問題だった。


 女はハッカーとしての矜持を捨て、取り出した小型拳銃を希紗に突きつける。他の人間離れした警備員たちとは異なり、この小娘にさほど戦闘能力が無いことは、体つきや挙動から読めていた。

 無防備に背後から殴られ、受け身もとれずに頭から倒れるような、素人同然の弱さ。銃口を向けられたことで途端に縮み上がり、呼吸が浅くなる様など、完全に表社会側の一般人と変わりない。


「死にたくなけりゃ、さっさとやるんだ」

「っ……、う……く……っ」


 見ている女の方が哀れに感じるほど、希紗の怯えぶりは酷かった。目尻いっぱいに溜まった涙をなんとか零さないように、吊り上げた眉に力を込める。奥歯を噛み締めていなければ悲鳴を押し殺せず、スカートの下の脚はがくがくと震えていた。


 何故ここまで非力な小娘が裏社会に――と呆れを滲ませていたところで、女の思考を甲高いアラート音が引き戻す。彼女自身が監視室の外部にしかけておいた、人感知型のトラップだ。

 女は咄嗟に希紗の首に腕を回し、そのこめかみに銃口を当てた体勢で、「姿を見せな!」と叫ぶ。


 扉がスライドし、一拍置いてさも平常時のように現れたのは、眼鏡をかけた男だった。

 青の制服はおろしたてのように汚れなく、乱れすらなく、端整かつ無機質な顔立ちと相まってマネキンのようだ。淡い緑の前髪、その奥からじっとこちらを見つめてくる双眼からは、一切の感情が読み取れない。


「ちっ……。お早いお着きじゃないか、王子様」

「来ないで澪斗!」


 右手に黒い銃を提げた澪斗は、どちらの言葉にも眉一つ動かさず、監視室へ足を踏み入れる。


「止まりな! それ以上近づくんじゃないよ、目の前で小娘の頭を吹き飛ばされたくなかったらね!」


 既にセーフティの外されている銃を強く押しつけられ、希紗の顔が今にも泣きそうに歪む。

 そこで確かに澪斗の足は止まったが、同時に右腕を持ち上げ、銃口を侵入者の心臓へ向けたではないか。女は焦って強く希紗の体に密着するが、そんなことをしなくても、その照準では人質の胸を真っ先に貫くのは確実だった。


「強がりはよしなよ二枚目! 撃てるものなら撃ってみ――」

「わかった」


 男は頷き、食い気味に即答すると迷わず撃った。

 本当に撃った。


 「どぅをおわあーッ!」と希紗が女子ならぬ悲鳴をあげ、侵入者もろとも横へ跳んでいなければ、仲良くバッドエンドだったろう。手を縛られたまま一人の体重を背負い跳んだ勢いで、希紗はそのままサイドにあったコンソールデスクの物陰に隠れる。当然、命拾いした侵入者も一緒に、だ。


「ちょっ、ほ、本気で撃ったよあの男!?」

「ああ見えて馬鹿正直なんで……」

「正直な馬鹿、の間違いだろ!」


 震え上がる二人の隠れている場所に向かって、向こうがまだ何発も撃ち込んでいるのが聞こえる。サイレンサーのように静かな発砲音に相反して、着弾するごとにデスクを大きくへこませていく衝撃音は重い。


 かの銃『ノア』は、紫牙澪斗の為だけに造られた、世界に一挺だけのカートリッジ式拳銃である。

 反動・威力を自動調整する高性能回路。一見普通の眼鏡に見える照準グラスは、使い手の視野に加え、眼球の動きまで分析して思い描いた通りの弾道を実現する。

 弾を装填するカートリッジにも様々な種類があり、それによって弾丸の性質が異なる。いま彼が連発しているのは、消音機能に特化した軽めの弾丸だ。

 見ずとも分かる。

 何を隠そう、そのカートリッジを渡したのも、『ノア』を造ったのも、希紗本人なのだから。


 よりにもよって製作者に銃口を向けるとは何事だ、とは思ったが、端から澪斗にそんな人道的行動を求める方が間違っている。「他者への共感」という機能が未実装のまま生を受けてしまったとしか思えないあの男は、敵も味方も犯罪者も上司すらも、己以外の全ての人間に対して平等に無関心なのだ。


 今も、「侵入者を排除する」という目的の為に動いているだけで、その過程でのことなど考慮しようともしない。

 別に意図的に希紗を狙ったわけではないが、助ける気も更々無い、ということだ。単純作業用のロボットだってまだ、もう少し複雑な目標設定ができそうなものなのに。


「ちょっと澪斗! 室内でバカスカ撃たないでよっ、制御端末が壊れちゃうから!」

「そんな三流のクラッカーに突破されるようなシステムなど、虫けらほどの価値も無い。いっそ壊しておいた方が、まだジャックの心配もなかろう」

「「なんですってぇー!」」


 甲高い怒髪天は、二重で聞こえた。システムの構築者と侵入者、それぞれの敵意を買っておきながら、引き金に指をかけた男の表情筋は変わらない。


 カチャリ、と希紗の耳元で音がした。

 確認するまでもない、というよりも、振り向けない。こめかみに押しつけられた硬い感触だけで、遠のいていた悪寒が一気に蘇ったからだ。

 先程と全く同じ体勢で、希紗を盾にしたまま出てきた女に、澪斗は眉をひそめる。彼の動きを止めたのは怯える人質ではなく、女の胴体に巻かれた爆弾のせいだ。


「ったく、見ての通り最後の手段だよ。あんた自身が死にたくなきゃ、そこをどきな人でなし!」


 初めからジャケットの下に仕込んでいたあたり、あれが脅しやフェイクである可能性は低い。拳銃は右手に、起爆スイッチは左手に。どのみちこんな所で爆破されては、上階の美術館にも騒ぎが広がることは確実だった。


 耳元に銃口、背中越しに爆弾の感触と、逃れようのない死の圧力が希紗を押し潰そうとする。

 いや、正確には。


 冷たい鋼の感触と、微かな火薬の香り。九ミリの口径は、空虚な死神の眼孔。指に僅か四キロ強の力を込めるだけで、ひと一人の世界を奪ってしまえる、傲慢と理不尽の具現。

 『拳銃』こそ、希紗が生涯恐れ、嫌い、憎むべき仇敵なのだ。



 ――かつて空を夢見て、宇宙開発を志した友がいた。

 ――かつて人を愛して、医療機器に一生を捧げんとする友がいた。

 ――かつて命に挑んで、ロボットに心を宿らせるのだと豪語する友がいた。

 その誰もが変人で、才能に溢れていて、落ちこぼれであった希紗を仲間に入れてくれた掛け替えのない友人たちだった。


 『マクスウェル工科学院襲撃事件』。それは、数ある銃乱射事件のひとつとして名を残した、ありふれた惨劇。

 著名な教授や、有望な学生の未来があっけなく閉ざされていく中、彼女は奇跡的に生き残る。自分を逃がし、凶弾から庇ってくれた友人たちの死屍の果てに、たったひとりで。


 だから安藤希紗は、天才であらねばならない。

 亡き友が造り上げたであろう技術、未来、その全てを、彼女の手で紡がなくてはならない。

 こんな所で、唾棄すべき暴力に負けてなどやるものか。



「……さっきから聞いてれば、揃いも揃って好き勝手してくれちゃって……。私のシステムが虫けらですって? なら見るがいいわ、五分の魂ってやつをね!」


 目尻に涙を溜めたまま、彼女は天へ吠える。


だか、思い知らせてやりなさい! 《アベル》!」


『――イエス、マザー』


 機械音声と共に、監視室の入り口が強固な鉄扉で閉じられる。ディスプレイは壁に収納され、操作端末はケースで覆われて、瞬きをする間に室内は要塞のそれへと塗り替えられていく。


