ぶんと振り下ろされた西郷の鉄拳を、風太は手のひらで受けとめた。

 もっとも上から体重を乗せたパンチは重く、ブロックするのでせいいっぱい。ちょっと気を抜けば、ブロックごと顔面にたたきつけられそうだ。正直、手がめちゃくちゃ痛いが、そんなことはいってられない。

 もちろん、相手の腕を掴むなんてことはできない。西郷はライトを床に置くと、両手で怒濤のラッシュを打ち込んでくる。

「呆れるくらい、防御だけはうまかタイ」

 風太がそれをことごとく防ぐと、西郷がぼやく。

「じゃあ、こうするタイ」

 西郷は風太の両手首を掴んだ。そのままぐいと広げ、床に押しつける。

 たしかにブロックはできなくなった。しかし、西郷とて攻撃に腕を使えなくなる。

「残念ながら、おいどんには頭があるタイ。ちなみに、おいどんの頭突きはコンクリートも砕くタイ」

 マジかよっ!

 西郷は風太の両手を押しつけたまま、背中を反らし、頭を持ち上げた。

 そのまま、巨大なハンマーのような頭を打ち下ろす気だ。

 万力のような怪力で押さえられた腕はびくともしない。まさに絶体絶命。

「待ちなさい。西郷」

 後ろからの声にまさに頭突きを放とうとしていた西郷の動きが止まる。

「その男は殺さないで」

 麝香院の声。いつの間にか、廊下に出てきたらしい。

「なぜ止めるタイ。人質はひとりでよか。そもそもこの男に人質の価値はないタイ」

「子猫ちゃんと約束したからよ。あの子をいいなりにさせるには、その男が生きてないと困るの。それにその男の前で、子猫ちゃんをいたぶってみたいしね。だからやらせない」

 なんだと……。このレズサドが!

「くだらん。おまえは仕事に趣味を挟みすぎるタイ。この男は意外にあなどれんタイ。そもそもおまえはあの少女に手を出さんといったはずタイ」

「気が変わったの」

「嘘つき女め。なら、おいどんも断るタイ。風太君。あの女には、魔子に変なことはさせんタイ。だから、安心して死ね」

 安心しても、死にたくねえぇえ!

 ぶおん。

 風を切り、西郷の頭が風太の顔面に振り下ろされる。

 ひょおおおおん。

 しかし、激突寸前、打ち下ろされた人間ハンマーはとまった。

 一瞬、風太にはなにが起こったのかわからなかったが、どうやら、西郷の首になにかが巻きついている。

「なんの真似タイ、麝香院?」

「だから、やらせないっていったでしょ」

 西郷の体が起きる。

 このとき、風太はようやく、麝香院が鞭を西郷の首に巻き付け、引っぱっていることに気づいた。

 仲間割れかよ。

 風太には願ってもない展開だ。

 西郷の手刀がうなる。激しいテンションで引っぱられた鞭を断ち切った、と思われたが、それは錯覚だった。

 コンクリートすら砕く西郷の手刀でも、鞭は切れない。適度な弾力ではじき返された。

「むう?」

「切れるわけないでしょ? ほんものの刀ならともかく」

 切れないとわかると、西郷は風太から離れ、麝香院に向かって突進する。鞭が緩んだ瞬間、ジャンプすると、例の球体UFOのように高速スピンした。それで首に巻きついた鞭がほどける。

 外れるや否や、麝香院は鞭を引いた。

 ひゅああん。

 続いて第二弾の打ち下ろし。

 西郷は飛びさり、鞭の先端から逃れる。

 風太の目の前で、ぴしいっと鞭が空気を切りさく音が響く。

 意図せず、風太は両者の間に立つことになる。もっともふたりにはとりあえず、問題外らしい。

 ただし、どっちかの脇をすり抜けて逃げるのはさすがに無理っぽい。

「貴様のような女は前から気に入らなかったタイ」

「あら、それはこっちも同じことよ」

「年端もいかぬ少女をいたぶるのが趣味の変態女め」

「そっちこそ、殺しに快感を覚えるなんて、変態だわ」

「いいかげんにしろぉおお!」

 麝香院のさらに後ろからべつの叫び声がした。

 暁だった。こいつはこいつで、盾に斧といった時代錯誤の格好をしている。

「仲間割れをしてる場合か? 敵が押しよせてくるんだぞ」

「ふん、望むところよ。でもこいつはいらない」

「心配せずともトラップがあるタイ。ここに来るまで全滅タイ」

 いきなりピーピーと警報が鳴り響いた。

「いってるそばから来たぞ」

 暁が叫ぶ。

 誰だ? 誰が来た?

 風太の頭のまず浮かんだのが、つららだ。つららはすぐれた武道家だが、ゲリラ戦など経験があるわけない。トラップの知識なんて皆無なはずだ。

 来るな。トラップにやられるぞ。

「すぐ、止まるタイ」

 だが、警報は止まらなかった。べつの音の警報が新たに鳴る。

「トラップを突破した?」

 西郷の声に動揺がまじる。

 さらにべつの警報。すぐにまたべつの……。

「トラップをつぎつぎに突破してるタイ。しかも人間の走るスピードじゃない。いったい何者タイ?」

 人間の走るスピードじゃない?

 いわれてみれば、上のほうからエンジン音が響く。

 バイクか?

 しかしつららは風太同様まだ中学生。バイクの免許なんてないし、とうぜんバイクを持ってもいない。

 誰だ?

 エンジン音。さらにバイクが階段を駆け下りてくる音が間近に迫る。

「誰だ?」

「誰よ?」

「何者タイ?」

 全員が階段に集まり、上を見る。

 これはチャンスなんじゃ?

 風太には上から来るのが誰なのか、わからなかったが、やつらの注意が上に向いている。もう誰も風太に注意を払っていない。

 ぐおん、ぐおん。

 上からの音がさらに派手になったのを見はからい、風太は連中の後ろをすり抜け、魔子が閉じこめられているっぽい、明かりの漏れている部屋に向かう。

 連中スルー。案の定、風太は眼中にない。

 そのまま中に入りたかったが、ダメだ。まだジュベールがいる。

 いや、諦めるな。連中が手こずるようならぜったいこいつも外に出てくる。

 そう思ったとき、バイクは爆音とともにやつら三人の頭上に舞い上がった。

 連中が馬鹿みたいにそれを見上げていると、バイクは反対側の壁に激突。いや、うまく体勢をととのえ、後ろのタイヤで壁を蹴った。

 そのまま壁を横に走る。風太から遠ざかるようにしながら。

 ふたりだ。バイクをあやつってるやつと、後ろに乗っているやつ。暗かったがそれくらいはわかった。

 運転してるのは黒いライダースーツ。後ろのやつは黒いワンピースを着ていた。ともに髪が長い。女?

「いかせるか!」

 後ろの女の腕に麝香院の鞭が巻きついた。

 ふたりは分離。ライダースーツの女はそのままバイクで遠ざかり、後ろの女は引っぱられた反動を利用し、麝香院に向かって飛ぶ。

 跳び蹴り炸裂。

 麝香院はそれを両手で引っぱった鞭で受ける。そのままはね飛ばすと、いったん鞭を戻した。

 はね飛ばされた女は空転し、そのまま着地。そのとき、その女の顔が初めて見えた。

 つらら?

 ということは、もうひとりは奥さまか?

 そうか、なんとか説得できたんだな。

「このアマ」

 暁と西郷も後ろからつららに襲いかかろうとする。そのとき、向こうに行ったバイクがUターンしてきた。猛スピードで。

「なめるんじゃなか」

 前に飛びだしたのは西郷。ダルマのような巨体とバイクの正面衝突。

 ずん。

 空気が激しく振動した。

 しかし西郷はふっとばなかった。まるで岩のようにバイクの動きをとめる。

「ぬおおおおおお!」

 そのままバイクを持ち上げるが、彼女はバク転。回転しつつ、シートの両脇にある棒のようなものを掴んだ。

 しゃきーん!

 いつの間にか手には二刀流。バイクにも刀を仕込んでいたらしい。

 まちがいなくこの女、巣豪杉家の奥さまだ。

 西郷、エンジンが掛かったままのバイクを床に投げすてる。

 奥さま、右手を前に突き出し、中段の構え。左手は上段に高々と構えた。

「あんたたち全員、皆殺しよ」

 奥さまは全身から怒りと炎のような殺気。……といいたいところだが、むしろ氷のようだ。採用試験で暁に見せた怒りとはちがう。冷静そうだ。

 どっどっどっどっ。

 エンジンが掛かったまま、床に転がったバイクのライトは、あたり一面を下からほのかに照らす。

 奥さまの表情はあのとき見せた般若のような顔じゃない。

 むしろ無表情。人形のような顔。

 しかし、下からの灯りのせいか、その顔は殺気を垂れ流しているよりずっと恐ろしい。

 ひょっとして、殺し屋モード?

「どけ、西郷」

 素手の西郷を押しのけ、盾と斧の暁が奥さまに飛びかかった。

 ぎぃいいいん。

 奥さまは重厚な斧の一撃を細身の刀で受けるが、びくともしない。

「採用試験のときはわざと負けたんだよ。そっちの腕を探るためにな。本気出せば、楽勝だ」

「あら、そう?」

「死ねっ、このアマぁああああ!」

 暁は押しつぶそうとするが、力をいなされ、逆に奥さまのもう片方の刀で腕を切られそうになる。

 もっとも西郷はそれをとっさに盾で防いだ。さすがに見るからにぶ厚そうな盾は貫けない。

 反対側ではつららと麝香院の戦いが激烈化していく。

 風太は両者の間でまさに空気化している。あとはなんとかジュベールをおびき出せれば……。

 そう思ったとき、ジュベールは仲間が苦戦しているのを察したのか、外に飛び出してきた。手にはフェンシングのサーベル。

「ふははは。僕にも遊ばせろよ。刻ませろ」

 ジュベールはサーベルを振りまわしながら、楽しそうに奥さまのほうに向かった。

 チャンス。

 風太は部屋の中に滑り込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る