3
ひょおおおおおん。
鞭が唸る。つららはとっさに身をかわすが、耳元でぱちーんと異様な音がした。
地面を打ったわけではない。鞭の先端が音速を超え、衝撃波を作り出したとき、こんな音がする。
知識としてそのことは知っていた。
この間合いではやっかいだ。鞭の攻撃はただでさえ速くかわしづらいのに、麝香院はこの薄暗がりの中、黒い鞭を使っている。
見えるわけがない。
もっとも、さっき巣豪杉太刀とやり合ったおかげで、肝は据わっている。なにしろあっちは真剣二刀流。もう少しで殺されるところだった。
まさに斬り殺されんとした寸前、魔子の居所を風太から知らされたといったら、剣がとまった。まあ、怒りに我を忘れた状態から、冷静にしとめようとするモードに切り替わったからこそ、こっちの話を聞く余裕ができたのかもしれない。あとはスマホの留守電を聞かせたら、一味ではなく、尾行して場所をつきとめたと納得してもらえた。だからこそ、いっしょに来れたのだ。
そしてここにたどり着くまで、廊下にしかけられた罠の数々。飛んでくる無数の矢。横から突き出てくる槍。一歩まちがえば死んでいた。しかし巣豪杉太刀がバイクを運転しつつも、野生の勘かなにか知らないが、天才的なひらめきでそれを察知し、ことごとく日本刀で叩き斬った。
それに関しては、まさにつららは見ていただけだが、もうちょっとくらいのことでは驚いたり、びびったりしない。
そう考えれば鞭などどれほどのものか。すくなくとも一撃で首が飛ぶことはない。
ひゅっ。ぴしーん!
見えない攻撃。音だけが鳴り響く。
しかし、麝香院の腕の動きとそのあと音が鳴るタイミングは学習した。それに合わせて大げさだろうがなんだろうがよける。そうすれば当たらないはず。
だが、なかなか前に出るタイミングが掴めない。自分の武器はトンファ。間合いが遠すぎれば使えない。鞭相手に距離を取るのは馬鹿げているのだが、つっこもうとすれば放たれる麝香院の殺気に足が止まる。
「どうしたの? 出てこないの子猫ちゃん」
麝香院が笑う。
「なかなかかわいいじゃない? その黒いワンピースもゴスロリっぽくていいわよ」
「黙れ」
つららは前に出た。あるいは挑発に乗ってしまったのかもしれない。
だが、かまうもんか。どうせこの距離じゃなぶられるだけだ。
ひゅわん。
きた。このタイミング……。
足を取られた。そのまま体が横にふられ、壁に激突。
一瞬、息が止まる。
そのまま床に倒れた。
なにが起こったのか理解できなかった。ただ、足に鞭がからみついているのはまちがいない。
「馬鹿ねえ。わざと同じタイミングで攻撃してたんじゃないの。つっこんできたときはタイミングずらすに決まってるでしょ? 狙う箇所だって変えるしね」
罠だったのか?
麝香院の狡猾さ、それに乗ってしまった自分。つららは悔しさに唇を噛む。
ぐんとふたたび足が持ち上げられると、裏返され、床にたたきつけられた。とっさに両手を床につかなければコンクリートに熱いキスをしていたところだ。
足に巻きついていた鞭は緩み、するっと外れた。
ひゅん。ばしーん!
「ぎゃあっ!」
背中に激痛が走る。
蹴りや木刀で殴られたのとはまたちがう衝撃。表面だけでなく、体の芯までずしんと響くような打撃だ。同時に皮膚が裂け、火傷でもしたような錯覚を起こす。
容赦なく蛇のような鞭が襲いかかる。つらら必死で寝転がりながらかわそうとするが、足に、腰に、背中に、二檄、三檄と喰らう。
「く……」
無様な悲鳴を上げないよう、歯を食いしばる。
「うふふ。だんだん服がぼろぼろになってきてるわよ」
つららはなんとか攻撃の合間を縫って立ち上がる。
麝香院はそれを待っていたかのように、鞭を振るった。右上からななめに切り下ろすように。
反射的につららの左手が動いた。
中段回し蹴りを受ける要領で、払った。
ぴしっと音を立て、左手首に鞭が巻きつく。
逃がすか。
そのままだと引っぱられ、バランスをくずされたあげく、外される。
払いあげた手を巻きこむようにしつつ、鞭を掴んだ。
ぐいっと引っぱられる。予期していた。バランスをくずすどころか、その力に合わせて前に出る。
そのまま右手に持ったトンファを振る。
その一撃が麝香院の右手首を砕いたと思ったが、わずかの差でそこに手はなかった。
麝香院は下がった。鞭を離して。トンファは空転したが、追撃のチャンス。
後ろに逃げるより、前に出るほうが速い。
だんと飛びこみつつ、間合いを詰め、麝香院の顎めがけてトンファを振る。逆回転。
勝った。
そう思った瞬間、麝香院は後ろではなく、前に出ていた。
間合いが潰され、近すぎてトンファが当たらない。
さらに麝香院の肘打ちがカウンターでつららの腹部にめり込んだ。
「な……?」
「残念。鞭さえ奪えば、勝てると思った?」
立っていられなかった。胃液を吐きながら、床を転げ回る。
「うふふ。鞭を使えば相手は無理にでも接近戦を挑んでくるの。わたしは接近戦のスペシャリストだからこそ、鞭なんて酔狂な武器を使うのよ。わかった?」
く、くそう。油断した。
「ちなみにわたしの技のベースは八極拳。知ってるでしょ?」
古くからある中国拳法。知ってはいたが、そんな技を実際に使うやつとははじめて会った。
「さあってと、あんたも魔子といっしょにつないでやるわ。ふたりいっしょに可愛がってあげる」
つららは髪の毛をむんずと掴まれ、そのまま引きずられた。
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