 言うまでもないが、監視室とは本来、セキュリティの心臓部である。

 そのため監視室へのアクセスは最も複雑にしてあるし、万が一にも敵の手に落ちないよう、部長も澪斗も、真っ先にこの部屋を目指してきた。

 しかしそれでも、敵の侵入を許してしまうこともあるだろう。ならばどうするか? 希紗の結論は実にシンプルで、凶悪なものだった。


 ――監視室そのものを、超迎撃オフェンス型要塞に造り替えてしまえばいいのである。


 床や天井、四方から発射口が現れる。警備用AI《アベル》は即座にマスター以外の人間に照準を固定。それらが一斉に機関銃じみた速度で撃ち出され、侵入者の頭部に全弾命中して女の体を吹っ飛ばした。

 床に転がった女は、白目を剥きながら痙攣している。自身が蜂の巣にされて即死した光景でも夢見ているのかもしれないが、彼女の周囲に落ちている無数の弾丸はただのである。


「やー、ちょっと手こずっちゃったけど、万事計画どーり! さっすが天才わたし! アベル、さんきゅー」

『お安い御用です、マザー』


 主人には傷一つ付けなかった発射口が引っ込み、代わりに出てきた電動カッターの先が、希紗を手錠から解放する。

 天井に向かってピースサインをした希紗に応え、カッターを伸ばしていたアームがぺこりとお辞儀して、壁の裏に帰って行った。


 何事も無かったかのように元の風景を取り戻していく室内で、未だ復帰できそうにないのが、『コルク栓で全身打撲』という人類史上例を見ない負傷をした澪斗であって。


「ちょっと澪斗、いつまでも寝てないで、この人縛るの手伝ってよー」

「き、貴様な……」

「もー、だから最初に『入って来ないで』って警告したじゃない。立てる? あッ、ほらほら見て! 照準グラスはヒビ一つ入ってない!」

『流石マザー、天才です』


 澪斗の眼鏡だけ取り上げて、その強度を誇らしげに主張してくる笑顔が余計腹立たしい。


「実に惜しいことをした……。やはり貴様は、侵入者ごと撃ち抜いておくべきだった」

「え? そんなのどうせ出来ないわよ、だって澪斗がノアから撃ってたのも全部、コルク栓だったし」

「は……?」


 思わず身を起こし、先刻銃撃していたデスクに振り向く。弾が深くめり込んだ穴をよく見てみれば、微かにクルミ色の素材が覗くような。


「いや大変だったのよ、これだけの数のコルク栓を集めるの! 他にもスーパーボールとか消しゴムとか、試行錯誤したんだからね!」

「貴様な……毎度毎度、俺の武器でふざけおって! ひとり縁日か俺は!」

「毎回、指摘されるまで気付かない澪斗も澪斗じゃない?」


 それでも何だかんだ言いながら使うあたり、性能だけは認めているのだろう。元々彼が愛用しているリボルバーは腰に収めたまま、希紗の人を殺せない銃ノアを握ってくれるのだから。


「さぁて、と……」


 心身共に立ち直れずにいる澪斗に背を向け、制御端末に戻ろうとした希紗の、足下がふらつく。

 どれだけ平気そうに装っても、希紗は所詮、非戦闘員だ。額に負わされた傷も、トラウマを抉られる恐怖も、ただの十九歳の体には深刻なダメージたりうる。

 痛みで目は霞み、青ざめた唇と震える脚は、当分落ち着きそうにない。それでも彼女は気力だけでコンソールに食らいつき、全てのディスプレイを眼球で追う。


「おい」

「これからなのよ、私の仕事は……。澪斗は倒した侵入者の捕縛、隔離をお願い。あと、みんなをここに集めてほしいんだけど」

「無線で呼べば良かろう」


「それが、なんか真だけ防犯シャッターを三枚ぶち壊した先で力尽きてるみたいで」

「何をしに来たんだ奴は……」


 画面の一つに映し出された部長は、へこませたシャッターに腕を伸ばした姿勢でうつ伏せに倒れ、ぴくりともしなくなっていた。人差し指の先で『きさ』とダイイングメッセージじみた血文字を残す彼を、部下たちは心底怪訝そうに眺めた。

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