第11話 車掌室
ギシイギシイ。
車掌室は思ったよりもずっと広かった。車両の半分くらいはある。大きなちゃぶ台。ベッド。ベッドの上で飛び跳ねている人。調理器具。ガスコンロの近くに女の子がいる。
「もう、遅いじゃない。どこを道草してたの?」
「えと、色々あって」
「わざわざやって来たんだよ。もうカボチャのカレーはできてんのか?」
「へぇ、回転マニアがここまで歩いて来るとはねー。珍しいこともあるもんだ 」
ベッドの上を飛び跳ねている老人からギシィ、ギシィとバネがきしむ音がする。
「できてんの?」
「今、仕上げをするところよ」
するとわたしへと目線を移し
「そうだ、お姉ちゃん。ベッドでジャンプする係りを車掌さんの代わりにしてくれるかしら? スパイスのあんばいは車掌さんじゃないと上手くいかないの」
「え? ちょっと待って。車掌さん? 何で飛び跳ねてるの?」
ギシイギシイ。
今まで黙々と跳ねていたその人が
「やあ、お嬢さん。これはね。虫が寄り付かないように、特殊な空気を送ってるんです。ほら、見なさい。ベッドの先端に大きなバルブがあるでしょう。ここから、送ってるんです」
「そっ……そう 」
ギシイギシイ。
ギシイ、ギシイ。
というわけで、わたしはベッドで飛び跳ねながら、カレー作りを見守ることになった。
「ターメリック、クローブ、カルダモン……」
車掌さんは幾つかのスパイスを調合しているようだ。ギシィ、ギシィ。それをコトコト煮たった鍋の中に入れていく。隣にはてんぷら鍋があって、女の子が薄切りにしたカボチャを揚げている。ギシィ、ギシィ。
「へぇ、煮込むんじゃないんだ」
わたしもカレーの中にカボチャを入れてトロトロになるまで火を加えると思っていた。意外だった。ギシイ、ギシイ。
車掌さんはカレーに何か液体状のものを入れる。すると、「わっ」とカレー鍋から火が吹き出た。天井まで焦げてしまうような火柱だ。それが落ち着くと
「どうです。味見してください 」
女の子は木のスプーンで一サジすくい
「そうねぇ、クローブが足りないかしら? 今日のカボチャは熟れて味が濃くて甘いから、これじゃ負けちゃうわ」
「そうですか。これまた手厳しい」
とスパイスを足している。カボチャは油の表面へと浮かんでいた。その衣越しに色味を増して、黄金色に染まっていた。「ああ! オネエチャン!」男の子の叫び。
「とばなきゃ!」
わたしは調理に見とれて、棒立ちになっていた。
「ごっ、ごめん」
と言いながら、飛び跳ねようとした時だった。
「あっ!」
背面の窓に、青黒い固まりが映った。
「これは、いっ、いかん!」
「いけないっ!」
固まりはどんどん近づき、大きくなる。
「お姉ちゃん、回転だよ! 宙返りするんだ!」
「えっ、だっ、駄目よ。出来っこないわ!」
「そうだ、花火! あの花火で退治しよう!」
瞬間、お爺さんの優しい顔がよぎった。あの人はわたしを喜ばせようと、花火を渡したに違いない。それを武器にしようなんて。ダイナマイトを発明したノーベルのように。出来ない。わたしには出来ない。
青黒い固まりは徐々に輪郭をくっきりさせてきた。巨大な昆虫がセロハンな羽を広げている。カブトムシみたいに大きな角が生えている。それもこの車掌室をゆうに超える広角だ。
「車掌さん、正面の窓、開けられない?」
「むっ、無理です」
「いいわ、割るから! 頼むから後で、弁償しろ、なんて言わないでね」
女の子はポケットから種を取り出した。ぶつぶつと唱える。手の平が青白く、光った。そして
「大食虫花!」
女の子の手から柱のように大きな茎が湧き出る。そしてそれは、窓を貫き、昆虫の目の前まで迫る。
淡くピンクがかった花びらが、なめやかに昆虫を飲み込む。目の前には一杯の緑の茎、葉、棘。不謹慎にも綺麗だった。
しかし、しかし、ピンクの花から昆虫の黒い角が突き出た。そして花は四方に散った。
「ダメみたい……」
そう呟いた女の子の頬には汗が伝っていた。初めて見せる少女の幼い表情だった。
「まだよっ!」
ギシイ、ギシイ。
わたしは跳ねる。跳ねる。跳ねる。勢いをつけて跳ねる。覚悟する。空中で体育座りの格好になる。ベッドのシーツ、壁、天井、視界がぐるりと回る。わたしは回転し、したたかに頭を打った。それからわたしは。わたしは……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます